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常盤少年の接触(2)
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雪弥は冷めた感情で「ふうん」とぼやいた。暁也や修一と同じ年頃でありながら、常盤は全く正反対の位置にいることを興味もなく思う。
「学校とか平凡な日常はつまらないだろう? でも、雪弥はラッキーだよ。実はここにも学校にも、悪の巣窟があるんだ」
悪行が好きに出来る場所、欲しくない?
そう常盤は笑んだ。顔は高揚に火照り、覗きこんでくる瞳は飢えたハイエナのようだ。
雪弥は、自分よりも低い位置にある常盤の瞳を見つめた。不意にクスリ、と上品に口元をほころばせると、彼は常盤が一番欲しがっている言葉を推測して口にしてみた。
「欲しいな。そんな場所があるというのなら、ね」
藤村組か富川側か、と雪弥は冷たい笑みでどちらだろうと考えていた。常盤は興奮したように「俺ヤクザの一味なんだ」と誇らしげに告げ、強くなった声量を意識的に落として辺りを見回す。
誰もいないことを確認すると、常盤は内緒話をするように雪弥に身を寄せた。
「学校が取引の場所になってる。ヘロインと人間が、商品として今夜やりとりされるんだ、面白そうだろう? ねぇ、見てみたいなって思わない? 覚せい剤も麻薬もいくらだって手に入るんだ。大金も動くよ。学生の俺にだって報酬分が回って来る」
仲間に引き入れたいってこと?
そう内容を疑うような、出来るだけ冷やかそうに見える大人びた表情で、雪弥は囁き返しながら嗤ってみせた。それに気付いた常盤が、少し慌てたように「本当さ」とまくしたてる。
「今夜十一時に取引があって、学校に悪党どもが押し寄せる。本当だよ、嘘じゃない。雪弥のために特等席も用意するし、麻薬も女も酒も暴力も、殺しだって出来るよ。俺たち、東京の大きな組織と組んでいるから、そっちに頼めばきっと何人でも殺せる」
常盤は必死だった。本当の悪党には、これだけの話では物足りないのかと焦燥に駆られて言い淀む。ポケットに用意した少量の合成麻薬でさえ彼の気を引けないのか、と苦渋の表情だった。
ずいぶん、悪にご執心なようだ。そう雪弥は嘲笑した。平気で殺しの出来る人間を、常盤はどうやら逃がしたくないと考えているらしい。
はじめから、取引で差し出す学生だけにブルードリームは配られていた。それでも、富川と藤村たちが配っていた覚せい剤の正体も知らないことを、雪弥は話題が切れた常盤を見て悟った。
この少年は必至そうにアピールしてくるが、その悪事の内容も違法薬物に関してくらいだ。少し手助けをしているだけで、組織の詳細な動きや思惑は何一つ知らないのだろう。
もしかしたら推測通り、茉莉海市の共犯者たちは相手組織側の本当の目的については、何一つ知らされていないのかもしれない。大抵都合良く動かされているだけの小組織とは、そのようなものが多いのも事実だ。
つまり学院と藤村組は、こちらが求めるような情報を持ってはいない。
それだけで、雪弥はもう十分だった。
「いいよ、じゃあ僕にそれを見せて」
ここにいるのも時間の無駄だと判断し、雪弥は悪くなさそうな素振りを装ってそう言った。続けて説得されたりアピールされても面倒なので、適当に「面白そうだし」と続けて、ひとまずその誘いに乗るように言葉を返す。
向かい合う少年の様子を窺ってみると、常盤の顔には、喜びがはち切れんばかりの笑みが浮かんでいた。まるで、欲しかったプレゼントをもらった子供のようだった。
「今夜十一時に学校で会おう」
歓喜に声を弾ませ、常盤が声高らかにそう告げた。急くようにポケットを探る手は、早まった鼓動に合わせて震えている様子も見られた。
