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孤立
〈一〉間違い
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その事件があった旧校舎に行くとね、ハツネチャンと一緒にかくれんぼができるんだって。
やり方は簡単、ハツネチャンに一緒にかくれんぼしようって呼びかけるだけ。そうするとかくれんぼが始まるの。
でもね、かくれんぼをしている間は旧校舎の中に閉じ込められてしまう。それなのに外の人は誰も気付かない。なんでかって? 閉じ込められている間は入れ替わっちゃうの。ハツネチャンが自分のふりをして、外で過ごすの。
旧校舎から出たいのであれば方法は一つ、ハツネチャンに勝つことだけ。鬼になった時にハツネチャンを見つけられれば勝ち。かくれんぼは終わって、旧校舎から解放される――
§ § §
『――でも、そのかくれんぼをして旧校舎から帰ってきた人はいない』
そう言って怪しげな笑みを浮かべた里奈の話を思い出しながら、佳織は頭の中に引っかかるものを感じていた。
(どこかで聞いたことあるんだよな……)
以前彼女から聞いたのだろうかと思ったが、それはないだろうと思い直す。自分よりも一つ年上の里奈とは小学生の頃に通っていたスイミングスクールで出会ったが、佳織は中学進学と同時に辞めているのだ。
だから昼間偶然出会った里奈とは四年ぶりの再会だった。その間は一度も連絡すら取っておらず、更に四年前の自分は特別怪談好きというわけでもなかったため、この話を聞いていることはないだろう。今回里奈がこんな話をしてくれたのだって、世間話から自分が最近怪談にハマっているという話題を出したからだ。第一、話してくれた里奈本人もここのところ学校で密かに流行っている怪談だと前置きをしていた。ならば四年前の彼女がこの話を知っているはずもない。
(気の所為かな……)
里奈の語った怪談を聞いたことがあると言っても、詳細に内容を覚えていたわけではなく、どことなく聞いたことがあるかもしれない、という程度だった。だからこの話を最近学校で友人たちに話している怪談話には出したことがない。どこかの旧校舎で霊とかくれんぼをしてはいけないだとか、霊と一人で会ってはいけないだとか、そんなおぼろげな記憶しかないから、話そうにも話せないのだ。
それくらい微かな記憶だったため、これをどこで聞いたのか佳織はなかなか思い出せなかった。最近収集した怪談であれば絶対に覚えているはずだ。覚えていなかったとしても回るサイトは決まりきっているから、そこからどうにか探し出せる。
だが里奈と別れた後に自宅で調べてみてもどこにもそれらしきものは載っておらず、佳織は一体どこで知ったのかと頭を悩ませた。
別に気にするほどのことではないのかもしれない。幼い頃に誰かから聞いたとか、テレビで観たとか、その程度なのかもしれない。それならばまともに覚えていないことも納得できるし、何だったら聞いたことがあるということすら記憶違いで、実は全く似ても似つかない話をそれだと思ってしまったということもあるだろう。
そう考えると、これ以上調べても無駄な気がした。佳織の経験上、これだけ調べても思い出せないことは結局その場では思い出せないことが多いのだ。思い出せるとしたら、全く気にしていない時に急に頭の中に浮かぶ場合くらいだろう。だったらもう、このことは一旦忘れて自然に思い出すのを待つ方が良いのかもしれない。
(けどなぁ……)
それなのにどういうわけか、佳織はこの話が気になって仕方がなかった。一旦忘れるだなんてできる気がしない。というよりも、忘れてはいけない、思い出さなければいけない――そんな想いが、佳織の胸の中を勢い良く渦巻いていた。
「『かくれんぼ中は閉じ込められる』ねぇ……」
