「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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与えられた新たな任務は(1)

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「え、ちょっと待って。――それどういう事ですか?」

 高級感溢れる最上階の一室で、その話を聞いた雪弥は、黒革のソファから思わず立ち上がった。

 彼が目を向ける書斎の大椅子には、大柄な男がふんぞり返るように座っていた。顔に刻まれた深い皺と傷痕を一つも動かさずに、口をへの字に引き結んだまま雪弥を見つめる。

 柄の入った紫カラーのネクタイに、西洋の一着百万円を越えるスーツを身にまとった恰幅の良い男だった。セットされた白髪交じりの剛毛の下には、小麦色に焼けた凶悪面の大顔がある。

 紺紫のスーツから覗く褐色の肌には白い傷跡が浮かび、幹のようにどっしりと机に置かれた指にはいかつい宝石の指輪が三つ、書斎机に肘を置いて頬を乗せている手には四つ並んでいた。

 彼はナンバー1の名を持つ、国家特殊機動部隊総本部のトップである。

 彼が放つ威圧感の前には、内閣総理大臣ですら委縮した。中年独特の肉付きは太い骨格と筋肉を浮き立たせ、オーダーメイドのスーツ越しにはっきりとそれを見せている。

 その身体は日本人の中でも群を抜くほど高く、広い肩に根を降ろす太い首も、贅肉より鍛え上げられた筋肉が目立っていた。しかし、日本で最も恐れられる人物の気迫は、雪弥には全く効果がないようだった。

 雪弥は自分よりもはるかに大きな男に歩み寄り、手に持っていた書類を上司の書斎机に滑らせた。ナンバー1は眉間の皺を深め、しばらくした後、引き結ばれた薄い唇を重そうに持ち上げる。

「今話した通りだ。変更はない」

 怪訝そうな含みを持った重低音の声が、静まり返った室内に響き渡った。返ってきた返答に、雪弥は面白くなさそうな顔をして腕を組んだ。

「変更はないって言いますけどね、これは無理があるでしょう。この現場、高校ですよ? 絶対無理ですってば。僕じゃあすぐにバレますよ。まだ数字をもらっていない十代の研修生がいたでしょ、予算を割いて英才教育を施している若い奴がたくさん。内容も全然簡単そうですし、そいつらに回してください」

 雪弥はそう言って、不服そうに片眉を持ち上げた。

 ナンバー1にそんな口がきけるのは、一桁エージェントでも雪弥だけである。バイトとしてサポート作業に入った頃からその関係は変わっておらず、雪弥がナンバー4の地位に就いてからは、上下関係の規律に煩い声も上がらなくなっていた。

「あのね、僕にずっと休みがないのは知ってます? 簡単なの寄こすくらいなら、休みを下さいよ」
「まぁ休みだと思って、現場では事が動くまではくつろいでくれて構わないぞ」

 彼は重々しい声でそう告げると、ボリュームのある革椅子に背を預けて太い葉巻を手に取った。手元に置いてあったシガーライターで慣れたように火をつると、葉巻を口にして二、三度煙を吹かせ「しかしだな」と続け、鋭い眼光を雪弥に戻す。

「現場が学校とあって、我々もうかつには動けん。内部にどのくらいの共犯者が紛れ込んでいるのかも分かっていない。早急に情報が欲しいのは山々だが、相手に嗅ぎつけられて騒ぎになると非常に困る、それは分かるな?」
「危険分子の一つも逃さず仕事を完遂させなければいけないけど、騒ぎになれば情報操作は完璧に出来なくなるし、学校の知名度やこれからの経営にも響くってんでしょ?」

 分かってますよ、と雪弥は唇を尖らせた。ナンバー1が「その通りだ」と述べながら、含みのある笑みを浮かべて葉巻を口に咥える。

 彼の口から豪快に吐き出された煙を怪訝そうに眺め、肺に入れもしないのに何が楽しいんだろうな、と喫煙習慣のない雪弥はそう思いながら、机から書類を取り上げて煙を散らせるような仕草をした。「仕事の書類を団扇(うちわ)にするんじゃない」といった上司の言葉も聞かず、その書類を自分の前に持ってきて再び目を通す。

