氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第十一章 イチマルキウ

6 酒の池と星の湖※(領主視点)

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6 酒の池と星の湖※(領主視点)



 支配人はかなり時間が経ってから戻ってきた。薬の効き始めるのを見計らっていたのかもしれない。小生は腕組みをして寝たふりをしていた。遅いから本当に寝てしまうかと思った程だ。

 寝起きのとろんとした目を向けると、男は微笑んだ。まるで幼児をあやすように小生の肩を抱いて、これから目にすることは決して口外せぬよう繰り返し誓わせた。

 催眠の類だろうか。従順に頷いて見せるものの、悪いが内容によると心の中で舌を出す。

 次に男の手で、舞踏会で被るような奇妙な黒い仮面をつけられた。手を引かれて、廊下を進む。蝋燭に照らされた石造りの階段を降りる。

 重たい音を立てて扉が開く。中には煌びやかな酒場の風景が広がっていた。

 こんなに広い地下室があったとは驚きだ。真紅を基調とした内装に、豪華な東風の調度品が並び、天井と床には金とクリスタルの装飾が輝いている。

 ゆったりとしたソファとテーブルが点在していて、各席は光る蜘蛛の糸のような天蓋で覆われている。フロアでは青年たちが給仕に行き交い、天蓋の中では着飾った娘たちが、仮面を被った客にお酌をしている。

 和やかに酒と会話を楽しむ声がさざめいている。ごく平穏な酒場の光景であった。街の酔っぱらい達と比べれば、むしろここの客はマナーが良さそうに見える。

 支配人は小生の手をとり、テーブルの間を縫うようにしてフロアを抜けていく。小生は黙ってそれについていく。酒場については何の解説もなかった。おそらく、これが全てではないのだ。

 カウンター奥の従業員に支配人が目配せを送る。従業員は、前を向いたまま背後のカーテンをさっと開いた。支配人は小生の肩を抱いて、その陰に身を滑り込ませた。

 暗闇が辺りを包み込んだ。暗い階段をさらに降りていく。螺旋状に曲がりくねっている。

 どれほど降ったかを把握するのも難しくなってきた頃、支配人はたちどまった。腰のあたりでジャラリと金属の鎖がゆれ、鍵が回される音がする。

 次の瞬間、暗闇に慣れた瞳に光が差した。小生は目をしばたたいた。甘ったるい奇妙な香りが、鼻を撲つ。

「おいで」

 支配人が光の中に手を引く。まだ目が慣れない。一歩踏み出して、小生は息を呑んだ。草の茂る地面を踏んだ感覚がした。

 白鷺のような鳥が数羽、目の前を飛び去っていった。その羽音と生温かい草の匂い。

「美しいだろ?」

 そこは、森の中だった。古木が枝を差しかわす間をぬって、薄明るい月光が差し込む。漂う蛍、露できらめく苔、小鳥の鳴く声……木々のシルエットの向こうには、朝とも夜とも分かたぬ淡い紫紺の空が広がる。

「君の義母殿は、見た目も性格も難ありだが……大した芸術家だよ……」

 夢を見ているのだろうか。先ほど飛び去っていった鳥たちが遥か彼方の、薔薇色の雲に消えていく。ずっと地下にくだってきたはずなのに、こんな広大な空と森に出くわすはずはなかった。

「失われた技術の蒐集だけでは飽き足らず、こんな空間まで作り出してしまったのだから……」 

 支配人は小生の手を引いて、森の中に足を踏み入れた。支配人自身も、今は恍惚とした表情を浮かべている。

 これは、柘榴なる人物の作った空間であるらしかった。失われた技術……おそらく魔術の類を使って、あたかも森の中にいるような幻覚を引き起こしているのだ。

 先ほどから周囲を満たしている奇妙な甘ったるい匂い。あれも感覚に異常をきたす仕掛けなのかもしれない。本物の森の中に没入していくような気持ちだった。

「僕の、仕事というのは……」
「君はこの魔法の森で、妖精たちの王になるのさ」
 
 柳の木をかき分けて進むと、森の中心にでた。薄紫に輝く滝がしぶきをあげながら、月を宿した池に注ぎ込んでいた。虹色のシャボンがどこからともなく漂っている。

「池の水を飲んでごらん、柘榴酒だよ……」

 支配人は金の盃に池の水を汲んで、小生に差し出した。拒むこともできずあおったが、見えないようにこぼした。酔ったふりをして、あごにしたたる酒を拭いながら支配人に微笑みかけた。