なんだかよくある話なんだけどな、と思いながら佳織は怪談投稿サイトの画面をスクロールした。表形式で並んだ概要をざっと見て、めぼしいものがないことを確認すると次のページへのボタンを押す。
「『霊に勝てば解放される』っていうのもまあ、よくあるし……」
似たような怪談をいくつか見つけはしたが、自分が探しているものとは明らかに違う。
こんなふうに文字で与えられた情報ではなくて、確かもっと身近な声で――そこまで考えた時、ふと懐かしい声が佳織の脳裏を過ぎった。
『――っていう都市伝説みたいなのがあってさ、その元になった旧校舎っつーのが近くにあるらしいのよ。明日タケルたちと肝試しに行こうって話してるんだけど、佳織も行く?』
「あ……」
これだ、と佳織は瞬時に確信を持った。
声の主の名前は蓮。佳織の従兄弟で、彼女は蓮兄と呼んでいた。そして――三年前から行方不明だったのだ。
蓮は周囲の大人には不良とみなされていて、家出と称して自宅を数日空けるのは珍しくなかった。だが自分のことは実の妹のように可愛がってくれており、周りの大人には何も言わずに家出をしても、必ず自分には心配しなくていいと連絡してくれていたのだ。
それなのに、この三年間蓮からの連絡は一度もない。大人たちが騒ぎ始めたのは蓮が失踪してから一月が経ってからで、その時になってようやく蓮以外にも彼の友人数名も消えていると分かった。蓮の友人の失踪がすぐに分からなかったのは、彼らが学校という繋がりではなかったからだ。いわゆる夜遊び仲間というやつで、本人たちすらもお互いがどこの学校に通っているのか把握しきっていなかった。
本来であれば大事になるはずの複数人が同時に消えているという事実は、むしろ大人たちから焦燥感を消し去った。蓮一人だけなら何かしらの事故や事件に巻き込まれたのかもしれない。だが仲の良い友人と連れ立ってということなら、仲間と一緒に家を捨てたということも有り得る――それが、何度も補導されるような子供を持った親たちの願望の混じった見解だった。
だから当時の佳織がいくらそれは有り得ないと主張しても、誰もまともに取り合ってはくれなかった。唯一、佳織の母だけは蓮の父である自らの兄に娘の言葉を何度も伝えてくれたが、蓮の父はそれでも息子が自分の意思で家を出ていったという意見を曲げなかった。
そのため蓮は今も家出扱いだ。勿論彼の親は警察に届け出てはいないし、恐らくろくに探してすらいないだろう。
佳織は蓮の失踪当初に自分の知りうる限りで彼の行動範囲を探してみたが、元々彼の友人は数人しか知らなかったためすぐに手詰まりになってしまった。あてもなく探しても見つかるはずもなく、そうしていつの間にか諦めるようになっていたのだ。
だが――
「蓮兄は、ここに行った……?」
この場所は探していない――佳織は自分の心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。
蓮と佳織は三つ年が離れている。蓮の失踪した三年前と言えば、佳織はまだ中学生。佳織をあまり夜遊びに連れ歩きたがらなかった蓮は、自分で誘ったくせに『やっぱ夜遅いからやめとくか』とすぐに発言を撤回してしまったのだ。
当時の佳織はまだ怪談好きではなかった。だからどうしても行きたいと食い下がらなかったし、蓮の話していた内容すらも真面目に聞いていなかった。それに彼が失踪したことで、そんなよく分からない話はどうでもよくなってしまったというのもある。だから覚えていなかったのだ――そう気付いた瞬間、佳織はどうして今まで気付かなかったんだと自分を殴りたくなった。
改めて聞いた件の怪談では、少女の霊とかくれんぼをしている間は旧校舎に閉じ込められてしまうという。もしあの日の蓮が少女とかくれんぼをしたのだとしたら――今もまだ、彼は旧校舎にいるのではないか?
