氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第八章 貴賓館訪問

1 遠回り(領主視点)

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1 遠回り (領主視点)


 ジュンにはアリオトを待たせておくように頼んだ。僕が迎えに行く。束の間でもいいから、二人きりの時間が持ちたかったのだ。

 皇女のためにお連れするという名目で、今日はアリオトと一緒にいることができる。内心、嬉しくて仕方がない。皇女が何をする気か若干心配だが、アリオトが嫌がるようなことは絶対させないつもりだ。

 城代たちとのミーティング中も、この後のことで頭がいっぱいだった。

 僕らは男同士。もはや恋愛対象として見ているわけでも、花嫁候補として見ているわけでもない。ただの主従として、友人として、距離を縮めたいだけだ。少女としての第一印象を塗り替えられるくらい、少年であるアリオトの素の姿に触れたい。

 アリオトがジュンの親戚だったとは驚きだった。乳母からは親戚にそんな子供がいるなど聞いたこともなかった。遠い親戚らしいが、ジュンやトーマの家系ならあの美貌にも頷ける。

 とにかく、ジュンの小姓ということだから丁重に扱おう。自然な主従関係を育もう。彼が今後も小姓として王宮でやっていくというなら、それが一番な健全な道だろう。今日はその第一歩になる。自然に、健全に。今日はこれを心の標語として掲げよう。

 城代たちとのミーティングを終え、小生は会議の間を後にした。小生が何も口を挟まなければ、ミーティングはかくも速やかに終わるものなのか。

「よし、次は貴賓館訪問だな」
「はっ!」

 廊下を進む小生の後を、執事は息を切らしながらついてくる。

「お待ちください。そんなに急がれては……」
「もー、なんでそんなに遅いの。大丈夫か?」
「老人を少しはいたわってくださいませ」

 執事を待つため立ち止まって、ふと視界に入った中庭。こんなにも、世界が美しいなんて。憂い顔の天使の石像さえ、柔らかな早春の光に羽ばたいていきそうに見える。散歩日和だ。アリオトと庭を遠回りしながら貴賓館へ向かうつもりだった。少しでも早く迎えに行きたい。

「こっちの方が近いな」
「あ、お待ちください!そちらには今……!」

 西の棟に向かう廊下を曲がり、会議室の前を通りかかると、対面からぞろぞろと大臣や有力商人たちがやって来た。

「げっ?!」
「商工ギルドの会議は欠席の手配をしましたので、西の廊下はお通りにならないようにと申し上げたではございませんか」

 追いついてきた執事が、懐中時計を見る。ドタキャンした会議のメンバーと鉢合わせは流石に気まずい。引き返そうとする小生の袖を、執事は老人とは思えない強さでとらえて、すましている。

「あからさまに避けては、ますます覚えが悪くなります」
「ますます、ね……だがいちいち皆の機嫌を取る筋合いはないだろ」
「いいえ、上に立つ者の勤めにございます」

 堅苦しいしきたりだらけで、廊下も自由に歩けない。

「これはこれは領主様……!本日はご機嫌麗しく……!」

 大臣やその取り巻きたちから、いちいち慇懃な社交辞令を受けたせいで、時間をかなりロスしてしまった。

「……今、何時だろう」
「まだ時間にはかなり余裕がございます」
「急ごう」

 小生は廊下を小走りに駆け出した。

「領主様! 廊下を走るとは何事です!」

 執事は慌てて追いかけてくる。


*************


 支度を整え、厩舎に向かう。いいというのに執事がずっとついてくる。厩舎の前にはすでに小生の白馬と、栗毛の馬に鞍が置かれていた。

「この馬は?」
「侍従にお供させます」
「一人で良いと言っているだろう」
「そうは参りません。王子の身に何かあっては困ります。……おい、トーマはまだ来ておらんのか」
「うっわ、しかもなんでトーマ。彼は父上の侍従だろ?」
「王直々の差配でございます」

 厩舎長は、トーマは一度やって来たものの、またどこかにふらりと出ていってしまったと言う。執事は苦々しげにため息をつく。

「やれやれ、申し訳ありません」
「構わないさ。トーマが戻ったら、僕は先に行ったと伝えてくれ」

 小生はそそくさと馬にまたがりながら、執事と厩舎長に声をかける。

「貴賓館で待っているように言っておいて」

 執事の返事も聞かずに、小生は馬を走らせた。


**********************


 敷地内なのだから、徒歩でも良いくらいなのだ。数分もかからず、ジュンの館の前に着いた。見上げると、2階のバルコニーにアリオトの姿があった。

 小生は手を振った。頬杖をついていたアリオトは、小生に気付くとぱっと顔を輝かせ、窓の奥に駆け込んでいった。小生は馬を降りて、乱れた前髪と呼吸を整える。まもなく扉が開いて、アリオトが出てきた。扉の前で見送るメイドさんに手を振ってから、こちらに向かって駆けてくる。

