「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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作戦決行の朝、家庭事情で迷惑を被る(3)

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 そのとき、地面に倒れていた化け物が、前触れもなくその上体を起こした。バネのように持ち上がった頭が、ぐるんとこちらを向いたかと思うと、地面に四肢をぐっと屈めて地面を弾くように突っ込んできた。

 風を打つほどの瞬発力に、爆音が発生した。

 化け物は柔らかい身体を捻じるように回転をかけ、車の上の雪弥だけを狙う。

「まだ動けるのかよ!」

 胸の中であらん限りの文句を唱え、雪弥は車体上部に滑り込んできた化け物の左爪を避けて、その巨体を飛び越えた先の地面へと着地した。攻撃態勢を整えるべく、その場で足を止めようとしたのだが――

 車に乗り上げた化け物が、不意に、その状態のまま残った腕を振るった。

 踵を返した瞬間だった雪弥は、反射的に地面を蹴って三メートル後退した。鋭利な爪が地面を裂いて食い込む様子を直視し、唖然としてしまう。

 あれに切られれば、強靭な肉体を持っていてもただではすまないぞと、自身の肉体がバラバラになる想像に顔が引き攣った。

「というか、百八十度ホラーチックに回る首とか、伸びてくる腕とかもナシの方向がいい……」

 思わず本音どころをこぼすと、バネのような両足で地面に着地した化け物が、地面に固定された自身の腕を引き寄せながらこちらを見た。長い身体が左右に揺れる様子は、どちらから切り裂こうかと考えているようにも見える。

 つまり、これは挑発されている。

 そう受け取った瞬間、プチリと堪忍袋の緒が切れた。

 化け物の毛や鼻の突起すらない顔にある赤い三つの目も、気味が悪いというよりは、それすら馬鹿にされているような気さえして思わず拳を作る。なぜか、自分のテリトリーを悠々と侵入されたような、動物的な強い不快感に殺意で頭の中が赤く染まった。

 鋭い殺気を覚えるがまま、雪弥は次の瞬間、激しく地面を蹴り上げていた。心が殺意で満ち、もはやコンタクトレンズでさえ隠せないほど淡く光る碧眼が、車の上にいる化け物をロックオンする。

「バラバラになるのは、お前の方だ」

 冷たい声を上げ、雪弥はコンマ二秒足らずで化け物に迫った。相手が鞭のように素早く身を翻すよりも速く、彼の指先が白銀の線を描いた。

 鈍い切断音を上げて、残っていた化け物の左腕が弾け飛んだ。

 両腕を失った化け物が車上から転がり落ち、軟体でもあるらしい背中と足だけですぐさま体制を整えて、怒り狂うように頭を振って裂け広がる口で咆哮した。こちらに向けられる赤い瞳には、動物的な怒りが宿っていた。

 雪弥は指をバキリと鳴らすと、強靭な脚力で弾丸のように前方へと飛んだ。化け物の足が一つの生物のように伸びてその爪が迫って来たが、躊躇せず突っ込みながらそれを僅かな差で避け、まずは化け物の腹部を普段の遠慮も飛ばして荒々しく蹴り上げる。

 戦車をも破壊する強靭な一撃に、化け物の腹部が大きく凹んで筋肉や内臓の一部が潰れた。強靭な骨が砕かれて、周辺の骨もダメージを受けたように軋む手応えが、蹴り上げた際の足から伝わってきた。

 怪物のような口からゼラチン状の赤い液体を吐き出す標的に対し、雪弥はすぐさま足を組みかえ、休むことなく第二派を放った。

 身構える暇もなかった化け物の巨体が、マンションへと吹き飛ばされて重々しい衝撃音を轟かせた。雪弥はそれを凝視したまま、本能的に止めを刺そうと地面を蹴った。化け物の首を切断するために構えられた右手の爪が、鋭利さと長さを増し――


 サイレンサー付きの銃砲が鼓膜に触れた瞬間、雪弥は反射的に踏みとどまって弾丸を避けていた。咄嗟に痙攣を起こす化け物から距離を取り、安全な位置まで後退したところで、攻撃を受けた場所へ目を走らせる。


 そこには先程の黒ベンツがあり、開いた窓の隙間から小さく覗く銃口が見えた。

「想像以上だ! 実にすばらしい! プレゼントとして殺させてあげたいのは山々だが、彼がいないと『近道』が使えなくてね」

 雪弥はわずかに乱れた呼吸を整え、銃口が隠れた後部座席に向けていた目を冷ややかに細めた。

 すると、ベンツの後部座席の奥から二人の男が言葉もなく現れ、マンションの壁にめり込んでいる化け物の回収を始めた。彼らは顔を隠すようにサングラスをしていたが、緊張するように強張った頬や口許から、化け物が両腕を失い意識を失っているという状況に対して、強く動揺しているような印象も受けた。

「今度、二、三体殺させてあげようか。物足りないだろう?」
「結構です。僕はあくまで平凡なんです。あなた方の都合に巻き込まないでいただきたい」

 雪弥の言葉には、蒼緋蔵家に対する想いも含まれていた。夜蜘羅はそれを聞き流すように「蒼緋蔵家でなければ、すぐにスカウトしたのになぁ」と冷ややかな声で独り言を口にする。

 だって、君は絶対に『こっち寄り』でしょう……と彼はひっそりと呟いた。

 車内の中に消えたその呟きを優れた聴力で拾った雪弥は、「一体なんの事だろうか」と訝って眉間に皺を作った。殺したくて物足りないだろうと、続けて囁く夜蜘羅に対して「そんなわけないでしょう」と露骨に馬鹿なんじゃなかろうかという表情を返す。

 時間もかからず化け物がベンツに運び込まれ、「じゃあ、またね」と夜蜘羅の言葉を合図に、車が走り出した。雪弥は、二度と来るなと思って踵を返し、投げ捨てた鞄を探そうとしたところで、壊れた壁と地面に気付いて「勘弁してくれよ」と頭をかきむしった。

「これは僕のせいじゃないぞ」

 そう誰に言うわけでもなく呟き、落ちていた鞄を拾い上げて足早に学園方面へと歩き出す。

 歩きだして数分も経たずに、後ろから「なんだこれ!」という悲鳴が聞こえてきた。次々に人の気配が増え、朝の出勤や通学時間なので当然だろうなぁと考えた際、ふと、そういえば先程はまるで無人地帯だったなと不思議に思った。

 あれほど派手に暴れていたら、普通はマンションやその周辺住民がすぐに気付くはずである。それなのに、あの間、誰一人として顔を覗かせたり集まってくる事もなかったのだ。

「うわッ、事故でもあったのか?」
「昨日の夜、誰かがぶつけたんじゃないか?」
「朝ゴミを出したときはなかったわよ!」

 マンションの前に集まる人間が増える光景をちらりと見やって、雪弥は「ったく、後始末くらいしていけよな」と溜息交じりに呟いた。心身ともにひどく疲れ、朝早々からげんなりと肩が落ちた。

 やはり、蒼緋蔵家と関わるとろくなことがない。

 頼むから放っておいてくれと、雪弥は覚えた眩暈に歩調を緩めた。

 学園へと向かいながら、蒼緋蔵家から戸籍を含む全てを外すことを本気で考えてしまう。二度とこういうことを起こさないためにも、蒼緋蔵家から徹底して距離を置おいてもらうべく、この任務を終わらせて休みを取ろう、と彼は改めて決意を固めたのだった。
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