141 / 180
第二十一章 妖精の家
7 火打石と小箱(妖精視点)下※
しおりを挟む
7 火打石と小箱(妖精視点)下※
月は出ているとはいえ、まだ辺りは薄明るく、空には紫と茜のグラデーションが広がっていた。人間たちの言う黄昏時。
昼と夜のあわいの光のせいか、切り株に腰掛けるアリオトの仕草は、なんだかいつもより大人っぽく見えた。
「ここなら気付かれない」
アリオトは俺の身体をそっと持ち上げて、自分の膝の上に置いた。バラ色の指先で、俺のアゴの下や背筋を柔らかくなでてくれる。
「せっかくの二人きりだよ、ピノ。少しの間だけ、変身を解いてくれない?」
俺の心臓は急にどきどきしはじめた。そんな事を言われるとは思いもしなかったので、頭がぽーっとなった。
俺は変身を解くと、至近距離でアリオトの顔を見つめた。アリオトは嬉しそうに俺に身をすり寄せた。肩と腿がぴったりとくっついて、温かい。
「お、オト?」
「ピノ……」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。アリオトの顔が近付いてきたと思う間に、俺のくちびるが柔らかいものに包まれて濡れた。
「ん……」
俺はアリオトを抱きしめて、角度を変えながら何度もキスをした。アリオトの方からキスをされたのは初めてだった。初めてからめた舌はとろけるように甘かった。
「ピノ……」
はあはあと息を切らしながら、アリオトは俺の名前を呼んだ。
「ん、なあに?」
「ピノは僕とプリッツ、どっちが好きなの?」
「へ?!」
「僕は領主様もジュンも捨てて君を選んだんだよ。それなのに君は……。さっきだって、何度もプリッツとキスしてた」
俺は唖然として返す言葉もなかった。
「も、もしかして、妬いてる?」
アリオトはぱっと長いまつ毛を伏せて、恥ずかしそうに目を逸らした。
「そんなんじゃ、ないけどさ……」
薄暮の空が、アリオトの表情を曖昧に翳らせていた。冷たい指先が俺の手に触れる。キスで濡れた唇を尖らせて、拗ねたように俯いている。
待って待って? あのアリオトが、俺に妬いてる?!
「僕の方が好きって言ってくれたら……」
アリオトは俯いたまま、指を俺の手から腕、首筋へと這い登らせて、ついに耳たぶにそっと触れた。
「ここ、舐めてあげる」
「あっ……」
アリオトのささやき声がかすめただけで、俺の耳は燃えるように熱く尖ってしまった。
「な、舐めて……」
「まだだめ。質問に答えたら、だよ」
「オトの方が好き! ほら、これでいい?」
アリオトはちろ、と俺の耳を舐めた。俺は身体中ゾクゾクしながらアリオトの背中に腕を回した。
「でも、やっぱりだめ」
アリオトはくちびるを耳から少し離すと、俺の耳元でつぶやいた。
「証明して」
「しょう……めい?」
「言葉だけならなんだって言えるもの。本当に僕が一番だって証明してくれなくっちゃ……」
ポーッとしたままアリオトの言葉の意味を考えてみたが、何も思いつかなかった。
「たとえば、誰も知らないピノの秘密を僕にだけ教えてくれたら、信じてもいいよ」
俺はアリオトの綺麗な顔をぼんやりと見つめた。彼の青い瞳、金色の髪、薔薇色の頬、赤いくちびる。俺はそれを見るだけで心が躍り、身体に風が巡るような気持ちになる。
だが夕闇の中で見ると、それはただの記憶の色彩のように感じる。目の前にあるのは、翳った誘惑の眼差しだけ。俺のアリオトは、こんな目をしただろうか。
「僕がこんなヤキモチ焼きだなんて、幻滅した?」
アリオトは上目遣いに俺を見て言った。俺はまた腹の底からきゅうっと締め付けられるような悦びを感じる。
それは、長年生きている間にとうに忘れかけていた類いの刺激。激しい欲望だった。
「幻滅なんかしないよ」
俺はアリオトの髪を撫でた。
「俺の秘密が知りたいの?」
「うん。例えば……ピノの魔法の弱点とか」
「弱点?」
「うん。僕を信頼してなきゃ絶対に言えないはずだから」
アリオトは俺の手を握って、目を伏せた。
「酷いこと頼んでるって分かってる。でも……僕、不安なんだ。全部を捨てて君のものになって、本当にいいのかなって。君が僕を嫌いになったらどうしよう。君に捨てられたら、僕はどうしたらいいんだろう」
アリオトのまつ毛がまたたくと、一番星のような涙がひとしずく光って頬を転がり落ちた。
「分かった、言うよ」
俺はアリオトの耳元で、妖精の弱点を告白した。
「妖精は鉄には弱い」
「鉄?」
「マーサのやつが俺を閉じ込めただろ。あれ、鉄のカゴだったからなかなか出られなかったんだ」
それから牢屋のドアノブも鉄だった。だから一旦お菓子に変えたんだ。
「鉄に触れると俺の魔力は弱くなる」
「そう、なんだね」
アリオトは満面の笑顔で俺に抱きついてきた。
「じゃあ、そうだな……火打石がいいかな」
は?
