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帰り道、たばこ屋の角
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心は揺れたけど、動き出しはしなかった。
懐かしむように、名残惜しむように、それでいてどこかせいせいしたように、ばたばたと足音がグラウンドに吸収されてゆく。
特徴のある、せわしない、でも決して本気で急いではいない、独特の足音。
わざわざ顔を向けなくても分かる、正ちゃんの足音だ。それでも私は、目を向けずに入られない。正ちゃんには、それだけの魅力と価値がある。
幼なじみの正ちゃんは、卒業式も女の子たちと追いかけっこ。私の方なんて見向きもしない。後輩の女の子たちにきゃあきゃあ言われながら、それでも楽しそうにじゃれあう正ちゃんは、昔からおんなじだった。幼稚園のときも、小学校のときも、中学校のときも、それから今も。
私には気付かずに、女の子たちからまんざらでもなさそうなくせに逃げている正ちゃんと、逃げていく正ちゃんを、まんざらでもなさそうなくせに怒る女の子たち。
――大山くんの女たらし!
――でもそこが好きよ!
わっと笑い声がわく。毎日のように繰り返されてきた光景だけど、私はいつも考えてしまう。
いいな。
正ちゃんとじゃれあえることじゃなく、素直に好きって言えるなんて。
私なんて何年言いそびれてるんだろう。
「えっ!?」
帰り道、私に追いついてきた正ちゃんを振り返り、私は思わずさけんでしまった。
正ちゃんの着ている学ラン。
「全部なくなっちゃった」
涼しい顔で、ボタンがすべてなくなった学ランを羽織って両手を広げてみせる。
「第二ボタンもあげちゃったんだ」
「だから全部だよ。とられたんだ。1年生たちに。おれがいた記念なんだって」
はは、と正ちゃんが笑う。笑い事じゃない。とられちゃわないでよ。私の手に渡らなくても良いから、それなら誰の手にも渡らないでほしかった。第二ボタンだけは。
「そう…」
それでも私の口からその不満が漏らされることはない。ふしゅふしゅと焦げ目をつくって胸の内にとどまるだけだ。
高校に入ってから、私と正ちゃんの会話は歴然として少なくなった。こうして一緒に帰るのも、幼稚園からの惰性なのだ。特に正ちゃんにとっては。学校では私とはおろか特定の女の子と一緒にいた試しがない。特定でない、ということが私の最後の安心といえば安心でもあるのだけれど。
幼稚園のころに野良犬にズボンを噛まれてお尻丸出しで家まで泣きながら駆け込んできた正ちゃんも、2年生のときにお習字で銀賞をとって私の家まで自慢しにきた正ちゃんも、3年生までカナヅチで、お姉ちゃんのピンクのアヒルの浮き輪を使ってた正ちゃんも私は知ってるけど、かわりに今の正ちゃんのことは何にも知らない。夢のことも、恋のことも。
しかも卒業。今日で卒業。大学はばらばら。もうとっかかりがなくなってしまう。昔はいやというほど日常にありふれていたとっかかりが。
幼稚園の頃は、僕がパイロットになってきみをスチュワーデスにするって言ってたのに。
「にしてもさ、なんでみんな第二ボタン第二ボタンって騒ぐの?ボタンなんてどれだっておんなじだろ」
ぺらんぺらんの学ランを揺らしながら、正ちゃんが言う。
正ちゃんは本当になんにもわかってない。女の子の気持ちも、私の気持ちも。
「心臓にいちばん近いからだよ」
なかば言い捨てるみたいに、私は若干足をはやめる。へぇ、と正ちゃんが言った気がしたけど、私はそのまま足を進めた。
たばこ屋が近づいてくる。私が左へ、正ちゃんが右へ曲がる角。別れていく角。この卒業を機に、いよいよ最後になるであろう帰り道の角なのに。
「朝子」
ふいに呼ばれて、私が振り返るのと、なにかが飛んできたのはほとんど同時だった。とっさに両手で受け止める。
「なにこ――…」
「やるよ」
ぺらんぺらんの学ランを着た正ちゃんが言い、言われるままにぼんやりと眺めた私の手の中にあったのは、やすっぽちな、カッターシャツの透明なボタンだった。
「そっちのが心臓に近い」
了
懐かしむように、名残惜しむように、それでいてどこかせいせいしたように、ばたばたと足音がグラウンドに吸収されてゆく。
特徴のある、せわしない、でも決して本気で急いではいない、独特の足音。
わざわざ顔を向けなくても分かる、正ちゃんの足音だ。それでも私は、目を向けずに入られない。正ちゃんには、それだけの魅力と価値がある。
幼なじみの正ちゃんは、卒業式も女の子たちと追いかけっこ。私の方なんて見向きもしない。後輩の女の子たちにきゃあきゃあ言われながら、それでも楽しそうにじゃれあう正ちゃんは、昔からおんなじだった。幼稚園のときも、小学校のときも、中学校のときも、それから今も。
私には気付かずに、女の子たちからまんざらでもなさそうなくせに逃げている正ちゃんと、逃げていく正ちゃんを、まんざらでもなさそうなくせに怒る女の子たち。
――大山くんの女たらし!
