38 / 182
第六章 娘の捜索
1 時の止まった館(領主視点)
しおりを挟む
1 時の止まった館 (領主視点)
結論から言うと、午後の会議はすべてパスできた。
「トーマ、頼みがある」
叙勲式の後、王に従って戻ろうとするトーマに声をかけた。人目につかない場所まで来ると、小生はトーマに耳打ちした。
「午後の会議は欠席したいんだ」
「それは私も同じこと」
トーマは真顔でまぜっ返してくる。若年の我々にとって、年功序列の貴族会議ほど不毛なものはないのだ。
「領主は恋の病で伏せっていると、父上に言っておいてくれないか」
「……王様に嘘をつけと?」
「いや事実だ」
「どこがですか。未明から働きまくっていたと聞きましたよ」
「本当に耳が早いな。違うんだよ、眠れなかったから仕方なく働いてただけで……」
小生は恋する辛さをあれこれ言い募ってトーマの同情を引く。
「しかしなあ、さすがにそんな理由で領主が会議をすっぽかすなんて良いんですかねえ」
トーマには王に言い繕うことなど朝飯前のはずなのだが、わざとらしく腕組みをして渋ってみせる。ジュンと違って無条件で人の頼みを聞くということがまずないのだ。
「良いわけないのは百も承知さ。執事やジュンなんかは絶対反対するだろうし。だからお前に頼んでるんだよ。失恋の辛さを分かってくれるのはお前だけだ」
我ながら人につけ込む悪い領主である。
「……しょうがないなあ。一つ貸しですよ」
**********
こうして小生は今、会議をすっぽかして王宮を抜け出し、馬を走らせているのだった。
早春の風を切って単騎、郊外へと駆け抜ける。胸にはある思惑があった。
今朝の曇った表情から察するに、ジュンはアリスさんと小生との板挟みになって悩んでいるのだ。ジュンのことだ、私利私欲から小生にアリスさんの消息を伏せているわけではないだろう。おそらくアリスさんの事情とやらを慮っているのだ。
ジュンはアリスさんを裏切れない。ならば、ジュンの口から語られるのを待つのではなく、小生が自分の目でアリスさんの正体を確かめに行くしかない。
恋なんていうものは、束の間の病のようなもの。何がなんでも成就させようなどと、小生は思わない。アリスさんが人妻だろうが、ニンフだろうが、事実は事実として受け入れる。事実を知ってこの病が癒えてくれるならそれで良い。
自惚れでなければ、ジュンという男は、小生が傷つくことをこの世で一番恐れている。だが、小生はジュンが思うほどやわではない。どんな事実が待っていても傷ついたりはしない。とにかく知らないことには、前に進めないのだ。
さて、小生が向かう先は、ジュンの夏の屋敷である。
トーマの話では、ジュンは昨日の午後、アリスさんと思しき女性を連れて、どこからともなく馬で現れたという。また捜査報告によれば、舞踏会の後、アリスさんは黒馬に乗った騎士によって連れ去られたという。
アリスさんは貴族の娘ではないことが分かっている。招待客のリストにはなかったし、貴族なら大抵は顔見知りのはずだ。それで王宮の者たちは、市井の女性や宿屋の女性を調べているようだが、一向に消息がつかめていない。
こうなると、ジュンがどこかにアリスさんを匿っていると考えるのが自然だろう。
ジュンがアリスさんを匿いそうな場所といえば、真っ先に浮かぶのが夏の屋敷なのだった。ダメもとで、訪ねてみることにした。
何も見つからなかったとしても、あの木立に囲まれた屋敷までの遠乗りは、いい気晴らしになりそうだった。道は涼しい高原に続く。
**********
勝手知ったる夏の屋敷。馬を降りて中を覗く。ひっそりとして、人の気配はない。小鳥のなく声と、木立のざわめき、遣水の音だけ。
蔦の絡んだ門を開け、馬の手綱を引いて中へ入る。乳母とジュンとともに、小生も夏場はそこでのんびりと過ごしたものだった。
冬の間は誰も寄りつかない。夏の豊かな緑の中で見るときと違い、今はこの館の周りだけ、時が止まっているかのようだ。
裏庭の水場に馬を繋いでいると、どこかから澄んだ歌声がした。教会の聖歌隊のような、ボーイソプラノ。異国の言葉なのも相まって、この世のものとは思えない。水辺を離れ、辺りを見回した。
歌声は、屋敷の中から微かに響いてくるようだった。
ふらふらと引き寄せられるように、裏庭に面したバルコニーの扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
一階の寝室に入る。人のいた形跡に、鳥肌が立つ。冬の間かけてあるはずの布覆いが取り払われ、家具は全て顕になっているのだ。まさかとは思ったが本当に、ジュンは最近この部屋を使ったのだ。