そう考えると、佳織は自分の中に希望が生まれるのを感じた。
何故なら怪談の中では帰ってくる方法も示されていたからだ――自分が鬼となって少女を見つければいい、と。
都市伝説や怪談が真実だとは思っていない。だがもし蓮がその怪談どおりに失踪してしまったのであれば、同じように戻って来られる可能性があるのではないか。里奈の話では戻ってきた者はいないそうだが、それは単なる怪談としての演出で、実際には戻って来られた誰かがいるからこそ、こうして怪談として語り継がれているのではないか。
ならばあの場所で、かくれんぼをすれば――その希望を胸に、佳織はその旧校舎のことを調べ始めた。
§ § §
『――とっておきがあるの!』
いつもの放課後の楽しみの後。帰ろうとしていた友人たちを引き止めて、佳織はあの怪談をすることにした。
話すかどうか、何度も迷った。何故なら自分はあの旧校舎に彼女たちと行きたいからこの怪談を話そうとしているのに、もしこれを聞いた上で誰も興味を持ってくれなかったら――不安になったが、その時はその時だ、と佳織は自分を鼓舞した。
その旧校舎のことは、蓮と里奈から聞いた話を頼りに過去の新聞を読み漁ればどうにか見つけることができた。
事件から三十年以上放置されている木造の建物――それが分かった時は入っても大丈夫か不安に思ったが、三年前の時点で蓮たちが入ろうとしていたことから、当時はまだ入れたのだろう。確か蓮は、その場所が時々肝試しに使われるとも言っていた。建物が三年でどれくらい劣化してしまうかは分からないが、それでも一歩も入れないほどではないはずだ。
とはいえ、一人でそんな場所に行くのはやはり不安だった。霊的な怖さというよりも、いつ崩れるかも分からない建物に一人で入るのは危険すぎる。倒壊に巻き込まれて長時間誰にも見つけてもらえず苦しんだ挙げ句、蓮たちとは全く関係なかったら笑い話にもならない。
だから佳織はなるべく友人たちと一緒に行きたかった。ただ、あまり無理強いはしたくない。一人だろうが複数人だろうが危険なことには変わりないのだ、そんな場所に誘うのはやはり心苦しい。あくまで彼女たちが自発的に危険を冒してでも行きたくなるように――怪談のモデルとなった場所を見に行きたいと思ってくれるように、自分は振る舞わなければならない。
『私、この話知ってるかも』
だから紗季がこの怪談について知っていたのは、佳織にとっては僥倖だった。
怖がらせすぎないように一部分をわざと省いて語った怪談――そこからどうにか近所の旧校舎の話へと持って行きたかったが、そこを知っているという紗季が自分から話題にあげてくれたのだ。
おかげでトントン拍子に話は進み、翌日には旧校舎へと行けることになった。周囲のフェンスが一部分切り離されているところまでは事前に確認済みだ。肝試しに使われるため誰かが入り口を確保してくれたのだろうと考えれば何も不思議なことはない。
そしてそのフェンスの入り口も自分ではなく、偶然菜月が見つけてくれた。しかも建物内にはどう入ればいいかまだ全く分かっていなかったのに、お膳立てするように昇降口の扉のガラスが破られていたのだ。ここまでくれば、誰かにここを探せと背中を押されているような気すらした。
全部うまくいっていると思っていた。自分の思うとおり、いや、それよりも更に望む方向に事が運んでいる。
『完全に廃墟じゃん』
いつもの自分になるよう意識して言いながら、佳織は割れたガラスの隙間から内側の鍵へと手を伸ばした。蓮たちもこうして中に入ったのだろうか。自分は本当に今彼らと同じことをしているのだろうか――期待と不安が入り交じる胸中を隠すように、『うわ、埃っぽい』と茶化すように口にした。
(蓮兄たちの物は……落ちてないか)
昇降口から入ってすぐ、佳織の目は自然と蓮たちの痕跡を探していた。その後も友人たちと連れ立って校舎内を進みながら、口では冗談を言って、目ではそれを探し続けた。
だが案の定と言うべきか、蓮たちが来ていた証拠は見つけられなかった。彼らが来たとすれば三年も前になるし、そもそも簡単に落とすような物を持ち歩いているイメージもない。だからここまでは、佳織も想定内だった。
想定していないことが起こり始めたのは、菜月の提案でかくれんぼを始めようとした時からだ。
まず一つ目が、紗季の指摘だった。紗季は現実的であまり怪談の内容を信じていないと思っていたのに、かくれんぼに関しては説明した方がいいのではないかと言う。
だが佳織としては、まだ説明したくはなかった。折角自然とかくれんぼができる流れになったのに、それを説明することで不気味がった友人たちが今すぐに帰ってしまうかもしれない。
