「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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終わりへと向かう殺戮の夜(1)

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 まるで人の気配を感じなかった。旧市街地から大通りを抜けた先は、街灯の明かりさえ見えない。

 途中、フロント部分を大破させている乗用車を通り過ぎた。そこには、月の青白い光に照らし出された人間の白い面がいくつか浮かび上がっており、それぞれ前車と後車でハンドルを握っていた澤部と阿利宮が「おわっ!?」と驚いた声を上げて、車体をぶれさせた。

 一瞬にして通り過ぎてしまったので、よくは分からなかった。それが先程見た面を付けた子供と同じ「エージェント」の人間であるらしいとだけは理解していて、一体あの事故車はなんだったんだろうな、という疑問だけが残った。

 藤村事務所へ強行突入した際の熱が残っていたので窓を開けていたが、やはり辺りは不気味なほど静まり返っていた。


 金島を含む七人の捜査員は、二台の車で白鴎学園前までやってきた。鈍く月明かりを反射する黒い芯柱と、張り巡らされた有刺鉄線を目に留めて、一同は絶句した。


 白い面の人間がちらりと彼らの姿を見やるが、特に興味を向けることもなくふいと視線をそらせた。面は違えど同じ服装をした彼らは、有刺鉄線の檻を更に取り囲むように、一定の距離を保って直立不動していた。伸縮性の黒いニットの上から着た防弾チョッキと銃の武装は、軍隊のような様だった。

 時々、有刺鉄線からは電流の光りが細く上がっていた。物騒な高圧電流の檻と武器も、それぞれの仕事を当然のように進めるナンバーズ組織も、金島たちの目には異様な光景に映った。学園内で殺戮が起こっていることを受け入れられない自分たちこそが、どこか間違っているのではないかと錯覚してしまうほどだ。

 不意に、悲鳴と怒号、銃声音が学園内から上がった。

 思わず足を止めた金島を、毅梨と阿利宮、彼の部下である三人の若手捜査員が振り返らないままに通り越した。一瞬歩みを送らせた毅梨が「答えてはくれないと思いますが、いろいろと話を伺ってきます」とだけ言葉を残していった。

「とんでもねぇな……」

 金島の後ろで、車に寄りかかった澤部が煙草の煙を吸い込んでぼやいた。

「日本にこんな組織があると知れたら、国中パニックになるだろうな……」

 澤部がもう一度深く煙を吸い込むと、金島の背中を見つめていた内田が、車体前方部分に腰を降ろした。立つのも億劫といった様子で溜息をもらし、だらしなく体勢を崩す。

「おいおい、この車凹ませたら、毅梨さんにあとで叱られっぞ」
「無駄に丈夫そうな車体なんで、大丈夫じゃないすか? 気になるのは、金島ジュニアとその同級生の安否っすよね」

 きっと金島さんが一番心配してる、と内田は語尾を濁した。

 そのとき、三人に声を掛ける者の姿があった。

「あと数分もしないうちに終わりますよ」

 澤部と内田、金島が揃って視線を投げかけた先で、黒いコートを着た長身の男が「どうも、こんばんは」とにこやかに挨拶をした。

 頭髪は白が目立ち、ふっくらとした顔にも、老いた年齢を窺わせる緩やかな深い皺が入っている。しかし、どこかぴんと伸びた背筋は若々しくもあり、体格は細身というよりは、現役の若手刑事のようにしっかりと鍛えられて引き締まっている感じもあった。

 初老に近いその男が、金の装飾が入った黒い杖を持ったまま、ゆっくりと金島へ歩み寄る光景を目に留めて、澤部と内田がほぼ同時に「誰だ、あのおっさん」「誰ですかね、あのじいさん」と顔を顰める。

 封鎖されている学園敷地内から、またしても悲鳴と銃声が上がった。

 こちらにむかってやってくる男の、おっとりと笑む表情は変わらなかった。この場に似合わない穏やかな空気を纏った男が、自分の顔見知りであると早々に気付いていた金島は、困惑を隠しきれない様子で「尾崎理事長」とその名を呼んだ。

 学園周辺は完全に封鎖されていた。関係者だけがここに集まっている。

 つまり、とある可能性に思い至っていた金島は、顔を強張らせたまま口を開いた。

「まさか……」
「お察しの通りですが、元身内の関係というだけですよ」

 尾崎はそれ以上言葉にしなかった。同じように察知した澤部が「ちょっと待ってくれよ」と車体から身を起こしたが、内田が「どちら様ですか、うちの金島さんとはどういったご関係で?」と尋ねる方が早かった。

 露骨に警戒を見せる内田の瞳は、きちんと名乗れよという風に顰められていた。それを見て、澤部が後輩を嗜めるように言う。

「おい、内田お前――」
「白鴎学園理事で、高等部校長の尾崎と申します」

 尾崎はにっこりと内田に笑いかけ、金島へと視線を戻した。

「心配にはおよびませんよ、金島さん。あなたの息子さんとその友人には、強力な守り手がついていますから」
「…………それは、潜入しているナンバー4のことですか?」

 たった一人で、白鴎学園内の標的を抹殺処分しているエージェントを知っているのか、と金島はつい目で尋ねてしまった。息子たちのこちを口にしたとき、どこか年相応の優しい声をしていて、まるで恐ろしい人間には到底思えなかったことについても気になっていたからだ。
 
 息子が彼を知っているのなら、話を聞いてみたいとも思っていた。一緒に過ごしていた時、そして今、学園内で何が起こっているのか――

 すると、尾崎が可笑しそうに「いいえ、彼のことじゃありまん」と首を傾けた。

「嫌な予感がしましてね、少しお願いして、この作戦に私の友人を加えてもらっているのですよ。息子さんの担任をしている矢部という男です。腕は確かですので、安心なさってください」

 気のせいか、ちっとも安堵できない情報が耳に入ってきた。

 金島は、ぎぎぎぎ、と不自然な動きで尾崎を見つめ返してしまった。聞き耳を立てていた澤部と内田も、自分たちの耳がおかしくなったのだろうかという顔で、鼻に小皺を寄せて二人を注視する。

「……失礼ですが、尾崎理事長? 今、担任の、とおっしゃいましたか」
「暁也君と、その友人の担任をしている矢部です。引退して学園を立ち上げた私についてきましたが、十年以上経った今でも腕は衰えていませんよ。暗闇で敵が放った銃弾を全て撃ち抜く部下でしたからねぇ。ナンバー4もおりますし、安心してください」

 ああ、しかしこれは秘密でお願いします、と尾崎が微笑する唇に人差し指を立てる。

 金島たちは、すっかり言葉を失ってしまった。澤部が煙草を地面へと取り落とし、内田はあんぐりと口を開けたまま硬直する。


 一体どうなっているんだ、この学校……――と三人は表情に浮かべて沈黙した。


 とうとう眩暈と頭痛まで感じ、金島は思わず頭に手をやった。

 封鎖された学園には自分の息子とその友人がおり、そこにはたった一人で殺戮任務を実行するナンバー4というエージェントがいる。尾崎は元々ナンバー組織に所属しており、暁也の担任は元エージェントで尾崎の部下であったという。
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