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新菜いに/丹㑚仁戻

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〈三〉旧校舎へ

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 虫よけ対策を十分にしてから菜月が雑草を踏んで作った道を行くと、亜美の目の前には古びた旧校舎が現れた。勿論ずっと視界にはあったのだが、フェンスや雑草で仕切られていたせいでそこまで近い感じがしていなかったのだ。
 だが今はもうまさしく眼前にあり、自分たちと校舎の間に遮る物は何もない。近くなったはずなのにどこか現実離れしたような、なんとも言えない薄気味悪さが辺りに漂っているような印象を抱き、亜美は身体をぶるっと震わせた。

「完全に廃墟じゃん」

 そう言って、佳織が当然のように昇降口の扉を開けた。

(え、鍵は?)

 その亜美の疑問の答えは、佳織の直前の言葉が示していた。観音開きの扉の真ん中あたりに鍵があったのだろう。だが鍵付近の扉のガラスが破られていて、そこから鍵が開けられたようだ。ガラスを割るような音はしなかったことから、以前から既に破られていて鍵も開きっぱなしだったのかもしれない。

(それだけ肝試しに来る人が多いってことかな)

 建物を囲うフェンスのも、昇降口の鍵も、不法に侵入する者にとっては都合が良い。それらが直されていないということは、今まで肝試しをして誰も警察の世話になっていないことを意味しているのではないか――そう考えると、亜美はほんの少しだけ安堵を覚えた。立ち入り禁止の場所に無断で入る罪悪感だとか、古い建物の不気味さだとか、そういった自分を後ろ向きにさせる要素に対して心配することはないのだと先達に言ってもらえているような気になったからだ。
 そんなふうに考え事をしていると、「うわ、埃っぽい」という佳織の声が聞こえてきて亜美の意識は現実に引き戻された。

「でも意外と臭くないね」
「あちこち穴だらけだからじゃない?」

 入り口に立つ佳織の横から菜月が中を覗き込む。二人の反応を見ていたたまは安心したのか、そうっと扉へと近付いていった。

「亜美、本当に大丈夫?」
「う、うん……多分……」

 いくら安心したと言っても、恐怖を完全に消し去るほどではない。まだ顔に出るほどの恐怖が残っていたらしく、自分を心配そうに見つめる紗季に気付いた亜美は小さく深呼吸をしてから彼女と一緒に中を覗いた。

 扉の先に広がっていたのは、どこか懐かしさを覚えるような昇降口。校舎の規模のせいか数は少ないが下駄箱もそのまま残されていて、かつては毎日たくさんの子供たちが行き交っていたのだと容易に想像できる。昇降口の先は壁で、左右に廊下が伸びているようだ。
 昼間だというのに暗いのは、時間帯のせいで陽の光が入りにくいのだろうか。それでも亜美は意外と怖くないかもしれないと思ったが、佳織が懐中電灯で中を照らすとそれは一変した。明るくなったことでこれまで暗くて見えていなかった木の葉やら何やらが散らかった床だとか、壁にかかった蜘蛛の巣だとか、そういったある意味想像通りの、不気味な廃墟らしい光景が広がったのだ。

「こっちから行こうか」

 昇降口があるのは横長の校舎の中央あたりで、左右に伸びる廊下の向かって左側を指しながら佳織が言った。

(どうしてこっちなんだろう?)

 そんな亜美の疑問は、口に出す間もなく佳織たちが進み始めてしまったので誰にも問いかけることができなかった。だからと言って置いていかれるのは嫌だった亜美も急いでスマートフォンのライトをつけて恐る恐る中へと足を踏み入れる。
 先程の疑問を自力で解決しようとちらりと反対側を見てみれば、明らかに左側よりも散らかっていて進むのが難しそうに思えた。

(なるほど、これで誰も反対しなかったのか)

