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富川学長、夜の学園で(2)
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というのも、藤村組の面々は信用できなかったからだ。夜の店を持っていた佐々木原の手下を見てきた富川の目からは、藤村組は横暴というだけの頭の弱いチンピラ集団にしか見えなかったのである。
『富川学長、俺思うんだけど、尾賀さんの件が終わったら明美先生は特にすることもないし、先に帰してもいいんじゃない? 不安がられて今みたいな新しい仕事押し付けられるより、さっさと帰ってもらった方がいいと思うけど』
取引の最中に見回り行って来いって言われたら嫌だよ、と怪訝そうに声が尖った。富川が尋ねる間もなく、常盤が短い息をついてこう続けた。
『俺は新しく引き入れる奴の相手するんだから、そこまで明美先生に構っていられない』
そうか、学校に呼んでいるんだったな。
富川は思い出して口を閉ざした。少し考えて、「そうだな」と言葉を切り出す。
「立ち会うのは私と藤村さんだけでいいからな、明美は尾賀さんが現場に到着次第、帰すことにしよう」
常盤が富川に対して明美に「先生」をつけるように、富川も常盤に対しては藤村に「さん」をつけて話した。上辺の礼儀としてそうしている。
明美が敏感になりすぎだと常盤は述べたが、『でも、明美先生があそこまで言うのも珍しいよね』と富川が思っていたことも口にした。
明美の言葉を考慮していた富川は、やはりお前もそう思うか、と目を細めた。ここは慎重に保険でも掛けておくべきだろうかと思案したとき、ふと名案を思いついた。同時に生まれた新たな欲に、乾いた唇を舐めて撫でるような声で尋ねる。
「高等部に、確か県警察の本部長の子がいたな」
うちに引きこめないか、といった彼の思惑に気付いた常盤が『金島暁也、のことですか』と一歩距離を置くように声を落とした。
気に入らない意見が出たとき、常盤が見せる他人行儀な敬語と顰め面を思い出しながら、富川は「そうだ」と答えて頷いた。
「彼は人質としての価値を十分に持っているだろう。それに、仲間に引き入れておいても損はないはずだ」
『あいつは前の学校で暴力事件を起こして、親の権力でこっちの学校に入れたみたいだけど……一匹狼の不良で変な正義感を持ってるから、仲間にするのは難しいと思う』
「しかし、保険はあったほうがいいだろう?」
取引がもっとうまく立ちまわれることを想像し、富川は県警察本部長の父を持った生徒が欲しくなった。『でも』と抗議した常盤の言葉を遮り、意見を主張する。
「日頃から言っているだろう、頭を使え。警察の動きを探れる人間がいることは大きいぞ? 今後の取引が更に円滑なものになる。尾賀さんの部下にも洗脳を受けている人間がいる。彼に任せれば確実に引き入れられるだろう」
しばらく沈黙で応えると、常盤が諦めたように息を吐き出した。
『分かりました、分かりましたよ。でもね富川学長、もう夜の十時を回ってる。金島暁也がどこにいるのかも分からない今の状況で、保険とか引き入れるとかいわれても』
どうしろって言うんだよ、と言葉の後にドアの開閉音が続いた。『よぉ常盤』と聞き慣れた藤村の声が聞こえてきて、富川は眉を顰めた。
「お前、今どこにいるんだ?」
『ちょうど藤村さんと合流したとこ』
そう言って、常盤が電話回線を繋げたまま、携帯電話を離して富川が口にした提案を藤村に説明した。
藤村の声が『俺はそんなガキ知らぇし、今更保健とか要らないだろ』と怪訝そう言い、それを受けた常盤も『俺は二年の頃クラスメイトだったけど、連絡先も住所も知らないんだよね……』と答えて、こちらの電話に出た。
『富川学長の意見も分かるけどさ、それは後日ゆっくりでいいんじゃないかな。とりあえず、こっちはもう一回り車で見てくるから、皆が交流した午後十一時には明美先生を帰して――』
不意に常盤の言葉が途切れ、『掛須さん、ちょっと止めて!』と強い声に変わった。どうした、と尋ねる富川の問いにも答えず、しばらく電話の通話口が静けさに満ちる。
