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第四章 舞踏会
3 最悪の伏兵(領主視点)
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3 最悪の伏兵 (領主視点)
母君の生誕祝いは、毎年盛大に催される。
一月以上も前から、街はお祝いムードににぎわい始める。小生や父君の生誕記念日は、店や仕事が休みになる程度のそっけない祝日なのだが。王妃の生誕だけは祭りが開かれ、派手に祝われる。考えてみれば謎めいた伝統ではある。だが伝統とは往々にして謎めいたものなのだ。
王侯貴族を招いての厳かな式典に続き、午後は国民と祝う華やかな舞踏会となる。
この午後の舞踏会。今年の裏コンセプトが、朴念仁のシブヤ領主兼皇太子…すなわち小生…のための花嫁ハントであることをつい昨日知った。……冗談じゃない。
ファンファーレがなり、大広間の扉が開く。
いるわいるわ。宝石箱のごとく、着飾った御嬢さん方でいっぱいの大広間。母上をエスコートして中央の玉座に向かう。腰をかがめた招待客たちが道を開ける。人々のまなざしが身体中に突き刺さる。玉座の前に登り、母上がゆっくりと会釈すると、一斉に皆が礼をする衣擦れの音。小生は一同を代表して母上の手を取り、ひざまずいて礼をする。
母上が席に着き、右手をあげたのを合図に、華やかなワルツが流れ始める。打ち合わせでは、皆に先立って、小生が花道の中から一人御嬢さんを選び、踊るはずであった。それが礼儀だというが、こっぱずかしいことこの上ない。
「さあ、ケイト」
「母上が最初ではないのですか。主役を差し置いて、おかしくはないですか」
「いいえ。私のための舞踏会だもの。最初のダンスは貴方よ」
にっこりとほほ笑む母上の顔に、泥は塗りたくない。午前の式典には大人しく出席した。……だが、舞踏会に関しては、ちょっと反抗してやらなくては気が済まない。
「最初のお相手は上手側三人目の白いドレスの方がよろしいかと。東の国の第二皇女様です」
執事が耳打ちする。小生は頷く。
「そうか。だが、ダンスの相手は自分で選ぶものだと聞いたが」
「も、もちろんでございます」
「皇女様が気に入ったのなら、そなたが踊って差し上げよ」
「そ、そういう意味ではございません。ただ、宮廷には暗黙の優先順位というものが……」
小生はにこやかに赤絨毯の階段を降りる。広間中の人々の視線が刺さる。会釈しながら、お嬢様方の居並ぶなかをゆっくりと歩く。そう、言われたとおり、ダンスのお相手を探してはみたのだ。
だが、ああ、残念。どなたも皆一様にお美しくて、この中からたった一人を選ぶなんて、無理でございました。お相手が選べないとなれば、しかたがないでしょう。小生は人々の間を通り抜けると、扉の前で一礼した。
「……今宵は存分にお愉しみください」
腕をふって促すと、人々は何の疑問もなくワルツを踊り始めた。
楽しげで、明るい人々の笑顔の花が咲き乱れる大広間の向こうに、ほんの数名の、戸惑った顔――父上、母上、側近たち――が見えた。花たちのワルツの渦が、小生を追いかけようとする彼らを押し流してくれる。ボーイに命じて、広間の大きな扉を閉めさせると、小生は廊下を走り出した。
*******
廊下をダッシュして、つきあたりの壁に掛かった巨大な絵画『カリストーとユピテル』を押しのける。現れた隠し扉を開け、らせん状の階段を駆けあがる。塔の小部屋へと続く細い階段である。懐に忍ばせていた鍵で中に入ると、小さな天窓の明かりだけを頼りに、古い衣装箱を探しだして開けた。使えそうなものは、果たして入っているだろうか。
そう、小生はこれから領主の衣装を脱ぎ捨てて、姿をくらますつもりである。招待客か城の者か、いずれにしろ目立たぬ者に変装して、再び広間に戻ろうと思う。夜通し、この愚昧なイベントをパスする手立てを考えていて、ひらめいた策だ。
この策のメリットは、退屈なホスト役をサボれることだけではない。上手くいけば、民衆や家臣たちのありのままの声を収集することもできるという点だ。領主という立場では、なかなか人々の本心が分からないのだ。