自分一人だけ残っても良かったが、やはり一人は怖かった。こんなくたびれた建物では、かくれんぼをする前に事故に遭ってしまう可能性だってある。だから佳織は、できる限り友人たちを帰したくはなかった。
そして二つ目が、突然声をかけられたことだ。
『――もういいかい?』
その声を聞いた瞬間に佳織が思ったのは、『そんなの知らない』だった。
本当に知らないのだ。こんなふうに急に声をかけられるだなんて、里奈から聞いた怪談にはなかった。ならばと蓮の話を思い返してみたが、彼から聞いていたのは旧校舎で少女の霊とかくれんぼができるかもしれないという概要だけで、方法は示されていなかった。
(だけど蓮兄の話はきっと里奈ちゃんの怪談と同じだから、やっぱりルールも同じはず……)
旧校舎の中の少女とかくれんぼを始めるには、彼女の名前を呼びながら誘う必要がある――それが里奈から聞いていたこのかくれんぼの始め方だ。だから佳織は、まずは友人たちとだけかくれんぼをやり、その後彼女たちの気持ちに余裕ができてきた頃を見計らって少女を呼ぶことを提案するつもりだった。
それなのに現実は、佳織の意図していたものとは違うように進んでしまっている。
だがすぐに佳織はこういうこともあるだろう、と自身を納得させた。要は順序の問題だ。少女を誘ってからかくれんぼを始めるか、自分たちのしていたかくれんぼに少女が参加するか。怪談ならば人から人へと伝わる際に少し変わってしまうことも珍しくはない。
(大丈夫、問題ない。きっとこれで初音ちゃんとかくれんぼができる)
佳織はメッセージアプリで自分を諌める紗季に返信しながら、次に声をかけられたら返事をしようと決意した。
だが、それはできなくなってしまった。その後すぐに菜月に見つかってしまったからだ。
だから仕方なく紗季に頼んだ。それなのに彼女はかくれんぼが終わった後、平然と自分の前に戻ってきてしまったのだ。
『おっそいよ、紗季。どこにいたの?』
どことなくその声が尖ってしまったのは、苛立っていたからだろうか――聞こえてきた自分の声に佳織は一瞬反省しようとしたが、その直後に返ってきた反応に一気に苛立ちが掻き立てられた。
『内緒』
まるで何事もなかったかのように、にっこりと笑う紗季。あれだけかくれんぼ中に自分を止めるようなメッセージを送ってきたくせに、少しの気まずさも感じられない。
(こっちは必死なのに……!)
普段の自分なら紗季に対してこんなことは思わないと分かっていた。だが彼女のこの態度を見ていると、蓮を探すことを否定されているように感じてしまったのだ。
紗季には蓮を探しに来たとは言っていない。だがそれでも、我関せずとも言える態度はかつて蓮が失踪した時の大人たちのようで、佳織は強い不快感を抱いた。
だから旧校舎からの帰り道、紗季が自分に全く話しかけてこなくても何も気にならなかった。いつもと違う自分の様子を見て、やっと気まずさを感じたのだろうと思ったからだ。
翌日の学校での態度も同じだと思った。旧校舎でやり取りしていた内容は、自分たちの関係にヒビを入れても仕方がないものだ。昼休みに『もういいかい?』と聞かれたことを話題に出したのも紗季の出方を窺うためだったが、それでも知らんふりをしているのを見て自分たちの関係は壊れたのだと悟った。
それでも菜月の件は話が別だった。一人で旧校舎に行くというのは危険すぎる。
だから慌てて探しに来た。何も友人に傷ついて欲しいわけではないのだ。だから菜月が見つかった時も心の底から安堵した。
そして菜月の話を聞いているうちに、紗季に対して自分が勘違いしていると気が付いた。
紗季はちゃんと約束を守ってくれていたのだ。自分が腹を立てていた相手は、恐らく紗季と入れ替わった初音。だから紗季とは違う行動を取ったのだ。
『みんなでかくれんぼしよう、初音ちゃん!』
あの紗季が初音だったのだと気付いた時にはもう、声を張り上げていた。
彼女がここに閉じ込められているのであれば、自分も同じように閉じ込められればきっとそこで出会えるかもしれない。紗季と出会えたとしたら、蓮にも会えるかもしれない――自然と浮かんできた考えに、佳織の身体は突き動かされていた。
そしてすぐに、その自分の行動は正しかったのだと分かった。亜美が眠ってると言っていた紗季が、自分たちの目の前に現れたのだ。
(かくれんぼが始まるんだ……!)
これでやっと蓮を探せる――そう考えただけで胸が躍るようだった。だから気付くのが遅れてしまったのだろう。
「――蓮兄!」
目の前にいる人物が、蓮とは違うことに。
確かに自分よりも背が高いが、それだけだと。
(誰……?)
