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第一章
〈三〉蠱毒の宴・弐
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絢爛豪華な食事会は、どこかどんよりとした空気を含みながら進行していた。
会場は主催者・日永の住まい、東風御殿のある月霜御所。しかし今回は御所の主である時嗣も参加するということで、東風御殿内ではなく本殿の風花殿で茶会が開かれている。
参加者は日永、時嗣の他に八名。時嗣の妻達三名と、その子供達の四名、そして白柊だ。その場にいるという意味では、時嗣、時嗣の五人の子供達、白柊にはそれぞれ一名ずつ守護がついている。総勢十七名が一同に会していたが、元気よく話しているのは一人だけだった。
「こちらの鴨肉は、今朝方この日永が射たものでございます」
先程運ばれてきた皿を示して、日永は胸を張った。齢二十一の日永は精悍な顔つきの青年で、そのよく通る声も彼の見た目を際立てている。
「この雪では山道を歩くことも難しかったのですが、父上の好物でありますので、なんとしても持ち帰らねばと自分を叱咤いたしました」
(うるさいな)
白柊は誰にも気付かれないように小さく溜息を吐いた。
茶会が始まってからというもの、ずっとこの調子なのだ。この会はいつだって、日永による日永のための舞台。この仰々しい演説は時嗣と琴の覚えを良くしようという目的なのだろうが、まともに聞くのは日永の母・菖蒲と、その息子で彼の弟・昇陽しかいない。
それ以外は白柊のように、耳を傾けているふりをして全く聞いていないだろう。時嗣の妻達はどこかお互いを牽制し合っているようだったが、それは空気を刺々しいものに変えるだけで、白柊としては料理を楽しめなくなる程度の害しかない。それもそれで問題ではあったが、精神的にはだいぶ良い方だ。
そんなことよりもとにかく日永がうるさいと苛立ちを感じながら、何故彼の母も弟も、毎回飽きることなく聞いていられるのかと白柊は彼らの方を一瞥した。
(……昇陽殿は違ったか)
菖蒲はにこにこと息子の演説を聞いていたが、昇陽は白柊の予想に反して上の空と言った様子だった。普段は兄のことを熱心に見ているのに、今日に限っては何やら心配事でもあるのか、どこか落ち着かないようだ。
(ま、俺には関係ないが)
毒味を済ませた三郎から皿を受け取り、日永自慢の鴨肉を頬張る。骨付きだったようだが、三郎が気を利かせて毒味ついでに外しておいてくれたらしい。守護の仕事ではないものの、こういう細やかな気遣いができるところが三郎の長所だ。
今度彼女の好きな菓子でも取り寄せてやろうと思いながら、白柊は意外と美味かった鴨料理を静かに口へと運んでいった。
「――狩りと言えば、昇陽も最近は鹿を狙うようになったらしいな」
白柊が料理に集中しようとしていると、突然日永が昇陽に話しかけた。元々落ち着かない様子だった昇陽はいきなり話しかけられたことで一層慌てふためいている。「はっ、はい!」と返した声は若干裏返っていた。
「しかしまだまだ未熟で、鹿を追うこともままならず……」
「そうか……。私が教えてやれればいいのだが、生憎鹿狩りはしたことがなくてな。――そういえば、雪丸は鹿狩りの名人だとか」
そう言って、日永は腹違いの弟・雪丸に視線を合わせた。当の雪丸はまさか話しかけられるとは思っていなかったのだろう。鴨を食べる時に汚れたのか、舐っていた指を慌てて口から外し、「名人というほどでは」と雄々しい外見に似合わない愛想のいい笑顔で謙遜してみせた。
(妙なこともあるものだ)
一連のやり取りを見ていた白柊は、珍しい光景に首を傾げた。日永主催の会において、自分以外の者が目立つような話を彼がすることは今までなかったのだ。
というのも、日永の狙いは琴なのだ。時和として生まれることができなかった日永はどれだけあがいても将来は官職止まり、時嗣として国の頂点に立つことは叶わない。だが琴の後見人となれば、将来彼女が時嗣になった時にそれ相応の権力を持つことができる。
しかし現時点で琴の後見人となる可能性が一番高いのは、彼女と同じ母を持つ雪丸だ。日永がそれを覆すためには、彼女の母である時嗣の側室・環の願いや、兄である雪丸への情を優先するよりも、自分を後見人とした方が得であると琴に思わせる必要がある。
