「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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土地神様に遭った少女について(1)

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 修一と暁也を見送ったあと、雪弥は教室を出て校内を散策するように歩いた。声を掛けて来る生徒に「転入生で、少し校内を見て回っているんだ」と答える彼の足取りに迷いがないのは、彼の頭に白鷗学園の見取り図が入っているためだ。
 
 途中擦れ違った三学年の女英語教師は、「うちの造りは複雑じゃないけど、迷子になりそうだったら誰かに声を掛けるのよ」と心配したが、雪弥は曖昧に言葉を濁してその場をやりすごした。


 白鷗学園は、高等部側と大学側に敷地を二分しており、高等部は北東から西南にかけて校舎を広く建築していた。少人数制で四クラス分の教室を一列に構えているが、多種多様に機能できる部屋をいくつも設けて生徒たちに開放している。

 生徒たちの教室は一階から三階までの北側に位置しており、中央に職員室と事務室を設けた一階フロア上部に、移動教室用の部屋が続いた。

 学年全員が収まる広々とした視聴覚室と小さな放送室を三階に置き、南側には他に、図書室や音楽室、美術室や工作室を挟んでたくさんの教室がある。「第二」「予備」と各教科の専門用具が取り揃えられた部屋の他、申請があればいつでも使用することが出来る空き教室も複数あった。

 雪弥が向かったのは、南側の三階端に設けられた第二音楽室だった。

 第二音楽室は、声楽や勉強を主とする第一音楽室とは違い、多くの楽器が取り揃えられた倉庫を持っていた。楽器に関連した授業以外は、備えられている椅子と机は教室の奥に下げるのが定位置だ。学園創立時から部員の少ない吹奏楽部がそこで活動しており、隣接する第一音楽室はコーラス部が拠点を構えていた。

 修一から聞いた二年生の女子生徒の話を聞くため、雪弥は今回、第二音楽室へと足を運んだのだ。広い室内は木目調の柄が床一面を覆い、白が強調された肌色の壁には、音楽誌に残る偉人たちの写真が並ぶ。

 六月の生温い外気温に対して、その音楽教室には、肌寒さを感じるほどの冷房がかけられていた。室内には一年生から三年生までの女子生徒が七人おり、立てられた譜面を前にトランペットやトロンボーンなどの金管楽器を演奏していた。

 部活動が始まったばかりのようで人数は少なく、部員達はそれぞれ自分の音を奏でていた。

 基本的な音階を上下へと練習している生徒もいれば、よく耳にする簡単な曲調の音を奏でている者もあった。マウスピスに口を押しあてる女子生徒たちの顔は真剣そのもので、赤くなった顔に浮かぶ汗を拭うこともなく息を吹き込んでいる。

 雪弥は音楽室のガラス扉を開けて、飛び交う音の中から「線路は続くよ」の曲を奏でるトランペット音をしばらく聞いていた。一人の少女が一息つくように楽器から口を離したとき、ふと目があって口を開く。

「あの、すみません。ちょっといいですか?」

 雪弥の声は大きな楽器音にかき消されたが、気付いた少女の合図によって全員が音を止めた。「誰だろう」というように雪弥を見つめる女子生徒たちの唇は、腫れるようにして少し赤い。

 小さな疑問の言葉が細々と上がったが、その中で一人の少女がトランペットを置いて雪弥のもとへとやってきた。膝上の青いスカートが少女の歩みに合わせて揺れて、腿下の白を覗かせる。

 雪弥の前に立った女子生徒は、小柄な体躯をしていた。丸みを帯びた少し長めのショートカットに、花弁のように膨らんだ小さな唇と大きな瞳が印象的だった。すっと伸びた細い手足は白く、少し困惑するように微笑んだ顔は、清楚な美少女を思わせた。