「さあ、命令だよ! ピノ!」
何が起きているのか分からなかった。名前を呼ばれた途端、俺の身体が金縛りをかけられたかのように硬くなる。
「ピノ、今すぐ火打石に姿を変えろ」
アリオトは俺の名前を呼び、そして火打石になるように命じた。
「オト……!?」
アリオトが、そんな事を俺に命じるはずはなかった。
俺の名前を呼んで無理やり望まぬ姿に変えようなんて、そんなことをするはずがなかった。
口調も違う、声も違う、目つきも、仕草もまるで違う。
「お前は誰だ?!」
俺は叫んだが、何も音は出ない。身体はすでに冷たい火打石になっていた。
天使のような微笑みを浮かべながら、アリオトは俺を拾い上げた。
そして、ゆっくりとザクロの方へと歩き出した。
ザクロは依然として地に突っ伏していた。アリオトはザクロの背後に近寄ると、右の脚をゆらりと持ち上げ、その大きな身体を蹴った。
ザクロは声もなく雪の上に仰向けに倒れた。ザクロは祈っていたのではない、とうに気絶していたのだ。
アリオトは倒れたザクロの胸元に手を突っ込んだ。そこから小さな小箱を取り出すと、蓋を開け、中に入っていた古い火打石を捨てた。
空になった小箱は、今度は静かに俺の身体を飲み込んでいった。
火打石の小箱は鉄でできていた。
俺の意識は混沌として、やがて薄れていった。
月は出ているとはいえ、まだ辺りは薄明るく、空には紫と茜のグラデーションが広がっていた。人間たちの言う黄昏時。
昼と夜のあわいの光のせいか、切り株に腰掛けるアリオトの仕草は、なんだかいつもより大人っぽく見えた。
「ここなら気付かれない」
アリオトは俺の身体をそっと持ち上げて、自分の膝の上に置いた。バラ色の指先で、俺のアゴの下や背筋を柔らかくなでてくれる。
「せっかくの二人きりだよ、ピノ。少しの間だけ、変身を解いてくれない?」
俺の心臓は急にどきどきしはじめた。そんな事を言われるとは思いもしなかったので、頭がぽーっとなった。
俺は変身を解くと、至近距離でアリオトの顔を見つめた。アリオトは嬉しそうに俺に身をすり寄せた。肩と腿がぴったりとくっついて、温かい。
「お、オト?」
「ピノ……」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。アリオトの顔が近付いてきたと思う間に、俺のくちびるが柔らかいものに包まれて濡れた。
「ん……」
俺はアリオトを抱きしめて、角度を変えながら何度もキスをした。アリオトの方からキスをされたのは初めてだった。初めてからめた舌はとろけるように甘かった。
「ピノ……」
はあはあと息を切らしながら、アリオトは俺の名前を呼んだ。
「ん、なあに?」
「ピノは僕とプリッツ、どっちが好きなの?」
「へ?!」
「僕は領主様もジュンも捨てて君を選んだんだよ。それなのに君は……。さっきだって、何度もプリッツとキスしてた」
俺は唖然として返す言葉もなかった。
「も、もしかして、妬いてる?」
アリオトはぱっと長いまつ毛を伏せて、恥ずかしそうに目を逸らした。
「そんなんじゃ、ないけどさ……」
薄暮の空が、アリオトの表情を曖昧に翳らせていた。冷たい指先が俺の手に触れる。キスで濡れた唇を尖らせて、拗ねたように俯いている。
待って待って? あのアリオトが、俺に妬いてる?!
