「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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~ひっそりと行われる悪の会合~(2)

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「蒼緋蔵の先代に、番犬と呼ばれていた副当主がいたらしいが、何か知っているか、榎林さん」
「私より小野坂さんのほうが詳しいぞ、爬寺利(はじり)さん。彼が若い頃にその席が埋まっていたらしいからな」

 視線も合わさずぶっきらぼうに述べた榎林に何も言わず、爬寺利は分厚い唇の隙間から金の歯を覗かせて、尾野坂へと視線を向けた。

 尾野坂老人は、あきらかに怪訝そうな表情を浮かべたが、白く垂れ下がった眉の間から視線を返した。榎林と朴馬の間にいる、その爬寺利のサイズが小さいゴールド交じりのスーツからは、身体を覆っている厚い脂肪が浮き上がっているように見える。

 先日門舞が食事会に着ていた、身体のラインが際立つスーツに似ている事を思いながら、尾野坂は忌々しげに目を細めた。知らない振りをした門舞が今にも笑い出しそうな隣で、咳払いを一つして口を開く。

「私がまだ学生時代だった頃の話だ、よくは知らん。急激な経済成長の中で競争や争論の絶えない忙しい時代、若くして早死にしたと聞いただけで、特に目を引くような情報もないぞ」
「一つだけためになる情報と言えば、これまでの『蒼緋蔵家の番犬』同様に早死にしたというくらいかな」

 ワイングラスを下げた夜蜘羅がそう口を挟み、一同の視線を集めた。門舞と朴馬以外の三人は、緊張と恐怖に身をすくめ、静まり返った室内で男の話を待つ。

 夜蜘羅は肘掛けに置いた手に頬を乗せ、面白そうに一同を見回した。

「蒼緋蔵家は他の特殊筋一族と同様、血筋で決まる。本家の男子は家名の蒼、女子は緋の文字が名前に込められる。当主は決まって蒼の名を持った男子だが、副当主は一族の中で一番の腕を持った人間なら誰でもいいらしい。――とはいえ『蒼緋蔵家の番犬』は別だ、それもまた蒼の字を持った男子がその席についた。今回蒼緋蔵家の本家には、男子と女子が一人ずつで、副当主に就くのは分家の誰かだろう……と思っていたのだけれど」

 違っていたみたいだね、と夜蜘羅は、ゆっくりとした動きで榎林を見やった。その瞳には、ぞっとするほど無垢な笑みが浮かんでいる。

 榎林は緊張し、報告のために持ってきた新たな情報を、早口に切り出した。

「そうです、蒼緋蔵本家にはもう一人男子がいます。蒼緋蔵の当主が愛人に産ませた男子らしく、雪弥、というそうです。名前に蒼の文字も入っておらず……」
「あらゆる手段で調べたが、それ以上の情報が全く見つからないそうだ」

 言葉に詰まった榎林に続き、尾野坂が若輩者を助けるべく口を挟んだ。

 数秒の沈黙の後に、門舞が「どうします?」といって、ようやくソファから身を起こした。彼の顔は、夜蜘羅の愉快そうな表情とどこか似た雰囲気がある。尋ねているのは上辺だけで、すでに答えを知っているかのような落ち着きだった。

「勿論、それは私がやるよ。あの方は計画に差し支えなければいいわけだし、私は蒼緋蔵家の特殊筋に興味がある。あの方は、友人である私にも多くを語らないからねぇ……ようはその愛人の子が、番犬の座につかなければいいんだろう?」

 とはいえ私としては、こちらに害がなければどっちでもいいと思うんだけどねぇ……と少々面倒くさそうに夜蜘羅は肩をすくめた。

「まぁ、君たちはそれぞれの仕事をすすめたまえ。彼が表十三家や三大大家の動きに敏感なのはもともとだし、今は新しい手駒を増やす事に興味を持っている。特に、榎林君は蒼緋蔵の事よりも自分の事に専念したほうがいい。最近、少し荒が出始めているからね」
「それは、儲けに眩んだバイヤーが、勝手に…………」

 口ごもったが、榎林はそれ以上言い訳を続けなかった。「確かに、最近管理が甘かった」と認めて、代わりに自分がどれだけ有能なのかをアピールするように夜蜘羅に主張した。

「手駒を入れ変え、新しい卸し場も確保できた。それに、実験も順調に進んで十分あのお方の役に立てている。あなたが、あのお方のために紹介してくださった李(り)という方も、少々癖があるが今までの連中と違って非常にいい腕をしていて……私が任された計画は、二段階目に突入している」

 滞りなくスムーズだ、と榎林が言うなり、門舞が美麗な顔でにっこりとした。

「僕が言った通り、前もって足手まといになる業者を潰しておいて正解だっただろう? さすがにあそこまで派手にやったら、ルール違反だよ。まぁ新しい場所を探して自分で動くっていうんだから、ミスはしないようにね」

 これ以上フォローは出来ないよ、と門舞は悠々と続けて、頭の後ろで腕を組んでソファに身を沈めた。彼と夜蜘羅以外の顔には笑顔はなく、沈黙を合図にそれぞれが部屋を出ていった。


 最後に爬寺利が、門舞に視線を送って出ていったあと、彼は「ねぇ、夜蜘羅さん」と楽しげに声を掛けた。


「言わなくて良かったのかい? そろそろ、榎林さんのところが危ないってこと。夜蜘羅さんが手下を入りこませている大きい組織が、動き出しそうなんだろう?」
「まぁね」

 夜蜘羅は含み笑いをした。量が少なくなったワイングラスを口元で傾け、喉の奥に流し込む。

「本当はあの方の計画よりも、自分の楽しみを優先にしているだけなのにねぇ」
「門舞君もそうだろう? 君だって、面白い物見たさにここにいる。つまらない日常や世間よりも、隠された存在や秘密に翻弄されるのが好きでたまらないんだ」

 どうでしょうねぇ、と微笑をたたえて門舞は目を閉じた。

「僕は楽しければどっちでもいいんですよ」

 そう続ける彼に、夜蜘羅がワイングラスを下ろしながら「私もだよ」と低く言って、空になったグラスを手で握り割った。

 大きな手に押し潰されたワイングラスは、砕け散る音を静寂に響かせて落ちていった。バラバラとそれがテーブルの上に広がるようにこぼれ落ちて、もとの器よりも壊れた方が美しいと、二つ分の楽しそうな笑みが上がった。
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