ややあって、常盤が緊張を抑え込むように『富川学長』と言った。
『どうやら、運が俺たちに味方しているみたいだ』
「だから、一体何がどうしたんだ?」
『今、すぐそこに暁也――県警察本部長の息子がいる』
富川は、タイミングの良さに武者震いをした。興奮が抑えきれず室内を歩き出すが、身体から湧き出す熱は止まらない。
「お前、放送室で待ち合わせだろう? ついでに、そいつのことも任せていいか」
でも殺すなよ、と富川は薄い唇を引き上げた。うわずる声を潜め、出かけた含み笑いを喉元に押しとどめる。
今夜は藤村から銃を渡されている常盤の内に潜む残酷性が、これからやってくるという殺人鬼と会うことで更に殺気立つことを想定すると、ここはしっかり念を押して告げておかなければならないと思った。
「お前が引き入れようとしている人間も、殺しが出来る者だと聞いているが、そいつにだろうと本部長の子は殺させるなよ」
『分かってるよ、俺もそこまで馬鹿じゃない』
答える常盤の声は楽しげだったが、彼はふと声色を落とした。
『……富川学長、暁也のそばにクラスメイトがオマケとしてついているけど、どうする? 裏手だし、今はグッドタイミングで人通りもないんだけど』
もし実行に移すのなら、この機会を逃したくない、というニュアンスで常盤が尋ねてくる。
富川は「ふむ」と渋ったが、すでに答えは決まっていた。どうやら本当に運が味方しているようだと思い、二人の学生が歩く路地にほくそ笑む。その間、常盤が『学校方面だけど、本当に人の気配がない。藤村さんと掛須さんも今なら簡単に出来るっていってる』と言った。
「オマケの学生も一緒に連れて来い。使えそうであれば、尾賀さんに頼んで洗脳するとしよう。使えそうになかったら、お前が好きに処分していい。あと始末は尾賀さんがやってくれる」
『オーケー、連れてくる』
富川と同様、常盤の声も上機嫌だった。悪行に悦んでいるのだろう、と富川は満足げに通話を切った。再び室内を歩き出し、明美について思案した。一緒に取引を見届けた後のため、すでにホテルのスイートルームを予約していたのである。
午後十一時といわず、尾賀と李が来たら、先に行かせておくか。
準備を済ませた明美がホテルで待っている光景を思い、富川は舌先で薄い唇を湿らせた。
『富川学長、俺思うんだけど、尾賀さんの件が終わったら明美先生は特にすることもないし、先に帰してもいいんじゃない? 不安がられて今みたいな新しい仕事押し付けられるより、さっさと帰ってもらった方がいいと思うけど』
取引の最中に見回り行って来いって言われたら嫌だよ、と怪訝そうに声が尖った。富川が尋ねる間もなく、常盤が短い息をついてこう続けた。
『俺は新しく引き入れる奴の相手するんだから、そこまで明美先生に構っていられない』
そうか、学校に呼んでいるんだったな。
富川は思い出して口を閉ざした。少し考えて、「そうだな」と言葉を切り出す。
「立ち会うのは私と藤村さんだけでいいからな、明美は尾賀さんが現場に到着次第、帰すことにしよう」
常盤が富川に対して明美に「先生」をつけるように、富川も常盤に対しては藤村に「さん」をつけて話した。上辺の礼儀としてそうしている。
明美が敏感になりすぎだと常盤は述べたが、『でも、明美先生があそこまで言うのも珍しいよね』と富川が思っていたことも口にした。
明美の言葉を考慮していた富川は、やはりお前もそう思うか、と目を細めた。ここは慎重に保険でも掛けておくべきだろうかと思案したとき、ふと名案を思いついた。同時に生まれた新たな欲に、乾いた唇を舐めて撫でるような声で尋ねる。
「高等部に、確か県警察の本部長の子がいたな」
うちに引きこめないか、といった彼の思惑に気付いた常盤が『金島暁也、のことですか』と一歩距離を置くように声を落とした。
気に入らない意見が出たとき、常盤が見せる他人行儀な敬語と顰め面を思い出しながら、富川は「そうだ」と答えて頷いた。
「彼は人質としての価値を十分に持っているだろう。それに、仲間に引き入れておいても損はないはずだ」
『あいつは前の学校で暴力事件を起こして、親の権力でこっちの学校に入れたみたいだけど……一匹狼の不良で変な正義感を持ってるから、仲間にするのは難しいと思う』
