氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第二十三章 ビョルンの屋敷

10 茜色

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10 茜色



 屋敷のドアを開けると、甘い匂いが漂っていた。

 僕は踊り出したいような気持ちで厨房に駆け込んだ。

「いい匂い!」

 マフはどこに行ったのだろう。厨房には誰も居なかった。

 僕はかまどに顔を寄せた。もう少しで焼き上がりそうだ。

「あっ、でも」

 今はそれどころじゃないんだ。

 僕は裏庭と貯蔵庫を行ったり来たりして、いくつかのハーブを集め、鍋にお湯を沸かした。

 リンゴとパンと、葡萄酒をカゴに入れ、誰か来ないかヒヤヒヤしながら煎じた薬草をゴブレットに注ぐ。


***************


 それらを持って馬小屋に戻った。日は少しずつ傾いている。

 馬小屋は薄暗く、あまりに静か。

「変わりない?」

 尋ねると、ファラダは黙って藁の山に目を向けた。

「あの、居ますか?」

 藁の山ががさごそ言って、中から男の人が身を起こした。
 
「よかった……」

 僕も藁の山に登った。

「飲んで。治りが早くなるから」

 僕は湯気をあげるゴブレットを差し出した。男の人は疑り深い目で匂いを嗅いでいる。

「毒なんかじゃないよ……」

 僕は苦笑し、一口飲んでみせた。

「ほら。平気でしょ」

 とか言いながら、苦くて僕はぶるっと震えてしまった。男の人は一層怪訝な顔をした。飲んでみせたのは逆効果だったかも。

「美味しいとは言えないけどさ。まあ、無理に飲まなくてもいいよ」

 僕は気を取り直して、男の人の傷の手当てをした。矢の傷口に薬を塗って、きれいなガーゼをあて、布を巻き直す。足首も挫いていたので添木をした。

 男の人は手も足もチグハグで、老人のように背骨も歪んでいたけれど、肌や爪はやっぱり若い人のそれだった。

 手当てが終わると、僕は男の人に食べ物の入ったカゴを渡した。

「これ、どうぞ」

 僕は藁の山を降りると、ファラダの寝る前のお掃除に取り掛かる。

「遠慮せずに食べてね」

 だが、男の人は静かに座ったまま僕を見守っているだけで、一向に、食べてくれないのだ。

 やぶにらみの眼差しが、僕に食い入るように向けられているのを感じる。気にせず作業しているように見せたけど、僕の指先は震え、頬はほてっていた。

「さあ、ファラダ。どうぞ」

 ご飯を食べ終えたファラダを、清潔になった馬屋の中にもどす。

 仕事が済んでしまうと、僕はまた藁の山に登って尋ねた。

「ザクロさんの、お知り合いなんですか」

 男の人は首を振った。

「でも、あなたは僕を……その、アリオトを探していたってメアリが」
「ア……」

 僕の名前を聞いた途端、男の人は目を見開き、何か言いかけた。

「ん? なに?」

 重ねて聞いたけど、男の人は何も言わない。僕は小さな声で尋ねた。

「アリオトを探してるの? どうして?」
「……」

 男の人は、その張り出した額の下から僕を睨みつけた。

「……」
「しゃべっていいよ。僕はカエルなんて怖くないから」

 男の人は藁の山を降りて、また地面に文字を書いた。

ーーまじよ だカら?

「へ?」

 何のことかさっぱり分からない。

「何のこと?」

 男の人は僕を指差した。僕が魔女だからカエルが怖くないのかと言うのだ。

「ちがうよ」

 僕は笑って首を振った。

「ねえ、喋ってよ。こんなクイズみたいなことをしてたら日が暮れちゃう」

 男の人は、首を振った。

ーーメいどガ こわガる

「……そっか」

 メアリのことだろう。カエルをひどく怖がっていたから、気を付けてくれてるんだ。僕はうなずいた。

「優しいんだね」

 男の人は、そんなんじゃないと言うように顔をしかめた。

ーーここガばれる

 どう言うことかと首を傾げると、男の人はカエルがうじゃうじゃ小屋に満ちる様子を身振りでしめした。

「ああ……!」

 確かに、馬小屋がひきがえるだらけになってたら、彼が居るってすぐにバレちゃう。

「考えもしなかった。君、頭いいんだね」

 お世辞のつもりじゃなくて本心から言ったんだけど、男の人は苦い顔で肩をすくめた。何となく言わんとすることがわかる。

「僕が能天気なだけだって言うの?」

 僕はくすくす笑った。男の人は手を振ると、また地面に字を書いた。

ーーカえる おれモ こわい

 僕は思わず吹き出してしまった。絶対笑ったらいけない話なのに。

「ごめん!」

 僕は手で口を塞いで謝った。喋るたびに嫌いなカエルを見なきゃいけないなんて。そんな気の毒な話があるだろうか。

「そっか……蛙が好きなわけじゃないんだね。せめて可愛いと思えたらいいのにねえ」

 僕がしんみり言うと、男の人はふいに肩を揺すりはじめ、ググッと唇を歪めた。

「ふっ……」

 彼は息を漏らした。カエルは出なかった。

「笑ってるの?」

 僕が尋ねると、彼はまたやぶにらみに戻った。

 そして、僕の頭をちょんと小突いたんだ。すごく優しい手つきで。

 その瞬間だった。

 矢で射抜かれでもしたかのように、胸の奥がきゅーんと痛んだ。

「え??」

 僕は驚いて心臓を押さえた。

「……?」

 男の人は、不思議そうな顔で僕を見て、首を傾げた。


ーーどうしたの?


