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最終章 転がり落ちていく先は
【第十三話 無力】13-1 嘘……
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バリバリッ――高い音が室内に響く。無残な姿になった障子戸が飛び散るのは部屋の中、外から壊されたのだと瞬時に悟った。
でも室内に入ってきたのは破片だけじゃない。軽い木くずよりも速く畳に落ちた人影が二つ。多分、どちらも男のもの。しかもこの動きの速さは人間じゃない、吸血鬼だ。
そして私のいるこの屋敷を襲う吸血鬼が味方ということは有り得ない。ノストノクスの管理する物件への侵入は組織への敵対行為。仮に彼らがそれを知らなかったのだとしても、人間の家を襲ったことになる。
つまりは執行対象。捕縛する必要がある――彼らを見た瞬間にそう判断した私は、傷の痛みを無視して起き上がった。
序列が分からない以上、相手が攻撃に転じる前に動きを封じなければならない。足の悪いレイフは戦えないだろうと押しのけて、布団の近くにあるはずの和傘を取ろうと手を伸ばした時だった。
「ッ――!?」
上体を襲った衝撃は、全く予想していなかったものだった。
気付いた時には起き上がったはずの身体は畳に押し付けられていた。伸ばした左腕を捻られ、ゴリ、と嫌な音が骨を伝って脳へと響く。関節が外れたか、折れたか――いや、それよりも。
完全に死角だった。視界からも、意識からも。目の前の二人は動いていない。だから私の隙を突いてきた奴がもう一人いる。
それなのに、感じ取れる気配の数が変わらない。
「レイフ……!?」
どうにか後ろを確認すれば、見慣れた着物が目に入った。これで決まりだ、私を押さえているのはレイフで間違いない。
「なんで……まさか……!」
操られてしまったのだろうか――浮かんだ考えに額を冷や汗が流れる。
レイフの序列は私より一つ上だ。その彼が操られるということは、彼をそうしている吸血鬼は私のことだって好きにできる。
壱政様に知らせなきゃ。駄目だ、もう両腕が後ろで捻られている。足は自由だけど、布団から離れた位置にある和傘には届きそうにない。
ならレイフを退かせることができればと思ったけれど、どれだけ力を入れても弱った身体では上に乗る彼をよろめかせることすらできなかった。当然だ、レイフは元執行官なのだから。そこらへんの吸血鬼よりよっぽど鍛えているだろうし、体の使い方だって知っているはず。悪いのは足だけで、それ以外はきっと衰えていない。
もう、影になるしかない。この体勢ではレイフごと影になってしまいそうだけど仕方がない。一瞬でも彼の体勢を崩せればそれでいい。
問題は痛みだ。まだ治りきっていない身体で影になれば経験したことのない痛みに襲われるだろう。それは影になることを妨げてくるかもしれない。
だけど大丈夫。私は壱政様に鍛えられている。どんな痛みだって我慢してみせる――覚悟を決めて影になろうとした時、ガシャンと冷たい感触が手首に触れた。
「炎輝石の枷だよ、やめた方がいい」
聞こえてきたのはレイフの声だった。いつもどおりの、彼の穏やかな声。
炎輝石とは吸血鬼用の捕縛道具に混ぜ込まれている石のことだ。これが私達の体内に入ると激しい痛みに襲われる。時に死に至ることもあるから、だから触れているものを巻き込んでしまう影にはなれない。
咄嗟に確認した黒いバッグは、壱政様が持ってきた時のままだった。つまりこれはあの中から出した手枷じゃない。
じゃあ、私の腕を拘束した枷はどこから? なんて、分からないふりをしたところでもう意味はなかった。今のレイフの声は、正気を失った人のそれには聞こえなかったのだから。
「レイフ……操られてるわけじゃ……」
「そう見える?」
問われて彼の方を見たくなったけれど、私は慌てて視線を逸らした。彼を操っている人が別にいるならいい。だけどレイフが誰にも操られているわけではないのなら、彼の方を見るのは危険すぎる。
「ああ、大丈夫だよ。今は一葉を操る気なんてないから」
「……信じられません」
「だろうね。でも知ってる? 僕達は目を合わせなきゃ相手を操れないって思ってるけど、古い人の中にはそんなの必要ない人もいるんだって」
「嘘……」
聞いたことのない話に顔が引き攣る。ただの嘘だと跳ね除けたかったけれど、今この状態でレイフがそんな嘘を吐く理由が思いつかなかった。
「ま、あくまで噂なんだけどさ。だけどそんな噂がある時点で、自分の知らない何かがある可能性を考慮するには十分な理由になる」
レイフも確証があるわけではないのだろうか。でも信じていいの? いや、信じなかったとしても私にはどうすることもできない。
だって私はレイフより下だから。レイフの話が嘘でも本当でも、彼から逃げられなければこの身体の主導権はいとも簡単に奪われてしまうのだろう。
「壱政のことだから、一葉が操られたら分かるように何か仕掛けを用意してるんだろ? じゃなきゃ昨夜どうして君を助けられたかの説明が付かない」
「ッ……」
「だからまだ一葉のことは操らない。仕掛けのタネが分からない以上、それがトリガーになるかもしれないし。壱政とはそう年は変わらないけど、麗は俺の倍近くは生きてる。彼女も〝古い人〟かもしれないからね」
ならまだ、私が操られることはないのだろうか。レイフは壱政様と麗様を警戒している。彼より序列の高い麗様は勿論、同じ序列の壱政様だってレイフには操れるとは限らない。私達が確実に操れるのは自分よりも下の相手だけだから。
レイフが二人を警戒している以上、和傘の仕掛けさえバレなければ私は私でいられるのかもしれない。どうにか隙を見て傘を取れば……ああ、でも駄目だ。
壱政様は今こっちにいない。しばらくは戻れないと、さっきはっきりと言っていたじゃないか。
昨夜のことがあるから本当のこととは限らないけれど、そんなに都合良く何度も彼が外界にいるとは思えなかった。だから仕掛けのスイッチを入れたところで気付いてもらえるのは何日も後かもしれない。
壱政様に頼るな。どうにか自分だけでここから抜け出せ。
相手が元執行官だとしても、レイフの右足が悪いのは紛れもない事実。飛び込んできた男二人のことはまだ何も分からないけれど、レイフだけならどうにかできるかもしれない。
「どうするんだ?」
聞こえてきた声は知らない男のものだった。障子を破ってきた男達のうちのどちらかが発したのだろう。
「もう少し待っててよ。必要がある時は言うから」
答えたのはレイフだ。大して意味のない会話だけど、だからこそ分かる――レイフは彼らの仲間なんだ。
きっと彼はこの襲撃を知っていた。だから手枷だって持っていた。もしかしたらレイフが手引した可能性だって……。
「なんでレイフはこんなこと……」
「念の為かな」
無意識の呟きに返された言葉に、「……念の為?」と私は鸚鵡返しにすることしかできなかった。
「僕はね、ノストノクスと敵対したくはないんだ。証拠は残してないつもりだけど、昨日の奴が君らに捕まってしまった以上、念には念を入れておきたい」
「何の話を……」
「知らなくていい。どうせ一葉はこれから死ぬんだから」
「死ぬって……――ぁぐッ!?」
突然だった。喉を潰すかのような力が急に首にかかって、息がうまくできなくなった。
えずきたいのに、喉を押さえられているせいでうまくできない。だから嘔吐する直前の、胃をひっくり返したような感覚が断続的に横隔膜を刺激して、私の身体を何度も何度も小さく跳ねさせる。
レイフの手が私の首を掴んでいるのだ。そうと分かったのは喉を指で押されたから。呼吸を止めるためのものじゃない、脳への血流を遮るためのものでもない。
じゃなきゃギリギリで息が吸えるはずがない。そのせいで私の意識ははっきりしていて、生理的な涙と涎で顔が汚れていく気持ち悪さをはっきりと感じてしまう。
「ごめんね、一葉。君のことは割と好きなんだけど、今ここで死んでくれた方がもっと好きになれる」
「うあ……ぉえッ……」
レイフの声は恐ろしいくらいいつもと同じだった。自分の口から押し潰されたような呻き声が出ていなかったら、その発言のおかしさにすら気付かなかったかもしれない。
「君を殺して、僕もそこの奴らに殺されかける予定なんだ。嬲り殺された一葉と死にかけの僕を見たら、みんな外部を疑ってくれるからね」
嬲り殺す――だからだろうか。私の首を絞めるレイフの手が、さっきから決定的な力を込めないのは。
彼ならこのまま力を入れれば私の首の骨を折れるだろう。鉤爪を喉から差し込んで、吸血鬼の身であっても再生できない致命傷を負わせることくらい容易なはずだ。
それなのにその指の動きは私の苦しみを誘うことしかしない。呼吸と共に吐き気が弱まった頃を見計らい、喉の下に指を差し込んでまた胃を暴れさせる。私がクラクラしてきたなと感じれば、彼がほんの少し力を緩めるせいで意識をはっきりさせられる。
本当にギリギリの、少しでも楽になりそうだと思った瞬間に新たな苦しみが与えられるのだ。腕を斬り落とされるだとか身体を切り裂かれるだとか、ああいう一過性の攻撃よりよっぽどたちが悪い。
「だから一葉、君にはできるだけ苦しんで死んで欲しい。って言っても僕らに死体は残らないから派手な痕跡が必要なんだけど……ああ、両手を封じちゃったのは失敗だったな。畳でも引っ掻いてくれればいい感じの証拠になったのに……」
レイフが空いている方の手で私の手首を撫でると、ヒリヒリとした痛みが走った。さっきからもがいていたせいでいつの間にか手首の皮膚が枷で擦れてしまっていたらしい。
指先の湿った感触は手のひらの痛みのせい。苦しさを紛らわそうと握った手のひらから血が出てしまって、それが私の指を汚している。
「あ、こっちの腕折れてるね。この手だけ枷外すそうか。そうしたら苦しんだ証が残せるよね」
「いッ……!?」
ぐっとレイフが私の左腕を掴めば、激しい痛みが脳を襲った。いくら痛みには慣れているって言ったって、痛さが減るわけじゃない。
中途半端に脳への血流を奪われているせいで頭がちゃんと働かない。普段だったら理性で封じ込めるはずの痛みへの反応が止めきれなくて、そのせいでいつもよりもずっと強く痛みを感じてしまう。
「こ……のッ……!!」
レイフを睨んでやろうと顔を動かす。操られるかもだなんて考えていられない。怒りなのか悔しさなのか、なんなのかよく分からない感情のまま視線を向ければ、穏やかに微笑む相手と目が合った。
「ああ、まだ余裕? よかった、枷の鍵出すから待っててね」
「そん……うぐッ!?」
そんなわけない――そう吐き捨ててやりたいのに、喉への力が強くなったせいで何も言えなかった。
「可哀想に。下手に訓練されてるせいでもっと苦しめなきゃいけない」
だったらやめてよ、とか。どの口が可哀想とか言ってるんだ、とか。頭の中で罵声を思い浮かべた時――雨の音が、大きな破裂音に掻き消された。
でも室内に入ってきたのは破片だけじゃない。軽い木くずよりも速く畳に落ちた人影が二つ。多分、どちらも男のもの。しかもこの動きの速さは人間じゃない、吸血鬼だ。
そして私のいるこの屋敷を襲う吸血鬼が味方ということは有り得ない。ノストノクスの管理する物件への侵入は組織への敵対行為。仮に彼らがそれを知らなかったのだとしても、人間の家を襲ったことになる。
つまりは執行対象。捕縛する必要がある――彼らを見た瞬間にそう判断した私は、傷の痛みを無視して起き上がった。
序列が分からない以上、相手が攻撃に転じる前に動きを封じなければならない。足の悪いレイフは戦えないだろうと押しのけて、布団の近くにあるはずの和傘を取ろうと手を伸ばした時だった。
「ッ――!?」
上体を襲った衝撃は、全く予想していなかったものだった。
気付いた時には起き上がったはずの身体は畳に押し付けられていた。伸ばした左腕を捻られ、ゴリ、と嫌な音が骨を伝って脳へと響く。関節が外れたか、折れたか――いや、それよりも。
完全に死角だった。視界からも、意識からも。目の前の二人は動いていない。だから私の隙を突いてきた奴がもう一人いる。
それなのに、感じ取れる気配の数が変わらない。
「レイフ……!?」
どうにか後ろを確認すれば、見慣れた着物が目に入った。これで決まりだ、私を押さえているのはレイフで間違いない。
「なんで……まさか……!」
操られてしまったのだろうか――浮かんだ考えに額を冷や汗が流れる。
レイフの序列は私より一つ上だ。その彼が操られるということは、彼をそうしている吸血鬼は私のことだって好きにできる。
壱政様に知らせなきゃ。駄目だ、もう両腕が後ろで捻られている。足は自由だけど、布団から離れた位置にある和傘には届きそうにない。
ならレイフを退かせることができればと思ったけれど、どれだけ力を入れても弱った身体では上に乗る彼をよろめかせることすらできなかった。当然だ、レイフは元執行官なのだから。そこらへんの吸血鬼よりよっぽど鍛えているだろうし、体の使い方だって知っているはず。悪いのは足だけで、それ以外はきっと衰えていない。
もう、影になるしかない。この体勢ではレイフごと影になってしまいそうだけど仕方がない。一瞬でも彼の体勢を崩せればそれでいい。
問題は痛みだ。まだ治りきっていない身体で影になれば経験したことのない痛みに襲われるだろう。それは影になることを妨げてくるかもしれない。
だけど大丈夫。私は壱政様に鍛えられている。どんな痛みだって我慢してみせる――覚悟を決めて影になろうとした時、ガシャンと冷たい感触が手首に触れた。
「炎輝石の枷だよ、やめた方がいい」
聞こえてきたのはレイフの声だった。いつもどおりの、彼の穏やかな声。
炎輝石とは吸血鬼用の捕縛道具に混ぜ込まれている石のことだ。これが私達の体内に入ると激しい痛みに襲われる。時に死に至ることもあるから、だから触れているものを巻き込んでしまう影にはなれない。
咄嗟に確認した黒いバッグは、壱政様が持ってきた時のままだった。つまりこれはあの中から出した手枷じゃない。
じゃあ、私の腕を拘束した枷はどこから? なんて、分からないふりをしたところでもう意味はなかった。今のレイフの声は、正気を失った人のそれには聞こえなかったのだから。
「レイフ……操られてるわけじゃ……」
「そう見える?」
問われて彼の方を見たくなったけれど、私は慌てて視線を逸らした。彼を操っている人が別にいるならいい。だけどレイフが誰にも操られているわけではないのなら、彼の方を見るのは危険すぎる。
「ああ、大丈夫だよ。今は一葉を操る気なんてないから」
「……信じられません」
「だろうね。でも知ってる? 僕達は目を合わせなきゃ相手を操れないって思ってるけど、古い人の中にはそんなの必要ない人もいるんだって」
「嘘……」
聞いたことのない話に顔が引き攣る。ただの嘘だと跳ね除けたかったけれど、今この状態でレイフがそんな嘘を吐く理由が思いつかなかった。
「ま、あくまで噂なんだけどさ。だけどそんな噂がある時点で、自分の知らない何かがある可能性を考慮するには十分な理由になる」
レイフも確証があるわけではないのだろうか。でも信じていいの? いや、信じなかったとしても私にはどうすることもできない。
だって私はレイフより下だから。レイフの話が嘘でも本当でも、彼から逃げられなければこの身体の主導権はいとも簡単に奪われてしまうのだろう。
「壱政のことだから、一葉が操られたら分かるように何か仕掛けを用意してるんだろ? じゃなきゃ昨夜どうして君を助けられたかの説明が付かない」
「ッ……」
「だからまだ一葉のことは操らない。仕掛けのタネが分からない以上、それがトリガーになるかもしれないし。壱政とはそう年は変わらないけど、麗は俺の倍近くは生きてる。彼女も〝古い人〟かもしれないからね」
ならまだ、私が操られることはないのだろうか。レイフは壱政様と麗様を警戒している。彼より序列の高い麗様は勿論、同じ序列の壱政様だってレイフには操れるとは限らない。私達が確実に操れるのは自分よりも下の相手だけだから。
レイフが二人を警戒している以上、和傘の仕掛けさえバレなければ私は私でいられるのかもしれない。どうにか隙を見て傘を取れば……ああ、でも駄目だ。
壱政様は今こっちにいない。しばらくは戻れないと、さっきはっきりと言っていたじゃないか。
昨夜のことがあるから本当のこととは限らないけれど、そんなに都合良く何度も彼が外界にいるとは思えなかった。だから仕掛けのスイッチを入れたところで気付いてもらえるのは何日も後かもしれない。
壱政様に頼るな。どうにか自分だけでここから抜け出せ。
相手が元執行官だとしても、レイフの右足が悪いのは紛れもない事実。飛び込んできた男二人のことはまだ何も分からないけれど、レイフだけならどうにかできるかもしれない。
「どうするんだ?」
聞こえてきた声は知らない男のものだった。障子を破ってきた男達のうちのどちらかが発したのだろう。
「もう少し待っててよ。必要がある時は言うから」
答えたのはレイフだ。大して意味のない会話だけど、だからこそ分かる――レイフは彼らの仲間なんだ。
きっと彼はこの襲撃を知っていた。だから手枷だって持っていた。もしかしたらレイフが手引した可能性だって……。
「なんでレイフはこんなこと……」
「念の為かな」
無意識の呟きに返された言葉に、「……念の為?」と私は鸚鵡返しにすることしかできなかった。
「僕はね、ノストノクスと敵対したくはないんだ。証拠は残してないつもりだけど、昨日の奴が君らに捕まってしまった以上、念には念を入れておきたい」
「何の話を……」
「知らなくていい。どうせ一葉はこれから死ぬんだから」
「死ぬって……――ぁぐッ!?」
突然だった。喉を潰すかのような力が急に首にかかって、息がうまくできなくなった。
えずきたいのに、喉を押さえられているせいでうまくできない。だから嘔吐する直前の、胃をひっくり返したような感覚が断続的に横隔膜を刺激して、私の身体を何度も何度も小さく跳ねさせる。
レイフの手が私の首を掴んでいるのだ。そうと分かったのは喉を指で押されたから。呼吸を止めるためのものじゃない、脳への血流を遮るためのものでもない。
じゃなきゃギリギリで息が吸えるはずがない。そのせいで私の意識ははっきりしていて、生理的な涙と涎で顔が汚れていく気持ち悪さをはっきりと感じてしまう。
「ごめんね、一葉。君のことは割と好きなんだけど、今ここで死んでくれた方がもっと好きになれる」
「うあ……ぉえッ……」
レイフの声は恐ろしいくらいいつもと同じだった。自分の口から押し潰されたような呻き声が出ていなかったら、その発言のおかしさにすら気付かなかったかもしれない。
「君を殺して、僕もそこの奴らに殺されかける予定なんだ。嬲り殺された一葉と死にかけの僕を見たら、みんな外部を疑ってくれるからね」
嬲り殺す――だからだろうか。私の首を絞めるレイフの手が、さっきから決定的な力を込めないのは。
彼ならこのまま力を入れれば私の首の骨を折れるだろう。鉤爪を喉から差し込んで、吸血鬼の身であっても再生できない致命傷を負わせることくらい容易なはずだ。
それなのにその指の動きは私の苦しみを誘うことしかしない。呼吸と共に吐き気が弱まった頃を見計らい、喉の下に指を差し込んでまた胃を暴れさせる。私がクラクラしてきたなと感じれば、彼がほんの少し力を緩めるせいで意識をはっきりさせられる。
本当にギリギリの、少しでも楽になりそうだと思った瞬間に新たな苦しみが与えられるのだ。腕を斬り落とされるだとか身体を切り裂かれるだとか、ああいう一過性の攻撃よりよっぽどたちが悪い。
「だから一葉、君にはできるだけ苦しんで死んで欲しい。って言っても僕らに死体は残らないから派手な痕跡が必要なんだけど……ああ、両手を封じちゃったのは失敗だったな。畳でも引っ掻いてくれればいい感じの証拠になったのに……」
レイフが空いている方の手で私の手首を撫でると、ヒリヒリとした痛みが走った。さっきからもがいていたせいでいつの間にか手首の皮膚が枷で擦れてしまっていたらしい。
指先の湿った感触は手のひらの痛みのせい。苦しさを紛らわそうと握った手のひらから血が出てしまって、それが私の指を汚している。
「あ、こっちの腕折れてるね。この手だけ枷外すそうか。そうしたら苦しんだ証が残せるよね」
「いッ……!?」
ぐっとレイフが私の左腕を掴めば、激しい痛みが脳を襲った。いくら痛みには慣れているって言ったって、痛さが減るわけじゃない。
中途半端に脳への血流を奪われているせいで頭がちゃんと働かない。普段だったら理性で封じ込めるはずの痛みへの反応が止めきれなくて、そのせいでいつもよりもずっと強く痛みを感じてしまう。
「こ……のッ……!!」
レイフを睨んでやろうと顔を動かす。操られるかもだなんて考えていられない。怒りなのか悔しさなのか、なんなのかよく分からない感情のまま視線を向ければ、穏やかに微笑む相手と目が合った。
「ああ、まだ余裕? よかった、枷の鍵出すから待っててね」
「そん……うぐッ!?」
そんなわけない――そう吐き捨ててやりたいのに、喉への力が強くなったせいで何も言えなかった。
「可哀想に。下手に訓練されてるせいでもっと苦しめなきゃいけない」
だったらやめてよ、とか。どの口が可哀想とか言ってるんだ、とか。頭の中で罵声を思い浮かべた時――雨の音が、大きな破裂音に掻き消された。
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