「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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私立白鴎学園と潜入前の準備(2)

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 エージェントから転職した尾崎という男が建てたこの学園は、教員免許取得率百パーセントという数字を叩き出した当大学をはじめ、目を見張るほどの立派な設備と進学率を誇る高校があった。学生たちに金銭面の支援をするための財団を立ち上げるなど、尾崎の行動は幅広い。

「放課後に、大学生による塾、か…………」

 雪弥は呟いて、缶ビールを半分喉に流し込んだ。それを口から離すとお菓子を開け、つまみながら書類へと視線を戻す。

 東京で起こっている事件は、ヘロインを含む薬物の調合を行っている組織がいるというものだ。調合の仕方が巧妙でこれまで例を見ないタイプのものであり、身体の組織がアンバランスに発達した被害者の写真も載せられている。

 ナンバー1が指揮を執る警視庁がマークしているのは、東京にある大手金融会社だった。榎林財閥の子会社でありながら、大きく成長し続けている企業である。

 皆殺しにされていた麻薬卸し業者の近くに設置されていた防犯カメラが、大型乗用車を運転するその会社の幹部の姿を残していた。同じ車が茉莉海市に入ったのは、卸し業者の死体が発見された後の五月上旬である――と文面には記載されている。

 缶ビールを飲み干したところで、穏やかな風の乗って鳥のさえずりが聞こえてきて、雪弥は窓へと視線を向けた。


 彼の鮮やかな碧眼は、今は見事な黒い瞳になっていた。先日までは、瞳孔周りに本来の色が滲んでしまっていたが、一昨日技術班から支給された新しい黒のコンタクトレンズは、彼の瞳を自然な黒に変えてくれている。

 雪弥は、これまでに一度だって自分の瞳の色を気にした事がなかった。時々光っているみたいに見えるというか……あまり人に見せない方がいい、と深刻そうに言った上位ナンバーエージェントたちに対して、なんの冗談だろうと思って笑った。

 珍しいプルー色なので印象に残りやすく、通常のカラーコンタクトで隠れない特異な色をしているので隠して欲しい……そうやたらナンバー1たちや技術班に頼まれてしまい、ひとまずは指示があった時は黒のカラーコンタクトを入れるようにしている。

 鏡で見慣れた自分の瞳が目立っているなど、雪弥は今でさえ実感がないのでつけ忘れることも多い。返って黒い瞳の自分を鏡で見ると、たまらず違和感を覚えた。


 どうしたものかなぁと呟きながら、雪弥は視線を手元へと戻した。

 大学生の中には、すでに覚せい剤の使用者が出始めている。これはまたヘロインなどの麻薬とは別物だ。同じ場所に二つの薬物が持ちこまれる事は普通はなく、敵側の意図や目的といった推測もあまり立てられない現状であった。

 情報収集しながら待機する事が任務であったが、指示によっては強硬手段に出ることもある。また『完全なる学生として溶け込み内部の情報収集を』という文面で、彼は頭を抱えた。

「それこそ無理だって……」

 まだ東京の現場がいいなぁ、と続けて雪弥は書類を足上に落とした。何気なく辺りを見回し、高校生セットの小道具側に置かれいた白鴎学園のパンフレットを拾い上げる。

 そこには白い綺麗な建物をバックに、青い制服を着た生徒たちが並んで映っていた。校内で出回っているらしい覚せい剤とは、全く縁がなさそうな少年少女である。パンフレットをめくっていくと、弾けんばかりの笑顔で映る学生たちの写真が載っていた。

 大半の使用者が大学生であり、高校生の中からもそういった者が出てくる、とナンバー1が語ったことを雪弥は思い出した。

 密輸業者、東京の金融会社と関係を持った学園関係者が、そう簡単に学生に配ることへの利点が雪弥には理解出来ない。覚せい剤よりも、ヘロインをさばいたほうが大金にもなる。

 二つの薬物の件を置いても、大人に配った方が確実に利益に繋がるだろう。学生だと、覚せい剤の存在がばれてしまう可能性もあるからだ。

 報告書に記載されている尾崎の意見によると、ヘロインも覚せい剤も町には出回っていないとの事だった。新しく茉莉海市が出来る前から、学園一帯にはこれまで薬物の検挙例は一つとしてない。これから足りない情報を集めるのは、雪弥の役目である。

 ヘロインと覚せい剤の動き、事の全容究明と共犯者、常用者や使用者の把握。

 外からでは調べられない情報を生徒に紛れ込んで得ると同時に、警視庁が動き出す際ナンバー1から出る指示を待機する……どういった最終決断がくだされるのかは、調べていかないと雪弥にも推測が難しかった。

 犯人を抹殺処分するのか、警視庁との協力体制のもと取り押さえるのか。麻薬に手を染めた人間に関しても法的な処分と治療を施すのか、特殊機関のやりかたで対応するのか、現時点でそれを予想することは出来ない。


「抹殺以外の仕事が僕に回って来ることも滅多にないんだけど……そう考えてみると、厄介な事件になるかもしれないしなぁ…………学園自体が元エージェントのものだから、穏便に行くかどうもか分からないし」


 東京で起こっている事件は、書類を見ても確かにこれまでとは違っていた。

 精密に記憶が改ざんされ、彼らが連れられてきた被害者だと分かった時点で、国は特殊機関に要請を出している。国を脅かす事に発展しかねない事態の全容解明を急ぎ、それを一掃することを国は特殊機関に求めていた。

 白鴎学園に出回っている覚せい剤と、持ちこまれている大量のヘロイン。大量のヘロインだけでも一番重い処罰だが、首謀者たちの目的用途によっては、特殊機関から相応な処置がされるだろう、と雪弥は悟っていた。

 書類にはナンバー1に直属している国家特殊機動部隊暗殺機構の導入案や、一定に集まった標的を閉じ込める、電力発動機器である「鉄壁の檻」を使用する旨が書かれている。それは中の人間を外に出さないためのものであり、突入したエージェントが閉じ込めた標的を皆殺しにする際に使用するものだった。

 警察の介入を許さず、特殊機関が独自に権限を行使する。処分されたことも世には出ない。つまり、もし「鉄壁の檻」が使用されるような決断が下された場合は、ナンバー4にとって珍しくない「殺戮」がここで行われるのだ。

 雪弥は、お菓子を口にして立ち上がった。新鮮な空気を吸いたくなってベランダに出ると、暖かい日差しが身体を照らした。

 見慣れない小さな茉莉海市は高い建物が少ない分、一番高さのあるこのマンションからの見晴らしは良かった。西側に、一番広い敷地を持った白く立派な建物の白鴎学園が見える。

 尾崎の偉業は、支援団体や寄付、投資に止まらず学園にも強くあった。お金がない子供に対して、彼は優遇制度という独自の方法を用いて、彼らに学びの場を提供していた。勉学を希望する者には誰でも同じようにチャンスがある、として彼自身が資金を提供して入学させている子供たちも多くいた。
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