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第二章 氷の森
1 氷の森(妖精視点)
しおりを挟む1 氷の森 (妖精視点)
「何だか森が騒がしいな」
窓から森を眺めていたピノがつぶやいた。言われてみれば、小鳥たちが何やら騒いでいる。
シマエナガが僕の肩にとまってきて、ひそひそ声で囁いた。
「ねえ、ピノ。僕たちの森に、どうやらお客が来たみたいだよ」
百羽の兎のそりに乗って、粉雪の舞う森を散策に出かけた。
お客さんは、すぐに見つかった。大きな樫の木の下に、ぱったり倒れている。
「うわ、ちょっと見てごらん、なんてかわいいんだろう」
長い睫、すべすべしたほっぺ、腰まで波打っている金の巻き毛。こんなに可愛い女の子、ついぞ見たことがない。僕は思わず見とれてしまった。用心深いピノは、なかなか近寄ろうとしない。
「プリッツ、気をつけろよ。それ、人間だろ? 生きてんのか?」
「気を失ってるよ」
僕がそっと抱え起こすと、女の子は小さく息をした。
「ばか! 何触ってんだよ!」
いつも冷静なピノがはじかれたように飛び退ったのを見て、僕は思わず吹き出してしまった。
「怖がりだなあ。どうしたのさ」
ピノと僕はもう何百年も二人でこの森に棲んでいて、旅人を道に迷わせては遊んでいた。そのピノが、いまさら人間を怖がるなんてちゃんちゃらおかしい。僕がそう言って笑うと、ピノはむきになって言い返してきた。ただし小声で。
「姿を見られたらまずいだろ! 隠れてからかうのとはわけが違う!」
そうね。人間の中には結構悪知恵の働くやつもいるから、極力こちらの姿は見せないのが、森の妖精たちの鉄則だ。
「でも見てごらんよ、こーんなに、可愛いんだよ? このままじゃこの子、凍え死んじゃうよ」
女の子は、この雪の中、薄手のドレス一枚だけ。靴も履いていなかった。ピノも少し同情したみたいで、僕が女の子をそりに乗せても、もう何も言わなかった。でも、僕が女の子を抱きかかえたまま、氷のように冷えた手を両手に包んで温めてやると、ピノは腕を組んで、ふんとそっぽを向いた。
「なに、ヤキモチ?」
「いっぺん、しね!」
手綱を持ったピノはすごい勢いでムチを振った。そりは、僕らを振り落さんばかりのスピードで走り出した。
**********
家について、ベッドに女の子を横たわらせた。
「……!」
ぶるぶるっと雪を払いながら傍にやってきたピノが、不意に息をのむ。
「ピノ?」
「か、か、か……」
「可愛いでしょ?」
ピノはこくん、とうなずいた。それみろ。ピノだって絶対気に入ると思った。
ピノは瞳をキラキラさせて女の子の枕元にひざまずくと、その顔を見つめたまま動かなくなった。さっきまであんなにこの子を連れ込むことに反対していたのに。
「なんでだろう。おれ、初めて会った気がしない……」
「え?」
「夢で見たのかな……。前から知っているような……」
「ひえぇっ!」
クサすぎるセリフに思わず悲鳴を上げてしまった。
「なに」
「ピノが恋に落ちた!」
「ちがうわ!」
「いやだなピノ~。そんなセリフ、こっちまで照れる~」
「だまれ!」
わー、ピノったら、真っ赤な顔をしちゃって。皮肉屋のピノがこんな風になるなんて、かわいすぎる。
「おとぎ話みたいに、キスしてみたら? 起きるかも」
「ばか! 気を失ってる子にそんなことしていいわけ……」
――ちゅっ!