「えくしっ!」
しかし、ほこりっぽい衣装箱の中から出て来たのは、時代遅れのドレスやら、古い寝間着、子供服、端切れ……。まさかセーラーカラーの子供服を着ていくわけにもいかんし。これはまずいな。事前に仕込むか確認しに来るかしたかったのだが、家臣たちの目があって動けなかった。こういう時いつも頼りになるジュンが、今日は朝からいなかったのだ。
薄暗い物置部屋を探し回ること数分。かろうじて使えそうなものと言えば、メイドさんの服である。しばし腕組みをして考える。黒一色のロングスカートに白いエプロン。露出の少ないデザイン。これなら何とか、着られないこともない。
しかし女装はいかがなものか……。相当抵抗がある。確かに女装なら、正体を見破られる可能性はかなり低くなる。が、逆に、ばれた時の恥ずかしさは半端なく高くなる。うーん、メイド服。非常に、リスキーなアイテムだ。
だが、迷っている暇はない。じきにこの塔にも捜索の手が伸びるだろう。とりあえずはこれを着て、移動しながら、もう少しマシな変装道具を探してもいい。
「うっし。着てみるか……」
あー、バカだなー俺。ここまでして舞踏会をエスケープしたい自分にウケる。鏡をチェック。うん、悲しいかな、生来のなで肩とくりくりの目とが相まって、小生の女装はなかなか可愛いのである。
**********
廊下に出ると、案の定、城は静かなパニックに陥っていた。広間からは華やかなワルツと笑いさざめく声が聞こえてくる。が、足早にすれ違う家臣たちの表情は、よく見るとこわばっている。招待客たちに気取られぬように、消えた領主を捜しているのだろう。
だが、壁に寄って頭を下げているややごついメイドの正体には全く気が付いていないらしい。そんな彼らの様子に、申し訳ないけれど、小生の心は弾んでしまう。
「よっしゃ! ばれてないよー!」
下働きのメイドたちは、貴族が通れば、作業をやめて、壁にぴったり寄って道を開け、頭を下げなくてはならない。貴族たちは彼らに目を留めてもならないし、口を利くことはもちろん、会釈すらしてはならない。可哀相に、メイドたちはどんなに忙しくても貴族のために仕事の手を止め、呼吸さえ押さえて、気配を消すのである。日ごろは、この腹立たしいしきたりの廃止を訴えていた小生だが、今日ばかりは、この因習に感謝である。小生に注意を払う者など、誰もいない。透明人間になったみたいだ。
「メイド服恐るべし……。これかなり正解かも!」
鏡の間を抜けて、舞踏会の会場へ移動する。にぎやかに会話やダンスを楽しむ人々の姿を見ていると、こちらも自然に笑顔になる。領主として参加する舞踏会は、いつも苦痛でしかなく、死ぬほど退屈なのに。立場を変えて、一歩フレームをはみ出して眺めてみれば、この光景も幸せなものと映る。不思議な心境の変化である。
――いらっしゃったか?
――いえ。
――やれやれ。一体どこへ行かれたのやら……。
ふと、耳に入った会話に振り返る。やばい。執事だ。執事長の彼は、父上の身の回りの世話に加え、使用人たちの採用・教育のすべてを負っている。仕事柄、メイドの顔と名前も全部覚えているわけで。今一番会うわけにはいかない人物である。
目の端に、濃緑色のカーテンが映った。バルコニーに続く大きなガラス扉のカーテンだ。カーテンの脇には柱があって、身をひそめるのにはちょうどいい。僕はその影に、そっと体を滑り込ませた。
カーテンにすがりつくようにして、僕はほっと息をつく。執事長をまいたら、様子を見て庭に抜けよう。ここまではなかなかの上首尾。だが問題はその後だ。まともな服はどこで調達するかな……。
「あ、あの…?」
背後からの声に、ぎょっとして振り返る。カーテンの影には、先客がいた。
……こつ、こつ、こつ……
執事の足音がこちらへ向かって近づいてくる。うら若き娘さんにこんなに密着してしまって申し訳ないけど、今は外に出られない。いきなりメイド(しかも若干ごつめの)なんかが飛び込んできて、さぞやびっくりだろう。だが叫ばれたりしたら一貫の終わりだ。静かにしてもらわないと困る!
