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第三章
〈三〉空堕ちる暗闇の夢
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「機嫌直せよー」
無心で土を掘る三郎に、天真が困ったように話しかける。しかし三郎は目もくれず、ただひたすらに地面を掘り続けた。
「そっち掘ったって無駄だから。な? 大人しく別のとこ探そ?」
「お一人でどうぞ」
「それじゃ意味ないって」
どういう意味だ――三郎がそれを知ったのは、土から出てきたものを見た時だった。
「…………」
「だァから言ったろ? 無駄だって。この蛇さっきと同じ種類じゃん」
「……なんで分かったんですか」
「勘」
「むっかつく……!」
あああ、と唸りながら三郎が頭を抱える。白柊からの指示では、生き物は一種類ずつでいい。とはいえ大きさや生態が似たような生物は、掘り起こすまで実際の種類は分からない。だから掘っていたのに、天真の言葉どおり今掘っていたのは丸っきり無駄になってしまった。
「まァまァ、怒りなさんな。まだ全部見つかってないんだろ? さっさと次行こうぜ」
「……手分けした方が早いと思うのですけど」
「だって俺が命じられたわけじゃないし?」
あっけらかんと答える天真に、三郎の怒りが募る。
「ああもう! じゃあどっか行っててくださいよ、気が散るんで!」
一人でやっていたならば、同じ種類を掘り返してしまってもここまで腹が立たなかったはずだ。それなのにこんなに苛立つのは、ずっと隣で天真が見ているから。先程完全に敵認定した相手が近くを纏わりつくというのは非常に不快だった。
「別にそんな頑張る必要ないんじゃねェの? 何のためかは知らんけど、白柊様だって全種類獲れるだなんて思ってないだろ」
呆れたように言う声に、三郎はむっとした表情を向ける。今度はそれほど苛立たなかったのは、天真に他意がないと分かったからだ。
「分かってますよ。でも白様は無駄なこと命じません。きっとお考えがあるんです」
「さっきまで人を鳥扱いするって怒ってなかった?」
「それはそれですよ」
「ふうん? でもこれ、守護の仕事じゃなくない? なんでアンタそこまでするんだよ」
当然の質問だ――三郎は小さく息を吐いて天真を見やる。
「私は白様の守護ですが、そうでなくてもあの方にお仕えしているつもりです」
「次は姫宮の守護になるってのに?」
「なんで知ってるんですか」
白柊の守護であった三郎が琴の守護に就くことを知っているのはごく少数のはずだ。しかも箝口令が敷かれているため漏れるとは考えにくい。だから可能性があるとすれば、天真がそのごく少数に含まれている場合くらいだ。それは彼が羽刄において、それなりの地位を持っていることを表していた。
「俺ってこれでも羽刄じゃ結構凄いのよ。んで、どうなの? 姫宮の守護」
「……それはちゃんとやりますよ」
改めて指摘された矛盾に三郎の声が小さくなる。自分の主は白柊だけだと思っているが、春には別の主人に仕えなければならない。
「そうだろうけどよ。なァ、なんでそんなに白柊様がいいんだ? 時嗣の子供達が主でも今みたいに思ってたか?」
「それは――」
(そんなことあるはずない)
真っ先に三郎の脳裏に浮かんだのは、その言葉だった。
§ § §
それはまだ、三郎が水月介であった頃。白柊七歳、三郎十二歳の春のことだった。
その二年前に時和としての能力を認められた白柊は、生家の行雲家を離れ時嗣の御子として一人、行雲御所に入った。本来であれば盛大に歓迎されたかもしれない。しかしこの時既に、未来を読む時嗣の御子がいた。しかもそれは時嗣の実子。それなのに後からやってきた分家の、それも過去しか読めない白柊が歓迎されるはずもない。
だがすべての時和は時嗣の御子となる決まり。その能力が公になってしまった以上、幼い白柊にはどうすることもできない。こうして白柊は、月霜宮内で味方もなく暮らすことになった。