だからこそ、日永が琴の前で雪丸の狩りの腕を褒めるというのは有り得ない。それだけ雪丸に優れている点があると琴に教えてしまうようなものだからだ。
白柊は訝しみながら小さく咳払いをした。そして不自然でない程度に背筋を伸ばし、身体を昇陽の方へと向ける。
白柊の後ろに控えていた三郎は、その動きで主人の意図を理解した。三郎も日永の言動がおかしいと思っていたが、白柊によれば本当におかしいのは昇陽らしい。確かにいつもよりは落ち着きがないように見えるが、それだけだ――そう思いながらも、三郎は白柊の考えであれば間違いないのだろう、と昇陽の様子を注意深く観察し始めた。
「謙遜するな、雪丸。お前が何度も大物を捕らえているという噂は、この月霜御所まで届いている」
日永の言葉に、嫌な言い方だ、と三郎は眉を顰めた。日永の立場であれば自分の住居を示す場合、東風御殿の名を出すのが正しい。何故なら月霜御所は代々時嗣の住居であり、日永はその一角に住んでいるにすぎない。しかもその東風御殿すら日永に与えられたものではなく、時嗣の正室である菖蒲に割り当てられているものなのだ。
対して、雪丸が住むのは紫明御所だ。勿論彼の母である環にも月霜御所内に南風御殿という住まいが与えられていたのだが、妹の琴が時嗣の御子であることが分かったため、彼女は幼くして紫明御所の主となった。そこに母子三人で暮らしているのだ。
紫明御所との対比として、月霜御所の名を出すのはおかしくはない。しかし今はここには御所の主たる時嗣もいるし、日永が確実に御所に住んでいられるのも現時嗣が健在の間だけ。それをわざわざこんな言い方をしたということは、月霜御所は自分のもの――次期時嗣である琴の後見人になるのは、自分だと言っているようなものなのだ。
(大体、白様だっているのに)
時和の力の性質上、次期時嗣となるのは琴だというのは暗黙の了解だった。
白柊自身時嗣の座に興味はないらしく、何ら不満を持っていないことも三郎は知っている。しかしこうも露骨に態度に出されるのは、やはり主人を馬鹿にされているようでおもしろくはない。三郎は狐面の下で盛大に顔を顰めながら、行雲御所に帰ったら剣の素振りでもして憂さを晴らそうと心に決めた。
と、三郎が日永に対する不満を募らせている間にも、彼の独壇場は終わらない。返事に困っている様子の雪丸の言葉を待つことなく、日永は有無を言わせぬ態度でその提案を投げかけた。
「そうだ、お前と昇陽は昔から仲が良いだろう。是非とも我らが末弟にその技を指南してくれないか」
(これは……)
どういうことだ、と三郎は主人の背中を盗み見た。しかしそこに新たな指示はなく、仕方なく先程与えられた仕事に戻る。
日永が雪丸と昇陽を近付けようとしている――それはこの会話を聞いていれば明らかだった。しかし当の昇陽本人が乗り気でないことは、白柊の命によりその様子を細かく観察していた三郎には分かる。彼らの立ち位置を考えれば、雪丸と昇陽が勝手に親しくなることはあっても、その仲を日永が取り持つのはおかしい。どちらかと言えば雪丸と懇意にするなと叱責してもいいくらいなのだ。
しかもこの様子では、本当に今思い立ったことかも怪しかった。不自然な日永の発言、そしてそれに驚きもせず、ただ耐えるように目を伏せる昇陽。
まるでそういった段取りがあったかのような――三郎がその考えに至ろうとした時、雪丸がゆっくりと口を開いた。
「指南できる腕かはわかりませんが、昇陽と共に狩りに出ることは構いません」
その言葉に、昇陽の肩が小さく震えた。
これは益々もっておかしい、と三郎は目を細める。先程日永も言っていたとおり、昇陽と雪丸は仲が良い。だからこそ雪丸は了承したのだろうが、一方で昇陽の方がそれを避けたいように見えた。
だが、それを指摘する者は誰もいない。昇陽の反応が小さかったというのもあるのかもしれないが、雪丸は日永と話すのに集中しているし、日永はといえば先程から昇陽に全く目もくれないのだ。
「そうか、やってくれるか。ならば春には昇陽の獲った鹿を堪能したいものだな」
「昇陽は物覚えがいいですから、きっと叶えてくれましょう」
