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応答
〈六〉「もういいよ」
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たまが青い顔をして亜美の元にやって来たのは、五限の終わりのことだった。
「やばいやばいやばいやばい」
いつもはのんびりと話すたまが早口で同じことを繰り返し、動揺を顕にしたまま佳織と紗季の二人もその場に呼び寄せる。
「ちょ、落ち着いて」
「無理だよだってやばいもん!」
「何がどうやばいの?」
「菜月が……!」
亜美と佳織でどうにか聞き出すと、どうにかたまの言いたいことをまとめることができた。
昼休みに話したとおり、たまは菜月に昨日のかくれんぼでのことを聞いたそうだ。足音とのタイミングずれの話はせず、単に「『もういいかい?』って何回も言ったよね?」という聞き方だったらしい。そしてそれに対する菜月の返事は、「最初の一回だけだよ?」というもの。それに恐ろしくなったたまは授業中にやり取りを繰り返し、そうしてあることを菜月から聞いたと言うのだ。
「『紗季を探してる時、〝もういいよ〟って聞こえなかった?』って……」
亜美と佳織の顔が一瞬で強張る。二人で顔を見合わせれば、お互いに聞いていないのは明らかだった。
自分たちの聞いた「もういいかい?」という問いかけと、菜月の聞いた「もういいよ」という応答――それが意味するのは、あの場には自分たち以外にもかくれんぼをしていた誰かがいたということ。聞かれる方の立場であれば、まだ空耳ということもあるかもしれない。三人も同じ聞き間違いをするというのもおかしな話だが、それでも、無意識のうちにもしかしたら尋ねられるかもしれないと思っていて、それが勘違いを生んだとこじつけられなくもない。
だが菜月は鬼だったのだ。自分が問いかけていないのに、それに対する返答を期待する可能性はほとんどないだろう。
「やっぱり二人も聞いてない……よね?」
恐る恐ると言った様子でたまが尋ねる。亜美と佳織が首を震えるように横に振って「聞いてない……」と同意を示すと、たまの顔はどんどん曇っていった。
「実は菜月、今あの旧校舎に向かってるの」
「はあ!?」
「どうして!?」
亜美と佳織が声を上げれば、たまが眉間に皺を寄せる。
「よく分からないんだけど、『答えちゃった』って慌てて……」
「どういうこと?」
「聞いたけど教えてくれなかった。『もういいかい?』って聞かれたことだと思って『誰も答えてないよ』って言ったんだけど、その後すぐに『旧校舎に行く』ってだけメッセで来て……」
たまの様子を見る限り、菜月が旧校舎に行った理由は本当に分からないのだろう。ならばこれ以上彼女に聞いても仕方がない。それよりも亜美には、今のたまの話で気にかかっていることがあった。
「でも一人であんなところ危ないよ!」
「そうだよ、どこかに閉じ込められでもしたら……!」
あの場所に一人で行くことの危険性を、昨日直接その目で校舎内の状況を見た亜美たちは既に理解していた。安全な場所だけを選んで歩けばいいが、それでも下手をすれば怪我をする恐れだってある。最悪動けなくなって、長時間誰にも見つけてもらえないだなんてこともあるかもしれない。
それを懸念した亜美たちの言葉に、たまも「うん」と頷いた。
「だから、今から行こう。菜月が何しに行ったかは分からないけど、私たちがお昼に話してたことがきっかけなら私たちも行くべきだよ!」
そこから亜美たちの行動は早かった。四人は急いで荷物をまとめると、どよめくクラスメイト達に早退だと叫んで菜月の元へと向かった。
§ § §
「――菜月!」
旧校舎に入るなり、亜美は大声を張り上げた。怖かったが、感じていたのは昨日のような怖さではない。菜月の身に何かあるのではないか――そんな具体的な恐怖が、亜美にこの場所の薄気味悪さを忘れさせていた。
「手分けして探そう!」
佳織の呼びかけに亜美たちは頷く。亜美と紗季は昨日かくれんぼをした方を、佳織とたまは昨日は行かなかった廊下の反対側をそれぞれ探すことになった。
「紗季、私が奥を探すね」
探し始める前に、亜美は思い出したように紗季にそう提案した。この場所で一人になるのは怖かったが、今日の紗季はやはり口数が少ない。もしかしたら調子が悪いのでは――先程紗季に自分の願望を押し付けようとしてしまった後ろめたさもあってか、亜美は今度こそと彼女を気遣う。
紗季が小さく「分かった」というのを聞くと、亜美は廊下を奥へと走っていった。
「――菜月! どこ!?」
昨日よりも早い時間に来たからか、旧校舎の中は随分と明るく感じた。それなのに亜美に菜月の姿は見つけられない。彼女が何を目的として来たか分からないため、何処を探していいのかも分からなかった。