「あ”!」
僕が女の子のほっぺにキスしたのを怒って、ピノは僕の首を絞めてぐらぐら揺らしてきた。
「ばれない、ばれない」
「おまえ、さいっあくだな!」
――ん……。
ふいに、女の子が身動きした。僕とピノはかたずをのんで女の子を見守る。女の子は、小さな唇から、かすかに息を吐いた。静かにまぶたが開いていく。
うるうると光る瞳に見つめられて、僕たちは一ミリも動けなくなってしまった。
「ここは…?」
女の子はゆっくりと身を起こした。
長い豊かな髪の毛が、金色の滝のように肩から胸、背中へと零れ落ちる。この子が動くたびに、スズランみたいな甘い香りがする……。
「け、結婚してください……」
ピノがおかしなことを口走った。
「……?」
女の子は、ほわーんと夢でも見てるみたいな顔で、ひざまづいたピノを見下ろしている。
「気が付いてそうそうごめん! 大丈夫、これはピノ。君に恋しちゃったみたい。僕はプリッツ。僕たち二人で、この森に住んでるの」
「え…あっ……」
ピノはもう女の子の手を取って、握りしめている。
「こら、ピノ!」
僕はひょいとピノの首根っこを摑まえて、女の子から引き離した。
「ごめん、大丈夫?」
女の子は困惑の表情。
「さいあくなのはどっち? ピノ」
「なんだよ! 俺は結婚を前提にしてるんだから問題ないだろ!」
「ちょ、ちょっとごめんね」
僕はピノを引っ張って部屋を出た。
「なにすんだよ」
「まあまあ、落ち着いて、ピノ……」
小柄なピノを、半ば無理やりハンモックに座らせる。ピノは細っこい脚をバタバタさせたが、僕はハイハイとあやすように揺らす。
しばらく揺らしてやっていると、ピノもしだいに落ち着いて来た。ひっくり返って全開になった白いおでこと、柴犬みたいな眉が可愛い。僕が微笑みかけると、いつもみたいに顔をしかめて腕組みをした。そして揺られている。
「ねえ、落ち着いた? もう一回様子見にいく?」
「いこう。今度は落ち着いていくぞ」
やれやれ。僕がハンモックから手を離すと、ピノは反動をつけて、えいと飛び降りた。
「でも俺、本当にあの子のこと知ってる気がする」
「まだ言ってんの?」
僕はあきれてしまう。
「ピノって論理派と見せかけて、実は思い込み激しいよねえ」
「違う違う、俺は正気だ」
ピノの背後で、暖炉の上に止まっているシマエナガが首を傾げる。僕は吹き出してしまった。ピノは振り向いて、シマエナガをにらみつけた。
「まてよ……」
ピノは険しい表情のまま、暖炉の方に駆け出した。
「おいおい、何してんのピノ! 大人気ないって!」
突進してくるピノに恐れをなしたシマエナガは、慌てて飛んで来て、僕の肩に止まった。ピノはと言えば、シマエナガにはお構いなしで、何やら暖炉の傍の道具箱を漁っている。
「あった!」
ガラクタをしまった箱の中から、小さな鏡を取り出した。氷面鏡だ。ニノが早口で呪文を唱えると、表面の霜がモヤモヤと溶けて、その奥から映像が浮かび上がる。
「ああ、やっぱり!」
ピノが得意げに叫ぶ。
「ほら見ろよ、森のほとりの屋敷で見たんだ」
僕は近寄って、ピノの差し出す鏡を覗き込む。氷面鏡の中には、森のほとりの屋敷と、水を飲む馬が映し出されている。
「これが何?」
「よく見ろよ」
ピノが馬を指さす。じっと見ていると、馬の手綱を引いている男の子が見えた。さっきは馬の陰になってて見えなかったのだ。
「馬の世話してる子? がどうしたの」
なんのことやらピンとこない。ピノは鏡の表面に息を吹きかける。吐息のかかったその少年の顔が、今度は大写しになる。
「あ、あの子だ」
「絶対そうだろ?」
金の巻き毛に、愁いを帯びた長い睫。鏡に映るあの子は、なぜか男の子の姿をしていたけれど、ほれぼれするくらいに綺麗であることに変わりはなかった。
「うわあ、ほんとだ」
「人間にしとくのはもったいないと思ってたんだ」
あんまり可愛かったから、この鏡に姿を焼き付けておいたらしい。
「人間はすぐに歳をとる……あの子もきっと。もったいないって、いつも思ってた」
ピノが息を吹きかけるたびに、次々にその子の映像が切り替わる。水汲みの様子、掃除の様子、うたた寝の様子……。
「だからって、どんだけ撮ってんの!」
さすがに突っ込まざるを得ない。
「森に来ることでもあったら捕まえてやろうってずっと思ってたんだ」
「え、ピノ。そんなの、おれ、聞いてなかったなー」
「お前に言ったら『ヤキモチ』やくだろ」
さっきのお返しとばかりに、にんまり笑う。ピノはこういう執念深いところが本当に可愛い。
「俺もお前も、あの子を気に入った。そうだな」
「うん」
「じゃあ、上手いこと名前を聞いて、あの子を俺たちの仲間にしよう」
「そうだね」
名前さえわかれば、『仲間にする』ことが―――つまり、人間の限りある命を奪ってしまい、美しい姿のまま、この森に永遠に閉じ込めることができるのだ。
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