「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

文字の大きさ
上 下
54 / 110

エージェント4は兄の存在に頭を抱える(1)

しおりを挟む
 六月二十四日の木曜日、雪弥が白鴎学園に潜入してから四日が過ぎた。

 火曜日の夜、修一と暁也を酔っぱらいから助けてから二日が経過していた。雪弥はその間、常盤という生徒が一組であることを確認すると同時に、よく校内を見て回った。

 火曜日の夜に、保険医の明美が薬物をやっているかもしれないと話してくれた少年たちは、翌日の水曜日にはすっかり立ち直っていた。時々屋上でその話題が出ると「馬鹿バカしくて泣けて来る」と暁也が苦渋の表情を浮かべ、修一が腹を抱えて大笑いするほどであった。

 少年たちにとって、学園に大量のヘロインがあり、得体の知れない青い覚せい剤が出回っているなど、非現実的で遠い世界の話なのかもしれない。

 雪弥はそう思って、ならばもう疑わないだろうと安堵した。

 水曜日の全校集会が体育館であった日、暁也と修一は、昼休みに雪弥を連れ出すと運動場から案内を始めた。高等部用の運動用具入れとテニスコートを見て回り、その日の短い案内は終わった。

 アメリカのテニスコートを想像していた雪弥は、規模の小ささに少々間が抜けたが、新しいテニスコートを自慢する修一に「とても立派だね」と返した。放課後には矢部に連行された二人の少年を見送り、雪弥は一人で校内を見て回った。後日、「なんで雪弥が転入して来て早々呼び出しが増えるんだよ」と二人は小言をもらした。


 木曜日である今日は、一時間目と二時間目の休み時間の合間を使い、雪弥は二人の少年と共に二つの校舎に位置する中庭へと行った。そこは、三階視聴覚室や学食から見みることが出来るものである。


 北東から西南にかけて真っ直ぐに続く敷地には、車一台が裕に通れる幅を持ったS字の歩道が敷かれている。それに沿うようにして造られていた花壇には木と花が分けて植えられ、色取り取りの花が緑の葉を生い茂らせる木によく映えていた。

 中庭のベンチや噴水にいる学生の大半は、西側に位置する大学駐車場からやってきた学生たちであった。高校生が中庭に降りるための出入り口は、移動教室用の部屋ばかりが集まる南側校舎裏口となっているため、使う生徒がほとんどいないのだ。

 大学駐車場との間に桜の木を三本植え、敷地を区切る中庭の西南側に倉庫が一つ置かれている。花壇の整備をしている大学園芸部のもので、中にはシャベルや土、軍手や箒の他、イベント時に車を誘導するカラーコーンや、高等部運動場を借りてスポーツ競技を行う際の小道具や式台といった荷物がしまわれていた。

 中庭にある大学倉庫の大きさは、高さ三メートル、横幅は大人が手を広げて三人並んだ程度だった。奥行きも同じ長さで造られ、地図上で確認すると二つの校舎を隔てた西南側に、正方形の大学倉庫を確認することが出来る。

 雪弥は案内されながら、携帯電話で写真を一つ撮った。遠赤外線透視カメラを搭載しているそれで撮影してみると、地下倉庫は写真の中の緑の線と黒い画像の中で、積み上げられた大量の白い物体を映した。報告のメールとして、その場でナンバー1に送った。

             ※※※

 三時間目の授業は数学だった。教科を担当しているのは、雪弥の通う三年四組の担任である矢部である。

 雪弥は、頬杖をついた姿勢で授業を受けていた。開けられた窓からは暖かな風が吹き、外は欠伸を誘うほど陽気な晴れ空が続いている。矢部がぼそぼそと小さく話すせいで、いつもやけに静かな数学の授業は、退屈さを紛らわせる物もなく気だるさがあった。

 ぼんやりとそんな授業風景を眺めながら、暇を潰すように考察した。

 現在、白鴎学園に出回っているのは、ブルードリームと呼ばれている青い覚せい剤であるらしい。使用者の里久がそれを彼の目の前で服薬し、別の人間からもらったらしいレッドドリームと呼ばれる赤い薬を飲んでから、二日が経っている。

 その間、進展があったという知らせも、覚せい剤に関する新たな情報報告もないままだった。あれから連絡が来ていないので、雪弥は今日の早朝に特殊機関本部へ連絡を入れていた。

 しかし、ナンバー4の電話を受け取った事務の若手が「研究班が地下に閉じこもってナンバー1が東京で珈琲に砂糖詰め込んで大変なようです」と、珍しい様子で慌てふためいた発言をしたので、「彼の報告を待ちます」とそのまま通信を切ったのだ。