機嫌良く笑う日永に合わせるように、雪丸が言葉を繋げる。それを日永の母・菖蒲はやはりにこにこと眺め、もう一人の母・環は作ったような笑顔を浮かべていた。
会場は主催者・日永の住まい、東風御殿のある月霜御所。しかし今回は御所の主である時嗣も参加するということで、東風御殿内ではなく本殿の風花殿で茶会が開かれている。
参加者は日永、時嗣の他に八名。時嗣の妻達三名と、その子供達の四名、そして白柊だ。その場にいるという意味では、時嗣、時嗣の五人の子供達、白柊にはそれぞれ一名ずつ守護がついている。総勢十七名が一同に会していたが、元気よく話しているのは一人だけだった。
「こちらの鴨肉は、今朝方この日永が射たものでございます」
先程運ばれてきた皿を示して、日永は胸を張った。齢二十一の日永は精悍な顔つきの青年で、そのよく通る声も彼の見た目を際立てている。
「この雪では山道を歩くことも難しかったのですが、父上の好物でありますので、なんとしても持ち帰らねばと自分を叱咤いたしました」
(うるさいな)
白柊は誰にも気付かれないように小さく溜息を吐いた。
茶会が始まってからというもの、ずっとこの調子なのだ。この会はいつだって、日永による日永のための舞台。この仰々しい演説は時嗣と琴の覚えを良くしようという目的なのだろうが、まともに聞くのは日永の母・菖蒲と、その息子で彼の弟・昇陽しかいない。
それ以外は白柊のように、耳を傾けているふりをして全く聞いていないだろう。時嗣の妻達はどこかお互いを牽制し合っているようだったが、それは空気を刺々しいものに変えるだけで、白柊としては料理を楽しめなくなる程度の害しかない。それもそれで問題ではあったが、精神的にはだいぶ良い方だ。
そんなことよりもとにかく日永がうるさいと苛立ちを感じながら、何故彼の母も弟も、毎回飽きることなく聞いていられるのかと白柊は彼らの方を一瞥した。
(……昇陽殿は違ったか)
菖蒲はにこにこと息子の演説を聞いていたが、昇陽は白柊の予想に反して上の空と言った様子だった。普段は兄のことを熱心に見ているのに、今日に限っては何やら心配事でもあるのか、どこか落ち着かないようだ。
(ま、俺には関係ないが)
毒味を済ませた三郎から皿を受け取り、日永自慢の鴨肉を頬張る。骨付きだったようだが、三郎が気を利かせて毒味ついでに外しておいてくれたらしい。守護の仕事ではないものの、こういう細やかな気遣いができるところが三郎の長所だ。
今度彼女の好きな菓子でも取り寄せてやろうと思いながら、白柊は意外と美味かった鴨料理を静かに口へと運んでいった。
「――狩りと言えば、昇陽も最近は鹿を狙うようになったらしいな」
白柊が料理に集中しようとしていると、突然日永が昇陽に話しかけた。元々落ち着かない様子だった昇陽はいきなり話しかけられたことで一層慌てふためいている。「はっ、はい!」と返した声は若干裏返っていた。
「しかしまだまだ未熟で、鹿を追うこともままならず……」
「そうか……。私が教えてやれればいいのだが、生憎鹿狩りはしたことがなくてな。――そういえば、雪丸は鹿狩りの名人だとか」
そう言って、日永は腹違いの弟・雪丸に視線を合わせた。当の雪丸はまさか話しかけられるとは思っていなかったのだろう。鴨を食べる時に汚れたのか、舐っていた指を慌てて口から外し、「名人というほどでは」と雄々しい外見に似合わない愛想のいい笑顔で謙遜してみせた。
(妙なこともあるものだ)
一連のやり取りを見ていた白柊は、珍しい光景に首を傾げた。日永主催の会において、自分以外の者が目立つような話を彼がすることは今までなかったのだ。
というのも、日永の狙いは琴なのだ。時和として生まれることができなかった日永はどれだけあがいても将来は官職止まり、時嗣として国の頂点に立つことは叶わない。だが琴の後見人となれば、将来彼女が時嗣になった時にそれ相応の権力を持つことができる。
しかし現時点で琴の後見人となる可能性が一番高いのは、彼女と同じ母を持つ雪丸だ。日永がそれを覆すためには、彼女の母である時嗣の側室・環の願いや、兄である雪丸への情を優先するよりも、自分を後見人とした方が得であると琴に思わせる必要がある。
だからこそ、日永が琴の前で雪丸の狩りの腕を褒めるというのは有り得ない。それだけ雪丸に優れている点があると琴に教えてしまうようなものだからだ。
