「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

文字の大きさ
上 下
50 / 110

屋上のこと、夜間の少年たち(3)

しおりを挟む
 一見するとむっとしているが、眉間の皺は薄い。暁也はベンチの端へと寄って修一と距離を置くと、「座れよ。あんま大声で言えねぇことだし」と雪弥に、自分たちの間に座るよう言った。

 暁也は、ひとまず雪弥がそれなりに喧嘩慣れしているか、体術を心得ていると踏んでいた。自身が蹴られた靴跡には水分はなく、中年男性が立っていた場所が滑りそうな場所ではないと知っていたからだ。彼は男性の太い手首に雪弥の白い手が伸びた後、一瞬視界から消えたこともはっきりと覚えていた。

 短気で負けず嫌いだった暁也は、昔から身体ばかりを鍛え喧嘩にも自信があった。夜でも相手のパンチや蹴りが見えるほど動体視力も高かったが、あのとき、男を叩きつけた雪弥の手の動きは全く見えなかった。気付いたときには、力仕事など一つもしたことがなさそうな雪弥の上品な白い手によって、男が叩きつけられていたのだ。

 どこか修羅場に慣れている印象を覚えた。崩れ落ちる男の後ろから一瞬見えた雪弥は、転がったゴミ屑ほども倒れた人間に興味を抱いていないのでは、と思えるほど冷たい瞳をしていた。

 まるで「こんなものか」と物足りなさを含んだ瞳で見つめられたとき、暁也は一瞬、息が詰まるほどの殺気を覚えたのだ。それが瞬時に虫も殺せない少年の表情に戻って、何事もなかったかのように声をかけてきたのには驚いた。

 隣に腰を下ろす雪弥を見つめ、暁也は「面白い」というように苦み潰すような笑みを浮かべた。彼はようやく、修一以外に面白味のある人間に巡り合えたらしい、と思った。自分で内気だといった気さくな性格や、古風な印象を引き連れた雰囲気も嫌いではない。


「で、何があったの?」


 ベンタの中央に腰かけた後、雪弥がどちらを向けばいいか分からずに尋ねると、暁也の方が口を開いた。

「保険医の明美先生、覚せい剤とかやってんじゃないかと思ってさ」

 明美という名が出て、雪弥は言葉を詰まらせた。「そう、保険医」と口の中で呟き、一呼吸置いて問う。

「その明美、先生って……」

 うっかり名前のみで言いそうになって、雪弥は先生という言葉を遅れて付け足した。不安気に眉根を寄せる素振りをしつつも、情報を探るべく冷静に彼らの様子を窺う。

 口をへの字に曲げてシャッター街を見つめる暁也は、ベンチに背をもたれると押し黙ったまま腕を組んだ。それを見た修一が、彼の言葉を引き継ぐように「もともと明美先生って、別の高校にいたらしいんだけどな」と切り出す。

「五月にうちの保険医が大学の方に移ってさ、新しく高校の保健室の先生として来たんだ。これがまたすっげぇ美人で、めっちゃ可愛いのよ」

 あまり周りに聞かれていい話ではない、と汲んだ声量であるが、修一の声色に緊張した様子は見られない。

「へぇ、美人ねぇ……で、どうしてそこで、いきなり覚せい剤なんて物騒な名前が出て来るわけ?」

 雪弥は、呆れ返る振りをした。修一と暁也を交互に見やった彼の表情には、「考えたらいきなり覚せい剤なんて、あるわけないじゃん。驚かすなよ」という雰囲気が作られている。

 暁也は、視線をそらせて小さく言った。

「俺、保健室で明美先生とよく会うんだけど、修一に聞いて確かに変だなって思ったんだよ」

 彼は思い出すように切り出して、つらつらと言葉を続けた。

「よく保健室を隠れ場にしてんだ。適当に仕事探すから進路なんて関係ないって言ってんのに、矢部は『将来をきちんと考えなさい』って煩くてよ。細腕のくせに、腕が痺れるくらいのクソ分厚い全国進学校一覧が載った本を押しつけてきて、そのうえ『一対一でとことん考えましょうか』って、マジありえねぇだろ? 俺はいつも一階の保健室に逃げ込んでやり過ごすけど――まぁ大半、そこから出てきた富川学長に睨まれる」