「言いたい事は分かりますがね、これくらいの内容だったら、僕が動くまでもないじゃないですか。力試しとか経験を積むためだとか理由をつけて、若いのにさせたらいいんだ」

 雪弥がそう言った時、後ろで小さな笑い声が上がった。

 そこにはナンバー1専属の美しい女性秘書がいて、湯気が立つ珈琲を持ってやってくるのが見えた。女エージェントの中で最も優秀だといわれる彼女は、その腕を買われてナンバー十八の地位にあった。帰国してからは現場には入らず、常にナンバー1の秘書として活動している。

 日本人離れの妖艶な美貌に、整った身体のラインを強調するミニスカートスーツの赤が映える。一見すると歳は三十代半ばだが、実際年齢を知っているのは上司であるナンバー1だけだ。

 艶のある黒い長髪を後ろで一つにまとめ、赤いスーツから大胆に覗く素肌は真珠のように滑らかで白い。大きく開いた胸元からは、裕福な胸の谷間が覗き、優雅に床を踏み進む長い両足は、しっかりと筋肉がついているにも関わらずしなやかである。

 ナンバー十八は、秘書に就く前は海外勤務が多かった。潜入捜査を得意とし、最も多くの偽名を持っているエージェントとして有名だった。ずば抜けた記憶力で何十人もの人間になりすまし、ナンバー1の秘書に落ち着いてからは「リザ」という名を使っている。

 リザは雪弥の横を通り過ぎると、ナンバー1の前に珈琲カップを置いた。その少しの動作も、指先までの上品さを物語る。しなやかに伸びた肢体に目を奪われない男はいなかったが、対する雪弥は特に変わらずといった様子だった。彼は一人の男として女性を見た事がなく、それに関する興味も感心も持ってはいなかったからだ。

 ナンバー1はリザに目を向ける事もなく、真っ直ぐ雪弥を捕えていた。

「なんですか」

 ぶっきらぼうに言葉を発した雪弥に、彼は考え事をするように沈黙を置く。

 置机に乗せていた手を肘掛けに移動し、ナンバー1は探るような瞳で雪弥を見つめながら、二度ほど葉巻を口にした。


「高校生に戻れるんだ。嬉しいだろう?」


 長い沈黙の後、ナンバー1が恐ろしいほどの真顔で、まるで「そうじゃないのか」と確信を持って断言するようなニュアンスでそう発言した。その目は真剣そのもので、口には葉巻を咥えたままである。

 瞬間、雪弥は思わず身を乗り出して反論した。

「んなわけないでしょう!」

 馬鹿かあんたは、とあきらかに告げるような顔で「どこでどうその結論に至ったんですかッ」と言う。ナンバー1は疑問系に鼻を鳴らし、葉巻の先をくゆらしながら顔を顰めた。

「高校を中退したとき、残念がっていただろうが」
「ええ。ええ、確かに! でも、その後アメリカで飛び級して博士号も取らせてもらったじゃないですか! あれだけで満足ですよ!」
「アメリカのエージェントたちが、あなたを手放すのをとても惜しがっていたほどでしたわね」
「え、あの、まぁ……そうでしたね」

 突然リザが口を挟んできたので、雪弥は戦意喪失したように戸惑いがちに声量を落とした。

 英語を母国語のように話す雪弥を、アメリカのエージェントたちは「ナンバー4」と親しげに呼んで接した。アメリカは日本の特殊機関と同じく防弾タイプのスーツだったが、日本とは違う黒の光沢生地が雪弥には慣れなかった。日本のように希望者だけが着たり、通常のスーツを改良してその機能を編み込む技術が、向こうにはなかったのだ。
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