 なんだろう。もう小生の頭がおかしい。心臓の打ち方が早くなると、人は時間感覚が狂うのだろうか。アリオトの動きが全て、スローモーションに見える。

「お待たせいたしました」

 そう言うなり、アリオトは小生の馬の轡をとった。目を合わせてくれない。まるで小生ではなく、馬に挨拶したみたいに見える。小生はきょとんとしてアリオトの横顔を見つめた。

「どうぞ……お乗りください」

 アリオトは俯いたまま馬の口をとらえている。どうやら、小生が乗る馬を引いていくつもりらしい。

 考えてみれば、それは当然の振る舞いだった。確かに小姓の役目はそうしたものだ。だが、小生はアリオトを一緒に馬に乗せていくつもりだった。無意識にまだ、アリオトを女の子扱いしていたのかもしれない。

「いや……一緒に乗ろうと思ってたんだけど」
「えっ?」
「嫌かな?」

 僕が尋ねると、アリオトはようやく僕を見てくれた。

「いえ、その、どうすれば良いのか、よくわかっていなくて……」

 可愛い。頭の中がその一言で埋め尽くされる。なんて初々しいんだろう。宮廷のマナーを学びに来ているのだから、本当なら歩かせるべきなのだけど。

「一緒に乗って」

 何も知らないアリオトは素直にうなずいてくれた。誰もいないのを良いことに、小生はアリオトを抱え上げて馬に乗せてやった。自分もその後ろから馬にまたがり、アリオトの体を抱きよせる。懐かしいスズランの匂い。

「ここにつかまって」

 手綱を握らせ、その上から自分の手を重ねる。断じてセクハラではない。アリオトが馬から落ちたら大変だからだ。

「大丈夫?」

 耳元にささやくと、アリオトは小さく頷いた。小生は手綱をとり、貴賓館とは真逆の方向に馬の鼻を向ける。ゆっくりと馬を歩かせていると、アリオトはようやく辺りの様子を見回して、小生の顔を不思議そうに振り返った。

「どちらに向かわれるのですか?」
「少し遠回りしましょう。まだ約束の時間には早いから」

 アリオトは少し困惑したようだったが、小生と目が合うと、微かにほほえんだ。鼓動が早くなったことに気付かれないよう、小生は馬の脚を早めた。風をきり、上下にはずみながら、裏庭に向かう。初めて出会った日に、一緒に夜風に当たったバルコニーや、噴水をめぐり、柳の湖に面したあずまやに向かう。

「あずまやに行くのですか?」

 アリオトが振り返った。至近距離で見るアリオトの顔と可愛い声にうっとりしながら小生は答えた。

「そうだよ。あそこなら、誰も来ないから……」

 そう言ってから、ハッとする。誰も来ないから、なんだと言うのか。下心があるように取られはしなかっただろうか。

「別に、人目を避ける必要もないのだけど……その、落ち着くからって言う意味で……」

 時間を潰すのによく使うのだとか、なんとか、いらない言い訳を随分としているうちに湖に着いた。馬を降りて、あずまやに入った。隣に座るように促したつもりなのだが、アリオトは向かいのベンチに座った。言葉もなく、二人で湖を眺める。

「良い場所だね……じゃない、良い場所ですね」
「敬語はやめてよ」

 小生は笑ってしまった。昨日までは平気でタメ口だったのに、今日は何故か敬語で、妙によそよそしいのが気になっていた。

「今までと同じで良いんだよ」
「でも、皇女様の前でタメ口が出ちゃったらまずいでしょう?」

 これから皇女様に会うと言うことで、緊張しているらしい。無理もなかった。

「今日は、突然引っ張り出してすまなかったね……皇女様が貴方にぜひ会ってみたいと言うものだから」
「何か理由がおありなんでしょうか?」

 なぜなら彼女が無類の美童好きだから。などと、面と向かって言えるはずもなく。

「それはその……子供好きでいらっしゃるらしくて……」
「子供?!」

 アリオトはびっくりしたように目を大きく見開いた。小生が言葉に詰まっていると、彼はその可愛い唇を尖らせた。

「子供がいたら、お二人のお邪魔なのではないですか?」

 アリオトは腕組みして、少し怒ったように言う。

「えっ、いや、そんなことないよ……」

 小生は思わず腰を上げて、アリオトの隣に移動した。アリオトは反対に、湖の方を向いてしまった。子供と言われたことに対して怒っているのか。それだけではないような気がした。アリオトが、小生と皇女の間にヤキモチを焼いてくれているように感じてしまう小生は、やはりどこか倒錯しているのだろうか。

「ごめん。皇女様がご所望なのは事実だけど、君を連れ出したのはそれだけが理由じゃないよ」

 アリオトの髪にそっと触れた。アリオトはぴくっと震えて、目を伏せた。指の先で耳にふれ、あごのラインをなぞり、こちらに顔を向けさせる。自然に、健全に。小生は自分に言い聞かせて手を離した。だが、潤んだ瞳で見つめられれば、そんな標語は頭から消えてしまう。

「僕が君に会いたかったんだ」

 気付けば、本音を口にしていた。






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