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第十二章 本当の姿

46. 形になる違和感

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『多分レオニードの奴、今日中に蒼ちゃんのこと殺すつもりだよ』

 レオニードとの通話を終えた涼介が、困ったような表情で静かにそう言った。
 予想だにしていなかった言葉に、朔の目は大きく見開かれる。連れ去った上で連絡してくるのであれば、何か交換条件でも出されるのかと思っていたのだ。

 蒼が今日中に殺される――即ちそれは、レオニードが今日中にまたあの儀式を行おうとしているということだ。何のためにするのかは朔には想像もできなかったが、絶対に阻止しなければならないということだけは分かる。この東京の街がどうなろうと朔には関係なかったが、あの日見た光景は未だに彼の脳内にこびりついて離れなかった。
 それをもう一度この目で――そう考えると、それだけは避けたいという気持ちがまさった。

「本当に今日なのか?」

 涼介は“多分”と言った。ということは先程の電話でレオニードが明確に今日だと言ったわけではないのだろう。
 彼の推測から出た言葉だということは朔にもすぐに分かったが、その根拠は聞いておかなければならない。驚くほど冷静な自分に若干の違和感を覚えながらも、朔は涼介の答えを待った。

「一つだけ確認しなきゃいけないことがあるけど、条件が揃ってる。だからほぼ間違いなく、今日中に事を起こすはずだ」
「その確認しなきゃいけないことってのは何なんだ?」

 朔の言葉に涼介が少し俯く。暫く思案するような表情で黙っていたかと思うと、徐に口を開いた。

「見た方が早い」

 そう言うなり、涼介は朔を促して歩き出した。

「あ、携帯の電源は切っといて」
「なんでだよ」
「いいから」

 その後に続いたどこに行くのかという朔の問いにも答えず、涼介は駅近くまでやって来るとタクシーを拾って乗り込んだ。運転手に彼が告げた地名は朔の知らないもので、改めて尋ねようとするも涼介の固い表情に口を噤んだ。

 三十分程経ってタクシーを降りると、涼介は黙ったまま再び歩き出した。そこはごく普通の住宅街で、ところどころにある電柱に示された地名は朔には見覚えがなく、先程スマートフォンの地図上で見た蒼のいる場所とは違うのだということだけは分かった。

「どこまで行くんだよ」

 業を煮やした朔が問いかける。涼介は振り返らずに「もう少し」とだけ言うと、二人の間には再び沈黙が訪れた。

「――ここだよ」

 やっと涼介が自分から口を開いたのは、最後の会話から十分程経ってからだった。
 目の前には小さな廃れた祠がある。その手前には人が一人通れるくらいの大きさの鳥居があるが、ボロボロで今にも崩れそうだった。

「何だよ、ここ?」
「さあ? 誰も手入れしなくなった、町の神様の住処ってところじゃない?」

 どうでも良さそうに涼介は言ったが、こんなところに来る理由が朔には分からなかった。
 鳥居が日本において神社などの神域への入り口だということは朔も知っている。振礼島で見かけたことはなかったが、知識としてはあった。だからこそ自分には無縁の場所だと理解していた。あの日の振礼島を生き延びて以来、神聖な場所というのはこの身体には毒なのだ。近付く意味が分からない。

 それは涼介も同じはずだと朔は考えていた。涼介が生き残りの特徴を見せたことはないが、彼は生き残りについて話す時に“俺たち”という表現を使っていた。それは自分もそうなのだと言っているようなものだろう。
 曖昧になっている記憶を辿って朔がその確信を持った頃、涼介は特に警戒する素振りも見せずに鳥居をくぐった。

「おい――」

 慌てて朔が止めるも、涼介は意に介した様子もない。

「ここはもう平気だよ」
「平気?」
「よく分かんねぇけど、神聖な場所ではないらしい。何とも無いからこっち来いよ」

 涼介の言葉に、朔が躊躇う。何故なら朔は以前、何も知らずに教会に足を踏み入れて痛い目を見たことがあるからだ。幸い入り口近くで異変に気が付いたためすぐに出ることができたが、できれば二度と味わいたくない感覚だと思っていた。

