「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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放送室の少年たち(2)

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 常盤はひとしきり笑ったあと、携帯電話で時刻を確認した。肩をすくめると「もう一人の方については、あとで考えるよ」と冷静さを装った。


「実は相手方が早めに到着しているんだ。先に見せてあげるよ。大量のヘロインはきっと壮観だと思う」

 そのあとに人間だって取引されるんだ、と常盤は続ける。

 そのとき、あるところへ視線を移した修一の表情から、ふっと驚きがかき消えた。小首を傾げ「あれ?」と控えめに出された声は、室内に満ちる重圧をすっかり忘れてしまっている。

「……なぁ、暁也」

 常盤がヘロインがしまわれている旧地下倉庫について語る中、修一が服をつまんで引っ張った。調子が狂うようなマイペースさのおかげで、少し呼吸が楽になった暁也は、緊張を漂わせながらも「なんだよ」と答える。

 修一は雪弥を凝視したまま、内緒話をするように暁也に頭を近づけた。

「…………雪弥ってさ、もう少し身長なかったっけ?」
「は? お前、いきなり何言って――」
「昼間に雪弥と喋ってんの見た時、常盤って華奢なんだなって思ってたんだけど」

 でも俺は常盤をあまり知らないし、と修一は少し自信がなくなったように語尾を弱くした。ひとまず見てくれと促された暁也は、訝って二人の方へ人を戻したところで――それに気付いて息を呑んだ。


 一緒に校内を出歩くようになってから、暁也は長身の自分より、雪弥の背丈の方が高いことを知っていた。雪弥は確かに細身であったが、意外と鍛えられたたくましい身体を持っていたのである。

 昨年までは同じクラスであったし、校内でたまに見掛けることもあったので、常盤の身長が低いとは把握していた。


 それなのに、目の前にいる今の雪弥は、向かい合う常盤とあまり変わらない背丈をしていた。いや、よくよく見てみると、なんだかずいぶんと細く幼い体系をしているような気もする。

 改めてその姿の違和感を認めると、いよいよ全くの別人に見えてきた。細い身体は無駄な肉が一つもないほど鍛えられているが、顔から下だけを見ると、放送室にいる三人よりも年下の少年がそこに立っていると錯覚してしまう。

 一度その事実に気付いてしまうと、自分たちよりも小さいことは明らかで疑いようがなかった。どうして雪弥の身長が低くなったのか分からないし、逆にいえば、どうして雪弥と同じ顔をしているのか、とまで考えてしまって、暁也と修一は声も出なくなった。

 常盤が話しを続ける最中(さなか)、ふと、目の前の雪弥がこちらへ視線を滑らせてきた。

 一体何がどうなっているんだという訴えを察したのか、雪弥が何かを伝えるかのように、ゆっくりとその黒い瞳で視線の先を誘導した。疑問を覚えて彼と同じ方向へ目を向けた暁也と修一は、口から出そうになった叫びを慌てて喉に押しとどめた。

 彼らの前にいる雪弥は、金具がついた黒いブーツを履いていた。靴底がひどく分厚い、身長を底上げするタイプの物である。

 その手の靴をいくつか知っていた暁也は、呆気に取られた。

 どんだけ小さいんだ、とうっかり場違いな感想を抱いてしまう。

 すると「雪弥」が、ネタバラしはしたよ、と言わんばかりに笑んで、ゆっくりと唇前に人差し指を運んで「しぃ」という形を作った。その黒い瞳は、どこか残酷でありながら悪戯っ子のように楽しげだ。

「…………厚底でも、あいつより低いッ」

 修一がうっかり口に出してしまい、常盤が話しを切って怪訝そうに眉を寄せた。彼は「あいつ何言ってんだろうね」と疑問の声を上げて銃を触り、雪弥がとぼけたように「さぁ」と答える。

「じゃあ、今すぐ二人は殺さないんだね」

 先程と同じ口調で雪弥は尋ねた。確認するような口調だとも気付かないまま、常盤が「そうだよ」と言って「雪弥も取引を見たいだろう?」と急かせる。

 自分たちが人質扱であるらしいことを改めて自己解釈し、暁也と修一は、一先ず今すぐに殺されるような事はないらしいと互いの目で語り合った。しかし、今は攫われてきた理由についてよりも、新たに発覚した事実に緊張は強まっていくばかりだった。

 雪弥の顔をしているこいつは、いったい誰だ? 

 確かに別人だと考えれば、常盤と犯罪じみたやりとりをして、まるであまり交流がない人間のようにこちらを注目しないのも頷ける――ような気はする。しかし、そもそも、顔を全く同じにするなんて、そんな馬鹿なことはありえないと思うのだ。


「午後十時五十八分」


 不意に、雪弥の顔をした少年が耳に手をあてたかと思うと、誰に言う訳でもなく時刻を口にした。疑問を覚えた常盤に微笑みかけたかと思うと、彼は後ろ手で扉を全開にし、そのまま床を蹴って一つ飛びで廊下へと後退した。

 そのとき、一組の靴音が廊下の奥から響き渡った。

 聞き慣れないその足音は、シューズから発せられるものではなく、固い革靴の底がカツンとあたるものだった。

 常盤は、雪弥に対して「どうしたの」と言葉を掛ける余裕もなく、身を強張らせて銃の安全装置を外した。低い声色で「富川学長か? 藤村さんか?」と呟くが、その緊張した面持ちは別の想定に身を構えているようだった。

 放送室の中から、廊下に佇んだ「雪弥」が恭しく一礼する様子が見えた。彼は片方の手を胸に当て、頭を下げる。


 近づいてきた足音が、放送室前で止まった。

 薄暗い視界に溶け込む黒いその人物が、開かれた扉を塞ぐようにゆっくりとこちらを振り返ったとき、室内にいた三人は同時に驚愕した。


 そこに立ったのは、一人の青年だった。引き締まった身体にきっちりと黒スーツを着込み、六月という季節感もなく黒のロングコートに身を包んでいる姿が、背に受けている月明かりに照らし出されている。

 色素の薄い柔らかな髪は、その月明かりにブルーともグレーとも分からない色を放っていた。小奇麗な顔にかかる髪先から覗く碧眼は、凍えるほど明るく澄んでいて、月明かりの逆光があるせいか、発光して鈍い光を宿しているようにも見えた。

 その青年は、三人の少年が知っている「本田雪弥」の顔をしていた。
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