虚像のゆりかご

新菜いに/丹㑚仁戻

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最終章 虚像

〈二〉残っていた記録

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「――河野さん……これ……」

 他人の空似とは思えなかった。あの似顔絵はこの女性を描いたものだという確信が、尾城の中に生まれていた。
 そしてそう感じたのは河野も同じだったようで、彼もまた信じられないものを見たと言わんばかりの顔で写真を見つめている。だがその目は何か別のものを見ているようにも感じられて、尾城は不思議に思いながら自分も写真に視線を戻した。
 手元の写真は偽物の橘椿が八尾の父親と二人並んで写っているものだった。二人はそれほど親密ではないのか、黒いワンピースを身に纏い完璧な笑顔を浮かべる長身女性の隣で、八尾善晴は緊張したようにぎこちなく笑っている。
 一体どんな関係なのか――尾城が疑問を口にしようとした時、「ああ、それですね」と新城が声を上げた。

「善晴君が大学生の時に追っかけをやっていた女性ですよ。確か裏面に名前があったんじゃないかな」

 言われるがままに写真を裏返せば、確かにそこには日付と共に女性の名前と思しき文字が書いてあった。

「『鮫島さめじま貴子たかこさんと、撮影会にて』……聞いたことがない名前ですね」
「鮫島……そうだ、鮫島だ!」
「えっ?」

 急に大声で言ったのは河野だった。珍しい先輩の様子に尾城は驚きながらも、先程の彼の様子はこれのせいだったのだろうと続く言葉を待った。

「あの似顔絵、どこかで見たことあるって言っただろ? この女だよ、鮫島貴子。昔地元の有名人だったんだ、とんでもない美女がいるってな」
「そういえば言っていましたね。でも河野さんの地元って東京じゃ……?」
「川挟んで向こう側なんて地元も同然だろ。俺はもう当時働いてたから直接見たことはないが、地元の後輩達がしょっちゅう千葉まで見に行ってたんだよ」
「芸能人だったんですか?」
「ああ。……いや、違うな。確かデビュー直前で死んだんだ」
「死んだ?」
「事故死だったかな……えらい突然だった気がする」

 河野にしては珍しく歯切れが悪いのは、それが少なくとも二十年以上前の話だからだろう。相手が友人というわけでもなく、ただ名前を知っていただけなのであれば死因をろくに覚えていなくても無理はない。

「でもどういうことですか? これが二十年前の写真なら、この人のそっくりさんが八尾の近くに――ああ、すみません」

 この場で話すことではないと思い直し、尾城は口を止めた。八尾にとある事件の容疑がかかっていることは事前に新城に伝えていたが、どんな事件かは具体的には明らかにしていない。
 ここで話すことでそれを新城に知られてしまうかもしれないし、何より八尾について河野と話すとなると、どうしても彼を被疑者として扱ってしまう。たとえ容疑がかかっていると知っているとしても、新城にとってはあまり気分の良いものではないだろう。
 河野と話すのは後にしようと尾城が考えを頭の中でまとめていると、横から他でもない河野が身を乗り出す気配を感じた。

「申し訳ありません、新城さん。急ぎ確認したいことができました。こちらの写真は借りていってもよろしいでしょうか?」
「ええ、いいですよ。もし他に何かあればいつでも聞いてください」

 これはもしや大事なのでは――急に予定を変えた河野の様子を見ながら、尾城はごくりと喉を鳴らした。


 § § §


「一体どこに行くんですか?」

 新城宅を出た後、尾城は河野に言われるままに車を走らせていた。だがどの方面に向かえと言われただけで、未だ目的地は知らされていない。隠されているわけではないことは河野の様子で分かったが、いくら道案内はしてくれると言っても流石に行き先くらいは知りたかった。

「八尾の実家だよ、父親と暮らしてた方のな。当時を知る人間くらいいるだろ」

 尾城の質問に答えた河野の手には、八尾に関する資料が持たれている。恐らくそこに載っている住所を見て先程から自分に指示を出していたのだろう。頭の片隅でそう考え至っても、尾城にはまだ分からないことがあった。

「今更そこまで昔のこと聞いてどうするんです? 八尾明香の家ですら何も収穫はなかったじゃないですか」

 いくら八尾のことを調べていると言っても、小学生にもなっていない頃のことなど調べて何の意味があるのだろうか。
 大体、新城のように故人と親しくしていた人物と出会えるならまだいい。だが当時の八尾善晴は恐らくそこまで深い近所付き合いをする余裕などなかっただろう。ならば八尾明香の自宅のように、尾城には行ったところで無駄足になるような気がした。

「鮫島貴子だ」

 自分の問いに答えるようにして河野から出てきた言葉は、尾城が予想していなかったものだった。

「鮫島ってあの写真の? それこそ近所の人に聞いたって分かるわけないでしょう」
「そんなのわざわざ聞くわけねぇだろ。俺が気になってるのはなんで八尾が鮫島貴子の存在を口にしたかってことだ。お前がさっき言いかけたとおり、鮫島とよく似た女が八尾の側にいるならまあいいだろう。そういう偶然だってあるかもしれない。だがそうじゃなかったら? 死人が生き返るはずないんだ、八尾の話は一気に信憑性がなくなる」
「そうですけど、そもそも本当に鮫島は死んでるんですか? 河野さんだっておぼろげな記憶でしょ?」
「生きてたら俺と同年代だぞ? どう見てもあの似顔絵じゃ若すぎる。まあ実際どうかは問い合わせてみるが、鮫島本人が実は生きてて八尾の前に現れただなんてことは有り得ない」

