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混同
〈五〉本当のかくれんぼ・後
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(全然見つからない……)
旧校舎の廊下を一人で歩きながら、紗季はふうと大きく溜息を吐いた。
(あのくらいの大きさの子だと、隠れる場所たくさんあるからな……)
周りを見渡して、初音の身体の大きさを頭の中に思い浮かべた。
小学校低学年くらいの年齢を思わせる彼女の身長は、自分の胸よりも少し低い。ワンピースを着ていたことからあまり無茶な隠れ方はしないかと思っていたが、これだけ探して見つからないとなると、あのくらいの年頃の子供は自分の服装なんて気にしないと考えを改めた方がいいかもしれない。
大人が見れば明らかに危険と分かる場所でも平気で突っ込んでいくのが子供だ。しかも初音は幽霊なのだから、普通は危険な場所でも彼女にとっては何の問題もない可能性すらある。
『もしかして二階……?』
もうずっと一階を探していたが、散らばる机をひっくり返しても一向に見つからないのだ。お陰でうっかり自分が最初に隠れていたロッカーを倒してしまったり、そのはずみで近くにあった机の山がロッカーの上に崩れてきたりと、この旧校舎の荒廃にだいぶ加担してしまっている気もする。一緒にいたはずの亜美たちの姿が見えないことから、ここは彼女たちには影響のないどこか別の場所なのかもしれないが、だからといって散らかしていい理由にはならない。
それにもし初音が二階にいるのであれば、これはすべて無駄なことになってしまう。今までいつ足場が崩れるか分からないため避けていたが、そろそろ覚悟を決めなければならないだろう。事故で怪我をするかもしれないが、そもそも初音を見つけられなければ自分はここから出ることすらできないのだ。
(……行くしかないか)
この旧校舎には廊下の両端に階段がある。自分が今いる位置からはどちらの方が近いだろうか――紗季が考えようとした時、「お姉ちゃん」と後ろから声がかかった。
『初音ちゃん? えっと……これは私が見つけたわけじゃないよね?』
振り向いた先にいた初音。紗季は一瞬このかくれんぼから解放されるのではと希望を持ったが、しかしそれはおかしいと思い直し確認するように尋ねた。
『うん、そうだよ。この回はもう終わりだから』
『どうして?』
『今度はみんなでやろう。お姉ちゃんも隠れてね』
『みんな?』
ここに自分たち以外いないはずでは――紗季は初音に問いかけながらあたりに視線を配ったが、やはりそこに人影はない。だが初音はそんな紗季にお構いなしとばかりに、『まだ小さくなってない人、みんな』と言って笑った。
『小さくって――』
小さくって、どういうこと――そう聞こうとした時、突如違和感が紗季を襲った。
(――え……私、寝てる……?)
今まで廊下にいたはずなのに、何故か身体が横たわっている。少し窮屈さを感じながら起き上がってみれば、そこは廊下ではなく教室。さらに自分がいるのは床に倒れたロッカーの中だった。
(このロッカーって……)
亜美たちとのかくれんぼ中に隠れていたロッカーだ、と紗季は直感した。勿論あちこちにあった同じデザインのロッカーの中から、これだと言い切れるような傷などの特徴を完璧に覚えていたわけではないが、立ち上がって見てみると倒れている位置にも見覚えがある。初音とのかくれんぼ中に自分が倒してしまったのだ。本来ならこの上にも机が乗っていたはずだが、不思議と起き上がった時点でそれはなかった。
(なんでこの中に……?)