白柊は訝しみながら小さく咳払いをした。そして不自然でない程度に背筋を伸ばし、身体を昇陽の方へと向ける。
白柊の後ろに控えていた三郎は、その動きで主人の意図を理解した。三郎も日永の言動がおかしいと思っていたが、白柊によれば本当におかしいのは昇陽らしい。確かにいつもよりは落ち着きがないように見えるが、それだけだ――そう思いながらも、三郎は白柊の考えであれば間違いないのだろう、と昇陽の様子を注意深く観察し始めた。
「謙遜するな、雪丸。お前が何度も大物を捕らえているという噂は、この月霜御所まで届いている」
日永の言葉に、嫌な言い方だ、と三郎は眉を顰めた。日永の立場であれば自分の住居を示す場合、東風御殿の名を出すのが正しい。何故なら月霜御所は代々時嗣の住居であり、日永はその一角に住んでいるにすぎない。しかもその東風御殿すら日永に与えられたものではなく、時嗣の正室である菖蒲に割り当てられているものなのだ。
対して、雪丸が住むのは紫明御所だ。勿論彼の母である環にも月霜御所内に南風御殿という住まいが与えられていたのだが、妹の琴が時嗣の御子であることが分かったため、彼女は幼くして紫明御所の主となった。そこに母子三人で暮らしているのだ。
紫明御所との対比として、月霜御所の名を出すのはおかしくはない。しかし今はここには御所の主たる時嗣もいるし、日永が確実に御所に住んでいられるのも現時嗣が健在の間だけ。それをわざわざこんな言い方をしたということは、月霜御所は自分のもの――次期時嗣である琴の後見人になるのは、自分だと言っているようなものなのだ。
(大体、白様だっているのに)
時和の力の性質上、次期時嗣となるのは琴だというのは暗黙の了解だった。
白柊自身時嗣の座に興味はないらしく、何ら不満を持っていないことも三郎は知っている。しかしこうも露骨に態度に出されるのは、やはり主人を馬鹿にされているようでおもしろくはない。三郎は狐面の下で盛大に顔を顰めながら、行雲御所に帰ったら剣の素振りでもして憂さを晴らそうと心に決めた。
と、三郎が日永に対する不満を募らせている間にも、彼の独壇場は終わらない。返事に困っている様子の雪丸の言葉を待つことなく、日永は有無を言わせぬ態度でその提案を投げかけた。
「そうだ、お前と昇陽は昔から仲が良いだろう。是非とも我らが末弟にその技を指南してくれないか」
(これは……)
どういうことだ、と三郎は主人の背中を盗み見た。しかしそこに新たな指示はなく、仕方なく先程与えられた仕事に戻る。
日永が雪丸と昇陽を近付けようとしている――それはこの会話を聞いていれば明らかだった。しかし当の昇陽本人が乗り気でないことは、白柊の命によりその様子を細かく観察していた三郎には分かる。彼らの立ち位置を考えれば、雪丸と昇陽が勝手に親しくなることはあっても、その仲を日永が取り持つのはおかしい。どちらかと言えば雪丸と懇意にするなと叱責してもいいくらいなのだ。
しかもこの様子では、本当に今思い立ったことかも怪しかった。不自然な日永の発言、そしてそれに驚きもせず、ただ耐えるように目を伏せる昇陽。
まるでそういった段取りがあったかのような――三郎がその考えに至ろうとした時、雪丸がゆっくりと口を開いた。
「指南できる腕かはわかりませんが、昇陽と共に狩りに出ることは構いません」
その言葉に、昇陽の肩が小さく震えた。
これは益々もっておかしい、と三郎は目を細める。先程日永も言っていたとおり、昇陽と雪丸は仲が良い。だからこそ雪丸は了承したのだろうが、一方で昇陽の方がそれを避けたいように見えた。
だが、それを指摘する者は誰もいない。昇陽の反応が小さかったというのもあるのかもしれないが、雪丸は日永と話すのに集中しているし、日永はといえば先程から昇陽に全く目もくれないのだ。
「そうか、やってくれるか。ならば春には昇陽の獲った鹿を堪能したいものだな」
「昇陽は物覚えがいいですから、きっと叶えてくれましょう」
機嫌良く笑う日永に合わせるように、雪丸が言葉を繋げる。それを日永の母・菖蒲はやはりにこにこと眺め、もう一人の母・環は作ったような笑顔を浮かべていた。
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