氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

文字の大きさ
上 下
76 / 180
第十二章 深夜の王宮

6 多忙な一日 後編(メイド視点)

しおりを挟む
6 多忙な一日 後編(メイド視点)



「いけません……領主様っ……」

 開いたドアから、誰かが飛び出してくる。私はとっさに柱の陰に隠れた。ローザは呆然として、暗い廊下の奥を見つめたまま動かない。私は仕方なくローザの手を引いて柱の後ろに隠れさせた。

「何するのよ! 汚い手で触らないで!」
「しっ……」

 これもローザのためだと、口を塞いだ。ローザはあまりの無礼に目を白黒させている。これはもう、クビ確定かもしれない。

 柱の陰から奥の様子を伺う。何やら二人の貴公子が揉みあっているようだ。喧嘩か……? あちらもこちらも騒がしい宮廷だこと。私は半ば呆れながら二人の話し声に耳をすませた。

「こ、こんなこと……ダメです……領主様……」
「……よいではないか」

 どうやら領主様と、若い青年のようだ。

「ぼ、僕には心に決めた人が……」
「よいではないか、よいではないか」

 さっきから、領主様の口調が時代劇の悪代官みたいなのだが。

「ああっ……いけません……そんなところを触られては……」

 私は思わず身を乗り出した。二人の青年たちの影が重なり合っている。領主様が、青年を窓に押し付けているようだった。ローザがごくりと息を飲んだ。私たちは言い争いも忘れて領主様の行動を見守った。

 青い月明かりのなか、領主様はその美しい指で相手の青年の顎を持ち上げた。青年の整った鼻筋と頬が白く光る。

「トーマ?!」

 私とローザは驚いて同時に呟いた。ひしと抱き合ったまま成り行きを見守る。領主様の長いまつ毛が伏せられる。指先でトーマの唇をするりと撫でる。

「りょ、領主様……」

 トーマの力ないつぶやきは次第に消えていった。領主様の美しい顔がトーマの顔に近づいていく。そしてとうとう、静かに二人の唇が重なった。

 百戦錬磨のトーマも、あの領主様に言い寄られたらあんな子羊みたいになってしまうのか。そりゃそうだろう。私とローザの思いは今や一つだった。トーマ、そこを代われ。

「領主様……これ以上はどうか……」

 もったいなくも領主様のキスを遮って、トーマは首を振った。領主様の腕をするりと抜け出して、後ずさる。

「申し訳ありません領主様……しかし、私には心に決めた娘がいるのです……」

 そう言ってトーマは部屋に駆け出そうとした。まずい、こっちにくる。私は廊下の壁にさらに身を寄せた。しかし、そのトーマの手を領主様が掴む。

「待てトーマ、廊下に誰かいるようだ……」

 ばれた! ローザは震え上がっている。私は仕方なく柱の陰から姿を現した。

「申し訳ございません、領主様……」

 跪いて、立ち聞きしたことを詫びる。私であることに気付いたトーマが駆け寄ってきて、床に倒れた食器を銀盆に戻すのを手伝ってくれた。

 領主様も近寄ってきて、私の目の前に立たれた。

「大丈夫ですか?」
「あ、あの……はい……」

 すっと腰をかがめて私の顔を覗き込まれる。

 相手が領主様であるというオーラに当てられたのか、月明かりに照らされたお顔があまりにお美しいからか、いい匂いがするからか。とにかく、私は領主様の瞳に見つめられて、本当に眩暈がした。
 
「おや、美しいスパイがここにも……」

 領主様は、柱の陰のローザにも気が付いてしまわれた。

「君は昼間、母上の部屋にいた……ローザだね?」

 ローザは慌ててひざまずいた。領主様はローザの手を取って、いつも王妃が世話になっているとおっしゃった。ローザは顔を真っ赤にして頷いた。言語というものを忘れてしまったようだ。

「今見たことは誰にも言わないと約束してくれるかい」

 領主様の潤んだ上目遣いなど、一生のうちに目にできる女はそういないだろう。私とローザは無言で何度も頷いた。鼻血が出そうになるのを抑えるので必死だった。

 領主様の背後で、トーマがこれみよがしに頬を染めて衣服の乱れを治しているのにはちょっとイラッとした。こんなにお素敵な方が、なんでよりにもよってトーマなんかにご執心なのかわからない……。


***************


 領主様はローザを連れて廊下の奥へと戻られていった。部屋の前で、母上のご容体などを気にしてローザに話を聞いているようだ。いいなあ、領主様と二人っきりで密談している……。

