氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第二十四章 馬小屋

4 愛の妙薬(義兄視点)上※

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4 愛の妙薬(義兄視点)※



 マフはなかなか戻らなかった。

 母さんは静かに床に横たわっている。いや、微かに震えているのだ、きっと。

 でも僕はそれを視界の外に追いやって、壁に後退り、窓を開けると空気を吸った。薄紫色の空には、黒ずんだ橙の雲と名残の日。

 母さんの腕にあった傷あとは、僕に偽善を許さないくらいに強い嫌悪感をもたらした。僕は自分の腕を必死にさすり、母さんの舌の感触が消えるのを願っていた。

「どうしましょう、ホクト様! 薬が見つからないらしく……て……」

 食堂に飛び込んできたメアリは、僕と目が合うとその勢いを失った。

「そう」

 僕は言った。メアリは拍子抜けしたように、きょろきょろしながら言った。

「お、奥様は……? お倒れになったと聞いて……」
「どうかな、まだ息はあるんだ」

 メアリは僕の視線を追って、床に転がる母さんの姿を見つけた。

「奥様!」

 メアリは母さんのもとに駆けよって、さっきまでの僕と同じように、声をかけたり体をさすったりしはじめた。

 僕の目の端に、母さんの赤い髪と、黒いドレスが揺れている。僕はまた後ずさる。

 冷たい息子だと、メアリは思うだろう。母さんは僕を溺愛していた。そしてそれゆえアリオトに辛くあたった。思えばそれは、まるで嫉妬する恋人のようだった。僕にはそれが、今は不気味で仕方がない。

 満月の夜になると、僕は金縛りにあったように動けなくなる。母さんは僕の寝室を訪れ、腕に傷をつけ、血を啜って去っていく。貪るように血を啜る音、荒い息、湿った指、腕の内側の肌を這う唇の粘膜や、舌の感触がまざまざと蘇ってきた。

 今まで、どうして平気でいられたのだろう。きっと催眠でもかけられていたのだ。目が覚める頃には、その他の夢と同じように、忘れていられたのだ。そして僕はぼんやりと、一日一日を過ごした。母さんが僕に向けていた、汚い欲望にも気付かずに。

「坊ちゃん、しっかりして……」

 坊ちゃんという言葉に反応して視線を向けると、メアリは母さんの手を握って泣いていた。

「それは、アリオトじゃなかったんだよ、メアリ」

 母の体を指して「それ」などという自分に呆れたが、訂正する気も起きない。

 メアリは泣きじゃくりながら首をふり、いよいよ深く病人の体を抱いた。

「何かの間違いです……何かの……」
「マフはどうした」
「薬が見当たらないって、半狂乱で探しています……」
「そうか」

 間に合わなければそれまでだ。それも母さんの運命。僕らはマフの言うように、神様の裁きを待つしかない。

「母さんの部屋を見たんだ。どうも身辺整理した跡があった」

 なんの話だろうというように、メアリは眉をしかめ、濡れたまつ毛で瞬きをした。

「今朝倒れてるところを連れ戻されたらしいけど、母さんは元々、家を出るつもりだったんだろ。理由は何か言ってた?」
「いいえ、奥様は夜逃げ同然で家を出られたので……理由など何も」

 メアリは鼻を啜りながらも、母さんが雪の中で見つかるまでの顛末を手短に語った。母さんが出ていったのは一昨日の夜。屋敷からは金目のものとファラダが消えていた。昨日の昼頃、ファラダは帰ってきたが、母さんを乗せていなかった。そして今朝、マフが、森のほとりで倒れている母さんを見つけた。

 僕はといえば、母さんの部屋で倒れていたらしく、二人がどんなに叩いてもゆすっても目を覚まさなかったのだという。

「本当に? 僕は一昨日からずっと寝てたってわけ」
「奥様が帰ってくるまでは、本当に、死んだように眠ってらっしゃいました。亡くなられたのではないかと思うくらい……」
「なるほど……」

 昏睡状態に陥る前、僕はたしか母さんの部屋を調べていた。それを母さんに見つかったのだ。僕は何か、母さんにとって都合の悪いものでも目にしていたのだろう。口封じに記憶を消され、昏睡状態にさせられたに違いない。

「母さんの荷物は見たか」
「え?」
「理由はともかく、母さんは家を出てく気だったらしい。持病の薬も、自分で持って出たんじゃないか」
「あ……もしかしたらファラダが」
「ファラダ?」
「ファラダが戻ってきた時、鞍に、奥様の荷物袋が」
「その袋は、今どこに」

 どこにやったかしら、とメアリは記憶をたどった。主人の行方不明に跡取りの意識不明、疲れきった馬の無人の帰還。メアリとマフはそういったことにてんやわんやで、奥様の貴重品の入った荷物のことなどすっかり忘れていたらしい。欲のないことだ。

「じゃあ、鞍と一緒にそのまま馬小屋にあるんだね」
「ええ、きっとそうですわ。すぐに取って……」

 メアリが飛んでいこうとするのを僕は制した。

「僕が行こう。メアリは母さんを見てて」

 またここで母さんと残されたくはなかったからだ。すると、メアリは、僕を見上げて、固まったように動かなくなった。

「頼むよ。母さんと二人きりになりたくないんだ」

 メアリは口をわなわなさせて、目を見開いた。僕の背後の窓を凝視している。

「どうした、メア……」
「き……」

 きゃああっ! というメアリの悲鳴が聞こえると同時に、僕は何者かに突き飛ばされていた。誰かが背後の窓から飛び込んできたのだ。

 見れば、コブだらけの男がメアリを押しのけて、母さんの体の上にかがみ込んでいるではないか。

「奥様に何をする気!?」
「ど、どいて……早くしないと死んでしまう……」

 僕は呆然として、男がヒキガエルを吐き出しながら何かいうのを見ていた。

「ゆすったら……ダメだ」
「離れて! あっちにいって! 誰か!」

 メアリの半狂乱の叫び声で、僕は我に返った。

「おい! 何をしている」

 僕は男を背後からはがいじめにして、母さんの傍から引き離した。メアリは母さんの体を守るようにして抱え込んでいる。

「薬ぅ……持ってきた」
「何?」

 いちいち口からカエルを吐き出すので、言葉が不明瞭だったが、男は手に小さな金色の筒状のものを持っていた。







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