その答えを考えようとした時、口論するような聞き覚えのある声が聞こえてきた。
§ § §
『初音ちゃんとのかくれんぼから解放されるためには、鬼になって初音ちゃんに勝たなきゃいけない――でも私、まだ初音ちゃんに勝ててなかった……それなのになんで、みんなとここにいるの……?』
紗季の言葉に、その場の空気が固まるのを亜美は感じた。紗季は何を言っているのだろうか――理解しようと必死に思考を巡らせる。
(紗季がここにいるのは、偽物の紗季が消えたからで……偽物が消えたのは、確かさっき佳織が――)
「かくれんぼが始まるからだよ」
佳織が声を上げる。その言葉は、今まさに亜美が頭の中に思い浮かべていたものだった。
「私、さっき初音ちゃんに言ったの。『みんなでかくれんぼしよう』って。それで参加者が増えたから、だから紗季は目覚めた――ううん、違う。紗季が目覚めたんじゃない、私たちも紗季と同じように眠ったんだ……!」
話の途中で何かに気付いた佳織は、興奮したように声を高くした。
「まだそんなこと言ってるの? 一旦話し合おうって言ったじゃん。もう付き合ってられない!」
再びかくれんぼの話題に戻った佳織に嫌気が差したのか、菜月はズカズカと一人で歩いて昇降口の扉へと向かった。
「そうだよ、紗季の目が覚めたことについてもちゃんと外で考えよう? 一回かくれんぼとかそういうのから離れてさ――菜月?」
菜月の後に続いて外に出ようとしていたたまは、中々扉を開けない菜月に首を傾げた。
「誰か鍵閉め――……開いてる?」
「どうしたの?」
いつもと違う様子の菜月を見ながら亜美が問いかけると、菜月とたまが強張った顔でこちらに振り返った。
「……閉じ込められてるかも」
「え?」
(そんなはず――)
亜美は菜月たちの元に駆け寄って扉を強く引いたが、全く動く気配はない。鍵のつまみを何度も回して開けようと試してみたが、どちらに回した状態でも結果は変わらなかった。
「出られないよ」
混乱する亜美たちに、紗季が静かに告げる。
「私も初音ちゃんを探してる時に試してみたけど、どこの扉も窓も開かなかった。割れた窓から出ようとしても、何かに阻まれるみたいに進めないの」
「……それって、まさか」
亜美が恐る恐る紗季を見ると、紗季はゆっくりと首肯した。
「多分、佳織が正しい。私が帰ってきたんじゃなくて、みんながこっちに来たんだと思う」
「なら……」
「さっきも言ったけど……このかくれんぼは、鬼になって初音ちゃんを見つけないと帰れないの。だから初音ちゃんを見つけていない私が帰れるはずがない」
紗季はそこで一度言葉を切ると、「それにね」と思い出すようにしながら話しだした。
「みんなと合流する前、かくれんぼ中だったはずの初音ちゃんが自分から出てきて私に言ったの。『この回はもう終わりだから』って。なんでか聞いたら、『今度はみんなでやろう』って言ってた。それを考えると、やっぱり佳織が言ったように次のかくれんぼを始めるために一旦中断したんだと思う」
紗季の言葉に、たまは「嘘……」と小さく呟いた。
「冗談でしょ……みんなって私たちってこと?」
菜月も怪訝な面持ちで紗季に問いかける。二人共驚いて入るようだが、取り乱す気配はない。
自分は今にも不安と恐怖で大声を出したいくらいなのに、何故たまも菜月もこんなに落ち着いていられるのかと亜美は思ったが、紗季がここにいるからだとすぐに気が付いた。
〝初音ちゃん〟とかくれんぼしていた紗季本人が、かくれんぼ自体を恐れている様子がないのだ。旧校舎から出られないのは間違いないが、命の危険を感じるような事態ではないと薄々感じているのだろう。
ならば自分も落ち着いて状況を考えるべきだ――亜美は静かに深呼吸して、菜月の問いに答えようとしている紗季に視線を戻した。
「菜月たちっていうか、『まだ小さくなってない人、みんな』って初音ちゃんは言ってたけど……」
(小さく……? でもここには私たち以外いないし……)
〝初音ちゃん〟なりの自分たちの表現なのだろうか――そう考えようとした時、亜美の中にはふと疑問が浮かんだ。
「そのみんなが私たちだとしてさ……これがかくれんぼだって言うなら、鬼は誰?」
答えを求めるように紗季を見たが、紗季は「初音ちゃんに隠れてって言われたから、少なくとも私ではないと思うんだけど……」と小さく首を横に振った。
「鬼って自覚のある人はいないんだよね?」
佳織が声を上げると、菜月とたまも紗季と同様に首を振る。自分でも同じようにしながら亜美は佳織を見ていたが、彼女もまた自分が鬼であるとは思っているようには見えなかった。
「紗季の時はどうやって鬼が決まったの?」
亜美の問いに、紗季は考えるように視線を落とした。
