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第二十三章 ビョルンの屋敷
8 灰の山
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8 灰の山
「びっくりしたー!」
僕はバクバクの心臓を整えると、ホクトくんに、この奥が見たいんだと打ち明けた。
「見ればいいじゃないですか」
「う、うん……そうなんだけどさ」
勝手に開けたりしたら呪われないか心配なのだと僕が言うと、ホクトくんはますます眉をひそめた。
「誰が誰を呪うんです」
「それはその……ザクロさんが、僕を……」
「まだそんなわけのわからないことを」
ホクトくんはため息をつくと、いきなりタペストリーを捲り上げた。
「わっ! ちょっと、そんな急に」
「ほら、何も起きませんよ」
ホクトくんは、相変わらず大胆だ。
「本当? 本当に大丈夫?」
僕はホクトくんの肩や顔を触って無事を確かめた。ホクトくんはうるさそうに僕の手を払った。
「ホクトくんはこの奥を見たことがあったの?」
「何度か」
「そうなんだ」
「……怒らないんですね」
「え?……あ!」
ホクトくんからしたら、僕はザクロさんなんだ。ここは怒るのが妥当だったのだろう。しまった、と少し思う。
でも僕はもう、ザクロさんのふりをするのはやめたんだ。辻褄合わせの嘘はいらない。
「僕が怒る筋合いじゃないもの」
僕はつぶやくと、タペストリーの下に現れたアーチ型の穴を潜った。後ろから、ホクトくんも続いて入ってきた。ホクトくんがタペストリーから手を離すと、部屋はフッと暗くなった。
「暗いね。窓ひとつないんだ……」
僕がキョロキョロしている間に、ホクトくんが壁の燭台に火を灯してくれた。
蝋燭の灯りで浮かび上がったのは、壁一面の本棚。なんだか、お城の禁書の部屋によく雰囲気が似ていた。ガラスケースの中には不思議な仮面や錬金術の道具のようなものもある。
でも、ある重要な一点において、その部屋の本棚は、お城の図書館とは全く違っていた。
「本が、一冊もない……」
僕が言うよりも早く、ホクトくんが驚いたように言う。
「こないだまで、棚一面にびっしりだったのに」
「ここにはたくさん本があったの?」
「東の言葉や古代語の不気味な本が沢山あった」
僕は嫌な予感がして、部屋を駆け出した。
*********************
「ザクロさん、あなたはまじで、抜かりない……」
数分後、森の近くの炭焼き小屋の前で一句詠みつつ、僕はガックリと膝をついていた。
「母さん?」
息を切らしながら、ホクトくんが追いかけてきた。僕に怒っているはずなのに、ふわっと上着を着せ掛けてくれる。
「ホクトくん……」
なんて優しい息子だろう。僕はザクロさんでもないのに感動してしまった。ホクトくんはそれでいて相変わらず仏頂面だけは貫いている。
「いい加減にしてくださいよ。いきなり走り出したりして……どこへ行ったかと思えばこんなところに」
「本が燃えちゃってた」
「え?」
僕は、灰の山を指差した。
「ええっ?!」
さすがのホクトくんも驚いたように、灰の山に近づいた。
「あっ、確かにこれは……」
燃え差しの中から、焦げた羊皮紙を拾い上げて、ホクトくんはつぶやいた。
真っ黒でもう読めないけれど、びっしりと古語が書かれていたのが見てとれる。燃えてしまった本の最後の一片だろう。
「なんでこんな勿体無いことを」
ホクトくんは正直な感想を漏らした。古書は貴重で、なかなか手に入らない。あれだけの蔵書を集めるには、相当な資金が要ったはずだ。
でも僕が落ち込んでいるのは、そんなことではなかった。
「これで、魔法を解くヒントも無くなっちゃったんだ」
僕は頭を抱えた。
「魔法を解くヒント?」
僕は諦めきれなくて、もう一度炭焼き小屋を見て周り、灰の山を崩してみた。それでも、見つかったのはさっきの羊皮紙一枚だけだった。
「もう無駄でしょう。全部燃えてますよ」
僕の後ろに黙って付き従っていたホクトくんが、僕の手を引いた。僕の手は真っ黒になっていた。
「泣いてるんですか?」
「泣いてなんか」
