「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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高校生、始まりました(6)

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 雪弥は不意に、過去の記憶を思い起こした。小学生の頃母が倒れて入院し、一軒家でたった一人になってしまった日の事だ。

 あの日は、ひどい雨が降っていた事を、今でもはっきりと覚えている。雪弥は訪ねて来た父に「縁を切ってください」と、専門の手続き書類を突き付けた事があった。彼はその時、「私の息子でいてくれ」と膝を折って抱きしめてきた父を、拒むことが出来なかったのだ。


「おい、雪弥? お前、なんか怖い顔してるけど――」


 その一声に、雪弥の思考は現実へと引き戻された。

 視界に近づく何かを見て彼が反射的に掴むと、「いてっ」と幼い声が上がった。そこでようやく、修一が自分に手を伸ばしていた事に気付いた雪弥は、慌てて力を緩めてその手を放した。

「ご、ごめん。考え事してて……その、驚いたというか」
「驚かしてごめんな。というか、お前って意外に力あるなぁ」
「あ、うん……」

 そうだね、と雪弥は小さく続けた。ひやりと感じた悪寒を隠そうと、笑みを浮かべるものの、今にも引き攣りそうになる感じがあるのを拒めなかった。

 それまでの思考が一気に吹き飛んだ脳裏に横切っていたのは、昔国家特殊機動部隊総本部で行われた戦闘実験である。視界を塞がれた状態、両手を拘束された状態など様々なパターンで何十何百と検査が繰り返されたものだ。

 その結果、雪弥の身体はハンデや五感のどれを塞がれようとも、常に外敵に対して敏感に反応し対処すると分かった。己の反射行動より、もし冷静な思考回路の反応が遅れていたとしたら、雪弥は一瞬にして修一の腕を壊したあと、完全にねじ伏せていただろう。

 内心血の気を引かせる雪弥に気付くこともなく、修一は思い出したように表情を輝かせ「そういえば昨日ストリートバスケの」と話しを切り出した。彼は話しを進めながら、三人の中央に置かれて残っていた最後のオニギリを手に取る。

 よく食べる子だなぁ、と雪弥は思い掛けて苦笑した。


 実をいうと雪弥は、昔から満腹を感じたことがなく、出された分だけすべて平らげてしまうという底なしの胃袋を持っていたのだ。

 そんな自分が言えるような台詞でもないだろうと考え直し、取り繕うようにぎこちない作り笑いを浮かべて、話題があっちへこっちへと飛んで行く修一の話しに付き合う事にした。


 暁也は、そんな雪弥の様子をじっと観察していたのだが、抱いた違和感が強い殺気だと気付けなかった。しばらくすると唐突に話を振って来る修一のペースに巻き込まれ、目と表情で語っていたそれを「馬鹿かお前は」と、二度も口にする事になったのだった。

               ※※※

 白鷗学園高等部に転入した初日、雪弥が「内気で進学に悩みを抱える本田雪弥」としてようやく落ち着きだしたのは、放課後の事である。友人の幅が広い修一によって、昼休みに仕入れられた情報が生徒たちの間に行き渡ったためだった。

 その間、雪弥も情報を流すことを怠らなかった。午後の授業でクラスメイトに話し掛けられた際、「一人になりたくて、マンションの一室を借りている」と答えた台詞も、少年少女の好奇心をくすぐった。

 会話にさりげなく自身の設定を折りこんだため、クラスメイトたちは放課後になる頃には、すっかり転入生の事を知った気になっていた。「医者の息子らしい」「東京にその病院があるみたいだぜ」「母親は美容会社の社長だって聞いた」と、しばらく生徒たちの話題は収まらなかった。

 尋ねる事がなくなれば、生徒たちはもう質問を投げかけてこないだろう。わざと自分から情報を流した雪弥の思惑と推測は、たった二人を除いて的を射る結果となった。

 昼休み以降、修一と暁也が予想以上に世話役を発揮してきたのだ。

 何かと絡んでくる彼らは、放課後になってすぐ、校内を案内するとして強引に話が決まりそうになった。本日の学生任務を終了する前に少し調べたい事があった雪弥は、「勘弁してくれ、仕事させて……」とうっかり本音がこぼれそうになった。

 その矢先、弱々しい独特の咳払いが聞こえて、修一と暁也が揃って動きを止めた。

「修一君、暁也君、先生とお話ししましょうか…………」

 ぼそぼそとか細い声が上がった瞬間、二人の少年は後ろ襟首を掴まれていた。

 そこに立っていたのは担任の矢部で、「今日は逃がしません」ともごもごと言ったかと思うと、彼らを進路指導室に連れて行ってしまったのだ。それを見送った雪弥は、今日初めて爽やかな笑顔を見せた。
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