亜美はどこを探したか記録するためにスマートフォンを取り出して、どうせなら全員に伝わるようにとグループチャットを開いた。そこには昨日の《降参!》という菜月のメッセージが表示されていて、それを見た途端、亜美は余計に菜月に会いたくなり胸が締め付けられた。
(こんなくだらないことを書くんじゃなかった……)
《勝者、紗季!》
最後に自分が送ったメッセージを見ながら後悔の念を抱く。無理矢理かくれんぼに参加させられた仕返しのつもりだったが、こんなものが菜月との最後のやり取りになるのは嫌だった。
亜美は落ち込みながらも、どうにか《一番奥の教室、はずれ》とメッセージを書き込んだ。するとすぐに既読が二件つき、《階段踊り場、はずれ》、《女子トイレ、はずれ》と意図を読み取ってくれた佳織とたまからメッセージが届く。途中から自分と別行動している紗季はまだ見ていないのだろうか。昨日のメッセージよりも一つ減った既読件数が無性に寂しく感じた。
それでも亜美は自分を叱咤して、次の教室に乗り込んだ。ここは床が朽ちていて昨日は入らなかった教室だが、今は探さない理由にならない。それは学校からここまで来る間に佳織たちとも話し合っていたことだ――菜月が旧校舎に行った理由が分からない以上、探せるところは全部探すべきだ、と。
「菜月!」
何度目になるか分からない呼びかけが、朽ちかけた木造校舎に虚しく響く。亜美は足場に気を付けながら、乱雑に積まれた机をどけていった。その下からは横に倒れた掃除ロッカーのようなものが出てきて、亜美は一体どれだけ散らかっているんだ、と顔を顰める。
(どうやったらロッカーの上に机が乗っかるの……)
適当に積み上げたか、もしくは元々別の山だったのを乱雑に扱いすぎて崩れたか――特に意識することなくこの状況が出来上がった経緯を考えていると、亜美の脳裏にはまさか、とある考えが浮かんだ。
(菜月が触って崩れたんだとしたら……)
もしそうだとしたら、菜月はここに閉じ込められているかもしれない――そう気付くと同時に、亜美は慌てて横たわるロッカーの隣にしゃがみこんだ。
「菜月……いるの……?」
ロッカーの扉を開けようと取っ手に手をかけ引っ張るが、立て付けの悪くなった扉は何かに引っかかったかのようにギシギシと音を立てるだけで中々開かない。それでも亜美が力を込め続けると、ガコンッという大きな音と共に扉が勢い良く開いた。
「わっ……!?」
自分が扉に込めた力が突然そのまま返ってきて、亜美は耐えきれず後ろに尻もちをついた。崩れた体勢のせいで視界からはロッカーが消えたが、直前に見たものを思い出して急いで身体を起こす。
(うちの制服のスカートだった気が……)
それの持ち主など、今の亜美の頭には一人しか浮かばなかった。
「菜月っ――……え?」
そこに菜月はいなかった。だが亜美の視界にはやはり見慣れた制服が映っている。――いや、制服だけではない。それに身を包む少女のことを、亜美はよく知っていた。
「……紗季?」
血の気の失せたような顔をした紗季が、ロッカーの中で横たわっていた。
(なんで……? おかしい、だって紗季はこっちに来てない……途中で私が奥を探すからって分かれたのに……)
有り得ない光景に見間違いを疑ったものの、窓から入る光に照らされた顔は紛れもなく紗季のものだった。恐る恐る頬に手を伸ばすと、ひんやりとした肌が指先に触れる。
それは紛れもなく人間の肌の感触。ただし、酷く不安になるほど生気は感じられない。
「紗季……? ねぇ、紗季……!」
もしかして自分が気付かなかっただけで、紗季は分かれた後すぐにこの教室に入ったのだろうか。その時に何らかの拍子で机が崩れて、このロッカーに閉じ込められてしまったのでは――そこまで考えて、それはない、と頭の中で冷静な自分が囁いた。
何故なら自分は物が崩れる音を聞いていない。紗季と分かれてから数分しか経っていないのに、彼女の身体がこんなにも冷えているはずがない。
(ならずっとここに……? そんなの有り得ない……)
どう考えても辻褄が合わない――この状況を説明できる答えを探そうとした時、亜美の脳裏にはある記憶が蘇った。
(そういえば……)
亜美はスマートフォンを取り出すと、グループチャットのやり取りを過去へと遡った。
手を止めたのは、自分の送った《勝者、紗季!》というメッセージ。そしてその横に表示された文字を見た瞬間、亜美の背にひんやりとしたものが走った。
「っ……!」
メッセージの横に小さく表示されたのは既読件数。そこにあった文字は三件――一人、足りない。いつもの五人で作ったグループだから、メッセージを全員見たなら四件の既読がつくはずなのに。
「紗季……昨日からスマホ見てない……?」
菜月が自分のメッセージを見たのは直後に睨まれたから知っている。佳織とたまは先程からずっとこのグループチャットに書き込んでいるため、自動的に既読が付くはずだ。そう考えるとやはり、欠けている一人は紗季でしか有り得なかった。
(菜月もこれに気付いた……?)
昨日の自分とほぼ同じタイミングで《降参!》と書き込んでいた菜月。彼女のメッセージにも、自分が見ているものと同じことが起こっていたとすれば気付いたとしてもおかしくはない。
(ああ、でも待って。分からなくなってきた……)
紗季が昨日からメッセージを見ていなかったといっても、それは大した問題ではないだろう。自分だって何かの理由で丸一日スマートフォンを触らない日もある。
だから問題は、紗季が何故ここにこうしているかということ。それだけのはずなのに、亜美は自分の中に言い知れぬ不安があるのを感じていた。
何かとんでもなく嫌なことが起こっているのでは――漠然とそう思った時、紗季の方からぶぶ、と音が鳴った。亜美はびくりと肩を揺らしたが、同時に自分のスマートフォンも揺れていたことから、誰かからのメッセージを受信したのだとすぐに分かって息を吐く。
(脅かさないでよ……)
自分のスマートフォンを見ようとして、いや、と思い直した亜美は空いている方の手を紗季の身体へと伸ばした。彼女がいつもスマートフォンを入れているのはスカートのポケットだ。案の定そこにあったそれを取り出して確認すると、画面には溜まった新着通知が表示されていた。
(紗季、ごめんね)
恐る恐る紗季の指を使ってロックを解除すれば、亜美たちのグループチャットに新着通知がついていた。それからもう二つ――個別のチャット。一つは菜月のもので、今日何度も紗季にメッセージを送っていたようだ。
内容はやはり先程亜美が気付いたことに関するものだった。昨日「もういいよ」と答えたかという質問から始まり、一度も返事がないことを心配するメッセージが並ぶ。それはどんどん緊迫感を帯びていき、菜月が相当不安を感じているのが文字からでも分かるようだった。
(菜月は紗季を探しに来たんだ……)
《スマホ家に忘れただけだよね? 大丈夫だよね?》
画面に表示された菜月からのメッセージに、亜美は苦しそうに眉根を寄せた。
普段だったらこれほどまでに心配はしないだろう。菜月がどうしてここまで紗季の身を案じているのか亜美には分からなかったが、彼女のその心配は正しいと知っているためそれ以上は気にならなかった。
それよりも、と亜美は菜月とのメッセージを閉じる。新着通知が付いていた個別のチャットはもう一つあるのだ。全く関係なさそうなものだったら見る気はなかったが、相手の名前とプレビューに表示されていた最後のメッセージを見る限り関係ないとは思えなかった。
《なら紗季が代わりに答えてよ》
「何のこと……?」
未読はこの一件のみ。嫌な予感を抱きながらメッセージを開くと、そこにあったやり取りに亜美は自分の目を疑った。
「何これ……」
頭から一気に血の気が失せていくのが分かる。紗季のスマートフォンを持った手のひらが、冷たい汗をどっと吐き出したのを感じた。
(こんなの……これじゃああの子が、紗季をこんな目に遭わせたようなものじゃ……)
一体どうして――理由を考えようとしたが、同時に頭に浮かんだ事実に顔が引き攣った。
メッセージが未読となったタイミング、そして何よりスマートフォンのロックが解除できたこと。つまりここにる紗季こそが本物で、彼女は昨日からずっとここにいたのだ。
(じゃあ、今日私たちがずっと一緒にいたのは誰……?)