「しっ……!」
小生は女の子の口元をひとさし指でふさぎ、黙ってくれるよう目で懇願する。視線がぶつかった、その瞬間だった。
「……!」
息がとまった。
音のない花火が頭の奥ではじける。ぱっと目をそらしたけど、もう手遅れだ。心臓が爆音をたてている。なにこれ。体中の血液が、スパークリングワインに変わったかなにかしたみたいなんだが、いま巻き起こっているのは、奇跡系の現象でしょうか?? はたまた、ただの不整脈? 言葉という言葉が、定位置を離れて僕の頭の中を飛びかっている。
「ご、ごめんなさい」
かろうじて出てきた謝罪の言葉とともに身を離す。ひとさし指には、触れてしまった、唇の感触。
至近距離で息を殺して、僕はお嬢さんと向き合っている。つややかなまぶた、涼しい切れ長の目元、伏せられた長い睫毛、かたちの良いすっと通った鼻筋、優しげな頬、バラの蕾のような小さなくちびる。
目を逸らす。見るつもりはなくても、なぜか視界に入る。華奢な肩、すらっとした腕、柔らかな巻き毛とともに上下する胸元……僕は見すぎている。自分の頭に血が上っていくのがわかって、たまらず目を閉じた。彼女はいつからここにいたのだろう。カーテンの中には、スズランのような優しい香りが満ちている。
「……大丈夫?」
しっとりとした低めのささやき声。その子が喋っただけで、全身に震えが走る。無作法なメイドに怒りもせずに、優しく口を利いてくれる女の子。
「は、はい……」
声を作って返事しながら、激しい後悔の念に襲われる。なんで女装なんかしてんだよオレは! そっと目を開けると、心配そうに、僕の瞳をじっとのぞきこんでいた。
最悪だ。
話には聞いていた、最悪の伏兵に出会ってしまったらしい。こんな格好の、こんな状況の男をめがけて、空気も読まずに襲い掛かってこれる奴なんて、『恋』以外に考えられなかった。
足音が遠ざかり、執事は通り過ぎて行った。
けれど。『恋』の奴めは、全然通り過ぎてくれないのである。
母君の生誕祝いは、毎年盛大に催される。
一月以上も前から、街はお祝いムードににぎわい始める。小生や父君の生誕記念日は、店や仕事が休みになる程度のそっけない祝日なのだが。王妃の生誕だけは祭りが開かれ、派手に祝われる。考えてみれば謎めいた伝統ではある。だが伝統とは往々にして謎めいたものなのだ。
王侯貴族を招いての厳かな式典に続き、午後は国民と祝う華やかな舞踏会となる。
この午後の舞踏会。今年の裏コンセプトが、朴念仁のシブヤ領主兼皇太子…すなわち小生…のための花嫁ハントであることをつい昨日知った。……冗談じゃない。
ファンファーレがなり、大広間の扉が開く。
いるわいるわ。宝石箱のごとく、着飾った御嬢さん方でいっぱいの大広間。母上をエスコートして中央の玉座に向かう。腰をかがめた招待客たちが道を開ける。人々のまなざしが身体中に突き刺さる。玉座の前に登り、母上がゆっくりと会釈すると、一斉に皆が礼をする衣擦れの音。小生は一同を代表して母上の手を取り、ひざまずいて礼をする。
母上が席に着き、右手をあげたのを合図に、華やかなワルツが流れ始める。打ち合わせでは、皆に先立って、小生が花道の中から一人御嬢さんを選び、踊るはずであった。それが礼儀だというが、こっぱずかしいことこの上ない。
「さあ、ケイト」
「母上が最初ではないのですか。主役を差し置いて、おかしくはないですか」
「いいえ。私のための舞踏会だもの。最初のダンスは貴方よ」
にっこりとほほ笑む母上の顔に、泥は塗りたくない。午前の式典には大人しく出席した。……だが、舞踏会に関しては、ちょっと反抗してやらなくては気が済まない。
「最初のお相手は上手側三人目の白いドレスの方がよろしいかと。東の国の第二皇女様です」
執事が耳打ちする。小生は頷く。
「そうか。だが、ダンスの相手は自分で選ぶものだと聞いたが」
「も、もちろんでございます」
「皇女様が気に入ったのなら、そなたが踊って差し上げよ」
「そ、そういう意味ではございません。ただ、宮廷には暗黙の優先順位というものが……」
小生はにこやかに赤絨毯の階段を降りる。広間中の人々の視線が刺さる。会釈しながら、お嬢様方の居並ぶなかをゆっくりと歩く。そう、言われたとおり、ダンスのお相手を探してはみたのだ。
