「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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惨劇へと繋がる旧帆堀町会所(5)

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 怖いもの見たさでもあったのか、鴨津原が階段の上で向けられた銃に身体を強張らせていた。

 どうしてじっと待っていられなかったのかと、雪弥は再び浅く溜息をこぼしてしまう。自分がなんとかするから、下が静かになるまで出てきてはいけないと告げたのは先程のことである。

「…………とんでもねぇガキだな」

 そんな雪弥の様子を警戒したように見つめていた佐々木原が、ゆっくりとそう口にしながら、下がったサングラスを押し上げて銃を手に持った。その隣では、榎林がみっともないほど震え、蒼白した顔で小さな目を見開いている。

 一人口ごもって思案を続ける榎林を無視し、佐々木原が二秒半後に指示を出した。

「あいつらは後で病院だ。谷(たに)、那口(なぐち)、お前らは上のガキ連れて来い」

 茫然と立ち尽くしていた二人の男が、名を呼ばれて数秒遅れで動き出した。懐から銃を取り出したその二人が階段を登り始め、鴨津原が膝を震わせながら足元おぼつかず奥へと引っ込む。

 柿下はすぐ雪弥へと銃口を向け、緊張に表情を歪めてもう一度「動くなよ」と告げた。

「お前、本当に何者だ? 倉(くら)市(いち)さんたちを一瞬で――」
「薬と俺たちのことを知っていた口ぶりだな、理由を聞かせてもらおうか」

 冷静を装った佐々木原が、柿下の言葉を遮るように発言した。

 鴨津原が自身で銃弾を避けることが難しいことを考えていた雪弥は、「先輩想いの、ただの高校生ですよ」と返しながら、残った人間に目を走らせた。サングラスの男、銃を向ける男……そして榎林に改めて目を向けたようやく、彼が異様に怯えている様子に気付いた。

 榎林が黄色い歯を覗かせて、わなわなと口を開いた。


「……秀でた身体能力、天性の戦闘本能…………お前、特殊筋の者か!」


 聞き慣れない言葉を浴びせられ、雪弥は眉を潜めた。

「僕が聞きたいのは、レッドドリームとあなたたちの目的であって」

 思わず本音でそう続ける雪弥の言葉も聞かず、榎林が「名字は何だ」と鋭く尋ねてきた。

 榎林の意図が分からず、雪弥は探るように彼を見つめ返して「本田ですよ」とぶっきらぼうに思い付くま答えた。すると榎林は「嘘だ!」と過剰に憤り、「特殊筋に本田という名字はない!」と雪弥が知らないことを叫んだ。

「表の奴らがもう嗅ぎ付けたのかッ? 世界対戦が終わってからはろくに機能していなかったはずだろう!」
『落ちつきたまえ、榎林君。一概に決めつけるのは良くない』

 機械音を耳にしたところで、雪弥は初めてスピーカーの存在に気付いた。大男が吐き出すような低音は低く鼓膜を叩き、ナンバー1よりも澄んだ声色に、嫌な響きを覚えて身構える。

 榎林は「夜蜘羅さん」とうろたえ、緑のランプを小さく灯すビデオカメラを振り返った。

「夜蜘羅さん、しかしッ――」
『楽しいものが見られそうじゃないか。実に興味深いよ』

 そのとき、鴨津原の泣き声交じりの悲鳴が聞こえて、雪弥と柿下はほぼ同時に二階上部へと目を向けた。

 階段には、鴨津原と、彼を連れて来いと命令された二人の男の姿はなかった。どうやら彼は怯えるまま二階の奥へと逃げてしまい、それを二人の男も追ったようだ。

 男たちは、鴨津原を引っ張り出そうとでもしているらしい。「撃たないからって手を出さないわけじゃねぇんだぜ」と苛立った声が聞こえたかと思うと、拳が肉体を叩く音とともに、鴨津原の苦痛の声がこちらまで届いた。

 おいおい、ここにきて殴る必要があるのか? 