 ケイトの声が聞こえた気がして、僕はまた、ぎゅっと胸を押さえる。

 思わず後ずさった僕は、土の上に尻餅をついてしまった。ザクロさんの足は、しゃがむことにも耐性がなかったみたい。すぐ痺れちゃうんだから困る。

 男の人は僕を助け起こそうとして、包帯をしていない方の腕を、ぎこちなく僕のほうに差し出してくれた。

 僕はどきどきして窒息しそうになる。

 え? 何? これは何が起きてるの? 

 西陽が男の人の横顔に差し込んで影を作っていた。彼の動きが、ひどくゆっくりしたものに見える。

 僕がぼんやりしていると、男の人は身を屈め、僕の顔を覗き込んできた。

 僕の目の前で、男の人のぶくぶくした紫の唇が、声を出さずに動いた。


ーー大丈夫?


 ケイトの声がまた、頭の中で響く。僕は動けない。視線だけをあげた。

 西陽を受けた鳶色の目と視線が絡んだ。

 瞬間、僕の身体を、甘い震えが走った。

「ふあ……」

 僕は、変な声を漏らしてしまった。


ーー奥様~!


 その時、遠くでマフの声がした。

「ぼ、ぼぼぼ僕、行かなきゃ……!」

 僕は立ち上がった。


ーーお~くさまぁ~!


 男の人もマフの声に気付いて、素早く藁の奥に身を潜めた。

「そそそそれ、食べなきゃだめだよ!」

 バスケットをぎゅっと藁に押し込むと、僕は走って馬小屋を出た。

「奥様、そこにおいででしたか。タルトが焼けましたよ」
「や、やったー! すぐ行く!」

 僕はマフの元に駆け寄った。

「今日は、西陽がひどく赤いですな」

 馬小屋の向こうの空を見上げながら、マフは言った。僕は思わず頬を押さえた。


***************


「どうぞ、奥様」

 マフは綺麗なお皿に盛り付けたタルトを僕の前に置いた。

「わー! ありがとう」

 僕ははしゃいで見せる。頭の片隅には、茜色の藁の山。

「召し上がれ」

 僕の焼いたお菓子を食べたいって、ケイトは言った。世界中のどんなお菓子よりも。

 ケイトは今、どうしてるだろう。

 僕はまた胸がいっぱいになった。一度は持ち上げたフォークを、またテーブルに置いた。

「食べさせてあげたいな……」
「誰にですか?」

 誰にも話せない。

「……ほ、ホクトくんと、メアリ」

 僕は目をぎゅっとつぶり、頭を振った。

「二人の分も、もちろんありますよ」
「じゃあ、僕が呼んで……」

 立ちあがろうとする僕の椅子の背をマフは握って、動かせなくした。

「食べたくねえんですか?」

 マフの低い声で我に返った。

「え?」

 マフの顔は曇っていた。

「あんまり嬉しそうじゃないですね」
「そ、そんなことないよ」
「なら、食べてくださいよ。にこにこと、前と変わらず幸せそうに」

 僕がキョトンとしていると、マフはいつもの顔に戻って微笑んだ。

「あっしは……坊ちゃんに、一番に食べてもらいたいんでさ」
「マフ?」

 僕は驚いてマフを見た。

「僕のこと、わかるの? 信じて、くれてるの?」

 口封じの魔法ではっきりとは言えない。でも、マフは頷いた。

「さあ、どうぞ」

 僕はすとん、と椅子に腰掛けた。

「いただきます」

 フォークを入れて、キラキラした木苺とサクッとした生地をひと掬いする。

 甘酸っぱい香りをかぎながら、ゆっくりと口に入れた。いろんな想いが混ざり合って、一口目は、何だか味がしなかった。

 もう一口、今度は大きく崩して口に頬張った。

「どう、ですか?」

 僕は、けほけほとむせてしまい、紅茶でタルトを飲み下す。

 口の中が痺れたようで、味がしない。僕は悲しくなってフォークを下げた。

「……う、うん、美味しい……」

 果実に触れた舌がちくちくする。飲み下しても消えない。燃えるような痺れが喉からみぞおちまで広がっていく。

 カラン、とフォークが床に落ちる音がした。耳がキンとする。鼓動が早まる。

「ごめ……」

 息ができない。フォークを拾おうと伸ばした指が震えてる。

 お皿が歪んで、部屋の景色が、ぐるっと回転した。

 テーブルクロスが舞い上がって、僕のタルトが宙に放り出される。

「あ、タルトが……」

 タルトが落ちちゃう。僕がテーブルクロスを引っ張ったから、お皿がひっくり返ってしまったんだ。

 でも、手が動かない。


ーーおくさま?! 


 マフの声が、水の中にいるみたいにくぐもって聞こえる。

 鈍い振動とともに、僕の頭は床に打ちつけられていた。

「ごめん、マフ……」

 床を這う視線の先に、潰れたキイチゴ。斜めになった茜色の西陽。

「せっかくの……」

 次第に視野が暗くなった。目を見開いてるつもりなのに何も見えない。生温かい泪だけが流れていく。


ーーどけ、マフ!


 誰かが僕を揺さぶった。次第に揺れる感覚も遠のく。


ーーかあさん!


 その声を最後に、とうとう何も聞こえなくなった。












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