その瞬間、亜美は背中に気配を感じた。
振り返りたいのに振り返れない。そこにいるのが誰なのか、考えるのも恐ろしかった。
そして――
「もういいかい?」
すぐ後ろから、聞き覚えのある声がした。
【 応答してはいけない・完 】
「やばいやばいやばいやばい」
いつもはのんびりと話すたまが早口で同じことを繰り返し、動揺を顕にしたまま佳織と紗季の二人もその場に呼び寄せる。
「ちょ、落ち着いて」
「無理だよだってやばいもん!」
「何がどうやばいの?」
「菜月が……!」
亜美と佳織でどうにか聞き出すと、どうにかたまの言いたいことをまとめることができた。
昼休みに話したとおり、たまは菜月に昨日のかくれんぼでのことを聞いたそうだ。足音とのタイミングずれの話はせず、単に「『もういいかい?』って何回も言ったよね?」という聞き方だったらしい。そしてそれに対する菜月の返事は、「最初の一回だけだよ?」というもの。それに恐ろしくなったたまは授業中にやり取りを繰り返し、そうしてあることを菜月から聞いたと言うのだ。
「『紗季を探してる時、〝もういいよ〟って聞こえなかった?』って……」
亜美と佳織の顔が一瞬で強張る。二人で顔を見合わせれば、お互いに聞いていないのは明らかだった。
自分たちの聞いた「もういいかい?」という問いかけと、菜月の聞いた「もういいよ」という応答――それが意味するのは、あの場には自分たち以外にもかくれんぼをしていた誰かがいたということ。聞かれる方の立場であれば、まだ空耳ということもあるかもしれない。三人も同じ聞き間違いをするというのもおかしな話だが、それでも、無意識のうちにもしかしたら尋ねられるかもしれないと思っていて、それが勘違いを生んだとこじつけられなくもない。
だが菜月は鬼だったのだ。自分が問いかけていないのに、それに対する返答を期待する可能性はほとんどないだろう。
「やっぱり二人も聞いてない……よね?」
恐る恐ると言った様子でたまが尋ねる。亜美と佳織が首を震えるように横に振って「聞いてない……」と同意を示すと、たまの顔はどんどん曇っていった。
「実は菜月、今あの旧校舎に向かってるの」
「はあ!?」
「どうして!?」
亜美と佳織が声を上げれば、たまが眉間に皺を寄せる。
「よく分からないんだけど、『答えちゃった』って慌てて……」
「どういうこと?」
「聞いたけど教えてくれなかった。『もういいかい?』って聞かれたことだと思って『誰も答えてないよ』って言ったんだけど、その後すぐに『旧校舎に行く』ってだけメッセで来て……」
たまの様子を見る限り、菜月が旧校舎に行った理由は本当に分からないのだろう。ならばこれ以上彼女に聞いても仕方がない。それよりも亜美には、今のたまの話で気にかかっていることがあった。
「でも一人であんなところ危ないよ!」
「そうだよ、どこかに閉じ込められでもしたら……!」
あの場所に一人で行くことの危険性を、昨日直接その目で校舎内の状況を見た亜美たちは既に理解していた。安全な場所だけを選んで歩けばいいが、それでも下手をすれば怪我をする恐れだってある。最悪動けなくなって、長時間誰にも見つけてもらえないだなんてこともあるかもしれない。
それを懸念した亜美たちの言葉に、たまも「うん」と頷いた。
「だから、今から行こう。菜月が何しに行ったかは分からないけど、私たちがお昼に話してたことがきっかけなら私たちも行くべきだよ!」
そこから亜美たちの行動は早かった。四人は急いで荷物をまとめると、どよめくクラスメイト達に早退だと叫んで菜月の元へと向かった。
§ § §
「――菜月!」
旧校舎に入るなり、亜美は大声を張り上げた。怖かったが、感じていたのは昨日のような怖さではない。菜月の身に何かあるのではないか――そんな具体的な恐怖が、亜美にこの場所の薄気味悪さを忘れさせていた。
「手分けして探そう!」
佳織の呼びかけに亜美たちは頷く。亜美と紗季は昨日かくれんぼをした方を、佳織とたまは昨日は行かなかった廊下の反対側をそれぞれ探すことになった。
「紗季、私が奥を探すね」
探し始める前に、亜美は思い出したように紗季にそう提案した。この場所で一人になるのは怖かったが、今日の紗季はやはり口数が少ない。もしかしたら調子が悪いのでは――先程紗季に自分の願望を押し付けようとしてしまった後ろめたさもあってか、亜美は今度こそと彼女を気遣う。
紗季が小さく「分かった」というのを聞くと、亜美は廊下を奥へと走っていった。
「――菜月! どこ!?」
昨日よりも早い時間に来たからか、旧校舎の中は随分と明るく感じた。それなのに亜美に菜月の姿は見つけられない。彼女が何を目的として来たか分からないため、何処を探していいのかも分からなかった。
