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第二十五章 昼の森
5 蛙の王子様(領主視点)中
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5 蛙の王子様(領主視点)中
おっさんのキュートな笑顔にほだされて、森のほとりをゆくことしばし。
着いたのは、古風なマナーハウス。素朴だが優美な門構え、手入れの行き届いた、自然で心地よい庭のつくりに好感が持てた。こんな人里離れた森のほとりにあるのが意外なほど立派な屋敷だ。
「ここで待っていてくださいね」
おっさんはメイドの名を呼びながら屋敷に入って行った。取り残された僕は、噴水に腰掛けたまま、庭をぼんやり眺めた。こんな美しい屋敷は、シブヤ領内にだってそういくつもない。
あのおっさんが、この屋敷の主人だろうか。そういえばまだ名前を聞いていない。
おっとりとした物腰といい、この見事な屋敷といい、きっと名のある貴族か商人、あるいはその一族の者だろう。
ここまで考えてようやく、ここはビョルンの屋敷ではないかと思い当たった。森のほとりの屋敷。ジュンはアリオトの故郷をそう呼んでいたはずだ。
「奥様? お戻りでいらっしゃったのですか」
振り返ると、噴水の水柱の向こうから、若いメイドがこちらにやって来た。僕と目が合うと、驚いたように立ちすくんだ。
「すみません、ここはもしかして、ビョル……」
僕は考え事に夢中で、つい今の自分の状況を忘れていたのだ。慌てて噴水にかがんで、喉に込み上げてきたカエルを水中に放流する。
メイドさんからは、僕がカエルを吐き出したのは見えなかったようだ。青ざめながらも僕の様子をじっと見ている。
「ここは、ビョルン殿の…っ…屋敷で……」
「ええ。そうですわ」
メイドさんが頷いた瞬間、僕の小さな脳みそは喜びでパンクしてしまった。
愚かな僕は、我を忘れてメイドに近寄った。
「アリオトは、いますか?」
アリオト、という言葉で飛び出した蛙は、なんと小さな雨蛙。思わず手に受ける。エメラルドのように輝いて見えた。
「ひっ……」
メイドは首を振る。アリオトはここにはいないの一点張り。
「しかしここは、ビョルン殿の屋敷ですよね」
メイドはさっきから息を吐かずに吸ってばかりいる。それにも関わらず、とんまな僕は畳みかけた。
「今どこにいるかご存じありませんか。僕はアリオトを探してはるばるきたのです」
カエルをどべどべ吐きながらでも、スムーズに喋れるようになってきた。カエルはもはや、ピリオドやコンマのようなものと割り切った。
こちらが気にせず喋っていれば、相手もスルーしてくれるらしい。メイドは黙って僕の顔だけを見つめている。
カエルを交えたコミュニケーションのコツを掴んだと思ったその瞬間。
「キ、キャーーー!」
メイドが渾身の力で叫び始めた。僕は口をつぐむ。
メイドは恐怖で石化していただけらしい。さすがにスルーしてはもらえないみたいだ。
「すみません。怖がらせるつもりは」
謝った途端吹き出したカエルが、メイドの胸に張り付いた。死の舞踏よろしく、メイドは高速で跳ね回り始めた。
「じっとして」
僕はメイドの胸元に手を伸ばす。
「いやー!! 誰か来て!!」
最悪だ。カエルをとってやろうとしただけなのに、余計に怖がらせてしまった。そこへ、さっきのおっさんが屋敷から出てきた。
「メアリ、何をしてるの」
メイドは半泣きでおっさんに駆け寄った。彼女はおっさんを「奥様」と呼んでいる。この屋敷の奥様ということは、もしかして。
「お前が、柘榴夫人、だったのか?」
おっさんは曖昧に頷いた。
「柘榴さ……僕を、お探しだったのですか?」
にわかには信じられなかった。彼は、柘榴夫人のイメージとあまりにもかけ離れていた。
アリオトをいじめ、ビョルンの遺産を食い潰し、イチマルキウの魔窟を作った魔女が、今目の前にいる人のいいおっさんだなんて。
