ルール

新菜いに/丹㑚仁戻

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呼応

〈四〉目覚め

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 小学生の子供が行方不明になった――少しの間小さな街を騒がせたその事件は、あっという間に風化していった。
 みほが家に帰らなくなってから二週間程度は大々的な捜索活動が行われた。誘拐かもしれないとのことで子供たちは外で遊ぶことを禁止され、有志の住民が捜索も兼ねて街中をパトロールした。
 だが段々とその数は少なくなり、それと反比例するかのように外に繰り出す子供たちは増えていった。途中で捜索の重点が街の外れの方に移されたのも影響しているだろう。これだけみほの行動範囲を探してもいないのだから、誘拐されて人気のない場所へ連れて行かれたのではないか――そんな憶測を元に、捜索の手はみほの居場所から離れていった。

(みほちゃんは今、旧校舎にいるのに)

 彼女の居所を知っている亮太は、すっかり元の状態を取り戻した街の様子を思い出しながら口元に小さく笑みを浮かべた。
 の者たちはなんて馬鹿なのだろう。関係のない人間まで偽善を掲げ動いているくせに、的外れの行動しかできていない。自分のことを見下しているくせに、自分のしたことに振り回されている――そう思うと、とても気分が良かった。

 勿論、旧校舎は既に捜索された。だがつい半年前まで使われていた校舎内の見取り図はすべて残っていた上に、教師たちに聞けばすぐに子供が隠れかねない場所が洗い出せたため、二日程度で捜しきってしまったのだ。立入禁止のテープが取られると、亮太は様子を見てはつねと一緒に安物の冷蔵庫に隠してあったみほを旧校舎に移した。

(まさか既に探したところに遺棄されるだなんて思ってないんだろうな。……あ、まだ行方不明扱いか)

 亮太が小耳に挟んだ話では、みほはこの街の市長の孫だったらしい。失踪から一月近く経ったにも拘わらず、誰もみほが既に死んでいるかもしれないと大声で言わないのはそのためだろう。
 それなのに彼女を捜索する人間がもうほとんどいないという事実は市長の人望のなさを表しているようで、亮太はおかしくてたまらなかった。

「――みほちゃん、かくれんぼ上手になったね」

 亮太がベランダでぼんやりと考え事をしていると、手摺り越しにはつねが話しかけてきた。「小さくなったからな」、亮太は小さく返して、眼下に見える墓地に視線を落とした。

 周囲の連中の的外れな行動に満足する一方で、寂しさにも似たものを亮太は感じていた。
 内心では自分は捕まるかもしれないと思っていたのだ。その時はどうやってはつねを庇おうかあれこれ考えていたというのに、警察は自分を疑いもしなかった。誰も自分を見てすらいなかったのだ。
 本当に世界から、爪弾きにされている気分になった。
 調べられたらまずいと思っていた自宅の風呂場は、あの日以来亮太しか入っていない。第一この家に警察が来たこともない。はつねはみほの失踪直後、他の同級生たちと共に夏休み中の学校に集められ、警察にいくつか質問されたらしい。だが結局それも参考程度だったようだ。はつねが疑われなければ、彼女を通してしかみほと繋がらない亮太のところに警察が来るはずもない。

 はつね越しにしか、自分の世界は元の世界と繋がっていない――その事実が、なんだかとても惨めに思えた。

「りょうた君」

 自分の名前を呼ぶ声にはっとすれば、こちらをまっすぐと見上げているはつねと目が合った。

「次も、手伝ってくれる?」

 恐らく次が決まっているわけではない。ただなんとなく聞いただけだろう――それは考えなくても分かったのに。
 亮太はこの少女に自分の中が見透かされているような気がして、曖昧な笑顔を返すことしかできなかった。


 § § §


 みほを小さくしてから、二ヶ月弱。とっくにはつねの夏休みも終わり、昼間の公園はほんの少しだけ以前よりも静かになった。
 その日は朝から、亮太は嫌な予感がしていた。仕事でいつもよりミスが多いだとか、周りの陰口が酷いだとか、そういう予兆めいたものもあった。
 だがこれから起こることはきっと、そんなものが比にならないくらい酷いものなのではないか――そんな、予感があったのだ。

「――一体、何があったんだ……?」

 その予感が的中したと、亮太は瞬時に悟った。
 彼の足元に転がるのはみほの干からびた腕。そして、倒れた男。それが死体だということは、見開かれたままぴくりともしない男の目を見れば明らかだった。

「かくれんぼにさそったの」

 死体の隣にしゃがみこんだはつねは残念そうな顔をしている。

「でも、この人ころんじゃった」

 作業服を着た死体の頭付近の床は、血で真っ赤に染まっていた。それはここ――教室には不釣り合いな色。辺りには使われなくなった机や椅子が散乱していて、男の頭近くの机には床と同じ赤色がべったりと付いていた。
 恐らく何らかの理由でこの男は転び、運悪く頭を机に打ってしまったのだろう。そしてはつねは救急車を呼ばずに、自分をこの旧校舎に呼びに来たのだ――「手伝ってくれる?」と。

「……この人も、小さくするのか?」

 なんとか冷静さを取り戻した亮太がはつねに問いかける。

(大丈夫、驚いただけだ。俺はもう、前までの俺じゃない……)

 そう何度も自分に言い聞かせながら返事を待っていると、はつねはいつもと全く変わらない様子で「うん」と頷いてみせた。

「いつまでも一人でかくれんぼだと、みほちゃんも寂しいだろうしね」
「そうか……そうだな」

 思ったとおりの展開に、亮太は嬉しいのか恐ろしいのか自分でもよく分からない感情を抱いた。だがそれをはつねに悟られてはいけないと思い、ひっそりと飲み下す。

 今度は一緒にやりたいというはつねの要望で、その場で男の死体を小さくすることになった。はつねに手伝ってくれと言われた時点でこういう可能性を考慮し、亮太は以前使った道具を持って来ていたためそれにはすぐに応えられる。とはいえみほよりも大人の、それも男の身体は頑丈だろう。みほでさえ無理だったはつねにうまくできるとは思えなかった。

(とりあえず俺がほぼ切って、最後をはつねちゃんにやってもらうか……)

 この後の手順を考えながら、亮太は男の身体に包丁を刺していった。前回よりもスムーズなのは、無意識のうちに包丁の通りやすい箇所を狙っているからだろうか。意識してもそれがどこだか見分けがつかないため、きっと身体が覚えたのだろう。
 そうすると亮太自身はあれこれ考える必要がなく、少し余裕が出てきた。余裕というよりはもはや暇にも近いのだが、一生懸命に動かす腕とは違って亮太の視線はあちらこちらを彷徨って落ち着かない。いつの間にか教室の様子を観察していたが、散らかった教室にはそれほど見るものもなかった。

「そういえば……これ全部、この人が散らかしたのか? 前に来た時はここまで散らかってなかった気もするけど」
「うん。お兄さんたちには邪魔だったみたい」

(この服は作業員か? 取り壊し前の調査なら……確かに邪魔かもな)

 亮太ははつねの言葉に納得しながら、暇つぶしの会話を続けようと口を開いた。

「お兄さんたちは何しに――……お兄さん、?」

 はつねの言葉を借りて質問を重ねようとすれば、違和感が亮太の口を止める。その違和感の正体に気付くと同時に、亮太の中には勢い良く焦燥感が湧き上がった。

「〝たち〟ってことは、この人一人で来たんじゃないのか!?」

 自分でも気付かないうちに亮太の語気は強まっていた。はつねはびっくりしたように目を丸めながらも、「帰っちゃった」と質問に答える。

「帰ったって……まさかみほちゃんを見られたんじゃないだろうな!?」

 どんどん強くなる口調に、はつねは少し怯えているようだった。それでも亮太の問いにはコクリと頷く。それを見た瞬間、亮太の頭は真っ白になった。

(そんな……)

 死体の一部を見られたなら通報されるに決まっている。今この状況で警察が来たら逃げようもない。少なくとも死体損壊の罪には問われるはずし、この男を自分が殺したと思われてもおかしくない。しかもここにはみほの身体の一部がある。彼女を殺したのも自分だということにされるかもしれない。
 亮太の頭の中をいろんな事柄が一気に駆け巡る。以前は捕まることなど覚悟していたのに、今はどういうわけか酷く恐ろしい。

(こんな感情はもう抱くことはないと思っていたのに……俺は俺の世界に来て前の世界のしがらみから解放されたと思っていたのに……)

 どうして前の世界のルールに怯える必要があるのだろうか。どうして、それに少し安心しているのだろうか。
 自分で自分のことが分からなくなった。自分は結局、今まで自分をないがしろにしていた世界で生きていたいのではないか――じわりと、そんな考えが浮かぶ。

(でも……それじゃあ、にいたら……)

「りょうた君も、わたしがいらないの?」
「ッ――!?」

 まるで自分の考えていたことを見透かしたようなはつねの言葉に、亮太の身体は大袈裟なまでに揺れた。咄嗟に彼女の方へと目線を動かせば、何の感情も読み取れない大きな瞳が自分を見つめている。
 明確に指摘されたわけではない。それなのに亮太の呼吸はどんどん浅くなっていった。空気を最後まで吸い込めない。十分に吐き出すこともできない。バクバクと激しく脈打つ心臓と同じ速度で繰り返された呼吸は、亮太から着実に冷静さを奪っていく。

 息が苦しかった。目の前がチカチカして、何か考えようにも頭の中の熱しか感じられない。
 それなのに、自分がこの少女を恐れているということだけははっきりとしている。

 このままここにいてはいけない。この少女と共にいたらいけない。彼女はきっと、自分を――ふと、今まで切り刻んでいた見知らぬ男が視界に入った。

(俺もいつかこんなふうに……)

 強烈な赤が亮太の目を突き刺す。克服したはずの嫌悪感が腹の底から熱を発する。
 知らず識らずのうちにその身体を辿っていくと、見開かれた目が自分を見つめていた。

「ッ――!?」

 ぐにゃりと、目の前の顔が歪む。歪みが収まると現れたのは、
 光の失せた目で自分が自分を見つめてくる――その瞬間、亮太の全身を一気に怖気が襲った。

「ッう、うわぁああぁああああ!」
 
 気付けば、亮太は手に持った包丁を振り回していた。切っ先に何かが触れる。プツンと、何かが弾ける感触が伝わる。それを何度も何度も繰り返し、膝をつく自分の目線とそう変わらない高さで振るっていた腕は、いつの間にか下を狙うようになっていた。

 一心不乱にを斬りつける一方で、顔にかかる返り血の温かさは自分が今まさに人を殺しているのだと冷静に語りかけてくる。それでも亮太は包丁を振り下ろす手を止められなかった。足元の男の身体を跨いで、その先へ。数え切れないくらいその小さな身体に刃物を突き立ててれば、やがて無事な皮膚が少なくなる。

 ぐちゃり――それまでとは少し違う感触と共に、とうとう柔らかい肌が潰れたのを悟った。そこでやっと亮太は我に返って、血まみれの小さな身体を――はつねを直視した。

「あ……あぁ……!」

 そこにいたはつねは、もう以前の彼女ではなかった。少し日焼けした肌は真っ赤に染まり、胴体はそこかしこから血を吐き出している。
 以前みほを小さくした時でさえ、ここまでは酷くなかった。あの時はもっと傷だった。

 だが今のはつねの身体は言葉どおりぐちゃぐちゃになっている。ぐちゃぐちゃに壊れてしまっている。
 唯一の仲間だと思っていた彼女を、こんな姿に――途端に後悔が押し寄せた。それなのにもうどうしたらいいかも分からず、亮太は震えながらはつねを抱き締めて「ごめん……ごめん……」と小さく繰り返すことしかできなかった。

 自分はなんてことをしてしまったのだろうか。こんな小さな子に手をかけるなんて……いや、元はと言えばはつねが悪いのだ。はつねがみほを見た人間を逃してしまったから。この男を死なせてしまったから――

「――俺じゃない……はつねちゃんが……全部……」

 茫然自失となったまま、亮太はぼそぼそと口を動かす。

「そうだ……俺のせいじゃないんだ……はつねちゃんに頼まれたから、俺はやっただけ……はつねちゃんもきっと、小さくなりたいから……」

 そう言いながら身体を離せば、返り血で赤く染まった少女の顔が目に入る。身体は傷だらけだが、無傷の顔はただ眠っているだけのように見えた。

「はつねちゃん……小さくしてあげるからね」

 独りよがりな言葉だった。だが、誰も反論することはない。それはまるで自分の言葉が正しいと肯定されているようで、亮太にはとても心地よかった。

(はつねちゃんなら、きっと――)

 期待を込めてはつねの顔を見つめれば、閉じていた目がパチリと開く。
 そして――

「かくれんぼ、しようか」

(ああ、やっぱり……)

 自分のしたことは正しかった。はつねは自分が彼女を小さくしたと思っているのだ――亮太の顔に笑みが浮かんだ。
 はつねは今も、自分を仲間だと思ってくれている。そして自分も、はつねと仲間だと思っている。少し前に恐れてしまったのは、まだ自分が前の世界から脱しきれていなかったからだ。だが今は違う。今もう、自分ははつねと同じ世界にいるのだ。

「うん。じゃあ、俺が鬼だね」

 亮太の言葉に、はつねの唇がにぃと弧を描いた。




【 呼応してはいけない・完 】
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