亜美はどこを探したか記録するためにスマートフォンを取り出して、どうせなら全員に伝わるようにとグループチャットを開いた。そこには昨日の《降参!》という菜月のメッセージが表示されていて、それを見た途端、亜美は余計に菜月に会いたくなり胸が締め付けられた。
(こんなくだらないことを書くんじゃなかった……)
《勝者、紗季!》
最後に自分が送ったメッセージを見ながら後悔の念を抱く。無理矢理かくれんぼに参加させられた仕返しのつもりだったが、こんなものが菜月との最後のやり取りになるのは嫌だった。
亜美は落ち込みながらも、どうにか《一番奥の教室、はずれ》とメッセージを書き込んだ。するとすぐに既読が二件つき、《階段踊り場、はずれ》、《女子トイレ、はずれ》と意図を読み取ってくれた佳織とたまからメッセージが届く。途中から自分と別行動している紗季はまだ見ていないのだろうか。昨日のメッセージよりも一つ減った既読件数が無性に寂しく感じた。
それでも亜美は自分を叱咤して、次の教室に乗り込んだ。ここは床が朽ちていて昨日は入らなかった教室だが、今は探さない理由にならない。それは学校からここまで来る間に佳織たちとも話し合っていたことだ――菜月が旧校舎に行った理由が分からない以上、探せるところは全部探すべきだ、と。
「菜月!」
何度目になるか分からない呼びかけが、朽ちかけた木造校舎に虚しく響く。亜美は足場に気を付けながら、乱雑に積まれた机をどけていった。その下からは横に倒れた掃除ロッカーのようなものが出てきて、亜美は一体どれだけ散らかっているんだ、と顔を顰める。
(どうやったらロッカーの上に机が乗っかるの……)
適当に積み上げたか、もしくは元々別の山だったのを乱雑に扱いすぎて崩れたか――特に意識することなくこの状況が出来上がった経緯を考えていると、亜美の脳裏にはまさか、とある考えが浮かんだ。
(菜月が触って崩れたんだとしたら……)
もしそうだとしたら、菜月はここに閉じ込められているかもしれない――そう気付くと同時に、亜美は慌てて横たわるロッカーの隣にしゃがみこんだ。
「菜月……いるの……?」
ロッカーの扉を開けようと取っ手に手をかけ引っ張るが、立て付けの悪くなった扉は何かに引っかかったかのようにギシギシと音を立てるだけで中々開かない。それでも亜美が力を込め続けると、ガコンッという大きな音と共に扉が勢い良く開いた。
「わっ……!?」
自分が扉に込めた力が突然そのまま返ってきて、亜美は耐えきれず後ろに尻もちをついた。崩れた体勢のせいで視界からはロッカーが消えたが、直前に見たものを思い出して急いで身体を起こす。
(うちの制服のスカートだった気が……)
それの持ち主など、今の亜美の頭には一人しか浮かばなかった。
「菜月っ――……え?」
そこに菜月はいなかった。だが亜美の視界にはやはり見慣れた制服が映っている。――いや、制服だけではない。それに身を包む少女のことを、亜美はよく知っていた。
「……紗季?」
血の気の失せたような顔をした紗季が、ロッカーの中で横たわっていた。
(なんで……? おかしい、だって紗季はこっちに来てない……途中で私が奥を探すからって分かれたのに……)
有り得ない光景に見間違いを疑ったものの、窓から入る光に照らされた顔は紛れもなく紗季のものだった。恐る恐る頬に手を伸ばすと、ひんやりとした肌が指先に触れる。
それは紛れもなく人間の肌の感触。ただし、酷く不安になるほど生気は感じられない。
「紗季……? ねぇ、紗季……!」
もしかして自分が気付かなかっただけで、紗季は分かれた後すぐにこの教室に入ったのだろうか。その時に何らかの拍子で机が崩れて、このロッカーに閉じ込められてしまったのでは――そこまで考えて、それはない、と頭の中で冷静な自分が囁いた。
何故なら自分は物が崩れる音を聞いていない。紗季と分かれてから数分しか経っていないのに、彼女の身体がこんなにも冷えているはずがない。
(ならずっとここに……? そんなの有り得ない……)
どう考えても辻褄が合わない――この状況を説明できる答えを探そうとした時、亜美の脳裏にはある記憶が蘇った。
(そういえば……)
亜美はスマートフォンを取り出すと、グループチャットのやり取りを過去へと遡った。
手を止めたのは、自分の送った《勝者、紗季!》というメッセージ。そしてその横に表示された文字を見た瞬間、亜美の背にひんやりとしたものが走った。
「っ……!」
メッセージの横に小さく表示されたのは既読件数。そこにあった文字は三件――一人、足りない。いつもの五人で作ったグループだから、メッセージを全員見たなら四件の既読がつくはずなのに。
「紗季……昨日からスマホ見てない……?」
菜月が自分のメッセージを見たのは直後に睨まれたから知っている。佳織とたまは先程からずっとこのグループチャットに書き込んでいるため、自動的に既読が付くはずだ。そう考えるとやはり、欠けている一人は紗季でしか有り得なかった。
(菜月もこれに気付いた……?)