問いただしたいのは山々だが、しゃべればメイドが怖がるし、どうしたものか。
そこへ、鍬を持った下男が駆けつける。屋敷の中から出てきた男に弓矢で攻撃される。あれよあれよという間に大騒ぎになっていた。
やれやれ、小さな共同体というものは、よそ者に対してかくも残忍になれるものか。
ゆっくり考え事をしている暇もない。早くここを退散しなくては血祭りにあげられてしまうだろう。
「悪魔め! 去れ!」
これには思わず振り返る。言われなくても去るつもりだったが、一言誤解を解いておきたい。僕は悪魔じゃない。鍬と枝で十字架を作ってかざされたから去るわけではない。
だが、言いたいことの半分も言えないうちに、また矢が飛んでくる。
「あぶない!」
おっさんの叫び声と共に、僕は地面に突き飛ばされていた。腕に鋭い痛みが走る。
「やめて、ホクトくん!」
僕の腕には矢が刺さっていた。あのドアのところにいる若い男にお見舞いされたようだ。最悪の気分だが、幸い命に別状はない。
それより、体におっさんの巨体がのしかかって息が止まりそうだ。とりあえず重たいから退いてくれないか。そんなことを思っておっさんを見る。
おっさんは、泣いていた。まるで子供みたいに。僕が泣くならまだしも、なんでおっさんが泣くことがある。
泣くなよ、おっさん……いや、柘榴夫人だっけ。
こうなることは分かってた。あなたが謝る必要はない。
彼らは、未知の恐怖に反応してるだけだ。彼らが向けているのは、僕の人格に対する悪意じゃない。だから、こんなの全然平気。
城には悪意が山ほどあった。根拠のない嫌がらせ、人格の否定、根も葉もない噂に陰口、親しげな笑顔の下の陰謀。それらと比べたら、こんなのなんでもない。
とりあえず、今は一人にしておくれ。静かに寝てれば、これくらいの傷、すぐ治る。
……あれこれ言って、おっさんを慰めてやりたかったけどそんな余裕もない。口にしなくても、柘榴夫人は、僕の気持ちを察してくれたようだった。
温かくて重たい体が、僕から離れた。
僕はよろめきそうになるのを隠しつつ、なんとか屋敷から退散した。
おっさんのキュートな笑顔にほだされて、森のほとりをゆくことしばし。
着いたのは、古風なマナーハウス。素朴だが優美な門構え、手入れの行き届いた、自然で心地よい庭のつくりに好感が持てた。こんな人里離れた森のほとりにあるのが意外なほど立派な屋敷だ。
「ここで待っていてくださいね」
おっさんはメイドの名を呼びながら屋敷に入って行った。取り残された僕は、噴水に腰掛けたまま、庭をぼんやり眺めた。こんな美しい屋敷は、シブヤ領内にだってそういくつもない。
あのおっさんが、この屋敷の主人だろうか。そういえばまだ名前を聞いていない。
おっとりとした物腰といい、この見事な屋敷といい、きっと名のある貴族か商人、あるいはその一族の者だろう。
ここまで考えてようやく、ここはビョルンの屋敷ではないかと思い当たった。森のほとりの屋敷。ジュンはアリオトの故郷をそう呼んでいたはずだ。
「奥様? お戻りでいらっしゃったのですか」
振り返ると、噴水の水柱の向こうから、若いメイドがこちらにやって来た。僕と目が合うと、驚いたように立ちすくんだ。
「すみません、ここはもしかして、ビョル……」
僕は考え事に夢中で、つい今の自分の状況を忘れていたのだ。慌てて噴水にかがんで、喉に込み上げてきたカエルを水中に放流する。
メイドさんからは、僕がカエルを吐き出したのは見えなかったようだ。青ざめながらも僕の様子をじっと見ている。
「ここは、ビョルン殿の…っ…屋敷で……」
「ええ。そうですわ」
メイドさんが頷いた瞬間、僕の小さな脳みそは喜びでパンクしてしまった。
愚かな僕は、我を忘れてメイドに近寄った。
「アリオトは、いますか?」
アリオト、という言葉で飛び出した蛙は、なんと小さな雨蛙。思わず手に受ける。エメラルドのように輝いて見えた。
「ひっ……」
メイドは首を振る。アリオトはここにはいないの一点張り。