「しかし、保険はあったほうがいいだろう?」
取引がもっとうまく立ちまわれることを想像し、富川は県警察本部長の父を持った生徒が欲しくなった。『でも』と抗議した常盤の言葉を遮り、意見を主張する。
「日頃から言っているだろう、頭を使え。警察の動きを探れる人間がいることは大きいぞ? 今後の取引が更に円滑なものになる。尾賀さんの部下にも洗脳を受けている人間がいる。彼に任せれば確実に引き入れられるだろう」
しばらく沈黙で応えると、常盤が諦めたように息を吐き出した。
『分かりました、分かりましたよ。でもね富川学長、もう夜の十時を回ってる。金島暁也がどこにいるのかも分からない今の状況で、保険とか引き入れるとかいわれても』
どうしろって言うんだよ、と言葉の後にドアの開閉音が続いた。『よぉ常盤』と聞き慣れた藤村の声が聞こえてきて、富川は眉を顰めた。
「お前、今どこにいるんだ?」
『ちょうど藤村さんと合流したとこ』
そう言って、常盤が電話回線を繋げたまま、携帯電話を離して富川が口にした提案を藤村に説明した。
藤村の声が『俺はそんなガキ知らぇし、今更保健とか要らないだろ』と怪訝そう言い、それを受けた常盤も『俺は二年の頃クラスメイトだったけど、連絡先も住所も知らないんだよね……』と答えて、こちらの電話に出た。
『富川学長の意見も分かるけどさ、それは後日ゆっくりでいいんじゃないかな。とりあえず、こっちはもう一回り車で見てくるから、皆が交流した午後十一時には明美先生を帰して――』
不意に常盤の言葉が途切れ、『掛須さん、ちょっと止めて!』と強い声に変わった。どうした、と尋ねる富川の問いにも答えず、しばらく電話の通話口が静けさに満ちる。
ややあって、常盤が緊張を抑え込むように『富川学長』と言った。
『どうやら、運が俺たちに味方しているみたいだ』
「だから、一体何がどうしたんだ?」
『今、すぐそこに暁也――県警察本部長の息子がいる』
富川は、タイミングの良さに武者震いをした。興奮が抑えきれず室内を歩き出すが、身体から湧き出す熱は止まらない。
「お前、放送室で待ち合わせだろう? ついでに、そいつのことも任せていいか」
でも殺すなよ、と富川は薄い唇を引き上げた。うわずる声を潜め、出かけた含み笑いを喉元に押しとどめる。
今夜は藤村から銃を渡されている常盤の内に潜む残酷性が、これからやってくるという殺人鬼と会うことで更に殺気立つことを想定すると、ここはしっかり念を押して告げておかなければならないと思った。
「お前が引き入れようとしている人間も、殺しが出来る者だと聞いているが、そいつにだろうと本部長の子は殺させるなよ」
『分かってるよ、俺もそこまで馬鹿じゃない』
答える常盤の声は楽しげだったが、彼はふと声色を落とした。
『……富川学長、暁也のそばにクラスメイトがオマケとしてついているけど、どうする? 裏手だし、今はグッドタイミングで人通りもないんだけど』
もし実行に移すのなら、この機会を逃したくない、というニュアンスで常盤が尋ねてくる。
富川は「ふむ」と渋ったが、すでに答えは決まっていた。どうやら本当に運が味方しているようだと思い、二人の学生が歩く路地にほくそ笑む。その間、常盤が『学校方面だけど、本当に人の気配がない。藤村さんと掛須さんも今なら簡単に出来るっていってる』と言った。
「オマケの学生も一緒に連れて来い。使えそうであれば、尾賀さんに頼んで洗脳するとしよう。使えそうになかったら、お前が好きに処分していい。あと始末は尾賀さんがやってくれる」
『オーケー、連れてくる』
富川と同様、常盤の声も上機嫌だった。悪行に悦んでいるのだろう、と富川は満足げに通話を切った。再び室内を歩き出し、明美について思案した。一緒に取引を見届けた後のため、すでにホテルのスイートルームを予約していたのである。
午後十一時といわず、尾賀と李が来たら、先に行かせておくか。
準備を済ませた明美がホテルで待っている光景を思い、富川は舌先で薄い唇を湿らせた。
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