「僕の方が好きって言ってくれたら……」
アリオトは俯いたまま、指を俺の手から腕、首筋へと這い登らせて、ついに耳たぶにそっと触れた。
「ここ、舐めてあげる」
「あっ……」
アリオトのささやき声がかすめただけで、俺の耳は燃えるように熱く尖ってしまった。
「な、舐めて……」
「まだだめ。質問に答えたら、だよ」
「オトの方が好き! ほら、これでいい?」
アリオトはちろ、と俺の耳を舐めた。俺は身体中ゾクゾクしながらアリオトの背中に腕を回した。
「でも、やっぱりだめ」
アリオトはくちびるを耳から少し離すと、俺の耳元でつぶやいた。
「証明して」
「しょう……めい?」
「言葉だけならなんだって言えるもの。本当に僕が一番だって証明してくれなくっちゃ……」
ポーッとしたままアリオトの言葉の意味を考えてみたが、何も思いつかなかった。
「たとえば、誰も知らないピノの秘密を僕にだけ教えてくれたら、信じてもいいよ」
俺はアリオトの綺麗な顔をぼんやりと見つめた。彼の青い瞳、金色の髪、薔薇色の頬、赤いくちびる。俺はそれを見るだけで心が躍り、身体に風が巡るような気持ちになる。
だが夕闇の中で見ると、それはただの記憶の色彩のように感じる。目の前にあるのは、翳った誘惑の眼差しだけ。俺のアリオトは、こんな目をしただろうか。
「僕がこんなヤキモチ焼きだなんて、幻滅した?」
アリオトは上目遣いに俺を見て言った。俺はまた腹の底からきゅうっと締め付けられるような悦びを感じる。
それは、長年生きている間にとうに忘れかけていた類いの刺激。激しい欲望だった。
「幻滅なんかしないよ」
俺はアリオトの髪を撫でた。
「俺の秘密が知りたいの?」
「うん。例えば……ピノの魔法の弱点とか」
「弱点?」
「うん。僕を信頼してなきゃ絶対に言えないはずだから」
アリオトは俺の手を握って、目を伏せた。
「酷いこと頼んでるって分かってる。でも……僕、不安なんだ。全部を捨てて君のものになって、本当にいいのかなって。君が僕を嫌いになったらどうしよう。君に捨てられたら、僕はどうしたらいいんだろう」
アリオトのまつ毛がまたたくと、一番星のような涙がひとしずく光って頬を転がり落ちた。
「分かった、言うよ」
俺はアリオトの耳元で、妖精の弱点を告白した。
「妖精は鉄には弱い」
「鉄?」
「マーサのやつが俺を閉じ込めただろ。あれ、鉄のカゴだったからなかなか出られなかったんだ」
それから牢屋のドアノブも鉄だった。だから一旦お菓子に変えたんだ。
「鉄に触れると俺の魔力は弱くなる」
「そう、なんだね」
アリオトは満面の笑顔で俺に抱きついてきた。
「じゃあ、そうだな……火打石がいいかな」
は?
「さあ、命令だよ! ピノ!」
何が起きているのか分からなかった。名前を呼ばれた途端、俺の身体が金縛りをかけられたかのように硬くなる。
「ピノ、今すぐ火打石に姿を変えろ」
アリオトは俺の名前を呼び、そして火打石になるように命じた。
「オト……!?」
アリオトが、そんな事を俺に命じるはずはなかった。
俺の名前を呼んで無理やり望まぬ姿に変えようなんて、そんなことをするはずがなかった。
口調も違う、声も違う、目つきも、仕草もまるで違う。
「お前は誰だ?!」
俺は叫んだが、何も音は出ない。身体はすでに冷たい火打石になっていた。
天使のような微笑みを浮かべながら、アリオトは俺を拾い上げた。
そして、ゆっくりとザクロの方へと歩き出した。
ザクロは依然として地に突っ伏していた。アリオトはザクロの背後に近寄ると、右の脚をゆらりと持ち上げ、その大きな身体を蹴った。
ザクロは声もなく雪の上に仰向けに倒れた。ザクロは祈っていたのではない、とうに気絶していたのだ。
アリオトは倒れたザクロの胸元に手を突っ込んだ。そこから小さな小箱を取り出すと、蓋を開け、中に入っていた古い火打石を捨てた。
空になった小箱は、今度は静かに俺の身体を飲み込んでいった。
火打石の小箱は鉄でできていた。
俺の意識は混沌として、やがて薄れていった。
10
お気に入りに追加
45
あなたにおすすめの小説

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~
シキ
BL
全寮制学園モノBL。
倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。
倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……?
真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。
一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。
こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。
今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。
当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~
兎森りんこ
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。
そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。
そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。
あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。
自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。
エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。
お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!?
無自覚両片思いのほっこりBL。
前半~当て馬女の出現
後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話
予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。
サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。
アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。
完結保証!
このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。
※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる