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始まりの、お見合い

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 涼しさを覚える春の季節だった。

 内陸地にありながら、隣接する県の美しい海が一望できる高台の高級ホテル。

 その異常かい近くにある『桜宮様』と記載された和室で、二十八歳の桜宮晃光と二十歳の藤野香澄のお見合いは行われた。

 晃光は、母親の美貌と父親譲りの賢さを持った男だった。現在二十八歳で、すでに実家の持つ大企業の副社長に収まるほどの実力を持ち合せていた。

 私生活や仕事にも徹底した判断力を持ち合せており、美しい横顔は常に鋭い眼差しを携えていた。

 桜宮家では長男、三男共に早々と婚約が決まったが、晃光は頑として仕事以外の執着を見せなかった。

 兄弟共に容姿端麗で資産家であり、長男は新しい事業を始めていて、三男は海外支店で着実に実績を積んでいる。

 将来、長男と共に桜宮家を支えていく晃光に求婚する令嬢は、後を絶たない。

 晃光は、そんな女性たちを一瞥するような男だった。大柄で温厚な長男、やんちゃだが女性に対してひどく優しい三男の欠片さえもないその態度は、現桜宮家当主を窺わせるほど冷徹な印象を与えていた。

 そんな晃光が、素直に従って見合いの席に顔を出したのは二十回目の誘いのことだった。

 また数分も持たずに席を立つと思われていたが、事態は桜宮家の両親が思わぬほ方に転がった。

「藤野香澄さん、どうか僕と婚約して下さいませんか」

 香澄の自己紹介のすぐあとに、晃光が言った言葉は婚約を了承するものだった。

 晃光の顔には、年頃よりも幼く見える微笑が浮かんでいた。彼の真っ直ぐな視線を受ける香澄の方は、自己紹介もしどろもどろで始終俯いていた。

 なかなか終わらない自己紹介だったのもかかわらず――晃光は、はっきり『婚約』と言ったのだ。

 香澄はぽかんとした顔をした。彼女がつたない自己紹介をしている間、桜宮家の当主とその妻は、晃光がいつものように席を立ってしまうのではないかとひやひやしていたが、不意を突かれたような顔をしていた。

「これからお互いのことを、ゆっくりと知っていきましょう」

 そう追って告げた晃光の、いつもは自信溢れる表情にも、少しの恥ずかしみと謙虚すら滲み出ていた。

 急激な展開に戸惑ったのは、香澄だけではなく両家の両親もだった。

 香澄は返す言葉に戸惑ってしまっていた。

「だ――大学生なんです」

 ぎこちなく答えた。そんな私がお見合いで、婚約だなんて……そう、小さな声でぽそぽそと伝えた。

 香澄は、これまでずっと父の仕事を見てきた。

 けれど、結婚や恋なんてこれまで考えることがなかった。

 未来のことはわからないが、香澄はいつも不安の中で生きていた。いつも思いつくのは、自分が傷つくばかりの最悪な未来だった。

 彼女は心の病気だと思いこんでいたが、外の人間から言わせると、それは極度の人見知りであり臆病気でもあった。

「すぐに、というわけでなくてもいいんだ」

 晃光は、彼女の否定を恐れるように言葉早く続けた。

「友だちからでも構わない。えっと、そうだな、堅苦しくない席でまずはお喋りをしよう」

 晃光は、高圧的な言葉しか話したことがない人間だった。必死になるほど、言葉柔らかな話し方に苦戦している様子がうかがえた。

「あらまあ」

 彼の母がそう言った。

 返事をもらえなかった晃光は、テーブルから半ば身を乗り出して幼い香澄の顔色をずいっと窺った。

「どうだろうか」

 晃光は、他の二十歳に比べても、華奢で幼い香澄を脳裏に刻み込むように見ていた。彼女の頬に浮かぶ丸みや、少女のような歯切れの悪い声色が、いずれは大人の女性へと変わっていく過程を想像し、じっくりと観察しているみたい――。

(まさか、そんなことは)

 まるで、諦めきれない、と言わんばかりの彼の態度に戸惑いつつ。

 香澄は、こくり、とやや遠慮がちに頷いた。どうして私なんか、という言葉は勇気もなく胸にしまわれた。

 晃光の微笑した唇から、安堵したような、そしてどこか満ち足りたような吐息がもれた。
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