 先程の怯えきった様子の鴨津原を思い出す限り、恐らくもう精神面は子供ほどにも抵抗力がない気がする。耳をすませると「嫌だ」「行きたくない」と、どこか語彙力のつたない彼の悲鳴混じりの声も聞こえた。

「鴨津原さ――」
「おっと、動くなよ!」

 そんなに離れていない距離から銃を構える音が聞こえて、雪弥は、行動を邪魔された事に強い殺意を覚えた。

 柿下を瞬殺して二階へ行こう。そう思って右手を構えようとしたが――不意に、その思考が止まった。同じく異変に気付いた柿下が、にやにやと浮かんでいた笑みを引っ込めて、訝った表情を階段上へと目を向ける。

 鴨津原の「嫌だ」と続くみっともない子供みたいな悲鳴を、心地よさそうに聞いていた佐々木原も、ふっと笑みを消して一歩前に踏み出した。どうした、と目配せする榎林を見ず、彼は階段上を凝視したまま警戒したように神経を研ぎ澄ませる。


 一同がピタリと動きを止めた一階に、殴りつける音が響き渡っていた。十秒後には血が交じり打つものに変わって、複数の人間が動き回るような気配もないまま、鴨津原青年のくぐもる呻きだけが下へと響いてくる。


 ふっと、前触れもなく暴力的な音が止んだ。

 二階からは、嗚咽する一人分の気配しか感じなくなった。幽霊屋敷といわれてもおかしくない不気味な空気が、嫌な生温さを孕んで一階へと降りてくる。

 階段の三段目と四段目に足を置いていた雪弥は、一呼吸置いて、呼び掛けた。

「鴨津原さん……?」

 すると、大人とも少年ともつかない泣き声が小さくなり、ひどい嗚咽が鼻をすする音に変わった。ごとり、と重々しい物を拾い上げる振動音を察して、柿下が警戒したように身構え、佐々木原がゆっくりとサングラスを取って銃を構え直す。

 二階から、靴底が鈍くコンクリートを擦る音が上がった。

「俺、やっぱり変だ」

 そう鼻にかかる囁きが降りてきたとき、階段の上部にゆらりと姿を現した鴨津原は、肩を落として俯いていた。短髪の下から覗く横顔や、白のタンクトップは浴びたばかりの返り血に染まり、黒い銃を持った手には大量の血液が付着している。

 どうして、そう口を開きかけたが、声が出てこなかった。

 ああ、二人の男を殴り殺したのかと、雪弥も理解してはいた。

 鴨津原が、ふっと顔を上げてこちらを見つめ返してきた。人の気配や呼吸音すら途絶えてしまった階上の静けさを背景に、その泣き顔に引き攣るような笑みを浮かべて、彼の右手の銃がゆっくりと雪弥たちに向けられた。

 彼が片手で構える銃は、銃口が定まらないほどぶるぶると震えていた。

「俺、誰も傷つけたくねぇのに、殺したくてたまんねぇんだ」

 不安定な声色が途絶えた直後、鴨津原の顔がくしゃりと歪んだ。「助けて」とその口が言い掛けたとき、不意に彼の身体が痙攣するように跳ね上がった。

 左手で反射的に口を覆った鴨津原は、そのまま嘔吐するように赤い液体を吐き出した。大量のどす黒い血液がコンクリートへ叩きつけられ、赤い血飛沫を広げながらゆっくりと階段を下る。

 雪弥は一瞬、榎林や佐々木原、柿下と同様に動くことを忘れていた。

 ひどい夢を見ているんじゃないか、と瞬きも忘れてその光景に見入っているしかなかった。

 鴨津原が背を折り曲げて二、三度地面へと吐き出した鮮血は、まるでバケツをひっくり返したような重量感だった。数秒ほどの時間が長さを増し、ゆらりと身体をふらつかせた彼の動きもひどく鈍いように感じてしまう。

 再び顔を上げた鴨津原が、口元を赤く染めながら苦痛の表情で雪弥を見た。涙と吐血は止まらず、彼が言葉を紡ぐために開かれた口からは、またしてもねっとりとした赤が溢れる。


「…………雪弥、俺、誰も殺したくない……」


 くぐもる言葉のあと、鴨津原の手から銃が滑り落ちた。前触れもなく彼の身体が崩れ、榎林が弾くように「早くレッドドリームを!」と喚く。

「早くレッドドリームを飲ませろ! せっかくの実験体なんだぞ! 早く飲ませて実験を――」

 瞬間、榎林の語尾がひしゃげた。
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