 暁也がそう言ったところで、修一が口を挟んだ。

「富川学長ってさ、大学側の校長だよな? 大学生の講座の調整とかでよくうちのほうにきてるけど、最近は明美先生と出来てるって噂だし、お前がお邪魔だったんじゃね?」
「知るかよ、俺だって矢部から逃げるのに必死なんだ。進学とか押し付ける感じが苦手だし、嫌いだ」

 大学の富川学長は、今回の事件の共犯者である。先程ゲームセンターで、その関係組織のシマという男が、彼の名前と共に「明美」という名前も出していたから、その話が本当であれば「高校側の保険医明美」も協力者の一人という線が濃厚だ。

 雪弥は内心「やれやれ」と肩をすくめた。矢部についての話に発展した少年組の会話に、そろそろ軌道修正が必要であることを感じ、「明美先生が学長と出来てるのは置いといても、なんで薬物を疑うの」とさりげなく促した。

 暁也は数秒口をつぐみ、声色を落としてこう言った。

「最近、明美先生変じゃないかって話になったんだ。全体的に痩せて、雰囲気が少し変わっただけかもしれねぇけどよ」

 修一は雪弥を覗きこむように見ると、暁也のあとに言葉を続けた。

「どこがどうってのは分かんねぇけど、なんだろ、先生大丈夫かなって俺が勝手に思っちゃってさ。ちょうどテレビで、覚せい剤が出回ってるって報道があって、そういうのって怖いじゃん? 俺一人で勝手にてんぱっちゃってさ、すぐ暁也に電話したんだ」

 ニュースをリアルタイムで見ながら、相談したのだという。そう話した修一の後を引き継ぐように、暁也が「おぅ」と言って言葉を続けた。

「それで手っ取り早く調べることにした。俺は保健室の常連だから、放課後に来ても全然怪しまれないだろ? で、今日いつもみたいに保健室に逃げ込んで、明美先生に『ちょっとベッド借りるぜ』って言ったんだ。先生がいなくなった頃に修一に見張らせて、俺は保健室を調べた。そうしたら、明美先生のバッグに使い終わった細い注射器が二本あったんだ」

 暁也は言葉を切ると、意見を求めるように雪弥を見た。ゆっくりと正面へ向き直った雪弥の横顔に、修一も「どう思う?」と声に出して尋ねる。

 二秒半の間をおいて、雪弥はすくっと立ち上がった。二人の少年を振り返った彼の表情には、ぎこちない笑みが浮かんでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

蒼緋蔵家の番犬 3~現代の魔術師、宮橋雅兎~

百門一新
ミステリー
雪弥は、異常な戦闘能力を持つ「エージェントナンバー4」だ。里帰りしたものの、蒼緋蔵の屋敷から出ていってしまうことになった。思い悩んでいると、突然、次の任務として彼に「宮橋雅兎」という男のもとに行けという命令が出て……? 雪弥は、ただ一人の『L事件特別捜査係』の刑事である宮橋雅兎とバディを組むことになり、現代の「魔術師」と現代の「鬼」にかかわっていく――。 ※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

日月神示を読み解く

あつしじゅん
ミステリー
 神からの預言書、日月神示を読み解く

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

蒼緋蔵家の番犬 2~実家編~

百門一新
ミステリー
異常な戦闘能力を持つエージェントナンバー4の雪弥は、任務を終えたら今度は実家「蒼緋蔵家」に帰省しなければならなくなる。 そこで待っていたのは美貌で顰め面の兄と執事、そして――そこで起こる新たな事件(惨劇)。動き出している「特殊筋」の者達との邂逅、そして「蒼緋蔵家」と「番犬」と呼ばれる存在の秘密も実家には眠っているようで……。 ※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

処理中です...