「もちろん十一時前でも構わないよ! 三階放送室の鍵を開けて待ってるから」
常盤は褐色かかった錠剤の入った小袋を取り出したが、震える手から落としてしまった。彼は弾くようにそれを拾い上げ、しっかりと雪弥の手に握らせる。
「これ、ヘロインを加工した麻薬なんだ。とりあえず一回分だけ試してみてよ、気に入るようだったらもっと沢山プレゼントするから」
ヘロインは通常ニードル摂取である。常盤は加工された薬を眺める雪弥の思索も気付かないまま、「今夜十一時には取引が始まるから、それまでに来てね!」と強調して飛ぶように走りだした。
これから取引のために動き出すのだろうと思いながら、雪弥はポケットに合成麻薬を押し込んだ。既に特殊機関の方では現物を確保しているだろうが、これも提出用に送っておくかと考える。
その時――
「ナンバー4、立ち聞きしていた人間がおりました」
夜狐が、雪弥の背後で膝をついてそう言った。頭を下げたまま「常盤聡史が動くと同時に慌てて去って行きましたが」と、どのように対応するか判断を仰ぐように報告する。
雪弥は常盤の姿が見えなくなった路地へと目を向け、仕事時の口調で「特定は出来ているか」と冷ややかに問い掛けた。
「はい。潜入先であなた様と共にいた、修一と暁也、という少年たちです」
その名前が聞こえたとき、雪弥は思考を止めてパチリと瞬きした。
思わず普段の表情で振り返り、頭を上げる許可をもらっていない夜狐を見下ろす。彼は顔を地面に向けたたまま、耳だけを澄ませてこちらの反応を待っていた。
「…………それ、本当?」
「本当です」
抑揚なく夜狐が答えるのを聞いて、雪弥は「やれやれ」と息をついた。少年たちがそれぞれ、強い好奇心と正義感を持っているらしいことを思うと、面倒なことになったなぁと感じる。
雪弥はその場で素早く思案すると、二秒半で解決策を見い出した。
「とりあえず一旦部屋に戻ろうか」
そう指示する声色は柔らかかったが、そのタイミングで今夜の作戦決行へ思考を切り替えたその瞳には、ナンバー4として特殊機関の幹部席に君臨し、今回の現場を指揮するに相応しい冷酷な威圧感も宿っていた。
いつの間にか、風は殺気に緊迫した空気のなかで凍りついていた。雪弥は頭を下げたままの夜狐を眺め、厳粛な面持ちを浮かべて踵を返す。
「計画は当初の予定通りだ。二十三時までに藤村事務所、二十三時ちょうどに学園一帯を完全に封鎖。子供たちを巻き込まないよう、金島本部長たちには追って新しい指示を出す」
「御意」
答えた声と共に、そこには雪弥だけが残された。
「学校とか平凡な日常はつまらないだろう? でも、雪弥はラッキーだよ。実はここにも学校にも、悪の巣窟があるんだ」
悪行が好きに出来る場所、欲しくない?
そう常盤は笑んだ。顔は高揚に火照り、覗きこんでくる瞳は飢えたハイエナのようだ。
雪弥は、自分よりも低い位置にある常盤の瞳を見つめた。不意にクスリ、と上品に口元をほころばせると、彼は常盤が一番欲しがっている言葉を推測して口にしてみた。
「欲しいな。そんな場所があるというのなら、ね」
藤村組か富川側か、と雪弥は冷たい笑みでどちらだろうと考えていた。常盤は興奮したように「俺ヤクザの一味なんだ」と誇らしげに告げ、強くなった声量を意識的に落として辺りを見回す。
誰もいないことを確認すると、常盤は内緒話をするように雪弥に身を寄せた。
「学校が取引の場所になってる。ヘロインと人間が、商品として今夜やりとりされるんだ、面白そうだろう? ねぇ、見てみたいなって思わない? 覚せい剤も麻薬もいくらだって手に入るんだ。大金も動くよ。学生の俺にだって報酬分が回って来る」
仲間に引き入れたいってこと?