白柊が行雲御所に入ると同時に守護に就いた三郎は、この小さい主が苦手だった。子供ながらに立派に守護の役目を勤め上げようと意気込んでいたにも拘わらず、守護すべき主はまるで迷惑と言わんばかりに三郎を遠ざける。たまに仕事の都合上顔を合わせれば、目の前にいるはずなのにどこか自分の裏側を覗かれているような、そんな居心地の悪い目を向けられた。
だから、この頃の三郎と白柊の間には距離があった。当時から白柊は御所の本殿ではなく離れにいることを好んだが、三郎がそこに長居することは許されない。守護という役目があるため完全に離れるわけではないが、三郎は常に白柊の視界に入らない位置にいて、主から声がかけられない限りその存在を隠すようにしていた。
そんな折のことだ。その日も三郎は離れの外で控えていた。
最近の定位置は屋根の上。柔らかな日差しが気持ち良く、主に受け入れられていないということを実感せざるを得ない状況に薄暗くなる気持ちを温めてくれる。しかも白柊は屋根など気にも留めないから、主に見つからないようにするために割く神経も少なくていい。
(毎日晴れならいいのになぁ……)
西から少しずつ雲がかかっているのに気付き、三郎がそう思った時だった。
「――っ!?」
落ち着いていたはずの発作が、突如として三郎を襲った。
目の前が真っ暗になり、ガンガンと頭を金槌で打ち付けられるかのような衝撃が何度も走る。やがて黒の中に赤が混じり始め、その形がはっきりしたと同時に三郎は叫び声を上げた。
「いやぁっ――!?」
不自然に悲鳴が止まったのは、彼女の全身を衝撃が襲ったからだ。それでも三郎の混乱は収まらず、肩で荒い呼吸を何度も繰り返す。
しかし面を付けているせいかうまく息が吸えない。だんだん苦しくなってきて、しゃくりあげるような声が何度も漏れた。
「落ち着け」
静かな声が、三郎の頭の中に溶ける。その声が「面を外すぞ」と続けると、途端に呼吸が楽になるのを感じた。
「ゆっくり息を吸え」
言われるがままにやってみると、先程までうまくいかなかったのが嘘のように、存分に空気を吸い込める。安心から三郎はいくらか落ち着きを取り戻したが、しかしまだ息が苦しく中々いつもどおりの呼吸に戻れない。
「吐け」
息を吸うだけ吸って吐けなかった三郎に、まるで呼吸の仕方を教えるかのように声の主は語りかけた。
そうして何度か声に導かれるままに呼吸を繰り返すうちに、三郎は完全に冷静さを取り戻していた。改めて目を開いて見てみれば、自分が地面に蹲るようにしているのだと分かる。先程まで屋根にいたはずなのにここにいるということは、きっと取り乱した時に落ちてしまったのだろう。
そこまで考え至ると、ではこの声の主は誰だという疑問が浮かんだ。
「……若?」
「なんだ」
幼い顔に仏頂面を浮かべているのは、間違いなく自分の主である白柊だった。考えてみれば当然だ。白柊のいる離れの屋根から落ちたのだから、その現場を彼に見られていたとしても何ら不思議なことはない。むしろ白柊からすれば、誰もいないと思っていた屋根から突然叫び声を上げながら人が落ちてきたのだ、驚いたどころの話ではないだろう。
「ご迷惑……おかけして、申し訳ありません」
守るべき主に助けられたという事実に、三郎の胸には後ろめたさが広がる。しかも助けてもらうためとはいえ、虚鏡でありながら顔を晒してしまった。
それが自分の未熟さを突きつけてくるようで、三郎はうまく顔を上げることができずにいた。しかし――
「お前、もしかして――」
放たれた言葉に驚き、咄嗟に顔を上げる。するとそこには、探るように自分を見てくる金色の瞳があった。
§ § §
遠い日を思い出し、三郎は仮面の下で顔を綻ばせた。
あの日が自分にとって、本当の意味で白柊を主と決めた日だ。思えばあの件以来、白柊と話をする機会も増えた。まさかこんな形で守護の任を離れることになるとは思っていなかったが、それでも白柊が自らの主人であることには変わりない。
「――なんだよ、急に黙りこくって」
過去に想いを馳せていた三郎に、天真が訝しげに問いかける。
「ああ、すみません。ちょっと昔のことを思い出してて」
「それはあれか、〝白様との思い出〟ってやつか」
「えっ、なんで分かるんですか?」
「どうして分からないと思うんだよ」
天真は呆れたように言うが、三郎は何故だろうか、と首を傾げる。
「……もういいよ」