「しかしここは、ビョルン殿の屋敷ですよね」
メイドはさっきから息を吐かずに吸ってばかりいる。それにも関わらず、とんまな僕は畳みかけた。
「今どこにいるかご存じありませんか。僕はアリオトを探してはるばるきたのです」
カエルをどべどべ吐きながらでも、スムーズに喋れるようになってきた。カエルはもはや、ピリオドやコンマのようなものと割り切った。
こちらが気にせず喋っていれば、相手もスルーしてくれるらしい。メイドは黙って僕の顔だけを見つめている。
カエルを交えたコミュニケーションのコツを掴んだと思ったその瞬間。
「キ、キャーーー!」
メイドが渾身の力で叫び始めた。僕は口をつぐむ。
メイドは恐怖で石化していただけらしい。さすがにスルーしてはもらえないみたいだ。
「すみません。怖がらせるつもりは」
謝った途端吹き出したカエルが、メイドの胸に張り付いた。死の舞踏よろしく、メイドは高速で跳ね回り始めた。
「じっとして」
僕はメイドの胸元に手を伸ばす。
「いやー!! 誰か来て!!」
最悪だ。カエルをとってやろうとしただけなのに、余計に怖がらせてしまった。そこへ、さっきのおっさんが屋敷から出てきた。
「メアリ、何をしてるの」
メイドは半泣きでおっさんに駆け寄った。彼女はおっさんを「奥様」と呼んでいる。この屋敷の奥様ということは、もしかして。
「お前が、柘榴夫人、だったのか?」
おっさんは曖昧に頷いた。
「柘榴さ……僕を、お探しだったのですか?」
にわかには信じられなかった。彼は、柘榴夫人のイメージとあまりにもかけ離れていた。
アリオトをいじめ、ビョルンの遺産を食い潰し、イチマルキウの魔窟を作った魔女が、今目の前にいる人のいいおっさんだなんて。
問いただしたいのは山々だが、しゃべればメイドが怖がるし、どうしたものか。
そこへ、鍬を持った下男が駆けつける。屋敷の中から出てきた男に弓矢で攻撃される。あれよあれよという間に大騒ぎになっていた。
やれやれ、小さな共同体というものは、よそ者に対してかくも残忍になれるものか。
ゆっくり考え事をしている暇もない。早くここを退散しなくては血祭りにあげられてしまうだろう。
「悪魔め! 去れ!」
これには思わず振り返る。言われなくても去るつもりだったが、一言誤解を解いておきたい。僕は悪魔じゃない。鍬と枝で十字架を作ってかざされたから去るわけではない。
だが、言いたいことの半分も言えないうちに、また矢が飛んでくる。
「あぶない!」
おっさんの叫び声と共に、僕は地面に突き飛ばされていた。腕に鋭い痛みが走る。
「やめて、ホクトくん!」
僕の腕には矢が刺さっていた。あのドアのところにいる若い男にお見舞いされたようだ。最悪の気分だが、幸い命に別状はない。
それより、体におっさんの巨体がのしかかって息が止まりそうだ。とりあえず重たいから退いてくれないか。そんなことを思っておっさんを見る。
おっさんは、泣いていた。まるで子供みたいに。僕が泣くならまだしも、なんでおっさんが泣くことがある。
泣くなよ、おっさん……いや、柘榴夫人だっけ。
こうなることは分かってた。あなたが謝る必要はない。
彼らは、未知の恐怖に反応してるだけだ。彼らが向けているのは、僕の人格に対する悪意じゃない。だから、こんなの全然平気。
城には悪意が山ほどあった。根拠のない嫌がらせ、人格の否定、根も葉もない噂に陰口、親しげな笑顔の下の陰謀。それらと比べたら、こんなのなんでもない。
とりあえず、今は一人にしておくれ。静かに寝てれば、これくらいの傷、すぐ治る。
……あれこれ言って、おっさんを慰めてやりたかったけどそんな余裕もない。口にしなくても、柘榴夫人は、僕の気持ちを察してくれたようだった。
温かくて重たい体が、僕から離れた。
僕はよろめきそうになるのを隠しつつ、なんとか屋敷から退散した。
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