 疑問が解決した亜美は、佳織たちの後をなるべく周りを見ないようにして歩いた。そうしたのは中の様子にあまり興味がないというのもあるが、うっかり自分だけおかしなものを見てしまうのが嫌だったからだ。
 だがいくら視界を狭めても、耳は不気味な音を拾う。と言っても自分たちの足音なのだが、この場所では悪い意味で雰囲気があった。ぎいぎいと軋む床板は腐っているところもあるのか少しぶよぶよするような感覚もあり、いつ抜けてしまうか分からない。亜美と同じことを思ったのか、「これ二階は絶対無理だね」と菜月が言うのが聞こえた。

「そういえばさ――」

 五人で固まって移動していると、不意にたまが口を開いた。

「――結局昨日の怪談って、何が言いたかったんだろうね?」

(なんで今そんな話をするの)

 ただでさえ怖いのに、こんなに雰囲気のある場所で怪談大会なんて始められたらかなわない、と亜美の眉間に力が入る。それなのに佳織が「どういうこと?」と聞き返したせいで、たまの口は止まらなかった。

「ほら、怪談とか都市伝説って何となく『これはしちゃいけませんよ』っていう教訓みたいな感じあるじゃん? でも昨日の話って、確かに怖かったけどちょっと中途半端っていうかさ。何人も遺体で見つかってるのに、一人分しか示唆してないし」
「言われてみれば……」

 たまの質問に佳織がふむ、と考える仕草をする。

「あの女の子の怖さを強調したかったとか?」
「だったらあの子が何人も餌食にした、って感じで脚色した方が良くない?」

 たまの言葉に佳織はまたしても難しい顔をした。佳織は怪談話が好きだが、どちらかというとそれで周りを楽しませるのが好きなのだ。一方でたまは怪談に込められた意味や伏線など、そういう部分を考えることを好む。
 だからこの二人のやりとりは割とよくあるもので、佳織がすぐに「わっかんないよー」と匙を投げるのもいつもどおりだった。

「佳織が聞いたものと同じかは分からないんだけど――」

 それまで黙っていた紗季が、そう小さく前置きをした。こんな言い方をするからには、この後に続くのはきっと何かしらの怪談だろう――いつも聞き手に徹して自分からは怪談を話すことがない友人の珍しい行動に、なるべく周りの話を聞かないようにしていたはずの亜美は無意識のうちに紗季の方へと意識を向けていた。

「――私が知ってる話だと、あの怪談には続きがあるはずだよ」

 紗季の言葉に、菜月とたまが興味深そうな表情を浮かべる。

「続きって?」
「昨日帰った後、中学の時の友達に聞いたら教えてくれたの。佳織が話したのはそれとは若干違うんだけど、まあ前日譚みたいな感じなのかな? もう一つの話だと、ここでかくれんぼをしたら――」
「あー、多分それ別のやつだ」

 紗季の言葉を遮るように佳織が声を上げた。

「かくれんぼの話でしょ? ここであの話に出てきた女の子とかくれんぼしちゃ駄目、みたいなさ」
「そうだよ。知ってるの?」
「知ってる知ってる。でもあれは派生系っていうか、ちょっと違うらしいんだよね。でも結構怖かったから、また別の機会のネタとして取っておきたくて……」
「わざと話さなかったってこと?」

 紗季が怪訝な眼差しを向けると、佳織がへへ、と苦笑いを浮かべる。

「ストーリーテラーとしては順序を大事にしたいわけですよ」
「……あれが全部話さないといけない怪談だっていうのは分かってるよね?」
「分かってる分かってる。その時はきっちり最初から最後まで話すつもり」
「ならいいけど……」

 渋々といった様子の紗季に、「全部って?」と亜美は不安げに尋ねた。

「たまにあるでしょ? その話を聞いた後はこれをしなきゃいけない、みたいな怪談。ああいう感じかな」
「それ以上は聞いちゃ駄目ー! 紗季も答えないでね!」
「はいはい」

 佳織の制止に紗季が呆れたように答えると、「で、結局どういう教訓なの?」とたまが不満そうに口を尖らせた。たまからすれば自分の話が遮られただけで、何も得られていないのだ。