今この部屋には誰もいない。廊下に続くドアを開けた瞬間、漂い続けていた歌声がはっきりとした音量に変わる。異国の言葉が、僕の頭の中で、急にくっきりと意味を持って浮かび上がった。
君のいない世界は
まるで氷の森
天使の歌声はそう、繰り返していた。
心臓が激しく高鳴り、呼吸ができなくなる。自分の足音も聞こえないほど鼓動が煩い。それでも、体が勝手に走り出す。迷わず書庫に向かっていた。
ドアノブを引く手が震える。
歌声は止んでいた。天井までの壁一面を埋め尽くす本棚。部屋の中央にはテーブルに、地球儀、天体観測用の望遠鏡。秘密基地のようにしてジュンと入り浸った部屋に、僕は数年ぶりに足を踏み入れる。
奥の本棚には梯子が架けられ、その中段ほどに、少年がいるのに気がついた。驚いたものの、先ほどの歌声は、彼のものに違いなかった。
全てが、言葉にならないうちから静かに腑に落ちていく。僕は音を立てないようにゆっくりと歩をすすめ、その少年の後ろ姿を見上げた。
梯子の上の少年は、白い指で本の背表紙を辿っていた。本をそっと抜き出して胸に抱える、その優しい物腰と端麗な横顔に目が吸い寄せられる。
金色の前髪が額にこぼれかかる。切れ長の美しい目が、その前髪の陰からふとこちらを見た。目が合った瞬間、心臓に火が灯る。身体が溶けていく。
こちらを見下ろす少年の瞳に射抜かれたようになって、僕は言葉もなく、立ち尽くしていた。
結論から言うと、午後の会議はすべてパスできた。
「トーマ、頼みがある」
叙勲式の後、王に従って戻ろうとするトーマに声をかけた。人目につかない場所まで来ると、小生はトーマに耳打ちした。
「午後の会議は欠席したいんだ」
「それは私も同じこと」
トーマは真顔でまぜっ返してくる。若年の我々にとって、年功序列の貴族会議ほど不毛なものはないのだ。
「領主は恋の病で伏せっていると、父上に言っておいてくれないか」
「……王様に嘘をつけと?」
「いや事実だ」
「どこがですか。未明から働きまくっていたと聞きましたよ」
「本当に耳が早いな。違うんだよ、眠れなかったから仕方なく働いてただけで……」
小生は恋する辛さをあれこれ言い募ってトーマの同情を引く。
「しかしなあ、さすがにそんな理由で領主が会議をすっぽかすなんて良いんですかねえ」
トーマには王に言い繕うことなど朝飯前のはずなのだが、わざとらしく腕組みをして渋ってみせる。ジュンと違って無条件で人の頼みを聞くということがまずないのだ。
「良いわけないのは百も承知さ。執事やジュンなんかは絶対反対するだろうし。だからお前に頼んでるんだよ。失恋の辛さを分かってくれるのはお前だけだ」
我ながら人につけ込む悪い領主である。
「……しょうがないなあ。一つ貸しですよ」
**********
こうして小生は今、会議をすっぽかして王宮を抜け出し、馬を走らせているのだった。
早春の風を切って単騎、郊外へと駆け抜ける。胸にはある思惑があった。
今朝の曇った表情から察するに、ジュンはアリスさんと小生との板挟みになって悩んでいるのだ。ジュンのことだ、私利私欲から小生にアリスさんの消息を伏せているわけではないだろう。おそらくアリスさんの事情とやらを慮っているのだ。
ジュンはアリスさんを裏切れない。ならば、ジュンの口から語られるのを待つのではなく、小生が自分の目でアリスさんの正体を確かめに行くしかない。
恋なんていうものは、束の間の病のようなもの。何がなんでも成就させようなどと、小生は思わない。アリスさんが人妻だろうが、ニンフだろうが、事実は事実として受け入れる。事実を知ってこの病が癒えてくれるならそれで良い。
自惚れでなければ、ジュンという男は、小生が傷つくことをこの世で一番恐れている。だが、小生はジュンが思うほどやわではない。どんな事実が待っていても傷ついたりはしない。とにかく知らないことには、前に進めないのだ。
さて、小生が向かう先は、ジュンの夏の屋敷である。
トーマの話では、ジュンは昨日の午後、アリスさんと思しき女性を連れて、どこからともなく馬で現れたという。また捜査報告によれば、舞踏会の後、アリスさんは黒馬に乗った騎士によって連れ去られたという。
アリスさんは貴族の娘ではないことが分かっている。招待客のリストにはなかったし、貴族なら大抵は顔見知りのはずだ。それで王宮の者たちは、市井の女性や宿屋の女性を調べているようだが、一向に消息がつかめていない。
こうなると、ジュンがどこかにアリスさんを匿っていると考えるのが自然だろう。
