「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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エージェント4は兄の存在に頭を抱える(2)

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 上手い説明も出来ないほどに、雪弥はかなり動揺していた。何故なら、音もなく呼び出しを続けているのは、兄の蒼慶だったからである。


 くっそ、どこか見慣れた番号だと思ったよ!

 そう思いつつ座り直し、雪弥は持ち慣れないプラスチックのシャーペンを手に持った。問題ないですと伝えるように、そのまま言葉なくノートを取り始めると、それを確認した矢部が途切れた説明を再開した。

 矢部のぼそぼそとした声は掠れ、聞こえなくなると生徒の誰かが「先生、聞こえません」と遠慮がちにいつもの台詞を述べた。大半そう口にしたのは、サッカーの授業で「委員長」と連呼されていた少年、眼鏡を掛けた佐久間である。

 ったく、毎回毎回、どこで僕の代用携帯の番号を調べてるんだ?

 雪弥は、蒼慶の情報収集能力に呆れるばかりだった。特殊機関がそのつど発行する偽装通信機器は、携帯電話であっても通常の物とは違い、数字も五桁であったり十八桁であったりと様々で、番号の間にアルファベットやシャープが入る盗聴防止機能付属の優れ物だった。

 勿論、通信番号は国家機密である。その通信機器から電話を掛けられても、相手の着信画面は「非通知」となる。しかし、番号が表示されないだけで、掛けられた電話機から折り返すと、システムで許可されている間は掛け直しが出来るという仕組みになっていた。

 潜入調査を進めながら集まりつつある情報を、頭の中で整理している中で、蒼慶の毒舌をすんなりと避わせる自信がなかった。仕事でなくとも彼からの連絡だけは受けたくない、というのが本音である。

 雪弥は、「一方通行で話しをされる身にもなってみろよ」と忌々しげな長男の姿を思い浮かべた。

 二年前、妹である緋菜(ひな)の成人式で会ったとき、実に五年ぶりの顔合わせになった長男は、すっかり大人の様相をしていた。しかし、相変わらずすました仏頂面で「貴様は馬鹿か」と蒼慶は開口一番に言ったのだ。

 彼は雪弥が「久しぶり」というよりも早く、「貴様は時間に遅れる癖も直せないまま、のこのこと悠長に」と一方的な説教が始めた。そして、それを終えると、やはりすこぶる機嫌が優れないというように顔を顰めて、次の言葉でしめくくった。


――「私が貴様と最後に会ったのは五年前だが、ミジンコ並みの成長も見られないな」


 蒼慶と会うのは、彼の成人式以来だった。とはいえ、その成人式を思い返してみても、懐かしさというより「あれはないよなぁ」という感想しか浮かばない。

 七年前の一月にあった蒼慶の成人式の年、雪弥はまだ十七歳であった。高校を中退して特殊機関に勤めていた彼は、仕事の合間を縫って祝いに行ったのだ。しかし、そのときも顔を合わせて早々、喧嘩をふっ掛けられそうになった。


――「数年も顔を見せずにひょっこり現れよって。去年緋菜の高校入学祝いに顔を出したそうだが、私から逃げるように帰ったらしいな。上等だ、お前に基本的な礼儀とやらを教えてやろう」
――「蒼慶様お任せ下さい。ここは、わたくしが手取り足取りと――」


 そこまで回想したところで、本能的な拒絶感から、ピキリと思考が止まった。

 一癖も二癖もある蒼慶の執事を思い出し掛け、雪弥は恐ろしいと言わんばかりに回想を打ち払った。信じられないという表情を浮かべ、「危なかった」とぼやく彼の額には薄っすらと汗が浮かぶ。

「おい、大丈夫か?」

 小声で暁也がそう尋ねてきたので、笑わない目と引き攣った口元で「何でもないよ」と答えた。雪弥がぎこちなく黒板へ視線を滑らせたので、そこで会話は終了となった。

 矢部は相変わらず、自分の教科書を深く覗きこみながら話している。

 その説明が所々聞き取れず、生徒たちは困惑顔で「先生、聞こえません」と告げた。授業に飽きた修一は、教科書の下にスポーツ雑誌を隠して読んでおり、視線を黒板へと戻した暁也の机には、先程配られたプリント以外は何も出ていない。

