氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第六章 娘の捜索

1 時の止まった館(領主視点)

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1 時の止まった館 (領主視点)

 
 結論から言うと、午後の会議はすべてパスできた。

「トーマ、頼みがある」

 叙勲式の後、王に従って戻ろうとするトーマに声をかけた。人目につかない場所まで来ると、小生はトーマに耳打ちした。

「午後の会議は欠席したいんだ」
「それは私も同じこと」

 トーマは真顔でまぜっ返してくる。若年の我々にとって、年功序列の貴族会議ほど不毛なものはないのだ。

「領主は恋の病で伏せっていると、父上に言っておいてくれないか」
「……王様に嘘をつけと?」
「いや事実だ」
「どこがですか。未明から働きまくっていたと聞きましたよ」
「本当に耳が早いな。違うんだよ、眠れなかったから仕方なく働いてただけで……」

 小生は恋する辛さをあれこれ言い募ってトーマの同情を引く。

「しかしなあ、さすがにそんな理由で領主が会議をすっぽかすなんて良いんですかねえ」

 トーマには王に言い繕うことなど朝飯前のはずなのだが、わざとらしく腕組みをして渋ってみせる。ジュンと違って無条件で人の頼みを聞くということがまずないのだ。

「良いわけないのは百も承知さ。執事やジュンなんかは絶対反対するだろうし。だからお前に頼んでるんだよ。失恋の辛さを分かってくれるのはお前だけだ」

 我ながら人につけ込む悪い領主である。

「……しょうがないなあ。一つ貸しですよ」


**********


 こうして小生は今、会議をすっぽかして王宮を抜け出し、馬を走らせているのだった。

 早春の風を切って単騎、郊外へと駆け抜ける。胸にはある思惑があった。

 今朝の曇った表情から察するに、ジュンはアリスさんと小生との板挟みになって悩んでいるのだ。ジュンのことだ、私利私欲から小生にアリスさんの消息を伏せているわけではないだろう。おそらくアリスさんの事情とやらを慮っているのだ。

 ジュンはアリスさんを裏切れない。ならば、ジュンの口から語られるのを待つのではなく、小生が自分の目でアリスさんの正体を確かめに行くしかない。

 恋なんていうものは、束の間の病のようなもの。何がなんでも成就させようなどと、小生は思わない。アリスさんが人妻だろうが、ニンフだろうが、事実は事実として受け入れる。事実を知ってこの病が癒えてくれるならそれで良い。

 自惚れでなければ、ジュンという男は、小生が傷つくことをこの世で一番恐れている。だが、小生はジュンが思うほどやわではない。どんな事実が待っていても傷ついたりはしない。とにかく知らないことには、前に進めないのだ。

 さて、小生が向かう先は、ジュンの夏の屋敷である。

 トーマの話では、ジュンは昨日の午後、アリスさんと思しき女性を連れて、どこからともなく馬で現れたという。また捜査報告によれば、舞踏会の後、アリスさんは黒馬に乗った騎士によって連れ去られたという。

 アリスさんは貴族の娘ではないことが分かっている。招待客のリストにはなかったし、貴族なら大抵は顔見知りのはずだ。それで王宮の者たちは、市井の女性や宿屋の女性を調べているようだが、一向に消息がつかめていない。

 こうなると、ジュンがどこかにアリスさんを匿っていると考えるのが自然だろう。

 ジュンがアリスさんを匿いそうな場所といえば、真っ先に浮かぶのが夏の屋敷なのだった。ダメもとで、訪ねてみることにした。

 何も見つからなかったとしても、あの木立に囲まれた屋敷までの遠乗りは、いい気晴らしになりそうだった。道は涼しい高原に続く。


**********


 勝手知ったる夏の屋敷。馬を降りて中を覗く。ひっそりとして、人の気配はない。小鳥のなく声と、木立のざわめき、遣水の音だけ。

 蔦の絡んだ門を開け、馬の手綱を引いて中へ入る。乳母とジュンとともに、小生も夏場はそこでのんびりと過ごしたものだった。

 冬の間は誰も寄りつかない。夏の豊かな緑の中で見るときと違い、今はこの館の周りだけ、時が止まっているかのようだ。

 裏庭の水場に馬を繋いでいると、どこかから澄んだ歌声がした。教会の聖歌隊のような、ボーイソプラノ。異国の言葉なのも相まって、この世のものとは思えない。水辺を離れ、辺りを見回した。

 歌声は、屋敷の中から微かに響いてくるようだった。

 ふらふらと引き寄せられるように、裏庭に面したバルコニーの扉を開ける。鍵はかかっていなかった。

 一階の寝室に入る。人のいた形跡に、鳥肌が立つ。冬の間かけてあるはずの布覆いが取り払われ、家具は全て顕になっているのだ。まさかとは思ったが本当に、ジュンは最近この部屋を使ったのだ。

 今この部屋には誰もいない。廊下に続くドアを開けた瞬間、漂い続けていた歌声がはっきりとした音量に変わる。異国の言葉が、僕の頭の中で、急にくっきりと意味を持って浮かび上がった。


 君のいない世界は
 まるで氷の森


 天使の歌声はそう、繰り返していた。

 心臓が激しく高鳴り、呼吸ができなくなる。自分の足音も聞こえないほど鼓動が煩い。それでも、体が勝手に走り出す。迷わず書庫に向かっていた。

 ドアノブを引く手が震える。

 歌声は止んでいた。天井までの壁一面を埋め尽くす本棚。部屋の中央にはテーブルに、地球儀、天体観測用の望遠鏡。秘密基地のようにしてジュンと入り浸った部屋に、僕は数年ぶりに足を踏み入れる。

 奥の本棚には梯子が架けられ、その中段ほどに、少年がいるのに気がついた。驚いたものの、先ほどの歌声は、彼のものに違いなかった。

 全てが、言葉にならないうちから静かに腑に落ちていく。僕は音を立てないようにゆっくりと歩をすすめ、その少年の後ろ姿を見上げた。

 梯子の上の少年は、白い指で本の背表紙を辿っていた。本をそっと抜き出して胸に抱える、その優しい物腰と端麗な横顔に目が吸い寄せられる。

 金色の前髪が額にこぼれかかる。切れ長の美しい目が、その前髪の陰からふとこちらを見た。目が合った瞬間、心臓に火が灯る。身体が溶けていく。

 こちらを見下ろす少年の瞳に射抜かれたようになって、僕は言葉もなく、立ち尽くしていた。



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