――でもそこが好きよ!
わっと笑い声がわく。毎日のように繰り返されてきた光景だけど、私はいつも考えてしまう。
いいな。
正ちゃんとじゃれあえることじゃなく、素直に好きって言えるなんて。
私なんて何年言いそびれてるんだろう。
「えっ!?」
帰り道、私に追いついてきた正ちゃんを振り返り、私は思わずさけんでしまった。
正ちゃんの着ている学ラン。
「全部なくなっちゃった」
涼しい顔で、ボタンがすべてなくなった学ランを羽織って両手を広げてみせる。
「第二ボタンもあげちゃったんだ」
「だから全部だよ。とられたんだ。1年生たちに。おれがいた記念なんだって」
はは、と正ちゃんが笑う。笑い事じゃない。とられちゃわないでよ。私の手に渡らなくても良いから、それなら誰の手にも渡らないでほしかった。第二ボタンだけは。
「そう…」
それでも私の口からその不満が漏らされることはない。ふしゅふしゅと焦げ目をつくって胸の内にとどまるだけだ。
高校に入ってから、私と正ちゃんの会話は歴然として少なくなった。こうして一緒に帰るのも、幼稚園からの惰性なのだ。特に正ちゃんにとっては。学校では私とはおろか特定の女の子と一緒にいた試しがない。特定でない、ということが私の最後の安心といえば安心でもあるのだけれど。
幼稚園のころに野良犬にズボンを噛まれてお尻丸出しで家まで泣きながら駆け込んできた正ちゃんも、2年生のときにお習字で銀賞をとって私の家まで自慢しにきた正ちゃんも、3年生までカナヅチで、お姉ちゃんのピンクのアヒルの浮き輪を使ってた正ちゃんも私は知ってるけど、かわりに今の正ちゃんのことは何にも知らない。夢のことも、恋のことも。
しかも卒業。今日で卒業。大学はばらばら。もうとっかかりがなくなってしまう。昔はいやというほど日常にありふれていたとっかかりが。
幼稚園の頃は、僕がパイロットになってきみをスチュワーデスにするって言ってたのに。
「にしてもさ、なんでみんな第二ボタン第二ボタンって騒ぐの?ボタンなんてどれだっておんなじだろ」
ぺらんぺらんの学ランを揺らしながら、正ちゃんが言う。
正ちゃんは本当になんにもわかってない。女の子の気持ちも、私の気持ちも。
「心臓にいちばん近いからだよ」
なかば言い捨てるみたいに、私は若干足をはやめる。へぇ、と正ちゃんが言った気がしたけど、私はそのまま足を進めた。
たばこ屋が近づいてくる。私が左へ、正ちゃんが右へ曲がる角。別れていく角。この卒業を機に、いよいよ最後になるであろう帰り道の角なのに。
「朝子」
ふいに呼ばれて、私が振り返るのと、なにかが飛んできたのはほとんど同時だった。とっさに両手で受け止める。
「なにこ――…」
「やるよ」
ぺらんぺらんの学ランを着た正ちゃんが言い、言われるままにぼんやりと眺めた私の手の中にあったのは、やすっぽちな、カッターシャツの透明なボタンだった。
「そっちのが心臓に近い」
了
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