 痺れを切らした女子生徒が矢部に強く指摘すると、彼は先程より聞き取り易く話した。しかし、後列席の生徒たちは一様に顰め面を作っている。

 聴力が優れている雪弥には聞こえていたが、一番強く吹き抜けた風にカーテンがはためく音を上げると、生徒全員が「聞こえません」と揃えて抗議した。まるでコントである。

 ほんと、穏やかだよなぁ。

 雪弥は他人事のように思ったが、蒼慶からの電話連絡を取らなかったことを思い出して机に突っ伏した。

 蒼緋蔵家長男、蒼慶の場合は、電話を取らなかったあとが怖いのだ。窓の向こうに広がる青空から視線を感じ、雪弥は机に伏したまま、げんなりとそちらへ目を向ける。

 見てる、絶対見てる。

 この感じは夜狐じゃなくて、兄さんが買収した衛星だ。

 プライバシーの侵害だろ、と雪弥は呆れて窓のカーテンを締めた。矢部が「どうした」とぼそぼそ訪ねてきたので、「少し眩しかったんですよ」と答えて溜息をつく。

「……本田、勉強疲れか?あまり、根を詰めるとよくない……」

 口ごもる声で矢部が言った。生徒たちから「本田雪弥」の話を聞いているのだろうと雪弥は推測しながら、何も答えずに意味もなく参考書をめくった。

                   ※※※

 結局、数学の授業が終わっても、休み時間に兄に連絡を入れる暇はなかった。

 授業中に珍しく雪弥が携帯電話のバイブ音を響かせた一件で、何人かの生徒たちが話しかけてきたからだ。それに加えて、修一と暁也もこちらの方を向いて新しい話題を振ってきた。

 午前中の授業は残すところあと一つとなったが、三学年生は四時間目の授業が急きょ自習へと変更されることになった。

 本来なら三学年全体で煙草に関する保健授業のはずだったが、外来講師が来られなくなったため自習となったのである。

 白鴎学園は現在、特殊機関管轄内となっているため封鎖されている状況だった。事件に関わりがない者が足を踏み入れることは出来ないので、そう考えると当然だろうなとも思えてしまって、雪弥は冷静に話を聞いていた。

 一旦教室に戻ってきてそれを説明した担任教師の矢部は、図書室や教室での自習、体育館の使用や運動場の利用、進路指導室の資料閲覧など時間を有効活用するようにと生徒たちに言い渡した。

 三組の生徒たちの大半は、矢部が担当している進路指導室へ大学の資料を見に行った。残った生徒たちは、教室で談笑しながらの自習を始める。

 まだ一度も図書室に行ったことがなかった雪弥は、それを理由に教室から抜け出そうと考えた。高校生としてこの学園に四日いても、少年少女たちの集団の中は彼にとって落ちつかない場所だったのである。

 そのとき、自然な仕草で立ち上がった雪弥の腕を、修一が掴んで引き止めた。彼は机の上で堂々とスポーツ雑誌を広げながら、きょとんとした様子でこちらを見上げている。

「どこ行くんだ? 体育館? それとも運動場?」
「あのね……、受験生が行くところだよ」

 呆れる雪弥に、修一が二秒半遅れてはっと息を呑んだ。

「…………まさか、進路指導室――」
「図書室」

 修一はこの二日間で、進路指導室に嫌な思い出でも出来たようだった。行く場所を正確に教えた雪弥に対して、そっと視線をそらすと「……矢部先生、意外と先生の中の先生っていうか、さ」と中途半端に独り言を途切らせて、遠い目をした。

「あんなところに行っても、つまんねぇだけだぜ」

 言葉を失った修一に続き、暁也が淡々として口を挟んできた。彼は机に両足を乗せながら雑誌を眺め読んでいる。その言葉を聞いた生徒たちが忌々しげに暁也を振り返ったのは、勉強する素振りもない彼が、学年で二番の成績を持っていたからだ。
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