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孤立
〈三〉いつまで
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どうしてこうなったのか――パニックで今にも叫び出しそうなヒロを宥めながら、蓮は先程の光景を思い出した。
(タケルは……あれはもう……)
教室の窓に反射して見えたのは、タケルが命を失う瞬間だった。
あまりに衝撃的な出来事に蓮もヒロも悲鳴を上げることすらできず、身を隠した教室の物陰でただ身体を不自然に硬直させるのみ。だがすぐにヒロの恐怖心は限界を迎えたのか、真っ青な顔で大きな身体をガタガタと震わせ始めた。
(ッ駄目だ!!)
何が駄目なのか、どうして駄目なのか。そんなことを考える間もなく、蓮はヒロの口を手で押さえつけていた。それが叫び声を上げそうになったヒロを止めるための行動だったのだと蓮が自覚したのは、友人の口を塞ぐ自分の手もまた小刻みに震えていると気付いた後だった。
(あいつに気付かれちゃ駄目だ)
今度ははっきりとした言葉が頭に浮かぶ。未だ何故こうなったのかは理解できていないが、〝あいつ〟に気取られてはいけないということだけは確かだった。
何故なら状況を理解しようとすればするほど、先程窓に映った光景が頭の中で繰り返されるのだ――タケルが〝あいつ〟に殺された瞬間が。〝あいつ〟の姿は見えなかったが、間違いなくタケルは〝あいつ〟に殺されたのだ。
(……殺されてたのは俺だったかもしれない)
そう考えて、蓮の身を一層恐怖が襲った。少しでも何かが違えば、タケルが殺された場所に身を隠していたのは自分だったかもしれない。そうでなかったとしても、〝あいつ〟は偶然先にタケルを見つけただけ。順番が違えば自分とヒロが殺されていただろう。
昇降口で〝ハツネチャン〟とは違う声が聞こえてきた時、蓮たちは咄嗟に身を隠した。自分たちがこの旧校舎の閉じ込められていると気付いたばかりなのだ。不可解な状況に、聞こえてくるのは誰かも分からない声――〝ハツネチャン〟とのかくれんぼを無事終えた直後とはいえ、蓮たちが恐怖を感じるには十分だった。
三人とも無意識のうちに今度はしっかりと隠れようとしたらしく、最初のように教室の扉の裏ではなく身体をすべて隠せるところに身を潜めた。その時に一人で隠れることに不安を覚えたらしいヒロが蓮にくっついてきたため、タケルだけが別の場所に隠れたのだ。
そして、タケルは殺された。〝あいつ〟が入ってきた扉の近くにいたから。〝あいつ〟に見つかってしまったから。
(このままじゃここもすぐに見つかる……)
自分の四方に倒れた机やロッカーがあっても、隙間があるせいで安心できない。ならば〝あいつ〟が遠ざかったらもっと安全な場所を探すべきでは――蓮が必死に思考を巡らせている時だった。
『もういいかい?』
〝あいつ〟の声が近くから聞こえてきて、蓮はもう駄目だと悟った。昇降口で聞いたのと同じこの声が、この問いかけをしてきた直後にタケルは殺されてしまったのだ。だからもう自分たちは――そう覚悟したのに、次の瞬間に聞こえてきたのは意外な音だった。
『見つかっちゃった』
いつからそこにいたのか、〝ハツネチャン〟がひょっこりと顔を出して声を上げたのだ。
『みんな見つかっちゃったから、次の鬼はお兄さんね』
〝ハツネチャン〟の指は、蓮を指していた。
§ § §
「――だ、誰!?」
突然視界に映った自分以外の姿に、亜美は大きく肩を揺らしながら右隣を振り返った。
(女の子……?)
そこにいたのは自分よりもだいぶ小さな少女だった。この狭い机の陰で、亜美にぴったりとくっつくようにして座っている。
少女は亜美の様子に驚いたように目を丸めたが、すぐに表情を戻して「しぃーっ……」と口の前で人差し指を立てた。
(ッ……そうだ、鬼が……!)