「嫌ならそこから見てるだけでもいいけどさ」
「……分かったよ」

 ニヤニヤと笑いながら言われた言葉に、朔が漸く足を動かした。何か異変を感じたらすぐに戻ればいい――覚悟を決めて、その粗末な鳥居をくぐる。

「な? 何もないだろ」
「……あぁ」
「朔って昔からちょっと煽るだけですぐ乗るよな」
「あ?」

 何の話だ――そう言いかけたが、すぐに思い当たることがあり思わず舌打ちをした。先程の涼介の意地の悪い笑みは、そういうことだ。彼にしては珍しい馬鹿にしたような笑いに、無意識のうちに対抗心を燃やしてしまったのだろう。簡単に乗せられてしまった己の単純さに朔は顔を顰めた。

 一方で涼介はと言えば、今度は柔らかい笑みを浮かべている。朔にとっては見慣れたものであるそれは、彼がまだ子供の頃によく向けられた笑みで、涼介が自分を子供扱いしている時の顔だと朔は知っていた。

 ――うぜぇ……。

 口には出さずに、内心で悪態を吐く。口にしなかったのは、下手に言葉にすると「反抗期?」とからかわれるからだ。
 涼介は朔が居心地悪そうにガシガシと頭を掻きながら自分の方に歩いてくるのを確認すると、「ちょっと待ってろ」と言って祠の裏に手を伸ばした。

「リョウ、お前な……」

 祠の裏に伸ばされた涼介の腕は、祠ではなくその下に向かって更に進んでいく。ズプズプと地面に腕が吸い込まれていくにつれ、涼介の身体も傾いていった。明らかに地面に入ろうとしているわけではないその動きに、朔は涼介の意図を理解し溜息を零した。

 ――は物置きじゃねぇだろ……。

 確かに不可能ではない。不可能ではないが、それをやろうという発想が朔に呆れを抱かせたのだ。

 やがて顔が地面に付きそうなくらい腕を地中深くへ伸ばすと、「あったあった」と言いながら涼介がその身体を起こした。

「……お前、それ――」
「びっくりした?」

 ニカッと明るい笑顔を浮かべた涼介を、朔は驚愕の眼差しで見ていた。何故ならその手には、見覚えのあるものがあったからだ。

「なんでそんなもの持ってる!?」
「まぁ落ち着けって」

 思わず詰め寄ろうとした朔を涼介が制す。朔は納得できなかったが、説明を聞かなければならないと思い直し、ぐっと自分を抑えた。

、本物か?」

 涼介が地面から取り出したものを睨みつけながら、朔が問いかける。

「本物、本物。レオニードからくすねといた」

 悪戯が成功したように笑う涼介の手には、金色に輝く聖杯が持たれていた。「くすねといたって、お前……」、あっけらかんとした様子で言う涼介に戸惑いながら朔はそう言いかけたが、はたとあることに気が付き語気を強めた。

「ちょっと待て、ならレオニードは今聖杯持ってないんだよな? アイツが生贄として殺される理由はないはずなんじゃ……」
「それがレオニードは気付いてないんだよ、自分の手元にあるのが偽物だって」
「偽物……?」
「ただ盗むだけじゃすぐバレるだろ? だから偽物を作って、それとすり替えてあるんだよ。だからレオニードは自分の持っている聖杯は本物だと思ってる。何せ実際に使わなきゃ分からないんだからな」

 朔の問いに答えながら、涼介は聖杯ごと再び腕を地面に沈ませた。そして今度は何も持たずに腕を引き出すと、「だから問題は蒼ちゃんだけ」としゃがんだまま朔を見上げた。

「これがここにあるってことは、まだ気付かれてない。だからレオニードは蒼ちゃんを殺して儀式をしようとする。でも、あいつが使おうとしている聖杯は偽物」
「……アイツは無駄死にってことか」
「そうなる。で、そのタイミングで偽物だってこともバレる。そうするとキレたアイツが何するか分からない」

 涼介は朔に続きの言葉を求めるように視線を向けたが、当の朔本人はその期待には応えられないとばかりに目を逸らした。聖杯はここにあるのだ、レオニードへの復讐ついでに欲しいと思っていたものはもう手に入れたも同然だし、助け出さなければならなかった蒼もその時にはもうこの世にいない。

「……別にレオニードがキレて暴れたところで、どうでもいい。奴が何をしようが俺には関係ない」
「ひっでぇ。俺が殺されるかもしれないだろ?」

 言われてみれば、と朔は目を瞬かせた。何故気が付かなかったのかと朔は自身の中にあった違和感を強くしていた。気が付けばなんてことはない、涼介が殺されるということは阻止しなければと自然と気持ちが固まる。

