「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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高校生、始まりました(1)

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 何故そうなったのか、雪弥自身分からなかった。

 必要最低限の情報を与えたはずだと気を許した午前最後の授業後、彼は突然集まった女子生徒たちに、めまぐるしい質問攻めをされた。血液型、正座、好きな子がいるのか、可愛いと思う女優やモデルは誰か、どんなお菓子が好きなのか……

 思わず空いた口が塞がらないといった他の男子生徒たちの中で、修一が冷静に対応して雪弥をそこから連れ出した。

 授業終了直後、もう一つあった驚きは、暁也がまるで脱兎の如く教室を飛び出していった事だろうか。雪弥は彼の行方を知らなかったが、どこからか朝聞いたぼそぼそ声が「あ~き~や~く~ん~」と無気力に低く響き渡ったのを聞いた。

 なるほど。生徒指導か何かであるらしい。

 そう察して聞こえない振りをしたのは、雪弥以外の少年少女も同じだった。


 修一は雪弥を連れて売店を案内がてら食糧を確保した後、教室から連れ出したさい耳打ちした「ゆっくり出来る最高の場所」へ向かった。


 三年一組の教室前を過ぎた先にある階段は、普段使用されていない。窓も電気もないばかりか、中腹の折れ目から階段は人が二人並んで歩ける幅しかなく、換気の行き届かない湿気臭さが残っている。

 慣れたようにその階段を上がった修一は、「立ち入り禁止」の看板がかかった屋上扉の前で立ち止まった。

 白鴎学園は、高等部も大学校舎も屋上への出入りが禁止されている。まだ比較的新しい校舎とはいえ、ほとんど開閉のされていない扉は、先に二十年ほど時を過ごしたように所々錆かかっている。しかし、修一は掛かっている鍵も「立ち入り禁止」の看板も構わず、ポケットから小さな物を取り出してドアノブへと近づいた。

 まさか、と雪弥が思っているそばから、数秒もかからずにカチっという金属音が上がった。片手に食糧を持ったまま、修一がドアノブに伸ばした手を右へ左へと動かし、数十秒もしないうちに扉の鍵を開けてしまったのである。

「へっへーん、こんなのちょろいぜ」

 修一は扉を押し開けながら、卒業した先輩から教えてもらったのだ、と自慢げに語った。雪弥は呆れて物も言えなかったが、ドアノブごと素手で切り落とす自分よりはマシかと思い直し、大人として注意することもなく屋上へと足を踏み入れた。

「暁也が来るから、鍵は開けたままにしておくぜ」

 こちらへの説明とも、楽しげな独り言ともつかない修一の声を聞いて、雪弥は「はぁ」と間の抜けたような返事をした。

 修一が先に屋上の中央部分で腰を下ろし、売店で買った紙パックのジュースとパンを広げ始めた。授業風景を見て思っていたが、二人は昼食を共にするくらい仲がいいのだろうか、と一人悩む雪弥を脇に、ふと空を見上げて「あの雲、俺が買ったメロンパンみたいじゃね?」と楽しそうに言う。

 白鴎学園高等部の屋上は、外壁や内装の色とは違い、灰色に近い白をしていた。

 高等部正門に対して後方となる西側には、白い壁で造られた大学校舎が見える。こちらからは双校舎の間にある中庭は確認できないが、二メートルの金網フェンスを覗きこめば見下ろすことが出来るだろう。

 雪弥は思っただけで、行動に移すことはしなかった。国立の大学や名門大学に比べると敷地はやや小さい、研究所や分館に似た印象を受ける大学校舎を静かに眺める。

「立派なもんだろ?」

 じっとそちらを見つめていると、先に腰を降ろしていた修一がそう言った。座ることを忘れていた雪弥は、うっかりしていたとは表情に出さず「そうだね」と答えて、彼の向かい側に腰を下ろす。

 陽差しはあるのだが、地面はひんやりとして冷たかった。風も時々強く吹き、排気ガスにも汚れていない新鮮な空気が心地よく身体を包みこむ。白鴎学園の規模についての感想は胸にとどめ、雪弥は修一の意見を肯定するように頷いて見せた。

「あれは、大学だったよね? パンフレットに載っていたのを見たよ」

 何気ない雪弥の切り出しに、パンの袋を開けていた修一が声を弾ませた。

「おう。教員免許が取れる付属の大学さ。うちで教師目指してるやつらの大半は、あっちに進学希望を出してるぜ。設備は良いし就職にも強くてさ。それに、地元に住んでいれば学費も安いんだ」
「ふうん、でも廊下歩いているときちらりと見たんだけど、ほとんどの生徒は教室で受験勉強していたね」

 そうなんだよな、と修一は手元に視線を戻して相槌を打つ。

「まぁ付属の高校って言っても、一般入試とかは他校の受験生と変わんないと思うし、進学がかかっていることにかわりはねぇじゃん? 就職サポートもしっかりしてるし、入学金免除で授業料も破格。金銭面で進学を諦めていた奴らも絶対合格するって勢いだし、県内にある他の大学とか、県外の大きい所に進学希望している奴らもいるから、俺らの学年だけぴりぴりしてんのよ」

 袋からチョコパンを取り出した修一は、そういえば、という顔をして手を止めた。

「そうそう、うちの高校はさ、付属の大学じゃなくてもいろいろと手助けしてくれる制度があるんだよな。試験会場までの交通費支給とか、試験代が免除とか、小難しい名前の……なんとか支援ってのがあるわけよ。確か、えぇっと、県か市のやつだったかな?」

 難しい部分をすっ飛ばし、修一はパンにかぶりついた。

 雪弥は「それ、尾崎理事、もとい尾崎校長が個人で建てた財団だよ」とは言えずに口をつぐんだ。返す言葉も思いつかず紙パックの苺牛乳にストローを差した時、もう一度パンにかぶりつこうと、口を大きく開いた修一が、思い出したように声を掛けてきた。

「考えたらさ、お前いい時期に転入してきたな。皆進学の事で頭がいっぱいだから、転入生騒ぎも数日続かないと思うぜ」
「それは嬉しいな」

 パンにかぶりつく修一を前に、雪弥は乾いた笑みを浮かべた。これ以上若い子が思いつくような話題を続けられるねような言葉も見つからずに、自分もパンの袋を開ける。

 言葉使いを不審がられても困るので、必要以上に話すことは避けたい。そう思いながら口にしたメロンパンは生地が硬く、表面にたっぷりとつけられた砂糖がぼろぼろと落ちて風に飛んでいった。

 雪弥はパンをゆっくりと噛みしめながら、なんだか少し悲しい気持ちになった。

 今回の任務内容を知ったとき「絶対無理だよ」と思ったそれが、今見事に成功しているのだ。疑う生徒や教師がいないばかりではなく、自分はすっかり架空の高校生「本田雪弥」として白鴎学園高等部に溶け込んでいる。


 とはいえ、全く心は落ち着かない。学生の中におじさんが一人混ざっているなんて、くつろげるものではない。


 十代だった頃は地元の学生を装うことも平気だったが、すっかり大人となった今では、コスプレで町のド真ん中を歩いている心境であった。「せめて教師の設定にして欲しかった……」と彼は思わずにはいられない。しかし、教師に変装した場合、なんだかその方が返って怪しまれそうな気もする。
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