亜美ははっとして口を手で押さえると、耳を澄ませて周囲の様子を探った。思わず誰だと声に出して問いかけてしまったが、それほど大きな音量ではなかったはずだ。
だが自分がそう思っているだけで、実際には遠くにいる鬼にまで聞こえるほど大きな声だったのでは――一抹の不安を抱きながら少しの間待ってみたが、あの床板の軋む嫌な音は聞こえない。
(――大丈夫、バレてない……)
鬼に見つかるかもしれないという恐怖のお陰で、少女の存在に対する驚きはだいぶ治まっていた。誰だか分からない人間が近くにいるのは怖かったが、少女を見た瞬間に脳裏を過ぎっていたその正体が、亜美の不安を和らげていた。
「は、〝初音ちゃん〟……?」
亜美が問いかけると、少女は「そうだよ」とコクリと頷く。
確認するように紗季を見れば、驚いたような顔をしていた彼女は亜美の視線の意味に気付いたのか、うんとはっきりと首肯してみせた。
「どうしてこんなところに……鬼じゃ、ないよね……?」
鬼の声と初音のそれが全く違うということは分かっていたが、もしかしたらということも有り得る。亜美には今何が起こっているのかほとんど分かっていないのだ、自分の中に当たり前にある認識が正しいとは限らない。
そもそも自分たちは初音とかくれんぼを始めたはずなのに、自分たち以外の誰かが鬼として参加しているというのもわけが分からなかった。更にその鬼に見つかれば殺されるという状況まで重なれば、もはや何があっても不思議ではなかった。
いざとなれば、すぐに逃げなければ――初音が自分の隣でゆっくりしている時点で彼女が鬼ということはないのかもしれない。もし鬼だとしても、もう一人の鬼のように自分を殺す気はないのかもしれない。それでも、亜美はいつでも逃げられるように床に置いた手に力を入れた。
「ちがうよ」
期待どおりの短い言葉に、亜美の緊張が緩む。
「鬼はりょうた君だよ」
(りょうた君……?)
初音に対する警戒心は薄れたが、新しく出てきた知らない名前に亜美は首を傾げた。
そんな名前は聞いたことがないのだ。佳織の従兄弟かもしれないと思ったが、確か彼女の従兄弟の名前は蓮兄――〝蓮〟がつくはずで、そういった名前は〝りょうた〟とは結びつかない。紗季と菜月の方を見てみたが、彼女たちも知らない様子だった。
「りょうた君って、誰?」
意を決して尋ねると、初音はなんでもないことのように「わたしのおともだち」と言って亜美に視線を合わせる。
「りょうた君は、みんなを小さくしてくれるんだよ」
(小さく……?)
またそれだ、と亜美は眉間に力を入れた。確か紗季も言っていたはずだ。一緒にかくれんぼをする〝みんな〟とは誰かと初音に聞いた時、『小さくなっていない人、みんな』と言われたと。
紗季の話を聞いた時は全く意味が分からなかった。分からないなりに子供特有の言い回しかもしれないと自分を納得させようとした。
だが今の亜美には、〝小さくする〟と聞いて頭に浮かぶ光景がある。
(小さくするって、まさか人のこと……?)
脳裏に蘇ったのは、廊下からこちらを見ていたたまの姿。
本来あるべき状態から身体のパーツを切り離されること――それが小さくするという意味ではないか。そう思いつくと、頭の中にどんどん情報が浮かんできた。
『見つかった死体は、四人分だって』
かつてこの場所で発見された、無残な死体。
『子供と大人、二人ずつだった』
そのうちの三人分の遺体が、ばらばらにされた状態で発見されている。
佳織の語った怪談と合わせて考えれば、行方不明になった少女と作業員がこのうちの二人のはずだ。
(行方不明になったのが初音ちゃん……? いや……)
初音が何者なのか亜美は知らなかったが、あの怪談の中でかくれんぼをしたがっていたのは行方不明の少女ではなく、旧校舎で作業員が出会った少女の方だということを思い出した。ならばこの場所に訪れた者とかくれんぼを始める初音は、後者の少女と考えるべきだろう。
(ならどうしてここに? 初音ちゃんもばらばらにされた……?)
初音がここにいるということは、彼女もまた旧校舎で命を落としたのではないか。怪談では触れられていなかったが、あの時点で彼女は幽霊だった可能性もある。
ばらばらにされたのは大人一人と子供二人。初音がその一人だとすれば、数が合うのだ。そして、四人目の遺体は――
『四人のうちの一人――大人の男の人だけが自殺とも取れる状況で見つかってて、その人が犯人だろうって言われてるそうなの』
この犯人が全員を殺害した。初音たちにとっては、自分を殺した憎むべき人間だ。初音がこうして未練を残しこの世に留まっているのも頷ける。
(……本当にそう?)