 支配人は、じれたように自分でも盃をあおると、小生を草の上に押し倒した。

 酒と男の舌が口に入りこんでくる。やはり媚薬の類なのだろう、意識が朦朧としてくる。飲まされてしまってはたまらない。小生は男の手から盃を奪って口に含むと、男に口付けして全部飲ませてやった。

 この空間の不思議さにただただ圧倒されていた小生は、男に組み敷かれてやっと冷静さを取り戻した。体をまさぐられながらも辺りを見回すと、先ほどまで気が付かなかったものが目に付くようになった。

 木々の陰、岩場の陰に何かの白い姿が見え隠れしている。耳鳴りと眩暈で朦朧とする意識をなんとか集中させる。幻聴でなければ、子供の笑い声のようなものがあちこちにこだましている。

 草木の揺れる音がして、鳥たちが逃げていった。木々の間から、いくつかの人影が走り出してきた。彼らは本当に、妖精のようだった。儚く白い手足に、薄衣をまとって、歌い踊りながら、木立の中や池のほとりを駆け回っていた。

 その後ろから、仮面をつけた男たちが出てきて、彼らを追いかける。妖精たちは甲高い笑い声を上げながら、逃げ回る。

 池に落ちるもの、草場に押し倒されるもの、叫び声を上げながら男に担がれてどこかに消えるもの。そして静寂が訪れた……息荒く唸るような獣の声に、鳩の鳴くようなかぼそい声や、猫のような長い甘えた声が混ざる。

 ここがどんな魔窟であるか、どんなにおぞましい園であるか、もはや説明は要らなかった。

 小生は支配人の耳にキスしながら、彼の脚に自分の脚を絡めて力を込めた。かくっという音とともに、男の絶叫が響いた。足の関節を外しただけなのに大袈裟な男だ。

 あたりはもはや無法地帯だった。泣き叫ぶ支配人を助けようとするものなど誰もいなかった。腰のベルトから鍵を奪うと、小生は池に背を向けて、森を駆け出した。


***************


 馬に飛び乗って街を後にした。

 走り続けているうちに、酒に含まれていた薬の効果だろうか、血の気が引いて、気分が最悪になってきた。裏口の門番に門限破りを咎められたのもうっすらと記憶がある程度だ。なんと言い訳をしたのか全く覚えていない。

 馬の背に突っ伏して厩舎を目指すつもりが、気付けば、庭園の奥に入り込んでいた。無意識のうちにあずまやを目指していた。利口な馬はゆっくりと歩み、静かな湖のほとりまで、酩酊した乗り手を運んでくれた。

 水面に屈み、手をひたした。清らかな湖面に、さざなみがたった。いつまでも俯いて、揺れる星くずを見ていた。

 今朝と同じような気持ちで星を見上げ、アリオトのことを思いたかった。でもそれは難しかった。湖面に映る自分が、仮面をつけた肥えた男たちの姿に重なった。オトを抱きたい。食べてしまいたい。そう願う小生と、彼らと、いったい、どこが違うというのだ。

「僕は一晩中、眠らないでここに立っていられる」

 アリオトへの想いを押し殺したまま、小生は年老いていくのだ。一生、飢えて、満たされない思いを抱えて生きていて、どんな誘惑にも抗っていけるだろうか。彼らのように道を踏み外さない保証などあるだろうか。

 心の中だけで消えるべき欲望に、悪夢に、形を与える人がいた。それを金で売り買いするシステムが、足元に巣食っていた。

 領主としての不甲斐なさを噛み締めていた。だがこの激しい嫌悪感の正体は、自分自身に向けたものでもあるだろう。正義を振りかざして人の夢を打ち砕きに行くのは、自分の中にも巣食う醜い夢を否定したいがためでもあった。

 深夜の鐘が鳴った。

 冷たい水を掬って顔を洗った。最悪な気分が少しでも醒めることを祈りながら、小生はまた馬を引いて湖のほとりを去った。

 城の者たちが小生の姿が見えないと騒いでいるに違いない。

 虚空を仰ぐ。あれは本当の夜空だ。幻覚でも、飾りでもない。それを確かめるために、暗闇に浮かんでいる一つ一つの星の距離を想った。赤い星も青い星も、渇いて燃えて、ひどく孤独だ。

 自分があの静かな孤独の塊になれるとでも思っていたのか?

 夜通しここに立っていたかった。アリオトの顔が見たくて仕方なかった。それでも城に戻った。

 全てを捨てて孤独を見つめ続けられないことが、小生の人生のくだらなさを決定づけている。

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