短篇集 日常のくすり

糸田造作

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短編集

天然水のペットボトル

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「この量でこの値段かよ!高っ!」

クーラーの効いた涼しい飲食店で二人席に座りながら男は言った。

「ちょっとやめてよ、お店の方に失礼でしょ。私、あなたのそういうところ直して欲しいわ。」

男の正面に座るパートナーの女性は周りを気にしながら男を注意した。

「事実を言っただけだよ。こんなに少ない量でこの値段を取られるなんて、ぼったくりで訴えても勝てるに決まってるよ。」

男は悪びれもせず、不貞腐れた。

「もういい、あなたとは付き合っていけないわ。」

そう言うと、女性は財布から出した1万円札をテーブルに置き、席を立ってスタスタと店を出て行ってしまった。

「おいおい待ってくれよ、怒ることないじゃないか。」

男は慌てて会計を済ませ、女の後を走って追いかけた。

ばん!!
店を出た瞬間、男は痩せ男とぶつかった。
痩せ男が持っていたであろう水の入ったペットボトルがゴロゴロ転がった。女性を見失いイライラしていた男は転がったペットボトルを拾い上げると痩せ男に八つ当たりした。

「どこ見てんだよ!見失ったじゃないか!わざわざお金出して買うペットボトルの水がそんなに美味しいか?馬鹿か?」

すると痩せ男は不気味な笑みを浮かべ、グルグルと体を回転し始めた。ついには黒いマントを身に纏った怪しげな姿に変身し、男に語りかけた。

「ふっふっふ、初めまして。私は悪魔です。今あなた、お金を出してまでペットボトルで水を買うのが馬鹿だと言いましたね。」

男は驚いたが、すぐに言葉を返した。

「悪魔だと?アホくさ。せいぜい暑さでこれ以上馬鹿にならない為にそのペットボトルの水でも飲んだ方が良いな。」

男の言葉はまるで無視するかの様に不気味なほど落ち着き払って悪魔は語り続けた。

「私は100円でも買いますけどね。でも、そんなに言うなら、ペットボトルで売られる水はもはやあなたには必要ありませんね。いや、逆にあなたの方が必要とされて無いのかもしれませんねぇ。」

そう話すや否や、悪魔は身につけていたマントを男に被せた。

「な、何をするんだ!やめろ!」

真っ暗な視界の中、男は悪魔を掴もうと抵抗した。しかし、まるで存在しないかの様にその手は空を切るだけだった。

「あなたに合った素晴らしい世界へご案内しましょう。」

最後に聞こえたのは言葉とは裏腹な恐ろしい囁き声であった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

目を覚ますと、男は山にいた。

「おーい!誰かー!」
男はひんやりとした空気と突然知らない場所で目覚めた不安を打ち消す様に大声で叫んだ。

周りには誰もおらず、あの憎い悪魔でさえ姿を消したようだった。

ここはどこか分からないが、自力でこの状況から抜け出すしかないと考え、男は山道を歩き始めた。

しかし、何時間歩き続けても周りの景色に変化は無かった。

次第に男は疲れ、喉が渇き始めた。

「山であれば近くに川があるかもしれない。」
そう考えた男は水を求めてまた歩き始めた。

額から汗が流れるほど、体中の水分が減っていることがひしひしと感じるようだった。

もうどれほど歩き続けただろうか、視界がぼんやりし始めたが、景色に変化がないことだけは分かった。

「自分はここで死ぬのだろうか」
喉の渇きと体力が底を尽きると感じた男がそう呟いた時、奥の木の影で見覚えのある黒い悪魔がいた。こっちを見て笑っている。

「あいつめ、ふざけやがって」
男の体力は限界だったが、悪魔への憤りと恨みが男の足を動かした。

ただひたすらに悪魔を追いかけたが、とうとう見失ってしまった。しかし、気がつくと水の流れる音がしていた。

「水だ!」
男は水音を頼りに歩き、ついに川を見つけた。

透き通った綺麗な水である。
男は流れる川に顔を突っ込みガブガブ水を飲んだ。

生き返る。
体の一つ一つの細胞に水が行き渡るようだった。悪魔は見失ってしまったが、ひとまず水が飲めて助かった。

もう一度、次は両手ですくって水を飲んだ。

美味しい。
こんなに美味しい水は初めて飲んだ。

すると後ろの方で何やら声がした。
「あなた何やってるの?正気?」

男が振り返るとそこには別れたパートナーが驚愕の表情で立っていた。

「君こそこんなところで何をやっているんだい?」
男は驚きを隠せずに聞き返した。

「何してるって、あなたの様子を見に来たのよ!別れた後、もう一度考え直そうと思って貴方に会いに戻って来たのよ。そうしたらまさか…」
女性は驚いたような目でこちらを見ていた。

「会いに来たって!?こんな山奥まで!?
こっちは別れてから色々大変で命からがら今ようやく水を見つけて飲んでたんだよ。ほら、この川の水をね。」
男は指を刺し、振り返ると目を疑った。

そこは元いた場所のレストランの出口であり、自分が指差す先には転がった天然水のペットボトルから水が流れ溢れていた。

驚いた男はもう一度、今度は女性の方を振り返った。するとやはり元の世界のレストランの出口であり、彼女がこちらを引くような目で見ており、見物人も集まっていた。

男は悪魔によって何をされたのか分からなかったが、自分がさっきまで何を行っていたのかはこの見物人と流れ溢れ出るペットボトルの水によって一瞬で理解し、絶望した。


「まさか、こぼした水までガブガブと飲むなんて。美味しい天然水がペットボトルで飲めるなんて幸せですね。」

見物人の中で悪魔はニヤリと笑いながら人混みに姿を消した。
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