「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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作戦決行二十五分前、エージェント×金島一行(1)

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 マンション最上階の一室で、長い黒コートが月明かりに照らし出されていた。

 二丁の銃とナイフが隠された黒を身にまとう身体は、その細い線を浮き立たせている。ぴたりと止んだ風に、光に透き抜ける灰色が蒼い光を帯びながら、ふわりとその髪を落ち着かせた。

「金島本部長が所定の位置についたことを確認しました。すべての準備が完了です、ナンバー4」

 ベランダ前から外を眺めていた雪弥は、後ろの夜狐に「そう」と答えた。床に膝をついていた夜狐が、上司から放たれる沈黙を読みとったように顔を上げる。

「ナンバー4、何を考えられていらっしゃるので?」
「ん~……常盤の酔狂に付き合うかどうか、と考えてる」

 どうせ皆殺しだしなぁ、と冷ややかな声が夜風に舞った。

 碧眼の瞳の中で淡い光が揺れ、室内の空気が一瞬重々しい殺気に満たされる。見えない刃を四方から受けたように、夜狐の身体がわずかに強張った。

 そのとき、ベッドの上から乾いたバイブ音が上がった。そこには、まだ付けられていないストラップ人形の「白豆」もいて、ふっと途切れた緊迫感に夜狐が面越しに安堵の息を細くこぼした。

 対する雪弥は、渋々といった様子で自身の携帯電話を振り返りつつも、その表情に「迷惑だ」と露骨に浮かべた。使い慣れた携帯電話は、午後十時頃からベッドに放置されていて――

 あれから二十分、同じ人物からの着信が五件入っていた。

「……お取りにならないのですか?」
「いやいやいやいやいや、僕は兄さんの着信なんて気付かなかった。携帯電話がどこにあるのかさえもさっぱりで、僕は出られない状況だったわけで」

 一人虚しく言い訳を並べたが、夜狐の無反応を前に雪弥は項垂れた。携帯電話が震える音は長く続き、いっこうに止む気配がない。


 兄からの一回目の着信は突然だった。雪弥は一回目から、気付かない振りを決め込んだ。その呼び出し時間がひどく長くて、胃をギリギリと締めつけてくる。

 催促するように掛かってきた二回目の着信に、雪弥は「蒼緋蔵家の雪弥はもういません」と言い逃げしたい衝動に駆られた。それはさすがに子供じみた行動だろうと冷静になり、現在六回目の新たな着信バイブ音を聞いている。


「…………勘弁してよ」

 蒼緋蔵家と関わりを持たなくなってから、十九年が経っていた。生活費、養育費の金銭援助をもらわなくなってからは八年が過ぎた。

 その間、何度も脳裏に横切っていた考えは、父の戸籍から完全に離れることだった。特殊機関の力で認知の痕跡すら消し去り、蒼緋蔵家当主に愛人の息子がいた記述すら抹消する。そうすれば、兄・蒼慶も自分のことを放っておいてくれるのだろうか……

 大好きな父と、彼が愛する家族に迷惑をかけたくはない。なぜ蒼慶は分かってくれないんだと、雪弥は焦燥に似た苛立ちも感じる。兄として尊敬していて、父たちと同じくらい大切な家族だと想っているからだ。

 蒼慶は、雪弥の仕事が組織のものだと気付いている。そして、容姿も性格も毛色も違う雪弥が、愛人の子であることも十分に知っていた。

 蒼慶は次期当主という立場にいて、蒼緋蔵家の人間からは「よそ者を我が家に入れるということは」と何度も危惧すべき事態を聞かされていたはずであった。にもかかわらず、ここにきて唐突に自分をそばに置くと言いだしているらしい。

 そのことについて雪弥は一通り考えてみたが、やはり理解出来なかった。

「……やっぱり、兄さんの考えていること、よく分からないや」

 人間、完璧じゃないってこういう事をいうのかなぁ、と雪弥が呟いたとき、夜狐が耳にはめた無線マイクを聞いて立ち上がった。

「ナンバー4、今入った連絡なのですが」

 夜狐の声色は特に変わらなかったが、七年も共に過ごしていた雪弥は、そこに彼独特の緊迫感があることに気付いた。一瞬脳裏に嫌な予感を過ぎり、「おいおいまさか」と目で訴えた雪弥に対して、面をかぶった部下は冷静に頷いた。