 それこそ決めつけでは――尾城は思ったが、今は口に出さないことにした。結局河野の記憶が正しいかどうか確認しないと意味がないのだ。彼の言うように既に鮫島がこの世を去っていれば、確かに鮫島本人が八尾の前に現れることは決して有り得ない。
 だがもし生きていればそれは絶対ではなくなる。年齢よりもはるかに若く見える人間だっているし、八尾が細かい部分に気付きにくいタイプなのであれば似顔絵に加齢があまり反映されていないこともあるだろう。
 第一、本当に鮫島がずっと前に亡くなっていたとしても、親類縁者であればよく似た顔立ちの者だっているかもしれない。そういったことまで考えると、現段階では不確定要素が多すぎて数ある可能性を絞ることすらできないのだ。
 堂々巡りになる考えを振り払うように尾城が運転に集中していると、彼のスマートフォンが着信を告げた。

「ちょっと相手見てもらってもいいですか」

 前を向いたまま、スーツのポケットから出したスマートフォンを河野に手渡す。

「署からだな」
「代わりに出てください」

 電話の対応を河野に託し、尾城は着信があった理由に考えを巡らせた。所属する江戸川西署から自分に電話がかかってくるのはおかしいことではないが、今は特に連絡を受けるようなことはなかったはずだ。 
 河野の返事から探ろうにも、相槌を打つばかりで内容が分からない。それでもどんどん低くなっていく彼の声が、尾城の中の嫌な予感を駆り立てていく。ちらりと盗み見た河野の表情は声のとおり硬く、これは何かあったのでは、と彼が通話を終えるのを待った。

「――なんだったんです?」

 河野がスマートフォンを耳元から離したのを横目で見ると、尾城は恐る恐る問いかけた。

「本田っていたろ、橘椿が勤めてた居酒屋の」
「ああ、店長の」
「少し前に本田から署に連絡があって、東海林卓が店の常連だったかもしれないって言い出したんだとよ」
「は?」

 思わず素っ頓狂な声を上げながら、尾城は河野の方を見そうになった首を必死に前へと縫い付けた。できればどこかに停車して聞きたいところだったが、河野がそれを求めているようには思えないため仕方なく運転を続ける。

「従業員と伝票漁って、最後に来店した日付まで確認した上で来たそうだ。で、署の連中がそれを前に預かってた店の防犯カメラの記録と照らし合わせたら、東海林らしき人物が映ってた」

 そこまでしたのなら本田の話は信用できるものなのだろう。だが、だからこそ尾城は混乱していた。

「待ってください、どういうことですか? 橘と東海林にも関係があったってことですか?」
「それは分からない。でも本田が言うには、東海林の来店の仕方も橘目当ての奴と似てたってよ」

  ならば顔見知りというわけではないのだろうか――尾城は考えようとしたが、すぐに無駄だと気が付いた。どちらも既に亡くなっているのだ、どちらかが誰かに相手の存在を話していない限り実際にどうだったのかは知ることができない。そしてそれを今この場で確認することもできない。
 手元にある情報は、東海林が橘の勤めていた居酒屋によく現れていたということだけだ。それだけではどうやったって二人の関係性を推測することなんてできないだろう。
 それでも尾城は、ある存在を思い出さずにはいられなかった。

「もしかして、例のストーカー……?」
「東海林の体格思い出してみろ。大柄と言うほどでもないが、小柄だなんて表現する奴は滅多にいないと思うけどな」
「確かに……」

 河野に言われて、尾城は頭の中に東海林の姿を思い浮かべた。とは言っても知っているのは遺体になった後――横になっている姿だけだったが、それでも良い体格をしているなと思った記憶がある。数字で見た身長は平均より少し高いくらいだったが、体つきはかなりがっしりとしていたはずだ。

「でもなんで今更……この前聞いた時は何も言ってなかったのに……」
「ニュースを観たんだと」
「ニュース?」
「たまたま観たニュースで使われてた写真が最近のものに変わってたらしくてな。今まではほら、学生の時のだったろ?」
「そういえばそんな気が……」

 つまり本田は、これまでは古い写真だったため東海林と自分の店の常連が同一人物だとは思っていなかったが、最近の写真を見たことにより気付いたということなのだろう。もしかしたらわざわざ最後に来店した日付まで確認して警察署に来たのは、気付くのが遅れた後ろめたさもあったのかもしれない。
 そう考えると本田を責めるのはお門違いだ、と尾城は自分を納得させた。むしろ知らないふりをせずに教えてくれたのだから、彼はよくやってくれたとも言える。
 それでも尾城の気分はあまり晴れなかった。折角もたらされた新たな情報だったが、それが事件解決に繋がるどころか、更に分からないことを増やしてしまったのだ。

 その後はなんとなく尾城と河野は口を止めて、静かに八尾の実家へと向かった。
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