だが、ああ、残念。どなたも皆一様にお美しくて、この中からたった一人を選ぶなんて、無理でございました。お相手が選べないとなれば、しかたがないでしょう。小生は人々の間を通り抜けると、扉の前で一礼した。
「……今宵は存分にお愉しみください」
腕をふって促すと、人々は何の疑問もなくワルツを踊り始めた。
楽しげで、明るい人々の笑顔の花が咲き乱れる大広間の向こうに、ほんの数名の、戸惑った顔――父上、母上、側近たち――が見えた。花たちのワルツの渦が、小生を追いかけようとする彼らを押し流してくれる。ボーイに命じて、広間の大きな扉を閉めさせると、小生は廊下を走り出した。
*******
廊下をダッシュして、つきあたりの壁に掛かった巨大な絵画『カリストーとユピテル』を押しのける。現れた隠し扉を開け、らせん状の階段を駆けあがる。塔の小部屋へと続く細い階段である。懐に忍ばせていた鍵で中に入ると、小さな天窓の明かりだけを頼りに、古い衣装箱を探しだして開けた。使えそうなものは、果たして入っているだろうか。
そう、小生はこれから領主の衣装を脱ぎ捨てて、姿をくらますつもりである。招待客か城の者か、いずれにしろ目立たぬ者に変装して、再び広間に戻ろうと思う。夜通し、この愚昧なイベントをパスする手立てを考えていて、ひらめいた策だ。
この策のメリットは、退屈なホスト役をサボれることだけではない。上手くいけば、民衆や家臣たちのありのままの声を収集することもできるという点だ。領主という立場では、なかなか人々の本心が分からないのだ。
「えくしっ!」
しかし、ほこりっぽい衣装箱の中から出て来たのは、時代遅れのドレスやら、古い寝間着、子供服、端切れ……。まさかセーラーカラーの子供服を着ていくわけにもいかんし。これはまずいな。事前に仕込むか確認しに来るかしたかったのだが、家臣たちの目があって動けなかった。こういう時いつも頼りになるジュンが、今日は朝からいなかったのだ。
薄暗い物置部屋を探し回ること数分。かろうじて使えそうなものと言えば、メイドさんの服である。しばし腕組みをして考える。黒一色のロングスカートに白いエプロン。露出の少ないデザイン。これなら何とか、着られないこともない。
しかし女装はいかがなものか……。相当抵抗がある。確かに女装なら、正体を見破られる可能性はかなり低くなる。が、逆に、ばれた時の恥ずかしさは半端なく高くなる。うーん、メイド服。非常に、リスキーなアイテムだ。
だが、迷っている暇はない。じきにこの塔にも捜索の手が伸びるだろう。とりあえずはこれを着て、移動しながら、もう少しマシな変装道具を探してもいい。
「うっし。着てみるか……」
あー、バカだなー俺。ここまでして舞踏会をエスケープしたい自分にウケる。鏡をチェック。うん、悲しいかな、生来のなで肩とくりくりの目とが相まって、小生の女装はなかなか可愛いのである。
**********
廊下に出ると、案の定、城は静かなパニックに陥っていた。広間からは華やかなワルツと笑いさざめく声が聞こえてくる。が、足早にすれ違う家臣たちの表情は、よく見るとこわばっている。招待客たちに気取られぬように、消えた領主を捜しているのだろう。
だが、壁に寄って頭を下げているややごついメイドの正体には全く気が付いていないらしい。そんな彼らの様子に、申し訳ないけれど、小生の心は弾んでしまう。
「よっしゃ! ばれてないよー!」
下働きのメイドたちは、貴族が通れば、作業をやめて、壁にぴったり寄って道を開け、頭を下げなくてはならない。貴族たちは彼らに目を留めてもならないし、口を利くことはもちろん、会釈すらしてはならない。可哀相に、メイドたちはどんなに忙しくても貴族のために仕事の手を止め、呼吸さえ押さえて、気配を消すのである。日ごろは、この腹立たしいしきたりの廃止を訴えていた小生だが、今日ばかりは、この因習に感謝である。小生に注意を払う者など、誰もいない。透明人間になったみたいだ。
「メイド服恐るべし……。これかなり正解かも!」
鏡の間を抜けて、舞踏会の会場へ移動する。にぎやかに会話やダンスを楽しむ人々の姿を見ていると、こちらも自然に笑顔になる。領主として参加する舞踏会は、いつも苦痛でしかなく、死ぬほど退屈なのに。立場を変えて、一歩フレームをはみ出して眺めてみれば、この光景も幸せなものと映る。不思議な心境の変化である。
――いらっしゃったか?