「私は初音ちゃんと二人でやってたから……最初に私が『もういいよ』って答えたのが〝鬼に見つかった〟ってことみたいで、私が鬼だって初音ちゃんに言われたの。途中で終わっちゃったから、そこまでしか分からないんだけど……」
「……紗季、どのくらいかくれんぼしてたの?」
「多分三十分もしてなかったと思うよ。だからさっき一日経ってるって言われてびっくりして……」
「三十分……!?」
思わぬところで紗季との時間感覚のズレを知り、亜美は自分の顔が固まるのが分かった。
だから先程現れた紗季は自分たちと違って落ち着いていたのだ。幽霊とのかくれんぼで多少は動揺したかもしれないが、彼女は自分からそれに参加している。その上三十分間鬼として〝初音ちゃん〟を探していただけなのであれば、そこまで緊迫感を持っていなくても無理はなかった。
(だから佳織のことも怒ってなかったのか……)
恐らくかくれんぼ中に身の危険を感じる出来事もなかったのだろう。紗季にとって大したことが起こっていなかったのであれば、佳織に対する態度も頷けた。
「じゃあ結局、鬼は誰か分からないってことなんだよね? ってなると、やっぱり初音ちゃんになるのかな。できれば私が鬼が良かったんだけど……」
「どうせまた〝蓮兄〟を探しに行けるとか思ってるんでしょ?」
「そうだよ。悪い?」
また険悪な雰囲気を発し始めた佳織と菜月に、今度はたまではなく紗季が「落ち着いて」と声を上げた。
「佳織、いい加減にしなって。さっき男の子見たか聞かれたけど、私は誰も見てないよ。菜月も、鬼になって初音ちゃんを見つければ帰れるはずだからそれまで我慢してくれる? 今は帰ることを優先しよう」
佳織は紗季に対して後ろめたさがあるのか、不満げに顔を歪めたがすぐに口を噤んだ。菜月もまた佳織の被害者とも言える紗季には強く出られないようで、うっと眉根を寄せる。
「紗季に言われると――……ねえ、今何か聞こえた?」
菜月の言葉に、亜美は耳を澄ませた。すると遠くから低い声が聞こえてきて、思わず顔を引き攣らせる。
「これ、数えてる声だよねぇ? なら隠れないと駄目なんじゃないの?」
「でも見つかっても無事なのは紗季見たら分かるでしょ? だったらさっさと見つけてもらった方が鬼になれていいんじゃないの?」
たまの疑問に佳織が答えるようにして言うと、紗季も「確かにあの怪談で隠れなきゃ駄目ってルールは聞いたことないけど……」と呟いた。
「だけど適用にやったら〝初音ちゃん〟怒るかもよ……? 霊が怒ったら何されるか……!」
亜美が言うと、「一応隠れようよ」と菜月も続いた。
「余計なことしておかしな感じになったら嫌だし。そこの教室でいいからそれっぽく隠れよう」
菜月の声に亜美たちは一番近くの教室に入ると、各々物陰に身を隠していった。
教室の前方、昇降口に近い扉の裏には佳織。そのすぐ近くにあった教卓にたまは隠れ、亜美は教室の真ん中あたりに散乱していた机の陰に腰を下ろした。菜月と紗季もそれぞれ教室の後方に隠れるところを見つけたらしく、亜美はどうにか全員隠れる場所を確保することができたと分かってそっと胸を撫で下ろした。
最初は全員同じ教室に隠れられるか不安だったが、偶然入ったのが他に比べ特に机の散乱している教室だったようだ。机もそうだが、教卓も別の場所から詰め込まれたのか、この教室内に複数あった。
「――紗季? どうしたの、ぼうっとして」
そのまま少しの間あたりを見渡していた亜美は、教室後方にもあった教卓の陰に身を隠す紗季に尋ねた。隠れているのに声をかけるのは躊躇われたが、まだ数を数える声が聞こえているため問題ないだろう。
「ちょっと声が違う気がして」
「声?」
「うん。初音ちゃん、あんな声だったかなって」
どういうことだろうと亜美が質問を重ねようとした時、紗季の近くにある机の物陰に身を隠していた菜月が「静かに!」と小さな声を上げた。
その様子に耳をそばだてると、つい先程まで聞こえていた数える声が止んでいるのが分かる。かくれんぼが始まるのだ。
(もう物音立てないようにしないと……)
亜美は菜月と紗季に頷いてみせると、そっと息を潜めた。
§ § §
教室前方の扉の裏に隠れていた佳織は、聞こえてくる声に耳を澄ませていた。普通に聞いているだけでは分からなくなってしまいそうなくらい小さな声なのだ。発声している時点で小さいというよりは、それだけ遠くで数えているせいで小さく聞こえているように感じられる。
本当は隠れることもせずに見つかって鬼になりたかったが、菜月の余計なことはしない方がいいという言葉も理解できなくはない。だから友人たちに合わせて隠れていたが、不意に聞こえてきた紗季の声に佳織ははっと目を瞬かせた。
「――いや、ちょっと声が違う気がして」
(声が違う……?)
佳織の位置から見えるのは同じく教室前方の教卓の裏に隠れるたまのみで、紗季と彼女の会話の相手である亜美を見ることはできない。しかも隠れているせいで無意識のうちに声を潜めているのか、その後に続く会話も断片的にしか聞き取れなかった。
(紗季の言う声って……この声のこと?)
微かに聞こえてくる数を数える声。紗季が違うということは、初音とは異なるという意味だろうか――そこまで考えた時、佳織の脳裏に紗季の言葉が蘇った。
『〝今度はみんなでやろう〟って言ってたから……』
紗季の口から聞いた時は、それほど疑問には思わなかった。
自然とこの〝みんな〟を自分たちのことだと考えていたが、もしそうでないのだとしたら。
(〝みんな〟には、まだかくれんぼに参加したままの人も含まれてる……?)
もしそうだとすれば、蓮がいるのではないか――佳織の思考を、菜月の「静かに!」という声が止めた。
佳織は一瞬不満に思ったが、菜月の発言の理由が分かりすぐに納得した。数える声が聞こえなくなっているのだ。
(なんでこのタイミングで……!)
できればあの声が蓮のものかどうかよく聞いて考えたかった。それなのにもう数え終わってしまったのであれば、次に聞けるのはいつになるのだろう。
そう思いながら隠れたままでいると、しばらくしてミシ、と床板の軋む高い音が聞こえてきた。
(近付いてきてる……)
その音はゆっくりと、しかし着実に大きくなっていった。静かな旧校舎の中に鬼の足音だけが響く。
やがて足音はすぐそこまでやって来たかと思うと、佳織たちのいる教室の手前で近付くのを止めた。
「――もういいかい?」
突然聞こえてきた声に、佳織は思わず肩を跳ねさせた。視界に映ったたまも顔を引き攣らせ、入り口の向こうに目を凝らしている。
いくら紗季が無事だと分かっていても、幽霊とかくれんぼをするのはやはり怖いのだ――少し前の佳織なら、自分やたまの反応をそう考えていただろう。
だが、違う。自分が驚いたのは、たまが恐れているのは、それが少女ではなく男の声だったからだ。
(やっぱり……蓮兄?)
あの声が蓮のものだったという確信はない。だが蓮かもしれないと思うと、佳織はいてもたってもいられなかった。
「蓮兄!」
その場から立ち上がり、すぐ後ろの扉から廊下へと飛び出す。
暗がりで顔はよく見えないが、そこにいた人物はやはり自分よりも背が高く、そのことが分かった瞬間、佳織は全身が喜びに包まれるのを感じた。
だが――
「ッ……?」
首を襲った鋭い衝撃、何かが吹き出す音、溺れたように阻まれる呼吸――佳織がそれらの正体に気付くと同時に、その身体は朽ちかけた床へと沈んでいった。
【 混同してはいけない・完 】
旧校舎の廊下を一人で歩きながら、紗季はふうと大きく溜息を吐いた。
(あのくらいの大きさの子だと、隠れる場所たくさんあるからな……)
周りを見渡して、初音の身体の大きさを頭の中に思い浮かべた。
小学校低学年くらいの年齢を思わせる彼女の身長は、自分の胸よりも少し低い。ワンピースを着ていたことからあまり無茶な隠れ方はしないかと思っていたが、これだけ探して見つからないとなると、あのくらいの年頃の子供は自分の服装なんて気にしないと考えを改めた方がいいかもしれない。
大人が見れば明らかに危険と分かる場所でも平気で突っ込んでいくのが子供だ。しかも初音は幽霊なのだから、普通は危険な場所でも彼女にとっては何の問題もない可能性すらある。
『もしかして二階……?』
もうずっと一階を探していたが、散らばる机をひっくり返しても一向に見つからないのだ。お陰でうっかり自分が最初に隠れていたロッカーを倒してしまったり、そのはずみで近くにあった机の山がロッカーの上に崩れてきたりと、この旧校舎の荒廃にだいぶ加担してしまっている気もする。一緒にいたはずの亜美たちの姿が見えないことから、ここは彼女たちには影響のないどこか別の場所なのかもしれないが、だからといって散らかしていい理由にはならない。
それにもし初音が二階にいるのであれば、これはすべて無駄なことになってしまう。今までいつ足場が崩れるか分からないため避けていたが、そろそろ覚悟を決めなければならないだろう。事故で怪我をするかもしれないが、そもそも初音を見つけられなければ自分はここから出ることすらできないのだ。
(……行くしかないか)
この旧校舎には廊下の両端に階段がある。自分が今いる位置からはどちらの方が近いだろうか――紗季が考えようとした時、「お姉ちゃん」と後ろから声がかかった。
『初音ちゃん? えっと……これは私が見つけたわけじゃないよね?』
振り向いた先にいた初音。紗季は一瞬このかくれんぼから解放されるのではと希望を持ったが、しかしそれはおかしいと思い直し確認するように尋ねた。
『うん、そうだよ。この回はもう終わりだから』
『どうして?』
『今度はみんなでやろう。お姉ちゃんも隠れてね』
『みんな?』
ここに自分たち以外いないはずでは――紗季は初音に問いかけながらあたりに視線を配ったが、やはりそこに人影はない。だが初音はそんな紗季にお構いなしとばかりに、『まだ小さくなってない人、みんな』と言って笑った。
『小さくって――』
小さくって、どういうこと――そう聞こうとした時、突如違和感が紗季を襲った。
(――え……私、寝てる……?)
今まで廊下にいたはずなのに、何故か身体が横たわっている。少し窮屈さを感じながら起き上がってみれば、そこは廊下ではなく教室。さらに自分がいるのは床に倒れたロッカーの中だった。
(このロッカーって……)
亜美たちとのかくれんぼ中に隠れていたロッカーだ、と紗季は直感した。勿論あちこちにあった同じデザインのロッカーの中から、これだと言い切れるような傷などの特徴を完璧に覚えていたわけではないが、立ち上がって見てみると倒れている位置にも見覚えがある。初音とのかくれんぼ中に自分が倒してしまったのだ。本来ならこの上にも机が乗っていたはずだが、不思議と起き上がった時点でそれはなかった。
(なんでこの中に……?)
その答えを考えようとした時、口論するような聞き覚えのある声が聞こえてきた。
§ § §
『初音ちゃんとのかくれんぼから解放されるためには、鬼になって初音ちゃんに勝たなきゃいけない――でも私、まだ初音ちゃんに勝ててなかった……それなのになんで、みんなとここにいるの……?』
紗季の言葉に、その場の空気が固まるのを亜美は感じた。紗季は何を言っているのだろうか――理解しようと必死に思考を巡らせる。
(紗季がここにいるのは、偽物の紗季が消えたからで……偽物が消えたのは、確かさっき佳織が――)
「かくれんぼが始まるからだよ」
佳織が声を上げる。その言葉は、今まさに亜美が頭の中に思い浮かべていたものだった。
「私、さっき初音ちゃんに言ったの。『みんなでかくれんぼしよう』って。それで参加者が増えたから、だから紗季は目覚めた――ううん、違う。紗季が目覚めたんじゃない、私たちも紗季と同じように眠ったんだ……!」
話の途中で何かに気付いた佳織は、興奮したように声を高くした。
「まだそんなこと言ってるの? 一旦話し合おうって言ったじゃん。もう付き合ってられない!」
再びかくれんぼの話題に戻った佳織に嫌気が差したのか、菜月はズカズカと一人で歩いて昇降口の扉へと向かった。
「そうだよ、紗季の目が覚めたことについてもちゃんと外で考えよう? 一回かくれんぼとかそういうのから離れてさ――菜月?」
菜月の後に続いて外に出ようとしていたたまは、中々扉を開けない菜月に首を傾げた。
「誰か鍵閉め――……開いてる?」
「どうしたの?」
いつもと違う様子の菜月を見ながら亜美が問いかけると、菜月とたまが強張った顔でこちらに振り返った。
「……閉じ込められてるかも」
「え?」
(そんなはず――)
亜美は菜月たちの元に駆け寄って扉を強く引いたが、全く動く気配はない。鍵のつまみを何度も回して開けようと試してみたが、どちらに回した状態でも結果は変わらなかった。
「出られないよ」
混乱する亜美たちに、紗季が静かに告げる。
「私も初音ちゃんを探してる時に試してみたけど、どこの扉も窓も開かなかった。割れた窓から出ようとしても、何かに阻まれるみたいに進めないの」
「……それって、まさか」
亜美が恐る恐る紗季を見ると、紗季はゆっくりと首肯した。
「多分、佳織が正しい。私が帰ってきたんじゃなくて、みんながこっちに来たんだと思う」
「なら……」
「さっきも言ったけど……このかくれんぼは、鬼になって初音ちゃんを見つけないと帰れないの。だから初音ちゃんを見つけていない私が帰れるはずがない」
紗季はそこで一度言葉を切ると、「それにね」と思い出すようにしながら話しだした。
「みんなと合流する前、かくれんぼ中だったはずの初音ちゃんが自分から出てきて私に言ったの。『この回はもう終わりだから』って。なんでか聞いたら、『今度はみんなでやろう』って言ってた。それを考えると、やっぱり佳織が言ったように次のかくれんぼを始めるために一旦中断したんだと思う」
紗季の言葉に、たまは「嘘……」と小さく呟いた。
「冗談でしょ……みんなって私たちってこと?」
菜月も怪訝な面持ちで紗季に問いかける。二人共驚いて入るようだが、取り乱す気配はない。
自分は今にも不安と恐怖で大声を出したいくらいなのに、何故たまも菜月もこんなに落ち着いていられるのかと亜美は思ったが、紗季がここにいるからだとすぐに気が付いた。
〝初音ちゃん〟とかくれんぼしていた紗季本人が、かくれんぼ自体を恐れている様子がないのだ。旧校舎から出られないのは間違いないが、命の危険を感じるような事態ではないと薄々感じているのだろう。
ならば自分も落ち着いて状況を考えるべきだ――亜美は静かに深呼吸して、菜月の問いに答えようとしている紗季に視線を戻した。
「菜月たちっていうか、『まだ小さくなってない人、みんな』って初音ちゃんは言ってたけど……」
(小さく……? でもここには私たち以外いないし……)
〝初音ちゃん〟なりの自分たちの表現なのだろうか――そう考えようとした時、亜美の中にはふと疑問が浮かんだ。
「そのみんなが私たちだとしてさ……これがかくれんぼだって言うなら、鬼は誰?」
答えを求めるように紗季を見たが、紗季は「初音ちゃんに隠れてって言われたから、少なくとも私ではないと思うんだけど……」と小さく首を横に振った。
「鬼って自覚のある人はいないんだよね?」
佳織が声を上げると、菜月とたまも紗季と同様に首を振る。自分でも同じようにしながら亜美は佳織を見ていたが、彼女もまた自分が鬼であるとは思っているようには見えなかった。
「紗季の時はどうやって鬼が決まったの?」
亜美の問いに、紗季は考えるように視線を落とした。
「私は初音ちゃんと二人でやってたから……最初に私が『もういいよ』って答えたのが〝鬼に見つかった〟ってことみたいで、私が鬼だって初音ちゃんに言われたの。途中で終わっちゃったから、そこまでしか分からないんだけど……」
「……紗季、どのくらいかくれんぼしてたの?」
「多分三十分もしてなかったと思うよ。だからさっき一日経ってるって言われてびっくりして……」
「三十分……!?」
思わぬところで紗季との時間感覚のズレを知り、亜美は自分の顔が固まるのが分かった。
だから先程現れた紗季は自分たちと違って落ち着いていたのだ。幽霊とのかくれんぼで多少は動揺したかもしれないが、彼女は自分からそれに参加している。その上三十分間鬼として〝初音ちゃん〟を探していただけなのであれば、そこまで緊迫感を持っていなくても無理はなかった。
(だから佳織のことも怒ってなかったのか……)
恐らくかくれんぼ中に身の危険を感じる出来事もなかったのだろう。紗季にとって大したことが起こっていなかったのであれば、佳織に対する態度も頷けた。