途切れゆく意識の中で最後に見た顔は、浅黒い肌の、見知らぬ男のものだった。
やり方は簡単、ハツネチャンに一緒にかくれんぼしようって呼びかけるだけ。そうするとかくれんぼが始まるの。
でもね、かくれんぼをしている間は旧校舎の中に閉じ込められてしまう。それなのに外の人は誰も気付かない。なんでかって? 閉じ込められている間は入れ替わっちゃうの。ハツネチャンが自分のふりをして、外で過ごすの。
旧校舎から出たいのであれば方法は一つ、ハツネチャンに勝つことだけ。鬼になった時にハツネチャンを見つけられれば勝ち。かくれんぼは終わって、旧校舎から解放される――
§ § §
『――でも、そのかくれんぼをして旧校舎から帰ってきた人はいない』
そう言って怪しげな笑みを浮かべた里奈の話を思い出しながら、佳織は頭の中に引っかかるものを感じていた。
(どこかで聞いたことあるんだよな……)
以前彼女から聞いたのだろうかと思ったが、それはないだろうと思い直す。自分よりも一つ年上の里奈とは小学生の頃に通っていたスイミングスクールで出会ったが、佳織は中学進学と同時に辞めているのだ。
だから昼間偶然出会った里奈とは四年ぶりの再会だった。その間は一度も連絡すら取っておらず、更に四年前の自分は特別怪談好きというわけでもなかったため、この話を聞いていることはないだろう。今回里奈がこんな話をしてくれたのだって、世間話から自分が最近怪談にハマっているという話題を出したからだ。第一、話してくれた里奈本人もここのところ学校で密かに流行っている怪談だと前置きをしていた。ならば四年前の彼女がこの話を知っているはずもない。
(気の所為かな……)
里奈の語った怪談を聞いたことがあると言っても、詳細に内容を覚えていたわけではなく、どことなく聞いたことがあるかもしれない、という程度だった。だからこの話を最近学校で友人たちに話している怪談話には出したことがない。どこかの旧校舎で霊とかくれんぼをしてはいけないだとか、霊と一人で会ってはいけないだとか、そんなおぼろげな記憶しかないから、話そうにも話せないのだ。
それくらい微かな記憶だったため、これをどこで聞いたのか佳織はなかなか思い出せなかった。最近収集した怪談であれば絶対に覚えているはずだ。覚えていなかったとしても回るサイトは決まりきっているから、そこからどうにか探し出せる。
だが里奈と別れた後に自宅で調べてみてもどこにもそれらしきものは載っておらず、佳織は一体どこで知ったのかと頭を悩ませた。
別に気にするほどのことではないのかもしれない。幼い頃に誰かから聞いたとか、テレビで観たとか、その程度なのかもしれない。それならばまともに覚えていないことも納得できるし、何だったら聞いたことがあるということすら記憶違いで、実は全く似ても似つかない話をそれだと思ってしまったということもあるだろう。
そう考えると、これ以上調べても無駄な気がした。佳織の経験上、これだけ調べても思い出せないことは結局その場では思い出せないことが多いのだ。思い出せるとしたら、全く気にしていない時に急に頭の中に浮かぶ場合くらいだろう。だったらもう、このことは一旦忘れて自然に思い出すのを待つ方が良いのかもしれない。
(けどなぁ……)
それなのにどういうわけか、佳織はこの話が気になって仕方がなかった。一旦忘れるだなんてできる気がしない。というよりも、忘れてはいけない、思い出さなければいけない――そんな想いが、佳織の胸の中を勢い良く渦巻いていた。
「『かくれんぼ中は閉じ込められる』ねぇ……」
なんだかよくある話なんだけどな、と思いながら佳織は怪談投稿サイトの画面をスクロールした。表形式で並んだ概要をざっと見て、めぼしいものがないことを確認すると次のページへのボタンを押す。
「『霊に勝てば解放される』っていうのもまあ、よくあるし……」
似たような怪談をいくつか見つけはしたが、自分が探しているものとは明らかに違う。
こんなふうに文字で与えられた情報ではなくて、確かもっと身近な声で――そこまで考えた時、ふと懐かしい声が佳織の脳裏を過ぎった。
『――っていう都市伝説みたいなのがあってさ、その元になった旧校舎っつーのが近くにあるらしいのよ。明日タケルたちと肝試しに行こうって話してるんだけど、佳織も行く?』
「あ……」
これだ、と佳織は瞬時に確信を持った。
声の主の名前は蓮。佳織の従兄弟で、彼女は蓮兄と呼んでいた。そして――三年前から行方不明だったのだ。
蓮は周囲の大人には不良とみなされていて、家出と称して自宅を数日空けるのは珍しくなかった。だが自分のことは実の妹のように可愛がってくれており、周りの大人には何も言わずに家出をしても、必ず自分には心配しなくていいと連絡してくれていたのだ。
それなのに、この三年間蓮からの連絡は一度もない。大人たちが騒ぎ始めたのは蓮が失踪してから一月が経ってからで、その時になってようやく蓮以外にも彼の友人数名も消えていると分かった。蓮の友人の失踪がすぐに分からなかったのは、彼らが学校という繋がりではなかったからだ。いわゆる夜遊び仲間というやつで、本人たちすらもお互いがどこの学校に通っているのか把握しきっていなかった。
本来であれば大事になるはずの複数人が同時に消えているという事実は、むしろ大人たちから焦燥感を消し去った。蓮一人だけなら何かしらの事故や事件に巻き込まれたのかもしれない。だが仲の良い友人と連れ立ってということなら、仲間と一緒に家を捨てたということも有り得る――それが、何度も補導されるような子供を持った親たちの願望の混じった見解だった。
だから当時の佳織がいくらそれは有り得ないと主張しても、誰もまともに取り合ってはくれなかった。唯一、佳織の母だけは蓮の父である自らの兄に娘の言葉を何度も伝えてくれたが、蓮の父はそれでも息子が自分の意思で家を出ていったという意見を曲げなかった。
そのため蓮は今も家出扱いだ。勿論彼の親は警察に届け出てはいないし、恐らくろくに探してすらいないだろう。
佳織は蓮の失踪当初に自分の知りうる限りで彼の行動範囲を探してみたが、元々彼の友人は数人しか知らなかったためすぐに手詰まりになってしまった。あてもなく探しても見つかるはずもなく、そうしていつの間にか諦めるようになっていたのだ。
だが――
「蓮兄は、ここに行った……?」
この場所は探していない――佳織は自分の心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。
蓮と佳織は三つ年が離れている。蓮の失踪した三年前と言えば、佳織はまだ中学生。佳織をあまり夜遊びに連れ歩きたがらなかった蓮は、自分で誘ったくせに『やっぱ夜遅いからやめとくか』とすぐに発言を撤回してしまったのだ。
当時の佳織はまだ怪談好きではなかった。だからどうしても行きたいと食い下がらなかったし、蓮の話していた内容すらも真面目に聞いていなかった。それに彼が失踪したことで、そんなよく分からない話はどうでもよくなってしまったというのもある。だから覚えていなかったのだ――そう気付いた瞬間、佳織はどうして今まで気付かなかったんだと自分を殴りたくなった。
改めて聞いた件の怪談では、少女の霊とかくれんぼをしている間は旧校舎に閉じ込められてしまうという。もしあの日の蓮が少女とかくれんぼをしたのだとしたら――今もまだ、彼は旧校舎にいるのではないか?