珍しく困ったように天真はそう言って、「ほら、次はこっち掘り返そうぜ」と三郎を促した。
無心で土を掘る三郎に、天真が困ったように話しかける。しかし三郎は目もくれず、ただひたすらに地面を掘り続けた。
「そっち掘ったって無駄だから。な? 大人しく別のとこ探そ?」
「お一人でどうぞ」
「それじゃ意味ないって」
どういう意味だ――三郎がそれを知ったのは、土から出てきたものを見た時だった。
「…………」
「だァから言ったろ? 無駄だって。この蛇さっきと同じ種類じゃん」
「……なんで分かったんですか」
「勘」
「むっかつく……!」
あああ、と唸りながら三郎が頭を抱える。白柊からの指示では、生き物は一種類ずつでいい。とはいえ大きさや生態が似たような生物は、掘り起こすまで実際の種類は分からない。だから掘っていたのに、天真の言葉どおり今掘っていたのは丸っきり無駄になってしまった。
「まァまァ、怒りなさんな。まだ全部見つかってないんだろ? さっさと次行こうぜ」
「……手分けした方が早いと思うのですけど」
「だって俺が命じられたわけじゃないし?」
あっけらかんと答える天真に、三郎の怒りが募る。
「ああもう! じゃあどっか行っててくださいよ、気が散るんで!」
一人でやっていたならば、同じ種類を掘り返してしまってもここまで腹が立たなかったはずだ。それなのにこんなに苛立つのは、ずっと隣で天真が見ているから。先程完全に敵認定した相手が近くを纏わりつくというのは非常に不快だった。
「別にそんな頑張る必要ないんじゃねェの? 何のためかは知らんけど、白柊様だって全種類獲れるだなんて思ってないだろ」
呆れたように言う声に、三郎はむっとした表情を向ける。今度はそれほど苛立たなかったのは、天真に他意がないと分かったからだ。
「分かってますよ。でも白様は無駄なこと命じません。きっとお考えがあるんです」
「さっきまで人を鳥扱いするって怒ってなかった?」
「それはそれですよ」
「ふうん? でもこれ、守護の仕事じゃなくない? なんでアンタそこまでするんだよ」
当然の質問だ――三郎は小さく息を吐いて天真を見やる。
「私は白様の守護ですが、そうでなくてもあの方にお仕えしているつもりです」
「次は姫宮の守護になるってのに?」
「なんで知ってるんですか」
白柊の守護であった三郎が琴の守護に就くことを知っているのはごく少数のはずだ。しかも箝口令が敷かれているため漏れるとは考えにくい。だから可能性があるとすれば、天真がそのごく少数に含まれている場合くらいだ。それは彼が羽刄において、それなりの地位を持っていることを表していた。
「俺ってこれでも羽刄じゃ結構凄いのよ。んで、どうなの? 姫宮の守護」
「……それはちゃんとやりますよ」
改めて指摘された矛盾に三郎の声が小さくなる。自分の主は白柊だけだと思っているが、春には別の主人に仕えなければならない。
「そうだろうけどよ。なァ、なんでそんなに白柊様がいいんだ? 時嗣の子供達が主でも今みたいに思ってたか?」
「それは――」
(そんなことあるはずない)
真っ先に三郎の脳裏に浮かんだのは、その言葉だった。
§ § §
それはまだ、三郎が水月介であった頃。白柊七歳、三郎十二歳の春のことだった。
その二年前に時和としての能力を認められた白柊は、生家の行雲家を離れ時嗣の御子として一人、行雲御所に入った。本来であれば盛大に歓迎されたかもしれない。しかしこの時既に、未来を読む時嗣の御子がいた。しかもそれは時嗣の実子。それなのに後からやってきた分家の、それも過去しか読めない白柊が歓迎されるはずもない。
だがすべての時和は時嗣の御子となる決まり。その能力が公になってしまった以上、幼い白柊にはどうすることもできない。こうして白柊は、月霜宮内で味方もなく暮らすことになった。
白柊が行雲御所に入ると同時に守護に就いた三郎は、この小さい主が苦手だった。子供ながらに立派に守護の役目を勤め上げようと意気込んでいたにも拘わらず、守護すべき主はまるで迷惑と言わんばかりに三郎を遠ざける。たまに仕事の都合上顔を合わせれば、目の前にいるはずなのにどこか自分の裏側を覗かれているような、そんな居心地の悪い目を向けられた。
