「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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屋上のこと、夜間の少年たち(4)

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「保健室なら、注射器があって当然だろう? 慌てて片づけるのをすっかり忘れている事だってあると思うよ。それに、学校教師は定期的に身体検査を受けるんだ。もし違法薬物をやっているとしたら、尿検査ですぐ反応が出てバレてるよ」

 検査は四月か五月にもあったはずだよ、と雪弥は知った振りで柔らかく説いて、わざと二人に考えさせる時間を与えるため一度言葉を切った。

 修一と暁也は、まるで盲点だったと言わんばかりに顔を見合わせた。

「……そっか、薬物って取り締まりが厳しいって、ニュースでも言ってた」
「……そういや、前の学校では近くで薬が出回ってるって聞いたけど、こっちでは一つも聞かねぇな」

 暁也の呟きに答えるように、雪弥は「そりゃあそうだよ」と相槌を打って話しを再開した。

「教師は月に一回、机や書類の確認作業があるらしいし、保険医に関しては三カ月に一回の検査と、学校医療のための定期研修が入るんだよ? そもそも、違法薬物なんてやっていたら、他の教師が真っ先に気付くでしょう。あれだけ危険な薬物についての特別授業をやってるんだからね」

 雪弥は、短い息を吐いて腰に手を当てた。これで納得してくれたかい、という眼差しを受けた二人の少年が、理解に至ったという顔で「あ」と揃えて声を上げ、途端に気疲れしたように体勢を崩した。

 思わず暁也が顔に手を当て「馬鹿馬鹿しい」と自身に呆れ返り、修一が「俺の早とちりかぁ、でも良かった、先生は単に仕事疲れだ」とベンチの上で腰を滑らせた。

 二人が同時に溜息をつくのを聞きながら、雪弥はそっと眉を潜めた。


 保険医である明美は、大学の学長である富川の連絡係であるらしいので、もしかしたら、富川が今回の事件に関わったのは、愛人として彼女と関係を持ったうえである可能性もある。

 とはいえ、確証はない。もともと富川が先に事件に関わっていて、彼女を引き入れた可能性だって十分にあるからだ。


 高等部三学年の常盤が生徒側で動き、保険医の明美と共に、高校側の校長でもある尾崎理事長の動きを把握して富川に知らせている。連絡を受ける立場という事は、白鴎学園に潜んでいる共犯者の頭は富川が担っているのだろう。

 学園側と繋がりがあるのが、建築事務所として茉莉海市に入っている「藤村事務所」のメンバー。

 ヘロインと覚せい剤を持ってくるグループと、東京でナンバー1がマークしている組織が、富川たちの知らないところで別の目的があって動いている――という構図が脳裏には浮かぶ。

 高校生の麻薬常用者は、先程ゼームセンターで聞いた話から考えると、現時点では常盤と理香以外にはいない。けれど、先程対峙したブルードリーム使用者の一件を思うと、事件は最悪な収拾を迎える事になるのを否めなかった。

 もし、今回里久と対峙していたのが別の人間であったのなら、民間人を含めた死傷は免れなかっただろう。雪弥はそう思って、テレビの話を始めた少年たちから目をそらした。

 常盤たちの会話を思い返す限りでは、どうやらなんらかの取引のため、富川たちは青い薬「ブルードリーム」を三十名から四十名の生徒に配るようだ。先程捕えた里久と、手に入った青と赤の双方の薬を調べた結果によっては、これはナンバー4に相応しい仕事になる。

 薬が出回っているという大学側から、一体何人の対象者が出てくるのだろうか。

 ふと、そんな呟きが自分の中で起こって、雪弥は唇の端を小さく持ち上げた。予想できる展開の一番嫌な結末に、皮肉にも、期待にも似た凶暴な高揚感が胸の底で重く広がるのを認める。

 すっかり別人となりはてた里久の四肢を切り落としたとき、雪弥は切り離された両手両足を、更に切り刻もうとしたのだ。そして夜狐がいつものように「処理が大変です」と述べて止めた。

 自分があのとき、なんと答えたのかを雪弥は思い返した。


[じゃあ粉々にして袋に詰めてしまえばいいじゃないか。どうせ傷は塞がる。どこまで削ぎ落せば生命が停止するのか、見物だろう?]


 そう言って、四肢を切断されてもがき苦しむ巨体を見降ろして微笑んだのだ。彼はあのとき、今は同じ人間には見えない里久であって良かったと、心の片隅に残った思考でそうも感じていた。

 まるで自分ではない何者かが、時々凶暴な顔を覗かせて、全てをひどく憎悪している気がする。まるで、この恨みを忘れるものかというほどの強い憎しみで、家族以外の光や生命を嫌って、それを壊すために生きているのだと――そんな妙な想像が働く。

 多分、そんな事は、きっと気のせいなのだろうけれど。

 コンビニの前の道路を、大型トラックが通り過ぎたとき、雪弥は星すら見えない空を見上げた。

 雲に覆われた空は黒く沈むように広がり、湿った空気は居心地悪いほど澄んでいる。彼は多くの血を浴びた感触を不意に思い出したが、嫌悪感の一つすら湧き上がって来ないでいた。他のエージェントたちが、現場を見て嘔吐する嫌悪感というのが、いまだ理解できないでいるのだ。

 やはり僕には、影の世界に生きる方が相応しい。

 心の中で呟いた雪弥は、「無駄に頭動かしたせいで腹が減った」と言い出した声を聞いた。二人の少年たちが、立ち上がってこちらを振り返り「ちょっとコンビニで肉まん買ってくる」と声を揃える。

「お前のも買ってこようか?」

 修一が尋ね、雪弥はゆっくりと首を横に振った。二人の少年は「雪弥はやっぱりサンドイッチ派だと思う」と会話をしながらコンビニへと入っていく。

 光りの世界が似合う無垢で純粋な子供たちが眩しく思えて、雪弥は思わず目を細めた。壊してはいけないものをそっと見守っていたが、風が止んだ瞬間その瞳から力が抜け落ちた。


 静まり返った雪弥の脳に、無意識に浮かび上がったのは、コンビニにいる少年組と店員、三人の男性客を皆殺しにしたらどうなるだろうといったことだった。

 外からでも良く映える店内が、真っ赤な潜血に染まってさぞ美しいことだろう。
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