「あの、何かご用ですか?」

 フルートの旋律に似た澄んだ声が、遠慮がちにそう尋ねてきた。

 細い眉を吊り上げた別の女子生徒が立ち上がる様子を視界の端に捕えながら、雪弥は、どう切り出そうかと考えて口を開いた。

「少し前に退部した二年生の子、いたよね。少し彼女の話を聞きたいなぁと思って……」
「えっと、理香ちゃんの、ですか?」

 呟いた女子生徒の顔に、神妙な表情が浮かんだ。彼女はすまなさそうに一度視線をそらし、伏し目がちに「あの、申し訳ないのですが」と続けた。

「理香ちゃんは、先月の五月に部活を辞めてしまって、それから私も部員の子たちも会っていないので……」

 雪弥は質問のため口を開きかけたが、困ったような女子生徒の様子を前に、出かけた言葉を飲み込んだ。

 どうしようかなぁと迷っていると、やって来た別の女子生徒がその少女の肩に手を触れて「先輩」と声を掛けた。「私に任せて下さい」と目で伝えるように頷いたかと思うと、彼女が雪弥の前に立った。

 天然パーマの入った髪を、高い位置で一つにまとめている少女だった。背丈は初めに声を掛けてきた女子生徒と同じくらいだが、その体躯はしっかりとしていた。

 腿辺りで揺れるスカートからは筋肉の付いた足が覗き、あどけなさが残る顔には薄化粧がされている。つり上がった瞳は憮然とした様子で雪弥を見上げ、その女子生徒は仁王立ちで腕を組んだ。

「二年二組の、新城香奈枝(しんじょうかなえ)です」

 ぶっきらぼうに言葉が吐かれ、雪弥は数秒遅れて「三年の本田です」と答えた。戸惑う彼に、香奈枝と名乗った女子生徒はこう続けた。

「先輩も、理香に遊ばれたんですか?」
「は。え、遊ばれた……?」

 マスウピスの形が残る薄い唇から出た言葉は、直球だった。雪弥は思わず、一体誰が誰に遊ばれたというのだろうか、と呆気に取られた。

 その様子を「先輩」と呼ばれていた三年生の女子生徒が見ていたが、小首を傾げた後、何かに気付いたように「あ」と唇を開きかけた。しかし彼女よりも早く、唇を尖らせた香奈枝の方が先に発言した。

「今年に入ってから何人もこうして来られましたけど、うちに来ても何の解決にもなりませんからね。理香は惚れやすくて飽きやすいみたいで、顔が良い人には誰にでも声を掛けていたんですよ」

 香奈枝の斜め後方にいた女子生徒同様、雪弥も疑問の声を上げようとしたが、やはり彼女の方が次の言葉を紡ぐのが早かった。苛立ったように早口で話したかと思うと、短い息を吸い込んですぐにマシンガントークを再開したのだ。

「信じてくれないと思いますけど、私達の知る理香は、クラリネットがとっても上手な優しい女の子だったんです。まるで人が変っちゃったみたいに急に派手になって、顔のいい生徒をとっかえひっかえして、しだいに部活にも来なくなって……『じゃあ辞める』って勝手に辞めちゃったんですよ! 先輩みたいにこうしてうちにやって来られても困るんです。愛美(あいみ)先輩は優しいから、理香のことも心配しちゃって――」
「香奈枝ちゃん、待って。この人、今日三学年に来た転入生よ」

 ようやく女子生徒が述べて、まくしたてるような香奈枝の言葉が止まった。

 はたと動きを止めた香奈枝は、しばらく呆けって雪弥を見つめた後、「愛美先輩」と呼んで困惑顔で彼女を振り返った。そして、雪弥の方を指差して尋ねる。

「転入生……ですか?」
「「うん、そう」」

 愛美と呼ばれた女子生徒と、雪弥がほぼ同時に答える。

 それを聞いた香奈枝が、全ての言葉を失ってしまったように口をポカンと開けた。そのタイミングで緊張した空気が解けて、教室にいた他の女子生徒たちが、少し安堵した様子で楽譜を手に取った。

 香奈枝が焦ったように口をぱくぱくさせ、愛美が言葉を待つように、困ったように微笑みかけた。

「愛実先輩、あの、え? この人が転校生? うっそ、私もしかして……」
「うん、私達、勝手に早とちりしてしまったみたい」
「…………どうしよう私バカみたいにましくたてて……うわぁ……恥ずかし過ぎる…………」

 彼女たちの向かいで、室内に視線を滑らせた雪弥は、部活に集まった女子生徒たちの鞄が目に留まった。普通なら気にも掛けない光景であったが、ここにいる少女たちには派手すぎるブランド品が多くあることに気付いて違和感を覚えた。
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