昨日の自分とほぼ同じタイミングで《降参!》と書き込んでいた菜月。彼女のメッセージにも、自分が見ているものと同じことが起こっていたとすれば気付いたとしてもおかしくはない。
(ああ、でも待って。分からなくなってきた……)
紗季が昨日からメッセージを見ていなかったといっても、それは大した問題ではないだろう。自分だって何かの理由で丸一日スマートフォンを触らない日もある。
だから問題は、紗季が何故ここにこうしているかということ。それだけのはずなのに、亜美は自分の中に言い知れぬ不安があるのを感じていた。
何かとんでもなく嫌なことが起こっているのでは――漠然とそう思った時、紗季の方からぶぶ、と音が鳴った。亜美はびくりと肩を揺らしたが、同時に自分のスマートフォンも揺れていたことから、誰かからのメッセージを受信したのだとすぐに分かって息を吐く。
(脅かさないでよ……)
自分のスマートフォンを見ようとして、いや、と思い直した亜美は空いている方の手を紗季の身体へと伸ばした。彼女がいつもスマートフォンを入れているのはスカートのポケットだ。案の定そこにあったそれを取り出して確認すると、画面には溜まった新着通知が表示されていた。
(紗季、ごめんね)
恐る恐る紗季の指を使ってロックを解除すれば、亜美たちのグループチャットに新着通知がついていた。それからもう二つ――個別のチャット。一つは菜月のもので、今日何度も紗季にメッセージを送っていたようだ。
内容はやはり先程亜美が気付いたことに関するものだった。昨日「もういいよ」と答えたかという質問から始まり、一度も返事がないことを心配するメッセージが並ぶ。それはどんどん緊迫感を帯びていき、菜月が相当不安を感じているのが文字からでも分かるようだった。
(菜月は紗季を探しに来たんだ……)
《スマホ家に忘れただけだよね? 大丈夫だよね?》
画面に表示された菜月からのメッセージに、亜美は苦しそうに眉根を寄せた。
普段だったらこれほどまでに心配はしないだろう。菜月がどうしてここまで紗季の身を案じているのか亜美には分からなかったが、彼女のその心配は正しいと知っているためそれ以上は気にならなかった。
それよりも、と亜美は菜月とのメッセージを閉じる。新着通知が付いていた個別のチャットはもう一つあるのだ。全く関係なさそうなものだったら見る気はなかったが、相手の名前とプレビューに表示されていた最後のメッセージを見る限り関係ないとは思えなかった。
《なら紗季が代わりに答えてよ》
「何のこと……?」
未読はこの一件のみ。嫌な予感を抱きながらメッセージを開くと、そこにあったやり取りに亜美は自分の目を疑った。
「何これ……」
頭から一気に血の気が失せていくのが分かる。紗季のスマートフォンを持った手のひらが、冷たい汗をどっと吐き出したのを感じた。
(こんなの……これじゃああの子が、紗季をこんな目に遭わせたようなものじゃ……)
一体どうして――理由を考えようとしたが、同時に頭に浮かんだ事実に顔が引き攣った。
メッセージが未読となったタイミング、そして何よりスマートフォンのロックが解除できたこと。つまりここにる紗季こそが本物で、彼女は昨日からずっとここにいたのだ。
(じゃあ、今日私たちがずっと一緒にいたのは誰……?)
その瞬間、亜美は背中に気配を感じた。
振り返りたいのに振り返れない。そこにいるのが誰なのか、考えるのも恐ろしかった。
そして――
「もういいかい?」
すぐ後ろから、聞き覚えのある声がした。
【 応答してはいけない・完 】
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