(何か答えてあげたいけど……何も浮かばないしなぁ……)

 亜美が必死に思考を巡らせていた時、「とりあえず、二つの怪談は別物だけど大本が同じかもしれないんだよね?」と菜月が確認するように佳織と紗季に目配せをした。

「じゃあ佳織の怪談の教訓も、もしかしたら単純にここでかくれんぼしたら危ないよってことじゃない?」

 あっけらかんとした調子で菜月が続ける。

「紗季の知ってる怪談だと、続きはかくれんぼに関することなんでしょ? で、佳織が話してくれた方もかくれんぼが出てきてる。実際ここで遺体が見つかってるなら、大人としては入り込まないで欲しいわけじゃん? まあかくれんぼには限らないかもしれないけど、とにかくここで遊ばないでねって意味を込めてああいう抜粋と脚色になったんじゃないかなと思うんだけど」
「そんな単純かなぁ?」
「案外単純だと思うよ」

 菜月がそう思ったのは、彼女が佳織と同じく深く考えることを好まないからだろう。だが、だからと言ってあながち的外れでもないかもな、と亜美は菜月の話を聞きながら考えていた。
 菜月の言うとおりだとすると、教室で紗季が言っていた『旧校舎に一人で隠れてはいけない』という話も納得できる。実際は一人で〝隠れてはいけない〟ではなく〝入ってはいけない〟だと思われるが、どちらにせよ周囲の大人からすればこんないつ崩れるかも分からない危険な場所に子供たちには入って欲しくないだろう。それを大人からはっきりとした禁止事項として教えられるか、怪談という形で教えられるかという違いなのだ。
 佳織の口振りでは『旧校舎でかくれんぼをしてはいけない』という教訓を持った怪談も存在するようだから、どちらにせよ結局は『危ないから旧校舎に一人では絶対に入るな。複数人だとしても遊ぶようなことはするな』と言いたいのかもしれない――そう結論付けると、亜美はおずおずと口を開いた。

「でも遊んじゃ駄目ってことは、極力入って欲しくないとも取れるでしょ……? だったらさ、やっぱりもう帰った方が良くない……?」

 一番後ろを歩く亜美が小さな声で言えば、四人が一斉に彼女の方を振り向く。

(どうせ否定されるんだろうけど……)

 ここに入ってはいけないなど、怪談の教訓とは関係なく入る前から分かりきっている。それなのに今更こう言ったところで大した意味はないだろうと思いながら、それでも一縷の望みをかけて亜美が友人たちの表情を窺おうとした時、佳織が「え」と小さな声を上げた。
 その声は亜美の発言を馬鹿にするようなものではなく、ただ、驚いたような。ゆっくりと上げられた佳織の腕は、そのまま亜美の背後を指差した。

「――その子、誰?」

 一体佳織は何を言っているんだ──その疑問の答えは瞬時に浮かび、次の瞬間には亜美の口から悲鳴が飛び出した。

「嫌ぁああああああああ!!」

 大声で叫びながら、亜美は前にいた紗季に抱きついた。突然の悲鳴と亜美の行動に紗季も「わっ」と驚いた声を上げたものの、すぐに落ち着いた様子で亜美の背中に手を回す。

「佳織の嘘だよ。大丈夫、誰もいないから」
「う、嘘……?」
「うん、嘘。せめて後ろ確認してから驚きなよ」
「だってぇ……」

(あんなふうに言われたら、確認しなくたって怖いじゃん……)