 ナンバー1が、珈琲を砂糖の塊にすることは有名である。食べる間もないほど忙しいとき、手っ取り早いエネルギー摂取法として彼が独自に行っているものだ。

 雪弥はそれを見て、「それよりもケーキを食べたほうがいいだろ」と意見していた。他の一桁ナンバーは「どちらでもお好きなように」と傍観に徹し、それ以下のナンバーは見て見ぬ振りを決め込んでいる。

「…………まぁ、それだけ忙しいってことだろうなぁ」

 矢部が教科書を反対にしていたと生徒たちが爆笑したとき、その声に隠れるように雪弥は呟いた。

 自分の中に出来上がりつつある推測をぼんやりと考えていると、矢部が「大学受験に必要な基礎知識」との単語で場を静めた。聞き取りづらい声に威厳も意欲も見当たらない教師だが、生徒たちを誘導することが一番上手い教師でもある。

 矢部が言葉を切って猫背で教科書を覗きこんだとき、絶妙なタイミングで携帯電話のバイブ音が教室内に響き渡った。

 一体どの生徒のものだろうか、と他人事に考えた雪弥は、その直後に自分の胸ポケットで震える使い慣れない薄型携帯電話に気付いた。教室にいた生徒たちが、おや、と顔を上げた矢部に続いてこちらを振り返る。

 まさか自分のものだとは思ってもいなかっただけに、雪弥は頬を引き攣らせた。数秒遅れでポケットの上から通話ボタンを切ると、矢部がワンテンポ置いて、ゆっくりと咳払いをしてこう言った。

「本田君、授業中の携帯電話は……電源を切ってだね…………」

 ぼそぼそと言葉が続いたが、雪弥は聞きとれなくなった彼の言葉を遮るように「すみません」とぎこちなく笑った。他の生徒が「本田君ったら」「本田もうっかりする事があるんだな」と可笑しそうに囁き合う中、修一と暁也は珍しい物を見る顔だった。

 修一と暁也を含んだ生徒たちは、矢部の合図で何事もなかったかのように黒板へと向き直った。雪弥は全員の注目が離れたことにほっと安堵し、取り出した携帯電話を机の下へと滑らせた。

「こうすると、ニの数字になるので……」

 矢部が授業を再開したところで、雪弥は黒板を見つめる素振りをしたあと、携帯電話へと視線を落とした。着信画面に名前の表示がない電話番号が記載されているのを見て、思わず顔を顰める。

 組織で用意された携帯電話は、通常、盗聴防止や機密回線として、独自のシステムを介し転送される仕様になっている。直接通信で電話番号が出ているという現象は、滅多にないといっていいくらいで、ふと嫌な予感を覚えた雪弥は、次の着信を見越してバイブ機能を切った。

 その直後、またしても着信が掛かり、携帯電話の画面の中で音もなくコールが続いた。掛かってきたその電話番号を、口の中で数回反復したところで――

 雪弥は反射的に身体を強張らせしまい、後ずさった反動でがたん、と椅子が音を立てた。

「……どうした? 本田……」

 矢部が数十秒遅れで言った。他の生徒たちもこちらを振り返り、目で「どうしたの」という具合に尋ねてくる。雪弥は言葉が思い浮かばず、「いや、ちょっと……」と言ってどうにか引き攣った愛想笑いを浮かべてやり過ごした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

蒼緋蔵家の番犬 3~現代の魔術師、宮橋雅兎~

百門一新
ミステリー
雪弥は、異常な戦闘能力を持つ「エージェントナンバー4」だ。里帰りしたものの、蒼緋蔵の屋敷から出ていってしまうことになった。思い悩んでいると、突然、次の任務として彼に「宮橋雅兎」という男のもとに行けという命令が出て……? 雪弥は、ただ一人の『L事件特別捜査係』の刑事である宮橋雅兎とバディを組むことになり、現代の「魔術師」と現代の「鬼」にかかわっていく――。 ※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

日月神示を読み解く

あつしじゅん
ミステリー
 神からの預言書、日月神示を読み解く

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

蒼緋蔵家の番犬 2~実家編~

百門一新
ミステリー
異常な戦闘能力を持つエージェントナンバー4の雪弥は、任務を終えたら今度は実家「蒼緋蔵家」に帰省しなければならなくなる。 そこで待っていたのは美貌で顰め面の兄と執事、そして――そこで起こる新たな事件(惨劇)。動き出している「特殊筋」の者達との邂逅、そして「蒼緋蔵家」と「番犬」と呼ばれる存在の秘密も実家には眠っているようで……。 ※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

処理中です...