納得しかけた亜美を、ふと浮かんだ考えが止める。
あの怪談が事実に沿っているとするならば、作業員の二人に話しかけた時の初音は、そこにばらばらにされた友人の身体の一部があることを知っていたことになる。あの時既に初音が幽霊だったのなら分からなくもないが、もし生きていたとしたらおかしいのだ。
それに直前の初音の発言にも違和感がある。
『りょうた君は、みんなを小さくしてくれるんだよ』
この言葉が、亜美には引っかかっていた。
小さくするというのがばらばらにすることを表しているのであれば、『小さくしてくれる』という表現はおかしくはないだろうか。これではまるで、初音が人を小さくすることを望んでいるとも取れてしまうのだ。
第一〝りょうた君〟が人をばらばらにするのであれば、この〝りょうた君〟こそが初音を殺した犯人ではないのか。だがもしそうなのだとすれば、初音は他人を小さくするどころか、自分自身を小さくすることをも望んでいたことになってしまう。
(そんなの有り得ない……きっと考えすぎなんだ)
亜美は自分の考えを否定しようとしたが、頭の中に浮かんできた初音との会話がそれを妨げた。
『りょうた君って、誰?』
『わたしのおともだち』
(……自分を殺した人と友達?)
それはおかしいと思ったが、もし事実だった場合。
初音と〝りょうた君〟は以前から友達同士で、〝りょうた君〟は初音の依頼で彼女の友人や作業員の男性をばらばらにしたと考えられないだろうか。
そしてその〝りょうた君〟が今やっているかくれんぼの鬼なのであれば、あの鬼が佳織やたまを殺し、その遺体を切り裂いたことも説明がつくのでは――亜美が自分の思考に顔を青ざめさせていると、「でもね」と初音が言葉を続けるのが聞こえてきた。
「りょうた君はみんなを小さくしてくれるけど、小さくするところを見られるは嫌みたい」
「……嫌なの?」
「そう。だからりょうた君がだれかを小さくする時は、小さくなりたい人と二人きりにしてあげてね」
「二人きりって……」
なら先程の佳織たちはどうなる――考えて、すぐに亜美は〝りょうた君〟の姿をまだ見ていないことを思い出した。
自分が見たのはたまだけだ。佳織にいたっては音で殺されたと判断しただけ。恐らく隠れている場所から考えて紗季や菜月も同じだろう。もしかしたら二人はたまの姿すらろくに見えていないかもしれない。
(〝りょうた君〟本人を他の人が見ていなければ、二人きりってことになるの……?)
それは二人きりとは言わないのではないかと思ったが、それよりも亜美はこの〝りょうた君〟の行動の方が気がかりだった。
自分たちはかくれんぼをしているはずなのに、何故殺された上にばらばらにされなければならないのか。そんなものはかくれんぼとは言えないだろう。
「〝りょうた君〟はどうして、みんなをばらばらにするの……?」
「かくれんぼが上手になるように」
「え……?」
「小さくなったら見つかりにくいでしょ? だからわたしがお願いしたの」
(ああ、やっぱり――)
にっこりと笑う初音を見ながら、亜美は自分の顔が引き攣るのが分かった。
やはりかつての事件もこの少女が〝りょうた君〟に依頼していたのだ。それは相手に対する恨みや憎しみといった感情からではなく、あくまで遊びの一貫。なんだったら親切心からの行動だろう。
幽霊になったからそんな恐ろしい行動を取るのかと思ったが、違う。あの怪談の中には確か、大人が行方不明になった少女の友人に質問している場面があった。そしてその友人はこう答えている――かくれんぼをしているの、と。
かくれんぼをしていたではなく、している。そんなふうに答えるのは、行方不明の少女がかくれんぼのためにばらばらにされたと知っている初音しかいない。そして周囲の人間とこの会話が成立していることから、この時点でまだ初音は生きている。生きている時から、こんな恐ろしい考え方を持っていたのだ。
(この子は本当に無害なの……?)
紗季は初音のことを恐れていないようだった。自分だってそうだ、初音に対してすぐに警戒を緩めた。
だが、今は違う。平然と人を殺し、その遺体を損壊することを語るこの少女を、亜美はそれまでのようには見ることができなかった。
(ここにいたら駄目だ。早く帰らないと……!)