「白鴎学園高等部、金島暁也と比嘉修一が拉致されました。二人を乗せた車は藤村組のもので、現在学園敷地内に向かっているそうです。車内に藤村、掛須、常盤の姿が確認されています」

 ベッドの上で震えていた着信音が、まるで空気を読んだかのように止んだ。

「いかがなさいますか」

 夜狐が問い掛け、指示を待つため沈黙した。

 どういった経緯があって二人が学園に連れ去られたのかは知らないが――、いや、そんな些細な事はどうでもいいのだ。保身のためか個人的な思惑があってか、まったく無関係な民間人を巻き込むほどエスカレートしているらしい貪欲さには呆れる。

 しばらくして、雪弥の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。

「…………どうやら僕は、あの子の酔狂に付き合うことになりそうだね」

 黒いコートが、夜をまとって翻る。冷静を装った雪弥の表情は、抑えきれない殺気を孕んで見えない敵を軽蔑しているようにも見えた。珍しく個人的に思うところもあって怒っているらしい、と夜狐は小さく呟いて彼の後に続いた。

 特殊機関による作戦決行まで、二十五分を切っていた。

             ※※※

 雪弥が知らせを受けた同時刻、茉莉海市を南へと下った旧市街地。

 金島率いる県警察刑事部捜査一課の特別編成チームは、茉莉海署員を従えて藤村事務所を完全に包囲していた。先程事務所から出た車が戻り、リーダーの藤村を除いた全メンバーがその建物内にいるという状況だった。

 違法薬物取り締まりに乗り出していた茉莉海署組織犯罪対策課を含む捜査員たちは、高知市からやってきたと伝えられている藤村組に、警戒の色を隠せなかった。容疑者が銃を所有しているということもあり、突入に備える人員は防弾チョッキと銃を携帯し、現場待機している金島の号令を待っていた。

「……今回の事件の容疑者として片づけるってことは、ここに残ってるメンバーは殺されないですむってことっすよね?」

 藤村組事務所の様子を伺う澤部の隣で、内田が独り言のようにぼやいた。

 隣接する建物の裏手に、高知県警察に所属する七人が使用する車が二台停められていた。指示が来ればいつでも飛び出せるよう、事務所に車が入るのを確認したあと、金島らは車の影に身を潜めるようにそこで待機していたのだ。


 先程外で見張りに立っていた時、白鴎学園に集まった人間は全て抹殺処分する、との内容が一同に改めて伝えられていた。声を掛けられて初めて、自分たちの後ろに人間が立っていることに気付いたのだが、そこには白い面と伸縮性の真黒な服で身を包んだ、感情の起伏を感じない気配を漂わせた人間がいた。

 彼は、暗殺部隊の者だと金島らにいった。薄暗がりに浮かぶ白い子狐の面をかぶっていたのは、とても線の細い少年だった。自分の息子よりも背丈の低いエージェントに、金島は一瞬言葉が見つからなかった。

「総本部より、容疑者および関係者の抹殺処分が決定。これより学園で起こる作戦について、ナンバー4が終了を告げるまで警察の関与は認められない」

 声変わりをしていないのではないか、と思うほど澄んだアルトだった。「全員殺す気か!」と澤部は食いついたが、少年エージェントは静かに告げた。

「国家を脅かすテロと認定。ブルードリームの製造法、および取り扱う組織の一掃。取引の商品として使用される新型ブルードリームの摂取者は、鴨津原同様の発症を起こす可能性を視野に処分することが決定しています」

 ブルードリーム、レッドドリームについて教えられていた金島たちは、すぐに返す言葉が浮かばなかった。

 映像記録や写真付きの報告書を見せられた中で、ブルードリームを摂取していた大学生が、二人の人間を殺めたことは事実だった。鉄の塊で打たれたような死体は、二体とも顔の原型が残らないほどぐちゃぐちゃになっていた。まるで化け物のような死体映像が、里久という青年だったと聞かされても、一同はすぐ受け入れることが出来なかったほどだ。
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