そう考えると、佳織は自分の中に希望が生まれるのを感じた。
何故なら怪談の中では帰ってくる方法も示されていたからだ――自分が鬼となって少女を見つければいい、と。
都市伝説や怪談が真実だとは思っていない。だがもし蓮がその怪談どおりに失踪してしまったのであれば、同じように戻って来られる可能性があるのではないか。里奈の話では戻ってきた者はいないそうだが、それは単なる怪談としての演出で、実際には戻って来られた誰かがいるからこそ、こうして怪談として語り継がれているのではないか。
ならばあの場所で、かくれんぼをすれば――その希望を胸に、佳織はその旧校舎のことを調べ始めた。
§ § §
『――とっておきがあるの!』
いつもの放課後の楽しみの後。帰ろうとしていた友人たちを引き止めて、佳織はあの怪談をすることにした。
話すかどうか、何度も迷った。何故なら自分はあの旧校舎に彼女たちと行きたいからこの怪談を話そうとしているのに、もしこれを聞いた上で誰も興味を持ってくれなかったら――不安になったが、その時はその時だ、と佳織は自分を鼓舞した。
その旧校舎のことは、蓮と里奈から聞いた話を頼りに過去の新聞を読み漁ればどうにか見つけることができた。
事件から三十年以上放置されている木造の建物――それが分かった時は入っても大丈夫か不安に思ったが、三年前の時点で蓮たちが入ろうとしていたことから、当時はまだ入れたのだろう。確か蓮は、その場所が時々肝試しに使われるとも言っていた。建物が三年でどれくらい劣化してしまうかは分からないが、それでも一歩も入れないほどではないはずだ。
とはいえ、一人でそんな場所に行くのはやはり不安だった。霊的な怖さというよりも、いつ崩れるかも分からない建物に一人で入るのは危険すぎる。倒壊に巻き込まれて長時間誰にも見つけてもらえず苦しんだ挙げ句、蓮たちとは全く関係なかったら笑い話にもならない。
だから佳織はなるべく友人たちと一緒に行きたかった。ただ、あまり無理強いはしたくない。一人だろうが複数人だろうが危険なことには変わりないのだ、そんな場所に誘うのはやはり心苦しい。あくまで彼女たちが自発的に危険を冒してでも行きたくなるように――怪談のモデルとなった場所を見に行きたいと思ってくれるように、自分は振る舞わなければならない。
『私、この話知ってるかも』
だから紗季がこの怪談について知っていたのは、佳織にとっては僥倖だった。
怖がらせすぎないように一部分をわざと省いて語った怪談――そこからどうにか近所の旧校舎の話へと持って行きたかったが、そこを知っているという紗季が自分から話題にあげてくれたのだ。
おかげでトントン拍子に話は進み、翌日には旧校舎へと行けることになった。周囲のフェンスが一部分切り離されているところまでは事前に確認済みだ。肝試しに使われるため誰かが入り口を確保してくれたのだろうと考えれば何も不思議なことはない。
そしてそのフェンスの入り口も自分ではなく、偶然菜月が見つけてくれた。しかも建物内にはどう入ればいいかまだ全く分かっていなかったのに、お膳立てするように昇降口の扉のガラスが破られていたのだ。ここまでくれば、誰かにここを探せと背中を押されているような気すらした。
全部うまくいっていると思っていた。自分の思うとおり、いや、それよりも更に望む方向に事が運んでいる。
『完全に廃墟じゃん』
いつもの自分になるよう意識して言いながら、佳織は割れたガラスの隙間から内側の鍵へと手を伸ばした。蓮たちもこうして中に入ったのだろうか。自分は本当に今彼らと同じことをしているのだろうか――期待と不安が入り交じる胸中を隠すように、『うわ、埃っぽい』と茶化すように口にした。
(蓮兄たちの物は……落ちてないか)
昇降口から入ってすぐ、佳織の目は自然と蓮たちの痕跡を探していた。その後も友人たちと連れ立って校舎内を進みながら、口では冗談を言って、目ではそれを探し続けた。
だが案の定と言うべきか、蓮たちが来ていた証拠は見つけられなかった。彼らが来たとすれば三年も前になるし、そもそも簡単に落とすような物を持ち歩いているイメージもない。だからここまでは、佳織も想定内だった。
想定していないことが起こり始めたのは、菜月の提案でかくれんぼを始めようとした時からだ。
まず一つ目が、紗季の指摘だった。紗季は現実的であまり怪談の内容を信じていないと思っていたのに、かくれんぼに関しては説明した方がいいのではないかと言う。
だが佳織としては、まだ説明したくはなかった。折角自然とかくれんぼができる流れになったのに、それを説明することで不気味がった友人たちが今すぐに帰ってしまうかもしれない。