この旧校舎から解放されるためには、鬼となって初音を見つけなければならない。そして鬼となるためには、まずは今の鬼に見つからなければならない。
(でも……見つかったらばらばらにされる……)
「なんで〝りょうた君〟も一緒なの……?」
思わず口から出ていたその疑問は、この状況に対する文句のようなものだった。しかし初音は自分にされた質問だと思ったらしく、きょとんとした表情で亜美を見上げる。
「みんなでかくれんぼしようって別のお姉ちゃんが言ったでしょ? だからりょうた君もさそったんだよ」
「別のお姉ちゃんって……」
『――みんなでかくれんぼしよう、初音ちゃん!』
頭の中に佳織の声が響く。佳織の従兄弟を探すためのあの行動が今、自分たちを窮地に陥らせている――そう思うと彼女に怒りが湧いたが、すぐにそれは萎んでいった。
佳織はもう、いないのだ。従兄弟と〝りょうた君〟を混同し、自ら鬼の前に姿を現してしまったから。
(佳織を恨んだってしょうがない……どうにか自力でここから出ないと……!)
〝りょうた君〟には見つかってはいけない。逃げ切らなければならない。逃げ切れなければ殺されてしまう。
だが、それではいつまでたっても鬼になることができない。鬼にならなければ、初音に勝つこともできない。
(こんなの……どうやって終わらせればいいの……?)
絶望的だった。ここから解放される条件は分かっているのに、そのための行動を一切することができない。
死にたくなければずっと、〝りょうた君〟から逃げ回るしかないのだろうか。
「一体いつまで……」
終わりの見えないかくれんぼを永遠に続けなければならないのかもしれない――そう考えるだけで、亜美の目には涙が溜まってきた。
「わたしは六時までだよ」
初音の声が、亜美の意識を思考の沼から引き戻す。
「ろ、六時……?」
自分の聞き間違いかもしれないと思いながら半信半疑で聞き返すと、初音は「うん」と言いながら教室前方を指差した。その先――黒板の上には時計があり、長年使われていない建物のはずなのに秒針が静かに動いている。
「時計のはりがたてにまっすぐになるまで――そうしたら、わたしはおわらなきゃいけないの」
「…………」
あの時計は今まで動いていただろうか――疑問に思ったが、亜美は小さく首を振った。
今はそんなことはどうでもいいのだ。元々外に出られないという特殊な状況なのだから、おかしなことが起こっても不思議ではない。
それよりも初音の発言だ。六時になったら終わる――ならばそれまで逃げ切ればここから出られるのかもしれない。
(今は五時ちょっと過ぎ……)
幸いにも六時はもうすぐそこだ。そう思うと、亜美は自分の胸の中に希望が広がるのを感じた。
しかしその希望を伝えるため紗季たちの方を見ようとした時、ギシ、と嫌な音を耳が拾った。
(ッ……戻ってきた……?)
折角ここから解放される見込みが立ったのに――もどかしさを感じながらも、亜美は慌てて息を潜めた。紗季たちの方からも息を呑む音が聞こえる。
ギシ、ギシ、という音はどんどん近付いてきた。それは少し前に一番近付いてきた時よりも大きな音になって、教室の中にまで入ってきたのだと分かる。床から伝わる振動が、あの時よりもずっと大きくなっている。
(なんでここまで……)
「――もういいかい?」
床を伝う振動が止まったかと思うと、直後に低い男の声がその場に響いた。
(こんなの答えられるわけがない……!)
答えたら見つかってしまう。見つかったら、殺されてしまうのだ。
かくれんぼのルール上それが許されるかは分からないが、亜美は黙ったままやり過ごそうと唇をきゅっと引き締めた。
それなのに――
「もういいよ」
隣に座った初音が、無邪気な声でそう言った。
(タケルは……あれはもう……)
教室の窓に反射して見えたのは、タケルが命を失う瞬間だった。
あまりに衝撃的な出来事に蓮もヒロも悲鳴を上げることすらできず、身を隠した教室の物陰でただ身体を不自然に硬直させるのみ。だがすぐにヒロの恐怖心は限界を迎えたのか、真っ青な顔で大きな身体をガタガタと震わせ始めた。
(ッ駄目だ!!)