僕はドレスの袖で汗を拭った。
「あ、いけない。メアリに怒られる」
ドレスは煤だらけになっていた。ホクトくんは苦笑いすると、ハンカチで僕の顔を拭ってくれた。
「ありがとう」
「別に……母親が汚らしくしているのは見ていて惨めですから」
ホクトくんは不思議な人だ。ザクロさんにあんなに怒ったかと思えば、心配してついてきてくれたり。どうしてそんなに優しいんだろう。
「一体、誰の仕業でしょう。母さんの大事な本を……」
「ザクロさんだよ」
「は?」
僕は本当のことを言う。ホクトくんが混乱するのは承知だけど。
僕の正体を話せないのだから、それ以上、説明のしようがない。
「イチマルキウのバラの煙も、ざくろ酒も。それに、僕のこの姿も……。この本の中に、ザクロさんの魔法の秘密が書かれてたはずなんだ」
僕は俯いたまま言うと、踵を返して屋敷に向かった。
本もない、ザクロさんもいない。頼りにしていたホクトくんにも、僕の正体を話せない。
ザクロさんは僕と向き合うこともなく、姿を消しちゃった。僕に残してくれたのは、周到な呪いだけ。
「……僕を見て欲しいなんて。そもそもが、無理な願いだったんだ」
せっかく、屋敷に帰りたいってわがままを聞いてもらったのに。
夜になったら、ピノが姿を現すだろう。僕のこの状況を知ったら、ピノはすぐ森に帰ろうって言うだろう。
僕はこんなもやもやした気持ちのまま、氷の森に戻らなきゃならないのかな。それは何だか、ピノにも悪いような気がした。
「ずいぶん無口ですね」
僕ははっとして後ろを振り返った。
ホクトくんが、僕に寄り添うように着いてきていた。
「ごめん」
「別に……謝ることではないですけど」
黙って二人で雪道を歩く。
そのときふと、静かな朝の光景が思い出された。
混乱する僕の後ろを、こんなふうに、黙ってバケツを持ってついてきたジュンのことが思い浮かんだ。
「ホクトくんて、なんだかジュンにそっくりだ」
「ジュン?」
「僕の友達だよ。お世話好き……っていうか……とにかく、とってもとっても優しい人なんだ」
僕はホクトくんに微笑みかけた。
絶対に意味不明のはずなのに、ホクトくんはしばし黙って、そうですか、と微笑んだ。
「びっくりしたー!」
僕はバクバクの心臓を整えると、ホクトくんに、この奥が見たいんだと打ち明けた。
「見ればいいじゃないですか」
「う、うん……そうなんだけどさ」
勝手に開けたりしたら呪われないか心配なのだと僕が言うと、ホクトくんはますます眉をひそめた。
「誰が誰を呪うんです」
「それはその……ザクロさんが、僕を……」
「まだそんなわけのわからないことを」
ホクトくんはため息をつくと、いきなりタペストリーを捲り上げた。
「わっ! ちょっと、そんな急に」
「ほら、何も起きませんよ」
ホクトくんは、相変わらず大胆だ。
「本当? 本当に大丈夫?」
僕はホクトくんの肩や顔を触って無事を確かめた。ホクトくんはうるさそうに僕の手を払った。
「ホクトくんはこの奥を見たことがあったの?」
「何度か」
「そうなんだ」
「……怒らないんですね」
「え?……あ!」
ホクトくんからしたら、僕はザクロさんなんだ。ここは怒るのが妥当だったのだろう。しまった、と少し思う。
でも僕はもう、ザクロさんのふりをするのはやめたんだ。辻褄合わせの嘘はいらない。
「僕が怒る筋合いじゃないもの」
僕はつぶやくと、タペストリーの下に現れたアーチ型の穴を潜った。後ろから、ホクトくんも続いて入ってきた。ホクトくんがタペストリーから手を離すと、部屋はフッと暗くなった。
「暗いね。窓ひとつないんだ……」
僕がキョロキョロしている間に、ホクトくんが壁の燭台に火を灯してくれた。
蝋燭の灯りで浮かび上がったのは、壁一面の本棚。なんだか、お城の禁書の部屋によく雰囲気が似ていた。ガラスケースの中には不思議な仮面や錬金術の道具のようなものもある。
でも、ある重要な一点において、その部屋の本棚は、お城の図書館とは全く違っていた。
「本が、一冊もない……」
僕が言うよりも早く、ホクトくんが驚いたように言う。
「こないだまで、棚一面にびっしりだったのに」
「ここにはたくさん本があったの?」