だから、この頃の三郎と白柊の間には距離があった。当時から白柊は御所の本殿ではなく離れにいることを好んだが、三郎がそこに長居することは許されない。守護という役目があるため完全に離れるわけではないが、三郎は常に白柊の視界に入らない位置にいて、主から声がかけられない限りその存在を隠すようにしていた。
そんな折のことだ。その日も三郎は離れの外で控えていた。
最近の定位置は屋根の上。柔らかな日差しが気持ち良く、主に受け入れられていないということを実感せざるを得ない状況に薄暗くなる気持ちを温めてくれる。しかも白柊は屋根など気にも留めないから、主に見つからないようにするために割く神経も少なくていい。
(毎日晴れならいいのになぁ……)
西から少しずつ雲がかかっているのに気付き、三郎がそう思った時だった。
「――っ!?」
落ち着いていたはずの発作が、突如として三郎を襲った。
目の前が真っ暗になり、ガンガンと頭を金槌で打ち付けられるかのような衝撃が何度も走る。やがて黒の中に赤が混じり始め、その形がはっきりしたと同時に三郎は叫び声を上げた。
「いやぁっ――!?」
不自然に悲鳴が止まったのは、彼女の全身を衝撃が襲ったからだ。それでも三郎の混乱は収まらず、肩で荒い呼吸を何度も繰り返す。
しかし面を付けているせいかうまく息が吸えない。だんだん苦しくなってきて、しゃくりあげるような声が何度も漏れた。
「落ち着け」
静かな声が、三郎の頭の中に溶ける。その声が「面を外すぞ」と続けると、途端に呼吸が楽になるのを感じた。
「ゆっくり息を吸え」
言われるがままにやってみると、先程までうまくいかなかったのが嘘のように、存分に空気を吸い込める。安心から三郎はいくらか落ち着きを取り戻したが、しかしまだ息が苦しく中々いつもどおりの呼吸に戻れない。
「吐け」
息を吸うだけ吸って吐けなかった三郎に、まるで呼吸の仕方を教えるかのように声の主は語りかけた。
そうして何度か声に導かれるままに呼吸を繰り返すうちに、三郎は完全に冷静さを取り戻していた。改めて目を開いて見てみれば、自分が地面に蹲るようにしているのだと分かる。先程まで屋根にいたはずなのにここにいるということは、きっと取り乱した時に落ちてしまったのだろう。
そこまで考え至ると、ではこの声の主は誰だという疑問が浮かんだ。
「……若?」
「なんだ」
幼い顔に仏頂面を浮かべているのは、間違いなく自分の主である白柊だった。考えてみれば当然だ。白柊のいる離れの屋根から落ちたのだから、その現場を彼に見られていたとしても何ら不思議なことはない。むしろ白柊からすれば、誰もいないと思っていた屋根から突然叫び声を上げながら人が落ちてきたのだ、驚いたどころの話ではないだろう。
「ご迷惑……おかけして、申し訳ありません」
守るべき主に助けられたという事実に、三郎の胸には後ろめたさが広がる。しかも助けてもらうためとはいえ、虚鏡でありながら顔を晒してしまった。
それが自分の未熟さを突きつけてくるようで、三郎はうまく顔を上げることができずにいた。しかし――
「お前、もしかして――」
放たれた言葉に驚き、咄嗟に顔を上げる。するとそこには、探るように自分を見てくる金色の瞳があった。
§ § §
遠い日を思い出し、三郎は仮面の下で顔を綻ばせた。
あの日が自分にとって、本当の意味で白柊を主と決めた日だ。思えばあの件以来、白柊と話をする機会も増えた。まさかこんな形で守護の任を離れることになるとは思っていなかったが、それでも白柊が自らの主人であることには変わりない。
「――なんだよ、急に黙りこくって」
過去に想いを馳せていた三郎に、天真が訝しげに問いかける。
「ああ、すみません。ちょっと昔のことを思い出してて」
「それはあれか、〝白様との思い出〟ってやつか」
「えっ、なんで分かるんですか?」
「どうして分からないと思うんだよ」
天真は呆れたように言うが、三郎は何故だろうか、と首を傾げる。
「……もういいよ」
珍しく困ったように天真はそう言って、「ほら、次はこっち掘り返そうぜ」と三郎を促した。
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