何が駄目なのか、どうして駄目なのか。そんなことを考える間もなく、蓮はヒロの口を手で押さえつけていた。それが叫び声を上げそうになったヒロを止めるための行動だったのだと蓮が自覚したのは、友人の口を塞ぐ自分の手もまた小刻みに震えていると気付いた後だった。
(あいつに気付かれちゃ駄目だ)
今度ははっきりとした言葉が頭に浮かぶ。未だ何故こうなったのかは理解できていないが、〝あいつ〟に気取られてはいけないということだけは確かだった。
何故なら状況を理解しようとすればするほど、先程窓に映った光景が頭の中で繰り返されるのだ――タケルが〝あいつ〟に殺された瞬間が。〝あいつ〟の姿は見えなかったが、間違いなくタケルは〝あいつ〟に殺されたのだ。
(……殺されてたのは俺だったかもしれない)
そう考えて、蓮の身を一層恐怖が襲った。少しでも何かが違えば、タケルが殺された場所に身を隠していたのは自分だったかもしれない。そうでなかったとしても、〝あいつ〟は偶然先にタケルを見つけただけ。順番が違えば自分とヒロが殺されていただろう。
昇降口で〝ハツネチャン〟とは違う声が聞こえてきた時、蓮たちは咄嗟に身を隠した。自分たちがこの旧校舎の閉じ込められていると気付いたばかりなのだ。不可解な状況に、聞こえてくるのは誰かも分からない声――〝ハツネチャン〟とのかくれんぼを無事終えた直後とはいえ、蓮たちが恐怖を感じるには十分だった。
三人とも無意識のうちに今度はしっかりと隠れようとしたらしく、最初のように教室の扉の裏ではなく身体をすべて隠せるところに身を潜めた。その時に一人で隠れることに不安を覚えたらしいヒロが蓮にくっついてきたため、タケルだけが別の場所に隠れたのだ。
そして、タケルは殺された。〝あいつ〟が入ってきた扉の近くにいたから。〝あいつ〟に見つかってしまったから。
(このままじゃここもすぐに見つかる……)
自分の四方に倒れた机やロッカーがあっても、隙間があるせいで安心できない。ならば〝あいつ〟が遠ざかったらもっと安全な場所を探すべきでは――蓮が必死に思考を巡らせている時だった。
『もういいかい?』
〝あいつ〟の声が近くから聞こえてきて、蓮はもう駄目だと悟った。昇降口で聞いたのと同じこの声が、この問いかけをしてきた直後にタケルは殺されてしまったのだ。だからもう自分たちは――そう覚悟したのに、次の瞬間に聞こえてきたのは意外な音だった。
『見つかっちゃった』
いつからそこにいたのか、〝ハツネチャン〟がひょっこりと顔を出して声を上げたのだ。
『みんな見つかっちゃったから、次の鬼はお兄さんね』
〝ハツネチャン〟の指は、蓮を指していた。
§ § §
「――だ、誰!?」
突然視界に映った自分以外の姿に、亜美は大きく肩を揺らしながら右隣を振り返った。
(女の子……?)
そこにいたのは自分よりもだいぶ小さな少女だった。この狭い机の陰で、亜美にぴったりとくっつくようにして座っている。
少女は亜美の様子に驚いたように目を丸めたが、すぐに表情を戻して「しぃーっ……」と口の前で人差し指を立てた。
(ッ……そうだ、鬼が……!)
亜美ははっとして口を手で押さえると、耳を澄ませて周囲の様子を探った。思わず誰だと声に出して問いかけてしまったが、それほど大きな音量ではなかったはずだ。
だが自分がそう思っているだけで、実際には遠くにいる鬼にまで聞こえるほど大きな声だったのでは――一抹の不安を抱きながら少しの間待ってみたが、あの床板の軋む嫌な音は聞こえない。
(――大丈夫、バレてない……)
鬼に見つかるかもしれないという恐怖のお陰で、少女の存在に対する驚きはだいぶ治まっていた。誰だか分からない人間が近くにいるのは怖かったが、少女を見た瞬間に脳裏を過ぎっていたその正体が、亜美の不安を和らげていた。
「は、〝初音ちゃん〟……?」
亜美が問いかけると、少女は「そうだよ」とコクリと頷く。
確認するように紗季を見れば、驚いたような顔をしていた彼女は亜美の視線の意味に気付いたのか、うんとはっきりと首肯してみせた。
「どうしてこんなところに……鬼じゃ、ないよね……?」
鬼の声と初音のそれが全く違うということは分かっていたが、もしかしたらということも有り得る。亜美には今何が起こっているのかほとんど分かっていないのだ、自分の中に当たり前にある認識が正しいとは限らない。
そもそも自分たちは初音とかくれんぼを始めたはずなのに、自分たち以外の誰かが鬼として参加しているというのもわけが分からなかった。更にその鬼に見つかれば殺されるという状況まで重なれば、もはや何があっても不思議ではなかった。
いざとなれば、すぐに逃げなければ――初音が自分の隣でゆっくりしている時点で彼女が鬼ということはないのかもしれない。もし鬼だとしても、もう一人の鬼のように自分を殺す気はないのかもしれない。それでも、亜美はいつでも逃げられるように床に置いた手に力を入れた。
「ちがうよ」
期待どおりの短い言葉に、亜美の緊張が緩む。
「鬼はりょうた君だよ」
(りょうた君……?)
初音に対する警戒心は薄れたが、新しく出てきた知らない名前に亜美は首を傾げた。
そんな名前は聞いたことがないのだ。佳織の従兄弟かもしれないと思ったが、確か彼女の従兄弟の名前は蓮兄――〝蓮〟がつくはずで、そういった名前は〝りょうた〟とは結びつかない。紗季と菜月の方を見てみたが、彼女たちも知らない様子だった。
「りょうた君って、誰?」
意を決して尋ねると、初音はなんでもないことのように「わたしのおともだち」と言って亜美に視線を合わせる。
「りょうた君は、みんなを小さくしてくれるんだよ」
(小さく……?)
またそれだ、と亜美は眉間に力を入れた。確か紗季も言っていたはずだ。一緒にかくれんぼをする〝みんな〟とは誰かと初音に聞いた時、『小さくなっていない人、みんな』と言われたと。
紗季の話を聞いた時は全く意味が分からなかった。分からないなりに子供特有の言い回しかもしれないと自分を納得させようとした。
だが今の亜美には、〝小さくする〟と聞いて頭に浮かぶ光景がある。
(小さくするって、まさか人のこと……?)
脳裏に蘇ったのは、廊下からこちらを見ていたたまの姿。
本来あるべき状態から身体のパーツを切り離されること――それが小さくするという意味ではないか。そう思いつくと、頭の中にどんどん情報が浮かんできた。
『見つかった死体は、四人分だって』
かつてこの場所で発見された、無残な死体。
『子供と大人、二人ずつだった』
そのうちの三人分の遺体が、ばらばらにされた状態で発見されている。
佳織の語った怪談と合わせて考えれば、行方不明になった少女と作業員がこのうちの二人のはずだ。
(行方不明になったのが初音ちゃん……? いや……)
初音が何者なのか亜美は知らなかったが、あの怪談の中でかくれんぼをしたがっていたのは行方不明の少女ではなく、旧校舎で作業員が出会った少女の方だということを思い出した。ならばこの場所に訪れた者とかくれんぼを始める初音は、後者の少女と考えるべきだろう。
(ならどうしてここに? 初音ちゃんもばらばらにされた……?)
初音がここにいるということは、彼女もまた旧校舎で命を落としたのではないか。怪談では触れられていなかったが、あの時点で彼女は幽霊だった可能性もある。
ばらばらにされたのは大人一人と子供二人。初音がその一人だとすれば、数が合うのだ。そして、四人目の遺体は――
『四人のうちの一人――大人の男の人だけが自殺とも取れる状況で見つかってて、その人が犯人だろうって言われてるそうなの』
この犯人が全員を殺害した。初音たちにとっては、自分を殺した憎むべき人間だ。初音がこうして未練を残しこの世に留まっているのも頷ける。
(……本当にそう?)
納得しかけた亜美を、ふと浮かんだ考えが止める。
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それに直前の初音の発言にも違和感がある。
『りょうた君は、みんなを小さくしてくれるんだよ』
この言葉が、亜美には引っかかっていた。
小さくするというのがばらばらにすることを表しているのであれば、『小さくしてくれる』という表現はおかしくはないだろうか。これではまるで、初音が人を小さくすることを望んでいるとも取れてしまうのだ。
第一〝りょうた君〟が人をばらばらにするのであれば、この〝りょうた君〟こそが初音を殺した犯人ではないのか。だがもしそうなのだとすれば、初音は他人を小さくするどころか、自分自身を小さくすることをも望んでいたことになってしまう。
(そんなの有り得ない……きっと考えすぎなんだ)
亜美は自分の考えを否定しようとしたが、頭の中に浮かんできた初音との会話がそれを妨げた。
『りょうた君って、誰?』
『わたしのおともだち』
(……自分を殺した人と友達?)
それはおかしいと思ったが、もし事実だった場合。
初音と〝りょうた君〟は以前から友達同士で、〝りょうた君〟は初音の依頼で彼女の友人や作業員の男性をばらばらにしたと考えられないだろうか。
そしてその〝りょうた君〟が今やっているかくれんぼの鬼なのであれば、あの鬼が佳織やたまを殺し、その遺体を切り裂いたことも説明がつくのでは――亜美が自分の思考に顔を青ざめさせていると、「でもね」と初音が言葉を続けるのが聞こえてきた。
「りょうた君はみんなを小さくしてくれるけど、小さくするところを見られるは嫌みたい」
「……嫌なの?」
「そう。だからりょうた君がだれかを小さくする時は、小さくなりたい人と二人きりにしてあげてね」
「二人きりって……」
なら先程の佳織たちはどうなる――考えて、すぐに亜美は〝りょうた君〟の姿をまだ見ていないことを思い出した。
自分が見たのはたまだけだ。佳織にいたっては音で殺されたと判断しただけ。恐らく隠れている場所から考えて紗季や菜月も同じだろう。もしかしたら二人はたまの姿すらろくに見えていないかもしれない。
(〝りょうた君〟本人を他の人が見ていなければ、二人きりってことになるの……?)
それは二人きりとは言わないのではないかと思ったが、それよりも亜美はこの〝りょうた君〟の行動の方が気がかりだった。
自分たちはかくれんぼをしているはずなのに、何故殺された上にばらばらにされなければならないのか。そんなものはかくれんぼとは言えないだろう。
「〝りょうた君〟はどうして、みんなをばらばらにするの……?」
「かくれんぼが上手になるように」
「え……?」
「小さくなったら見つかりにくいでしょ? だからわたしがお願いしたの」
(ああ、やっぱり――)
にっこりと笑う初音を見ながら、亜美は自分の顔が引き攣るのが分かった。
やはりかつての事件もこの少女が〝りょうた君〟に依頼していたのだ。それは相手に対する恨みや憎しみといった感情からではなく、あくまで遊びの一貫。なんだったら親切心からの行動だろう。
幽霊になったからそんな恐ろしい行動を取るのかと思ったが、違う。あの怪談の中には確か、大人が行方不明になった少女の友人に質問している場面があった。そしてその友人はこう答えている――かくれんぼをしているの、と。
かくれんぼをしていたではなく、している。そんなふうに答えるのは、行方不明の少女がかくれんぼのためにばらばらにされたと知っている初音しかいない。そして周囲の人間とこの会話が成立していることから、この時点でまだ初音は生きている。生きている時から、こんな恐ろしい考え方を持っていたのだ。
(この子は本当に無害なの……?)
紗季は初音のことを恐れていないようだった。自分だってそうだ、初音に対してすぐに警戒を緩めた。
だが、今は違う。平然と人を殺し、その遺体を損壊することを語るこの少女を、亜美はそれまでのようには見ることができなかった。
(ここにいたら駄目だ。早く帰らないと……!)
この旧校舎から解放されるためには、鬼となって初音を見つけなければならない。そして鬼となるためには、まずは今の鬼に見つからなければならない。
(でも……見つかったらばらばらにされる……)
「なんで〝りょうた君〟も一緒なの……?」
思わず口から出ていたその疑問は、この状況に対する文句のようなものだった。しかし初音は自分にされた質問だと思ったらしく、きょとんとした表情で亜美を見上げる。
「みんなでかくれんぼしようって別のお姉ちゃんが言ったでしょ? だからりょうた君もさそったんだよ」
「別のお姉ちゃんって……」
『――みんなでかくれんぼしよう、初音ちゃん!』
頭の中に佳織の声が響く。佳織の従兄弟を探すためのあの行動が今、自分たちを窮地に陥らせている――そう思うと彼女に怒りが湧いたが、すぐにそれは萎んでいった。
佳織はもう、いないのだ。従兄弟と〝りょうた君〟を混同し、自ら鬼の前に姿を現してしまったから。
(佳織を恨んだってしょうがない……どうにか自力でここから出ないと……!)
〝りょうた君〟には見つかってはいけない。逃げ切らなければならない。逃げ切れなければ殺されてしまう。
だが、それではいつまでたっても鬼になることができない。鬼にならなければ、初音に勝つこともできない。
(こんなの……どうやって終わらせればいいの……?)
絶望的だった。ここから解放される条件は分かっているのに、そのための行動を一切することができない。
死にたくなければずっと、〝りょうた君〟から逃げ回るしかないのだろうか。
「一体いつまで……」
終わりの見えないかくれんぼを永遠に続けなければならないのかもしれない――そう考えるだけで、亜美の目には涙が溜まってきた。
「わたしは六時までだよ」
初音の声が、亜美の意識を思考の沼から引き戻す。
「ろ、六時……?」
自分の聞き間違いかもしれないと思いながら半信半疑で聞き返すと、初音は「うん」と言いながら教室前方を指差した。その先――黒板の上には時計があり、長年使われていない建物のはずなのに秒針が静かに動いている。
「時計のはりがたてにまっすぐになるまで――そうしたら、わたしはおわらなきゃいけないの」
「…………」
あの時計は今まで動いていただろうか――疑問に思ったが、亜美は小さく首を振った。
今はそんなことはどうでもいいのだ。元々外に出られないという特殊な状況なのだから、おかしなことが起こっても不思議ではない。
それよりも初音の発言だ。六時になったら終わる――ならばそれまで逃げ切ればここから出られるのかもしれない。
(今は五時ちょっと過ぎ……)
幸いにも六時はもうすぐそこだ。そう思うと、亜美は自分の胸の中に希望が広がるのを感じた。
しかしその希望を伝えるため紗季たちの方を見ようとした時、ギシ、と嫌な音を耳が拾った。
(ッ……戻ってきた……?)
折角ここから解放される見込みが立ったのに――もどかしさを感じながらも、亜美は慌てて息を潜めた。紗季たちの方からも息を呑む音が聞こえる。
ギシ、ギシ、という音はどんどん近付いてきた。それは少し前に一番近付いてきた時よりも大きな音になって、教室の中にまで入ってきたのだと分かる。床から伝わる振動が、あの時よりもずっと大きくなっている。
(なんでここまで……)
「――もういいかい?」
床を伝う振動が止まったかと思うと、直後に低い男の声がその場に響いた。
(こんなの答えられるわけがない……!)
答えたら見つかってしまう。見つかったら、殺されてしまうのだ。
かくれんぼのルール上それが許されるかは分からないが、亜美は黙ったままやり過ごそうと唇をきゅっと引き締めた。
それなのに――
「もういいよ」
隣に座った初音が、無邪気な声でそう言った。
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※この作品は「敗者の街 ― Requiem to the past ―」の続編になります。
第一部はこちら。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/33242583/99233521
イギリスの記者オリーヴ・サンダースは、友人ロデリック・アンダーソンの著書「敗者の街」を読み、強い関心を示していた。
死後の世界とも呼べる「敗者の街」……そこに行けば、死別した恋人に会えるかもしれない。その欲求に応えるかのように、閉ざされていた扉は開かれる。だが、「敗者の街」に辿り着いた途端、オリーヴの亡き恋人に関する記憶はごっそりと抜け落ちてしまった。
新たに迷い込んだ生者や、外に出ようと目論む死者。あらゆる思惑が再び絡み合い、交錯する。
オリーヴは脱出を目指しながらも、渦巻く謀略に巻き込まれていく……
──これは、進むべき「現在」を切り拓く物語。
《注意書き》
※記号の後の全角空白は私が個人的にWeb媒体では苦手に感じるので、半角にしております。
※過激な描写あり。特に心がしんどい時は読む際注意してください。
※現実世界のあらゆる物事とは一切関係がありません。ちなみに、迂闊に真似をしたら呪われる可能性があります。
※この作品には暴力的・差別的な表現も含まれますが、差別を助長・肯定するような意図は一切ございません。場合によっては復讐されるような行為だと念頭に置いて、言動にはどうか気をつけて……。
※特殊性癖も一般的でない性的嗜好も盛りだくさんです。キャラクターそれぞれの生き方、それぞれの愛の形を尊重しています。
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