「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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学園を囲った檻~藤村×富川×尾賀×李~(2)

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 藤村が「俺の仲間だって殺し屋ぐらい」と愚痴りだしたとき、「なんじゃい尾賀!」と雷が落ちるような強い叫びが上がった。

 そこにいたのは、尾賀と同じぐらい小さな背丈をした老人だった。小麦色の肌を真っ赤に染め上げて、荒々しく歩いてくる。

 彼は、今回中国からヘロインを運んできた自称科学者の李(り)だった。いつも狭い肩を怒らせ、白衣に包まれた身体は、脂肪が詰まった腹を突き出している。顔や首、手先は皮膚が垂れて痩せ細った印象はあるが、衣服で隠れた背中も腕も太腿も丸い。

 李は依頼通りの麻薬を配合できる闇の売人である。中国人だった亡き父を尊敬しており、顔も分からない母方の日本人名ではなく「李」を名乗っていた。母親の血筋が強いため、容姿も皮肉を叩く口調もまるで日本人にしか見えない。中国の血が強く出ている尾賀を、なんとなく嫌っている老人である

「お前のせいでこけたぞ! 埃まみれじゃわい!」
「短い足を滑らせただけじゃないかね」
「短足ブサイクのうえ似非中国人のお前に言われたかないわい!」

 李が怒りをぶちまけている間に、藤村が「背中に埃がついてますね」と何食わぬ顔でそれを払い落した。李は悪くもなさそうにちらりと視線を滑らせ、ぶっきらぼうに「謝謝」と言ったあと、勢い良く富川と尾賀を振り返った。

 李は下手(したて)に出る人間が嫌いではない。むしろ、人間は自分を一番に優遇するべきだという考えを抱いていた。それさえ知っていれば扱いやすい。

 藤村は李の感謝の意もこもらない声に「いいえ、別に」と上辺だけで答えた。べらべらとうんざりするほど長話をする尾賀より、李が幾分かマシだと思っていたのだ。

 こっちはいつも働かされてんだから、話し相手はてめぇでやれよ富川。

 藤村の視線の意味にも気付かず、富川は一方的に李の怒号を浴びせられた。

「ネズミがどうした! ヘロインの数量があってるかじゃと? そんな事どうでも良いことじゃわい! その侵入して邪魔しようとしている奴らというのは、わしの実験体共を横取りしようとしているんじゃないだろうな!」
「あの、李さん、落ち着いて下さ――」
「これで落ち着けるか馬鹿者が! あの人間どもは誰にもやらんぞ! あれはわしの物じゃ! 若く健康な実験体は滅多に手に入らんのじゃからな!」

 口を挟んだ富川は、罰が悪いように口をすぼめた。尾賀が「やれやれだね」と呆れ返った様子で口を開く。

「だからこそ、そのネズミを早々に処分しておこうと思っているね。検体を横取りされる可能性も低くはないからね、君のためを思って、私も十二体の駒を出してるね」

 李は、怪訝そうに皺を寄せて尾賀の部下へと目を向けた。二メートルの巨体に、細いサングラスを掛けた男たちは全員唇を強く引き結んでいる。特徴は大きな体格といかつい顔ばかりで、どれも似たり寄ったりの容姿であった。

「ふん、なるほどな」

 李は尾賀のトラックの奥に聞こえるよう「一号!」と叫んだ。彼は今回の取引で、用心棒兼部下を乗せた自分の改造大型トラックを一台だけ持ってきていた。引き取る学生を詰める運搬用として、別に二台のトラックを約束通り尾賀が用意してくれていたものの、その大きさが少々不満で、先程は出会い頭に言い合いの喧嘩になっていた。

 富川から実験体は三十六人だと聞いて、李はいつも以上に気が入り、今回は船に乗せていたすべての部下を引き連れての出動だった。忍者のような服の上から白衣をはおった、異様な容姿の部下たちである。

 トラックの向こうから、李の部下の一人が跳躍するように素早くやってきた。男は大きく広がった胸部からの重さに耐えきれないように背を丸め、頭髪のない頭部に張り付いた耳を李に寄せた。

 李が中国語で短く囁くと、彼がだらしなく口を開いたまま頷く。長いガニ股の足をのそりと動かせたかと思うと、同じように跳躍を繰り返して、トラックの奥へと消えて行った。

「四肢は十分に弄ってある」

 李が誇らしげに言った。藤村は「化け物かよ」と喉元に上がった言葉を押しとどめた。自分に害がないと自負している富川は「心強いですなぁ」と、他人事に傍観を決め込む。

「さぁ、わしの部下十五人すべてがネズミの駆除に回ったぞ! お前の部下は十二人! これでじゅうぶんじゃろう。ヘロインは残った三人の手駒で勝手に運び出しておけ、ヘロインの数量は確かに注文道りじゃ、わたしは先に実験体を見てくる!」

 李は、そう尾賀にまくしたてたかと思うと、次に富川を振り返った。「さぁ、実験体共はどこにおる!」と喚く声に、富川は尾賀から離れる口実になると考えて笑みを浮かべた。しかし彼が「案内しますよ」というよりも先に、藤村がさっと李の前に進み出た。

「俺が案内しましょう」

 ヘロインを運び出す間、お喋りな尾賀が黙っているはずがないと藤村は知っていた。一度会ったあと、電話でも散々うんざりさせられていたからだ。だから今日の取引では、尾賀の相手を富川に押し付けることを決めていた。取引の後まで、話に付き合わされるようで嫌だったからである。

 ちっ、藤村め。

 富川は嫌々ながらも、去っていく藤村と李を見送ると、尾賀に愛想笑いを浮かべた。彼は満足げな表情で、大学校舎へと入っていく李の後ろ姿を見据えている。

「腕はいいんだがね、あの短気な性格はどうにもならんね」

 肉体を強化された三人の男たちによって運び出され続けている、純白のヘロインを眺めた。途中李の喚き声が遠くから小さく聞こえたが、本人がいないだけでもずいぶん静かだと二人は思った。

 そういえば、常盤はどこにいるんだ。

 富川は、尾賀に聞えないように口の中で呟いた。人殺しを仲間に迎えるといっていた常盤は、まだ校舎から出て来ていなかった。午後十一時までにはスカウトした人間を連れてくる、と聞かされていたが、それらしい人影がやってくる気配もない。

 この瞬間を一番心待ちにしていた常盤の姿がないことに、富川は違和感を覚えた。


「ネズミを処分次第、他の部下にも運び出させるね」


 尾賀のそんな言葉が聞こえたとき、もしかしたら、という富川の心配事は吹き飛んだ。普通の犯罪者よりも危険そうな部下がいれば、どんな取引も安泰だろうと構える。

 富川は顎の辺りを手で撫でた。人質を任せている常盤は、考えてみれば数十分前に薬をやったばかりである。利口な常盤のことを考えると本部長の子に手を出していることは想像できず、スカウトした人間と、本部長の息子にくっついていた友人にちょっかいを出している可能性を思った。

「まぁ、大丈夫だろう」

 それから富川は、尾賀の長い話に付き合うことになった。
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