「いこう、マリア」

 トーマは銀盆を片手で持つと、私の手を引いた。ローザに見つからないうちに早くという。ついフラフラと付いて行って、トーマの部屋に入ってしまった。

「待たせてごめんよ、マリア……」
「え……ああ……ふん……」

 いや、全然待ってないからとは流石の私も言い出せなかった。

「見てただろ? 領主様に言い寄られたら断れなくて……」
「見たわよ。何なの、あの羨ましすぎる状況は」

 トーマは領主様の孤独をお慰めするうちに、あのようなことになったのだと言った。トーマの話はどこまでが本当なんだか分からないが、お素敵な光景であったことに間違いはない。

「今日は眼福ばかりでついてるわ……」
「え、なんのこと?」

 私の脳裏には、バスローブ姿のオトをお姫様抱っこする近衛隊長の姿があった。だが、このことはオトとの約束があるからトーマのようなおしゃべり男には絶対に言うわけにいかなかった。

「なんでもない。はあ……領主様を至近距離で拝めるなんて、今夜はいい夢が見れそう。おやすみトーマ」
「えっ? 待って待って! もう帰るの?」

 万全の体制を整えておくと張り切っていただけあって、部屋は綺麗に片付いていたし、ベッドサイドにはワインと花束まであった。やる気満々すぎて笑ってしまった。

 私が本当に帰る気だと分かると、トーマはあれこれ手を使って引き留めようとしてきた。私は面白くなってきて、へえと話に乗っては、じゃあ帰るね……という茶番を何回か繰り返した。

「そうだ今日めっちゃ面白い新刊手に入れたんだよ? 読んでいかない?」
「へー貸して」

 ドアまで来ているのにまだ引き留めようとするトーマがなんだかいじらしくなってきた。トーマはおいでと手招きするが、私は首を振る。ドアの外で、トーマが本を持ってくるのを待った。トーマが持ってきたのは意外にも羊皮紙の束だった。

「完全新作の生原稿だよ」
「へえ……ってこれ、東の国の言葉じゃない」
「俺が訳してあげるから……おいで」

 東の国の言葉は得意じゃないけど、結構どぎつそうな内容なのはぱっと見でもわかるくらいだった。こんなものを夜中に耳元で翻訳されて、無事で帰れるはずがない。

「大丈夫、フアナに訳してもらうわ」

 そう言って私はトーマの部屋を辞した。


***************


 女中部屋に戻ると、大半はもう横になっていたが、まだ灯りも付いていたし、数人は寝る支度をして起きていた。私はフアナの隣に行き、トーマにもらった羊皮紙を手渡した。

「フアナのお母様は東の国の出身だったわよね? これ、訳せる?」
「なあに、手紙か何か?」
「BLの新作らしいの」

 フアナも私もこの手の本は好物なのだ。フアナは早速目を通すと、小さな声で訳してくれた。次第にギャラリーが増えてきた。気がつくと、部屋の大半のメイドたちが耳を傾けてキャアキャア言っていた。

「ねえそれ、明日貸して」
「私も、明日ゆっくり読ませて……」
「ああ、でも、借り物だから返さないと」

 メイドたちはええ~と残念そうな声をあげた。

「第一、東の国の言葉じゃ、あたしたちには読めないわね……」
「フアナが訳を読み上げてくれるから、それを誰かがメモしておくのはどう」
「誰か字の書ける人は?」

 大抵、字の綺麗なフアナが、流行りの本は筆写してくれるのだが、翻訳に加えて筆記まで頼むのは気の毒だろう。自然と一同の目が私に集まる。フアナの他に字がまともに書ける者といえば私くらいしか残っていなかった。

「やれやれ……」

 そう言うわけで、フアナが読み上げ、私が書き写し、みんなはキャアキャア騒いで、適当なところで寝落ちしていった。

 結局、女中部屋の灯りを最後に消すのは私の役目になるのだ。

 服を脱ぎ、フアナの隣に横たわる。ほんとに疲れた。瞼を閉じても、赤や緑の渦がなかなか消えない。

 昨夜コカブ夫人の屋敷で、豪華な天蓋付きのベッドに寝たのが、遠い遠い過去のように思えるのだった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~

シキ
BL
全寮制学園モノBL。 倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。 倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……? 真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。 一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。 こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。 今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。 当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~

兎森りんこ
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。 そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。 そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。 あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。 自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。 エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。 お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!? 無自覚両片思いのほっこりBL。 前半~当て馬女の出現 後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話 予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。 サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。 アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。 完結保証! このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。 ※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

弟、異世界転移する。

ツキコ
BL
兄依存の弟が突然異世界転移して可愛がられるお話。たぶん。 のんびり進行なゆるBL

処理中です...