ジュンがアリスさんを匿いそうな場所といえば、真っ先に浮かぶのが夏の屋敷なのだった。ダメもとで、訪ねてみることにした。
何も見つからなかったとしても、あの木立に囲まれた屋敷までの遠乗りは、いい気晴らしになりそうだった。道は涼しい高原に続く。
**********
勝手知ったる夏の屋敷。馬を降りて中を覗く。ひっそりとして、人の気配はない。小鳥のなく声と、木立のざわめき、遣水の音だけ。
蔦の絡んだ門を開け、馬の手綱を引いて中へ入る。乳母とジュンとともに、小生も夏場はそこでのんびりと過ごしたものだった。
冬の間は誰も寄りつかない。夏の豊かな緑の中で見るときと違い、今はこの館の周りだけ、時が止まっているかのようだ。
裏庭の水場に馬を繋いでいると、どこかから澄んだ歌声がした。教会の聖歌隊のような、ボーイソプラノ。異国の言葉なのも相まって、この世のものとは思えない。水辺を離れ、辺りを見回した。
歌声は、屋敷の中から微かに響いてくるようだった。
ふらふらと引き寄せられるように、裏庭に面したバルコニーの扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
一階の寝室に入る。人のいた形跡に、鳥肌が立つ。冬の間かけてあるはずの布覆いが取り払われ、家具は全て顕になっているのだ。まさかとは思ったが本当に、ジュンは最近この部屋を使ったのだ。
今この部屋には誰もいない。廊下に続くドアを開けた瞬間、漂い続けていた歌声がはっきりとした音量に変わる。異国の言葉が、僕の頭の中で、急にくっきりと意味を持って浮かび上がった。
君のいない世界は
まるで氷の森
天使の歌声はそう、繰り返していた。
心臓が激しく高鳴り、呼吸ができなくなる。自分の足音も聞こえないほど鼓動が煩い。それでも、体が勝手に走り出す。迷わず書庫に向かっていた。
ドアノブを引く手が震える。
歌声は止んでいた。天井までの壁一面を埋め尽くす本棚。部屋の中央にはテーブルに、地球儀、天体観測用の望遠鏡。秘密基地のようにしてジュンと入り浸った部屋に、僕は数年ぶりに足を踏み入れる。
奥の本棚には梯子が架けられ、その中段ほどに、少年がいるのに気がついた。驚いたものの、先ほどの歌声は、彼のものに違いなかった。
全てが、言葉にならないうちから静かに腑に落ちていく。僕は音を立てないようにゆっくりと歩をすすめ、その少年の後ろ姿を見上げた。
梯子の上の少年は、白い指で本の背表紙を辿っていた。本をそっと抜き出して胸に抱える、その優しい物腰と端麗な横顔に目が吸い寄せられる。
金色の前髪が額にこぼれかかる。切れ長の美しい目が、その前髪の陰からふとこちらを見た。目が合った瞬間、心臓に火が灯る。身体が溶けていく。
こちらを見下ろす少年の瞳に射抜かれたようになって、僕は言葉もなく、立ち尽くしていた。
13
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
腐男子♥異世界転生
よしの こひな
BL
ある日、腐男子で新卒サラリーマン・伊丹トキヤの自室にトラックが突っ込む。
目覚めたトキヤがそこで目にしたのは、彼が長年追い続けていたBL小説の世界――。しかも、なんとトキヤは彼が最推しするスパダリ攻め『黒の騎士』ことアルチュール・ド・シルエットの文武のライバルであり、恋のライバルでもあるサブキャラの「当て馬」セレスタン・ギレヌ・コルベールに転生してしまっていた。
トキヤは、「すぐそばで推しの2人を愛でられる!」と思っていたのに、次々と原作とは異なる展開が……。 ※なろうさん、Caitaさん、PIXIVさんでも掲載しています。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
龍の寵愛を受けし者達
樹木緑
BL
サンクホルム国の王子のジェイドは、
父王の護衛騎士であるダリルに憧れていたけど、
ある日偶然に自分の護衛にと推す父王に反する声を聞いてしまう。
それ以来ずっと嫌われていると思っていた王子だったが少しずつ打ち解けて
いつかはそれが愛に変わっていることに気付いた。
それと同時に何故父王が最強の自身の護衛を自分につけたのか理解す時が来る。
王家はある者に裏切りにより、
無惨にもその策に敗れてしまう。
剣が苦手でずっと魔法の研究をしていた王子は、
責めて騎士だけは助けようと、
刃にかかる寸前の所でとうの昔に失ったとされる
時戻しの術をかけるが…
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる