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新菜いに/丹㑚仁戻

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第三章 グッバイ、ハロー

【第八話 決別】8-2 なんでアンタが答えるんだよ

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 三日前に来たばかりのまだ見慣れない駅に降り立って、俺は無意識に周りに目をやった。だけど視界に入ったのは見知らぬ通行人と青空で、自分は何をやっているんだと顔を顰める。
 こんなの最初から分かっていたことだ。今この時間に探しものは見つからない。それでも期待してしまったのはきっと道に不安があったからだろう。方向音痴ではないものの、一度しか行ったことのない場所に一人で辿り着けるか自信がなかったのだ。

 なんて戯言を自分に言い聞かせながら、以前歩いた道を進んでいく。気付けば冬の日差しが黒い衣服に染み込んで、軽く肌を湿らせていた。普通の速度で歩くだけじゃそうはならないはずなのに――そう気付くと一層顔に力が入って、俺はそこで足を止めた。
 このままでは約束の時間よりも随分早く着いてしまう。ここから意識してゆっくり歩いたとしても目的地はもうすぐそこだ。
 自分の方向感覚が憎くなる。仕事柄一度で道を覚えるのは得意だから、自分が歩いている道が本当にあっているかという不安すら抱かないまま足は勝手に進む。いつもよりもその速度が速いのは、きっと遅れたらまずいからだ。これから会いに行く人は時間に厳しそうだったから、遅れたら機嫌を損ねてしまうかもしれない。

 だから、これでいいんだ。あの人を待たせないために早く着いてしまったと、ちょうどいい言い訳が頭に浮かぶ。

「……誰に」

 漏れた言葉にまた眉間の皺を深くして、俺は歩みを再開した。


 § § §


「やあやあキョンキョン、迎えに行けなくてごめんね!」

 無駄にでかい屋敷に入ると、玄関であの女が俺を出迎えた。通常より長いひさしのお陰で中には陽の光が入らないらしく、女はいつもどおりの服装をしている。

「別に。道は覚えてたし」
「だろうけどぉー、そこは呼んだ側がお迎えするのが礼儀じゃん? 一応日傘やら何やら駆使すれば日中に外出れないこともないんだけどさ、今回脚隠せる服持ってきてなくて。見よ、この美脚!」
「……見ねェよ」
「見てよ!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ女を無視すれば、相手は諦めたのか俺を屋敷の奥へと案内し始めた。
 昼間だというのに陽の光が一切差し込まない屋敷の中は、通常よりも弱いオレンジ色の蛍光灯の明かりで照らされていた。ずっとここにいれば十分に目が慣れる明るさだったが、まだ外から入ってきたばかりの俺の目には薄暗く見える。特殊なコンタクトレンズを入れているせいもあって、普段女と歩く夜の街とそう変わらない明るさしか感じ取れない。
 そんな薄暗闇に、時折蛍光灯の光がはっきりと当たって女のふくらはぎがぼんやりと浮かび上がる。よく鍛えられているであろうその脚は、床を蹴る瞬間だけ筋肉の筋がはっきりと見え、曲げて脱力した時には整った曲線を俺の目に見せつけてきた。

「クソ……」
「どしたの?」
「……なんでもねェよ」

 女の耳の良さが恨めしい。もしかしたらその五感は零れた悪態以外も拾っているのかもしれないと思うと急に気まずくなって、俺は床板の継ぎ目だけを睨み続けた。

「――入りまーす!」

 やがて着いた部屋の前で、女が適当な挨拶をしながら襖を開けた。
 そこにいたのは前回会ったばかりの彼女の上司。緑色に染められた髪の奇抜さとは裏腹に、その佇まいには厳しさが滲み出ている。相変わらずあぐらの横には刀を置いていて、これが自分に向けられることはないだろうと思っても安心することができない。

「早かったな」
「キョンキョンは時間を守れる子です!」
「なんでアンタが答えるんだよ」

 上司に向かって冗談を言う女を見て安堵を覚える。二日前は嫌われたかもしれないと泣いていたのに、今の様子を見る限り和解できたようだ。

「時間がないから手短に話すぞ」

 この男が普段忙しいらしいというのは女に聞いて知っている。だから俺も「ああ」と答えながら、男の前に腰を下ろした。

「それらしい日本人夫婦の記録は残っていた。冬梅ふゆうめという名に心当たりは?」
「ッ……俺の名字だ」
「え、キョンキョン名字可愛くない? なんで今まで教えてくれなかったの!?」
「一葉」
「はい、黙ります!」

 名字が可愛いだなんて普段の俺なら腹を立てていた茶々も、今は気にならなかった。俺は滅多に名字なんて名乗らない。字面もそうだが裏切り者の親との関係性を示すそれは口にするのも不快でしかない。
 それなのにたった一回しか会ったことのない相手の口から出されたことで、身体が一気に強張ったのを感じた。これからこの男からもたらされる情報は、それだけ信憑性が高いのだと言われているように感じて。

「記録上では、夫妻は正式にノクステルナへの移住手続きをしているな」
「ノクステルナ……?」
「私達の世界の呼び名だよ。でも壱政様、移住手続きって……」

 俺の疑問にいつもの調子で答えた女が、上司に向き直りながら表情を曇らせる。まだ数回しか見たことのないその表情が、俺の喉をごくりと鳴らす。
 途端に聞くことが怖くなったのに、男は俺のことなど待ってくれなかった。

「ああ。小僧の両親は自分の意思で人間の世界を去ったということだ」
「ッ……!」

 その瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのような苦しさが襲った。裏切ったのであれば当然の内容のはずなのに、頭が痛くなるくらいに鼓動が大きい。
 受け入れていた事実を告げられたんじゃこうはならない。全身を走るこの動揺は、俺の中にあったを踏みにじっているのだ――気付いてしまった自分の本音に、周りの音が遠くなっていくような気がした。

「でも……! 無理矢理そうさせられたのかも……!!」

 女の声が聞こえる。その慌てたような声色は、きっと俺にとって都合の良い内容を求めているのだろう。
 だがそんな女の言葉を受けても男は相変わらずの調子で、淡々と「それはないな」と否定を口にした。

「手続きの際の身元引受人の名前は執行官だ。こんな記録まで残しているのに、法に縛られている執行官が二人を操ったとは考えにくい」
「そんな……」

 辛そうな表情を浮かべる女に、何故アンタがそんな顔をするんだと言いたくなる。だけど俺の口はそうは動かずに、「理由は……分からないのか……?」と男への言葉を発していた。

「ただの移住手続きではそこまで記録に残さない。何らかの事情で執行官が移住を勧めたのかもしれないし、夫妻側から移住を目的として接触してきたのかもしれない」
「アンタ達が勧めるってどういうことだよ……」
「罪人に関わったのなら有り得る。関係者の記憶や記録の改竄でもどうにもならない場合、保護を目的として移住を促したという例もある」

 保護ということは、その人間は罪を犯したわけではないのだろう。男の口振りでは俺の両親もそうだったのかもしれないと取れたが、彼らはそれに当てはまらないような気がした。
 罪を犯したかどうかじゃない。あの時一緒に来いと言ってきた二人のあの様子は、二人を追っていたハンター達に向けたあの目は、完全にを――浮かんだ考えに、全身を一気に不快感が襲った。

「そうだよキョウ、ちゃんと手続きしてるってことはきっと何か事情があったんじゃないかな? 執行官が身元引受人になるって正当な理由があるはずだし……」
「ッそれはアンタらにとっての理由だろ!? ハンターが狩るべき相手側に着いたんだぞ!? 明らかな裏切りだ……!!」

 直前の感情のままに発してしまった言葉は、女を驚かせてしまったらしい。「……ごめん」、そう気まずそうに小さく謝ってくるこの女は悪くない。今のはただの八つ当たりで、女の言ったことは俺を気遣ったものだろうと理解できている。
 だから謝るべきは自分の方だと分かっているのに、俺は謝罪を口にするどころか逃げるようにしてその場から立ち上がっていた。

「……しばらく一人にしてくれ。見廻りも来なくていい」

 仕事のことには考えが及ぶのに、人として取るべき行動が取れない自分が酷く情けなかった。


 § § §


 乗降客が増え始めた駅を目の前にして、俺は中に入らず線路沿いの道へと歩を進めた。
 電車とすれ違うたびに頭の中を張り裂けそうな轟音が掻き毟る。踏切を横切るたびに断続的な警告音が脳を殴りつける。電車に乗ってしまえば二十分程度で目的地に着いていたはずなのに、無意識のうちに選んだのはこの不快な音に晒され続ける二時間の歩み。

 普段よりも動かしづらい脚に腹が立つ。もうとっくに分かってたことなのに、ずっとそういうものだと思っていたのに、改めて事実を聞いただけで動揺している自分を嗤う気にもなれない。

 過去に起こったことは、もう変えられない。事実を事実として受け入れるしかない。
 自分のすべきことは分かっていたはずなのに、聞いた言葉だけが頭の中で繰り返されてその次に進めない。

 人通りがどんどん多くなっていく。青空が暗く淀んでいく。夕焼けの光は線路に沿うように建っている建物に遮られて、俺の歩く道は影ばかりだった。

 やがて周りが全部真っ黒に染まっても、見える景色は何も変わらなかった。都心に着いてもそれは同じ。人の出が増えてもそれは所詮風景の一部。

 そのまま何時間か仕事をしていると、久々の一人での見廻りに違和感を抱いた。別に今までと何も変わらないのに、これからもきっと同じことを繰り返すのに――……繰り返せる、だろうか。違和感の正体を探ろうとして浮かんだ疑問が、重く胸にのしかかる。

 俺に狩りをする資格などないのかもしれない。

 今まで裏切り者の子という立場を変えたくて必死に化け物を殺してきた。けれど化け物だと思っていた連中は、実際には人間とそう変わらなくて。

 俺の親も、人間よりそいつらを選んでいて。

「なんなんだよッ……!」

 誰もいないコンクリート壁に囲まれながら、誰にも向けられない悪態を吐き捨てた。

 全部無駄だった。これまでやってきたこと、全部。

 両親があの時何を考えていたのか知ろうともしないで、ただ周りの〝彼らは悪〟だという言葉だけを鵜呑みにして、二人に背を向けて。
 悪者の子供である自分を否定しながら、何も考えずに自分を鍛えて、ただただ獲物を狩ってきた。奴らは悪で、人間の敵なのだと。理性を持たない獣は人間のことを餌としか思っていないし、そもそも碌な知性も持ち合わせていない死人のような元人間の成れの果てなのだと、そう思って命を奪ってきた。

 それなのに化け物になっても人間としての感情は残っているだなんて。たとえ理性を失っても取り戻せるかもしれないだなんて。
 そんなこと知りたくなかった。奴らが人間と同じように物を考えて他人を思いやれるだなんて知るんじゃなかった。だってそれはもう化け物じゃない。違うのは身体の作りだけで、中身は人間と同じだ。

 父さんと母さんは、もしかしたら知っていたのかもしれない。彼らが人間と変わらないと知っていたから、化け物として命を奪い続ける仕事に疑問を抱いたのかもしれない。
 ならそんな彼らの手を振り払った俺は……?

「ただの馬鹿じゃねェか……!」

 もう何も考えたくない――そう思った瞬間だった。

「ッ!?」

 ドッ……――突然肩に走った衝撃が、俺を思考の渦から引き戻した。
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