「じゃあ結局、鬼は誰か分からないってことなんだよね? ってなると、やっぱり初音ちゃんになるのかな。できれば私が鬼が良かったんだけど……」
「どうせまた〝蓮兄〟を探しに行けるとか思ってるんでしょ?」
「そうだよ。悪い?」
また険悪な雰囲気を発し始めた佳織と菜月に、今度はたまではなく紗季が「落ち着いて」と声を上げた。
「佳織、いい加減にしなって。さっき男の子見たか聞かれたけど、私は誰も見てないよ。菜月も、鬼になって初音ちゃんを見つければ帰れるはずだからそれまで我慢してくれる? 今は帰ることを優先しよう」
佳織は紗季に対して後ろめたさがあるのか、不満げに顔を歪めたがすぐに口を噤んだ。菜月もまた佳織の被害者とも言える紗季には強く出られないようで、うっと眉根を寄せる。
「紗季に言われると――……ねえ、今何か聞こえた?」
菜月の言葉に、亜美は耳を澄ませた。すると遠くから低い声が聞こえてきて、思わず顔を引き攣らせる。
「これ、数えてる声だよねぇ? なら隠れないと駄目なんじゃないの?」
「でも見つかっても無事なのは紗季見たら分かるでしょ? だったらさっさと見つけてもらった方が鬼になれていいんじゃないの?」
たまの疑問に佳織が答えるようにして言うと、紗季も「確かにあの怪談で隠れなきゃ駄目ってルールは聞いたことないけど……」と呟いた。
「だけど適用にやったら〝初音ちゃん〟怒るかもよ……? 霊が怒ったら何されるか……!」
亜美が言うと、「一応隠れようよ」と菜月も続いた。
「余計なことしておかしな感じになったら嫌だし。そこの教室でいいからそれっぽく隠れよう」
菜月の声に亜美たちは一番近くの教室に入ると、各々物陰に身を隠していった。
教室の前方、昇降口に近い扉の裏には佳織。そのすぐ近くにあった教卓にたまは隠れ、亜美は教室の真ん中あたりに散乱していた机の陰に腰を下ろした。菜月と紗季もそれぞれ教室の後方に隠れるところを見つけたらしく、亜美はどうにか全員隠れる場所を確保することができたと分かってそっと胸を撫で下ろした。
最初は全員同じ教室に隠れられるか不安だったが、偶然入ったのが他に比べ特に机の散乱している教室だったようだ。机もそうだが、教卓も別の場所から詰め込まれたのか、この教室内に複数あった。
「――紗季? どうしたの、ぼうっとして」
そのまま少しの間あたりを見渡していた亜美は、教室後方にもあった教卓の陰に身を隠す紗季に尋ねた。隠れているのに声をかけるのは躊躇われたが、まだ数を数える声が聞こえているため問題ないだろう。
「ちょっと声が違う気がして」
「声?」
「うん。初音ちゃん、あんな声だったかなって」
どういうことだろうと亜美が質問を重ねようとした時、紗季の近くにある机の物陰に身を隠していた菜月が「静かに!」と小さな声を上げた。
その様子に耳をそばだてると、つい先程まで聞こえていた数える声が止んでいるのが分かる。かくれんぼが始まるのだ。
(もう物音立てないようにしないと……)
亜美は菜月と紗季に頷いてみせると、そっと息を潜めた。
§ § §
教室前方の扉の裏に隠れていた佳織は、聞こえてくる声に耳を澄ませていた。普通に聞いているだけでは分からなくなってしまいそうなくらい小さな声なのだ。発声している時点で小さいというよりは、それだけ遠くで数えているせいで小さく聞こえているように感じられる。
本当は隠れることもせずに見つかって鬼になりたかったが、菜月の余計なことはしない方がいいという言葉も理解できなくはない。だから友人たちに合わせて隠れていたが、不意に聞こえてきた紗季の声に佳織ははっと目を瞬かせた。
「――いや、ちょっと声が違う気がして」
(声が違う……?)
佳織の位置から見えるのは同じく教室前方の教卓の裏に隠れるたまのみで、紗季と彼女の会話の相手である亜美を見ることはできない。しかも隠れているせいで無意識のうちに声を潜めているのか、その後に続く会話も断片的にしか聞き取れなかった。
(紗季の言う声って……この声のこと?)