「アイツが殺されて偽物がバレる前に、何としてもレオニードのところから助け出さないといけないってわけか」
「そういうこと。蒼ちゃんを連れて俺たち全員さっさと逃げ出す。それが一番いい」
「でもお前、レオニードに何か弱味握られてんだろ? そっちはいいのか?」
「ん? あぁ、それは大丈夫。ほとぼりが覚めた頃にどうにかするよ」

 果たしてそんな日は来るのだろうか、と朔は顔を歪めた。蒼をレオニードの元から逃しても、彼が儀式をしたいのであれば別の人間を用意するだけだろう。そうなれば結局聖杯が偽物だと発覚し、涼介の仕業だと考えられて命を狙われる可能性が高い。

 ──逆に使えるか……。

 朔にはレオニードに復讐するという目的がある。蒼を遠くにやった後であれば今よりもだいぶ動きやすいだろう。涼介が改めて命を狙われたタイミングで自分も動けば──そこまで考えて、朔は眉間の皺を深くした。当たり前のように涼介を囮にしようとした発想もそうだが、蒼が近くにいない方が動きやすいというのも、自分が彼女に近付いた理由を思い返せば本末転倒のように感じる。

 朔が自分の考えに苦いものを感じていると、涼介がゆっくりと立ち上がった。

「まあ、そんなわけだからさ。一応ここに来るまでの間に色々考えたけど、もうさっさと行っちゃった方がいいと思うんだよね」
「行くって、さっきの場所にか?」
「そう。多分レオニードは俺がすぐには来ないと思ってるからさ、そこを使った方がいいかなって」

 そう話す涼介の口調に迷いはない。それは恐らく彼の中でこれから取りうる行動をいくつも検証した結果、この考えが一番だという結論に至ったからなのだろう。
 しかし朔には涼介の考えた内容は分からない。それどころかレオニードがこちらの行動をどう予測するかということを推測できるほど、朔は彼のことを知らないのだ。

 まるで自分が役に立たないように感じて、朔は自分自身に苛立ちを感じていた。蒼をまんまと連れ去られたこともそうだが、彼女を助けに行く方法の検討にすらまともに参加できないというのも、余計にそう感じさせる。「なんですぐに来ないって思ってるんだよ?」、状況を確認するためのその言葉には若干の棘が含まれた。

「単純に戦力差的な? 朔が蒼ちゃんと一緒に暮らしてるってことはバレてるかもしれないけど、生き残りだとは知らないと思う。何せ結構近付かなきゃ見分けられないわけだから、こっそり見るのって結構難しいしな。そうすると、普通の人間ってレオニードの中で敵の頭数に入らないと思うんだよね。銀製のものじゃなければ、何されたって平気だしさ」
「だからリョウなら何かしら準備をしてから来るはず、って考えてるってことか?」
「そういうこと。向こうからしたらほぼ俺一人でレオニードとルカをどうにかしつつ、蒼ちゃんを助けなくちゃいけないって考えてるはずだから、準備なしじゃ無理だろ? それに、俺が聖杯のことをバレる前にどうにかしたいって思ってることも知らないわけだし」

 一通り聞いて、朔にも涼介の考えたことは分かった。ルカという人物については殆ど知らないが、不意打ちという意味ではその案が良さそうだということも分かる。しかしそれで本当に大丈夫なのかという懸念もあった。

 確かに朔はレオニードのことを殺したいと思っていた。だから今回それを果たしてしまえば問題ない。しかし、これで本当に蒼が助けられるのだろうか。何か見落としているのでは――漠然と不安に思ったが、涼介はもう行く気だった。準備不足を訴えようとしたところで、なら何を備えればいいのかなど思い浮かぶはずもない。

「レオニードに朔のことが知られるのは痛いけど、まあこうなったら仕方がないよ。やられる前にやれってね」

 そう言って涼介は祠から立ち去ろうと朔に背中を向けて歩き出した。朔も後を追おうと脚を出しかけたが、ふと脳裏に蘇ったある記憶がその脚を止める。

 ――『レオニードに朔のことが知られるのは痛い』……だと?

 今更気にするようなことでもないかもしれない。今まで何度も涼介は同じようなニュアンスの言葉を発している。

 だが、それは現実と矛盾するのだ。

「朔?」
「……今行く」

 自分はこのまま涼介と一緒に行っていいのか――朔の中に疑問が浮かんだが、今はまだ答えを出すことはできなかった。
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