そう内容を疑うような、出来るだけ冷やかそうに見える大人びた表情で、雪弥は囁き返しながら嗤ってみせた。それに気付いた常盤が、少し慌てたように「本当さ」とまくしたてる。
「今夜十一時に取引があって、学校に悪党どもが押し寄せる。本当だよ、嘘じゃない。雪弥のために特等席も用意するし、麻薬も女も酒も暴力も、殺しだって出来るよ。俺たち、東京の大きな組織と組んでいるから、そっちに頼めばきっと何人でも殺せる」
常盤は必死だった。本当の悪党には、これだけの話では物足りないのかと焦燥に駆られて言い淀む。ポケットに用意した少量の合成麻薬でさえ彼の気を引けないのか、と苦渋の表情だった。
ずいぶん、悪にご執心なようだ。そう雪弥は嘲笑した。平気で殺しの出来る人間を、常盤はどうやら逃がしたくないと考えているらしい。
はじめから、取引で差し出す学生だけにブルードリームは配られていた。それでも、富川と藤村たちが配っていた覚せい剤の正体も知らないことを、雪弥は話題が切れた常盤を見て悟った。
この少年は必至そうにアピールしてくるが、その悪事の内容も違法薬物に関してくらいだ。少し手助けをしているだけで、組織の詳細な動きや思惑は何一つ知らないのだろう。
もしかしたら推測通り、茉莉海市の共犯者たちは相手組織側の本当の目的については、何一つ知らされていないのかもしれない。大抵都合良く動かされているだけの小組織とは、そのようなものが多いのも事実だ。
つまり学院と藤村組は、こちらが求めるような情報を持ってはいない。
それだけで、雪弥はもう十分だった。
「いいよ、じゃあ僕にそれを見せて」
ここにいるのも時間の無駄だと判断し、雪弥は悪くなさそうな素振りを装ってそう言った。続けて説得されたりアピールされても面倒なので、適当に「面白そうだし」と続けて、ひとまずその誘いに乗るように言葉を返す。
向かい合う少年の様子を窺ってみると、常盤の顔には、喜びがはち切れんばかりの笑みが浮かんでいた。まるで、欲しかったプレゼントをもらった子供のようだった。
「今夜十一時に学校で会おう」
歓喜に声を弾ませ、常盤が声高らかにそう告げた。急くようにポケットを探る手は、早まった鼓動に合わせて震えている様子も見られた。
「もちろん十一時前でも構わないよ! 三階放送室の鍵を開けて待ってるから」
常盤は褐色かかった錠剤の入った小袋を取り出したが、震える手から落としてしまった。彼は弾くようにそれを拾い上げ、しっかりと雪弥の手に握らせる。
「これ、ヘロインを加工した麻薬なんだ。とりあえず一回分だけ試してみてよ、気に入るようだったらもっと沢山プレゼントするから」
ヘロインは通常ニードル摂取である。常盤は加工された薬を眺める雪弥の思索も気付かないまま、「今夜十一時には取引が始まるから、それまでに来てね!」と強調して飛ぶように走りだした。
これから取引のために動き出すのだろうと思いながら、雪弥はポケットに合成麻薬を押し込んだ。既に特殊機関の方では現物を確保しているだろうが、これも提出用に送っておくかと考える。
その時――
「ナンバー4、立ち聞きしていた人間がおりました」
夜狐が、雪弥の背後で膝をついてそう言った。頭を下げたまま「常盤聡史が動くと同時に慌てて去って行きましたが」と、どのように対応するか判断を仰ぐように報告する。
雪弥は常盤の姿が見えなくなった路地へと目を向け、仕事時の口調で「特定は出来ているか」と冷ややかに問い掛けた。
「はい。潜入先であなた様と共にいた、修一と暁也、という少年たちです」
その名前が聞こえたとき、雪弥は思考を止めてパチリと瞬きした。
思わず普段の表情で振り返り、頭を上げる許可をもらっていない夜狐を見下ろす。彼は顔を地面に向けたたまま、耳だけを澄ませてこちらの反応を待っていた。
「…………それ、本当?」
「本当です」
抑揚なく夜狐が答えるのを聞いて、雪弥は「やれやれ」と息をついた。少年たちがそれぞれ、強い好奇心と正義感を持っているらしいことを思うと、面倒なことになったなぁと感じる。
雪弥はその場で素早く思案すると、二秒半で解決策を見い出した。
「とりあえず一旦部屋に戻ろうか」
そう指示する声色は柔らかかったが、そのタイミングで今夜の作戦決行へ思考を切り替えたその瞳には、ナンバー4として特殊機関の幹部席に君臨し、今回の現場を指揮するに相応しい冷酷な威圧感も宿っていた。
いつの間にか、風は殺気に緊迫した空気のなかで凍りついていた。雪弥は頭を下げたままの夜狐を眺め、厳粛な面持ちを浮かべて踵を返す。
「計画は当初の予定通りだ。二十三時までに藤村事務所、二十三時ちょうどに学園一帯を完全に封鎖。子供たちを巻き込まないよう、金島本部長たちには追って新しい指示を出す」
「御意」
答えた声と共に、そこには雪弥だけが残された。
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