「東の言葉や古代語の不気味な本が沢山あった」
僕は嫌な予感がして、部屋を駆け出した。
*********************
「ザクロさん、あなたはまじで、抜かりない……」
数分後、森の近くの炭焼き小屋の前で一句詠みつつ、僕はガックリと膝をついていた。
「母さん?」
息を切らしながら、ホクトくんが追いかけてきた。僕に怒っているはずなのに、ふわっと上着を着せ掛けてくれる。
「ホクトくん……」
なんて優しい息子だろう。僕はザクロさんでもないのに感動してしまった。ホクトくんはそれでいて相変わらず仏頂面だけは貫いている。
「いい加減にしてくださいよ。いきなり走り出したりして……どこへ行ったかと思えばこんなところに」
「本が燃えちゃってた」
「え?」
僕は、灰の山を指差した。
「ええっ?!」
さすがのホクトくんも驚いたように、灰の山に近づいた。
「あっ、確かにこれは……」
燃え差しの中から、焦げた羊皮紙を拾い上げて、ホクトくんはつぶやいた。
真っ黒でもう読めないけれど、びっしりと古語が書かれていたのが見てとれる。燃えてしまった本の最後の一片だろう。
「なんでこんな勿体無いことを」
ホクトくんは正直な感想を漏らした。古書は貴重で、なかなか手に入らない。あれだけの蔵書を集めるには、相当な資金が要ったはずだ。
でも僕が落ち込んでいるのは、そんなことではなかった。
「これで、魔法を解くヒントも無くなっちゃったんだ」
僕は頭を抱えた。
「魔法を解くヒント?」
僕は諦めきれなくて、もう一度炭焼き小屋を見て周り、灰の山を崩してみた。それでも、見つかったのはさっきの羊皮紙一枚だけだった。
「もう無駄でしょう。全部燃えてますよ」
僕の後ろに黙って付き従っていたホクトくんが、僕の手を引いた。僕の手は真っ黒になっていた。
「泣いてるんですか?」
「泣いてなんか」
僕はドレスの袖で汗を拭った。
「あ、いけない。メアリに怒られる」
ドレスは煤だらけになっていた。ホクトくんは苦笑いすると、ハンカチで僕の顔を拭ってくれた。
「ありがとう」
「別に……母親が汚らしくしているのは見ていて惨めですから」
ホクトくんは不思議な人だ。ザクロさんにあんなに怒ったかと思えば、心配してついてきてくれたり。どうしてそんなに優しいんだろう。
「一体、誰の仕業でしょう。母さんの大事な本を……」
「ザクロさんだよ」
「は?」
僕は本当のことを言う。ホクトくんが混乱するのは承知だけど。
僕の正体を話せないのだから、それ以上、説明のしようがない。
「イチマルキウのバラの煙も、ざくろ酒も。それに、僕のこの姿も……。この本の中に、ザクロさんの魔法の秘密が書かれてたはずなんだ」
僕は俯いたまま言うと、踵を返して屋敷に向かった。
本もない、ザクロさんもいない。頼りにしていたホクトくんにも、僕の正体を話せない。
ザクロさんは僕と向き合うこともなく、姿を消しちゃった。僕に残してくれたのは、周到な呪いだけ。
「……僕を見て欲しいなんて。そもそもが、無理な願いだったんだ」
せっかく、屋敷に帰りたいってわがままを聞いてもらったのに。
夜になったら、ピノが姿を現すだろう。僕のこの状況を知ったら、ピノはすぐ森に帰ろうって言うだろう。
僕はこんなもやもやした気持ちのまま、氷の森に戻らなきゃならないのかな。それは何だか、ピノにも悪いような気がした。
「ずいぶん無口ですね」
僕ははっとして後ろを振り返った。
ホクトくんが、僕に寄り添うように着いてきていた。
「ごめん」
「別に……謝ることではないですけど」
黙って二人で雪道を歩く。
そのときふと、静かな朝の光景が思い出された。
混乱する僕の後ろを、こんなふうに、黙ってバケツを持ってついてきたジュンのことが思い浮かんだ。
「ホクトくんて、なんだかジュンにそっくりだ」
「ジュン?」
「僕の友達だよ。お世話好き……っていうか……とにかく、とってもとっても優しい人なんだ」
僕はホクトくんに微笑みかけた。
絶対に意味不明のはずなのに、ホクトくんはしばし黙って、そうですか、と微笑んだ。
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