 そう思いながらも亜美は紗季の言葉を信じ、ゆっくりと後ろを見た。そこには彼女の言葉どおり誰もいなくて安心したものの、亜美の膝はがくがくと小刻みに震えている。

「佳織も、無理に亜美を連れてきたんだから脅かさないの」
「はーい」

 全く反省していない様子の佳織に、楽しそうに笑顔を浮かべるたまと菜月。
 人をからかって楽しむタイプの人間はこれだから嫌なんだ、と亜美は顔を歪めた。 

「私もう一番後ろ嫌だ……」
「そうだね、亜美は私の前歩きな」

 紗季に促されるも、亜美は彼女の腕から中々手を離せなかった。震えた膝でどうにか一歩前に出たがそれ以上は進めず、結局紗季と並んで歩くようにすることで落ち着いた。

「もう帰ろうよう……」
「まだ入ったばっかじゃん」
「だって佳織が脅かすから……!」
「もうやらないよ。約束!」

 亜美の訴えは却下され、佳織たちはずいずいと前へ進んでいく。

「ずっと手繋いでるから。ね?」
「やだ、紗季ったらイケメン」
「冗談言えるくらいには元気になったね」
「空元気だよう……」

 そこからは、やはり亜美はへっぴり腰のままだった。古い床板が時折甲高い鳴き声を上げるたびに「ひぃっ……!」と息を呑み、視界の端を虫が動けば「ひゃあ!」と悲鳴を上げる。ただ後者の悲鳴は亜美よりもたまの方が大きかった。
 そういうことを繰り返してどうにか廊下を渡りきり、あとは引き返して帰るだけとなった時――

「かくれんぼ、しよっか」

 菜月がにんまりとしながら亜美たちに提案した。

「やだやだやだ絶対嫌だ!」

 紗季にしがみついたままの亜美が必死に拒否の意を示す。

「うん、普通に危ないと思う。どこかに隠れて、立て付けの悪くなった扉が開かなくなるかもしれないし」
「それに隠れてる時に虫が来たら嫌だしねぇ」

 紗季とたまも亜美と同じ意見のようだ。

「一回だけ! こんな機会そうそうあるものじゃないしさ、折角ここまで来たんだからやっていこうよ!」
「でもさっき自分でかくれんぼしちゃいけないっていう教訓なんだって言ってなかった?」
「そうだけど! でもそれはどうせ大人とかが考えたんでしょ? みんなスマホ持ってるし、まだ明るいんだから行方不明になんてならないよ」

 菜月の説得に紗季が冷静に返すも、引き下がる気はないようだ。

「そんなに不安なら時間決めようよ。その時間までに全員見つからなかったら、かくれんぼが途中でも切り上げてみんなで探す。そうすればどこかに閉じ込められちゃっててもすぐに出られるよ」

 名案とばかりに佳織が提案すると、たまが不満そうに頬を膨らませた。

「虫はぁ?」
「そこはほら、素敵な体験の代わりに我慢」
「えぇー」
「虫がいなそうなところに隠れればよくない?」
「あ、そっか」
「たまぁ!」

 味方が一人減り、亜美は思わず悲鳴のような声を上げた。

「隠れるのが怖いなら亜美が鬼でもいいよ」
「やだよ、それ絶対私が見つけそうになったら脅かしてくるやつじゃん」
「よくおわかりで」

 手をわきわきさせながら、佳織が楽しそうに笑う。

(これ佳織が鬼になったら見つけるたびに相手驚かせようとしてくるんじゃないの……?)

 ここでかくれんぼをするつもりはないが、佳織が鬼になるのだけは絶対に嫌だと思った。

「じゃ、ここは平等にじゃんけんで負けた人が鬼ってことにしよう」
「待って、私まだやるって言ってない!」
「えー?」
「紗季だって反対してたし! ね?」
「まあ、菜月の言うとおり人数だっているし、私は安全が確保されればいいんだけど」
「実はやりたかったな君!」

 へへ、と紗季が笑う。紗季は冷静だが、いつも怪談話に付き合うあたり怖いものが好きなのだ。亜美も薄々勘づいてはいたものの、こんなところで確信させられても困ると言わんばかりに眉間に皺を寄せた。
 こうなってしまえば自分だけやらないというのも、ここに一人取り残されるようで逆に怖く感じる。遊んでいるという感覚があればまだ気が楽なのかもしれないと思った亜美は、自分を鼓舞してかくれんぼに参加することにした。
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