――いえ。
――やれやれ。一体どこへ行かれたのやら……。
ふと、耳に入った会話に振り返る。やばい。執事だ。執事長の彼は、父上の身の回りの世話に加え、使用人たちの採用・教育のすべてを負っている。仕事柄、メイドの顔と名前も全部覚えているわけで。今一番会うわけにはいかない人物である。
目の端に、濃緑色のカーテンが映った。バルコニーに続く大きなガラス扉のカーテンだ。カーテンの脇には柱があって、身をひそめるのにはちょうどいい。僕はその影に、そっと体を滑り込ませた。
カーテンにすがりつくようにして、僕はほっと息をつく。執事長をまいたら、様子を見て庭に抜けよう。ここまではなかなかの上首尾。だが問題はその後だ。まともな服はどこで調達するかな……。
「あ、あの…?」
背後からの声に、ぎょっとして振り返る。カーテンの影には、先客がいた。
……こつ、こつ、こつ……
執事の足音がこちらへ向かって近づいてくる。うら若き娘さんにこんなに密着してしまって申し訳ないけど、今は外に出られない。いきなりメイド(しかも若干ごつめの)なんかが飛び込んできて、さぞやびっくりだろう。だが叫ばれたりしたら一貫の終わりだ。静かにしてもらわないと困る!
「しっ……!」
小生は女の子の口元をひとさし指でふさぎ、黙ってくれるよう目で懇願する。視線がぶつかった、その瞬間だった。
「……!」
息がとまった。
音のない花火が頭の奥ではじける。ぱっと目をそらしたけど、もう手遅れだ。心臓が爆音をたてている。なにこれ。体中の血液が、スパークリングワインに変わったかなにかしたみたいなんだが、いま巻き起こっているのは、奇跡系の現象でしょうか?? はたまた、ただの不整脈? 言葉という言葉が、定位置を離れて僕の頭の中を飛びかっている。
「ご、ごめんなさい」
かろうじて出てきた謝罪の言葉とともに身を離す。ひとさし指には、触れてしまった、唇の感触。
至近距離で息を殺して、僕はお嬢さんと向き合っている。つややかなまぶた、涼しい切れ長の目元、伏せられた長い睫毛、かたちの良いすっと通った鼻筋、優しげな頬、バラの蕾のような小さなくちびる。
目を逸らす。見るつもりはなくても、なぜか視界に入る。華奢な肩、すらっとした腕、柔らかな巻き毛とともに上下する胸元……僕は見すぎている。自分の頭に血が上っていくのがわかって、たまらず目を閉じた。彼女はいつからここにいたのだろう。カーテンの中には、スズランのような優しい香りが満ちている。
「……大丈夫?」
しっとりとした低めのささやき声。その子が喋っただけで、全身に震えが走る。無作法なメイドに怒りもせずに、優しく口を利いてくれる女の子。
「は、はい……」
声を作って返事しながら、激しい後悔の念に襲われる。なんで女装なんかしてんだよオレは! そっと目を開けると、心配そうに、僕の瞳をじっとのぞきこんでいた。
最悪だ。
話には聞いていた、最悪の伏兵に出会ってしまったらしい。こんな格好の、こんな状況の男をめがけて、空気も読まずに襲い掛かってこれる奴なんて、『恋』以外に考えられなかった。
足音が遠ざかり、執事は通り過ぎて行った。
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