微かに聞こえてくる数を数える声。紗季が違うということは、初音とは異なるという意味だろうか――そこまで考えた時、佳織の脳裏に紗季の言葉が蘇った。
『〝今度はみんなでやろう〟って言ってたから……』
紗季の口から聞いた時は、それほど疑問には思わなかった。
自然とこの〝みんな〟を自分たちのことだと考えていたが、もしそうでないのだとしたら。
(〝みんな〟には、まだかくれんぼに参加したままの人も含まれてる……?)
もしそうだとすれば、蓮がいるのではないか――佳織の思考を、菜月の「静かに!」という声が止めた。
佳織は一瞬不満に思ったが、菜月の発言の理由が分かりすぐに納得した。数える声が聞こえなくなっているのだ。
(なんでこのタイミングで……!)
できればあの声が蓮のものかどうかよく聞いて考えたかった。それなのにもう数え終わってしまったのであれば、次に聞けるのはいつになるのだろう。
そう思いながら隠れたままでいると、しばらくしてミシ、と床板の軋む高い音が聞こえてきた。
(近付いてきてる……)
その音はゆっくりと、しかし着実に大きくなっていった。静かな旧校舎の中に鬼の足音だけが響く。
やがて足音はすぐそこまでやって来たかと思うと、佳織たちのいる教室の手前で近付くのを止めた。
「――もういいかい?」
突然聞こえてきた声に、佳織は思わず肩を跳ねさせた。視界に映ったたまも顔を引き攣らせ、入り口の向こうに目を凝らしている。
いくら紗季が無事だと分かっていても、幽霊とかくれんぼをするのはやはり怖いのだ――少し前の佳織なら、自分やたまの反応をそう考えていただろう。
だが、違う。自分が驚いたのは、たまが恐れているのは、それが少女ではなく男の声だったからだ。
(やっぱり……蓮兄?)
あの声が蓮のものだったという確信はない。だが蓮かもしれないと思うと、佳織はいてもたってもいられなかった。
「蓮兄!」
その場から立ち上がり、すぐ後ろの扉から廊下へと飛び出す。
暗がりで顔はよく見えないが、そこにいた人物はやはり自分よりも背が高く、そのことが分かった瞬間、佳織は全身が喜びに包まれるのを感じた。
だが――
「ッ……?」
首を襲った鋭い衝撃、何かが吹き出す音、溺れたように阻まれる呼吸――佳織がそれらの正体に気付くと同時に、その身体は朽ちかけた床へと沈んでいった。
【 混同してはいけない・完 】
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いつもの日常は突然のゾンビ大量発生で壊された!ゾンビオタクの格闘系自称最強女子高生が、生き残りをかけて全力疾走!おかしくも壮絶なサバイバル物語!
冀望島
クランキー
ホラー
この世の楽園とされるものの、良い噂と悪い噂が混在する正体不明の島「冀望島(きぼうじま)」。
そんな奇異な存在に興味を持った新人記者が、冀望島の正体を探るために潜入取材を試みるが・・・。
手が招く
五味
ホラー
川辻海斗は、所謂探偵社、人に頼まれその調査を代行することを生業としていた。
仕事はそれなりにうまくいっており、手伝いを一人雇っても問題がないほどであった。
そんな彼の元に突如一つの依頼が舞い込んでくる。
突然いなくなった友人を探してほしい。
女子学生が、突然持ってきたその仕事を海斗は引き受ける。
依頼料は、彼女がこれまで貯めていたのだと、提示された金額は、不足は感じるものであったが、手が空いていたこともあり、何か気になるものを感じたこともあり、依頼を引き受けることとした。
しかし、その友人とやらを調べても、そんな人間などいないと、それしかわからない。
相応の額を支払って、こんな悪戯をするのだろうか。
依頼主はそのようなことをする手合いには見えず、海斗は混乱する。
そして、気が付けば彼の事務所を手伝っていた、その女性が、失踪した。
それに気が付けたのは偶然出会ったが、海斗は調査に改めて乗り出す。
その女性も、気が付けば存在していた痕跡が薄れていっている。
何が起こっているのか、それを調べるために。
没考
黒咲ユーリ
ホラー
これはあるフリーライターの手記である。
日頃、オカルト雑誌などに記事を寄稿して生計を立てている無名ライターの彼だが、ありふれた都市伝説、怪談などに辟易していた。
彼独自の奇妙な話、世界を模索し取材、考えを巡らせていくのだが…。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
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