自分一人だけ残っても良かったが、やはり一人は怖かった。こんなくたびれた建物では、かくれんぼをする前に事故に遭ってしまう可能性だってある。だから佳織は、できる限り友人たちを帰したくはなかった。
そして二つ目が、突然声をかけられたことだ。
『――もういいかい?』
その声を聞いた瞬間に佳織が思ったのは、『そんなの知らない』だった。
本当に知らないのだ。こんなふうに急に声をかけられるだなんて、里奈から聞いた怪談にはなかった。ならばと蓮の話を思い返してみたが、彼から聞いていたのは旧校舎で少女の霊とかくれんぼができるかもしれないという概要だけで、方法は示されていなかった。
(だけど蓮兄の話はきっと里奈ちゃんの怪談と同じだから、やっぱりルールも同じはず……)
旧校舎の中の少女とかくれんぼを始めるには、彼女の名前を呼びながら誘う必要がある――それが里奈から聞いていたこのかくれんぼの始め方だ。だから佳織は、まずは友人たちとだけかくれんぼをやり、その後彼女たちの気持ちに余裕ができてきた頃を見計らって少女を呼ぶことを提案するつもりだった。
それなのに現実は、佳織の意図していたものとは違うように進んでしまっている。
だがすぐに佳織はこういうこともあるだろう、と自身を納得させた。要は順序の問題だ。少女を誘ってからかくれんぼを始めるか、自分たちのしていたかくれんぼに少女が参加するか。怪談ならば人から人へと伝わる際に少し変わってしまうことも珍しくはない。
(大丈夫、問題ない。きっとこれで初音ちゃんとかくれんぼができる)
佳織はメッセージアプリで自分を諌める紗季に返信しながら、次に声をかけられたら返事をしようと決意した。
だが、それはできなくなってしまった。その後すぐに菜月に見つかってしまったからだ。
だから仕方なく紗季に頼んだ。それなのに彼女はかくれんぼが終わった後、平然と自分の前に戻ってきてしまったのだ。
『おっそいよ、紗季。どこにいたの?』
どことなくその声が尖ってしまったのは、苛立っていたからだろうか――聞こえてきた自分の声に佳織は一瞬反省しようとしたが、その直後に返ってきた反応に一気に苛立ちが掻き立てられた。
『内緒』
まるで何事もなかったかのように、にっこりと笑う紗季。あれだけかくれんぼ中に自分を止めるようなメッセージを送ってきたくせに、少しの気まずさも感じられない。
(こっちは必死なのに……!)
普段の自分なら紗季に対してこんなことは思わないと分かっていた。だが彼女のこの態度を見ていると、蓮を探すことを否定されているように感じてしまったのだ。
紗季には蓮を探しに来たとは言っていない。だがそれでも、我関せずとも言える態度はかつて蓮が失踪した時の大人たちのようで、佳織は強い不快感を抱いた。
だから旧校舎からの帰り道、紗季が自分に全く話しかけてこなくても何も気にならなかった。いつもと違う自分の様子を見て、やっと気まずさを感じたのだろうと思ったからだ。
翌日の学校での態度も同じだと思った。旧校舎でやり取りしていた内容は、自分たちの関係にヒビを入れても仕方がないものだ。昼休みに『もういいかい?』と聞かれたことを話題に出したのも紗季の出方を窺うためだったが、それでも知らんふりをしているのを見て自分たちの関係は壊れたのだと悟った。
それでも菜月の件は話が別だった。一人で旧校舎に行くというのは危険すぎる。
だから慌てて探しに来た。何も友人に傷ついて欲しいわけではないのだ。だから菜月が見つかった時も心の底から安堵した。
そして菜月の話を聞いているうちに、紗季に対して自分が勘違いしていると気が付いた。
紗季はちゃんと約束を守ってくれていたのだ。自分が腹を立てていた相手は、恐らく紗季と入れ替わった初音。だから紗季とは違う行動を取ったのだ。
『みんなでかくれんぼしよう、初音ちゃん!』
あの紗季が初音だったのだと気付いた時にはもう、声を張り上げていた。
彼女がここに閉じ込められているのであれば、自分も同じように閉じ込められればきっとそこで出会えるかもしれない。紗季と出会えたとしたら、蓮にも会えるかもしれない――自然と浮かんできた考えに、佳織の身体は突き動かされていた。
そしてすぐに、その自分の行動は正しかったのだと分かった。亜美が眠ってると言っていた紗季が、自分たちの目の前に現れたのだ。
(かくれんぼが始まるんだ……!)
これでやっと蓮を探せる――そう考えただけで胸が躍るようだった。だから気付くのが遅れてしまったのだろう。
「――蓮兄!」
目の前にいる人物が、蓮とは違うことに。
確かに自分よりも背が高いが、それだけだと。
(誰……?)
途切れゆく意識の中で最後に見た顔は、浅黒い肌の、見知らぬ男のものだった。
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