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第三章 グッバイ、ハロー
【第七話 変化】7-2 そんな顔することなくない?
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「腕、もう平気? あと体調も……」
ドアが完全に閉まるのを見届けて、私は静かにキョウに話しかけた。誰に聞かれるわけでもないのになんだか大きい声が出ない。彼の顔が見られない。
「ああ。活動に支障はない」
「なら良かった。でも……いいの? キョウのお祝いしてるのかと思ったんだけど」
「いいんだよ、あんなの上辺なんだから。アンタなら聞こえてたんじゃないのか? 奴らの本音」
「……あれが本音なの?」
「そうだよ。馬鹿らしいだろ」
チン、と音を立ててエレベータが止まる。ドアが開いて、静かな受付に出る。さっきくぐったばかりの扉を二人で通る。
会話はない。そのまま地下道を歩いて階段を上れば、星のない夜空が私達を出迎えた。
「……だからキョウは手柄にこだわるの?」
迷いなく歩くキョウの後に続きながら、その背中に問いかける。「は?」、聞き返してきた声はきっと私の『だから』の指すものが分からないから。
こちらを振り返った顔はきょとんとしていたけれど、すぐに何の話か思い至った様子。前を向きながら「まァな」と小さく返ってきた声はいつもどおりで、私は慌てて彼の隣に並んだ。
「ああいうこと言われて悔しくないの? キョウの事情は知らないけど、少なくともこの間のことを見てもない人が好き勝手言ってたのに」
「別に。想像で他人を見下して喜ぶ奴らなんてその辺の虫と変わらない。アンタと取引してるのは事実だしな」
「でも私達がしてるのは彼らが言ってたのとは違うでしょ! なのに……!」
私が声を荒らげれば、キョウはこちらを見て不思議そうな顔をした。
「なんでアンタがそんな怒るんだよ。アンタから見たって、この間の俺は大して役に立ってないだろ」
「そんなことない!」
「嘘吐け。あの時は貸し借りなしだって言ったけど、俺が自分で釣らなくたってアンタは奴を捕まえられたんじゃないのか?」
「それは……」
そんなことない、と繰り返しそうになって慌てて口を噤んだ。キョウの言うとおりなのだ。あの時彼を助けられたのは、そうしたところで何の支障もなかったから。もし仮にあの男が逃げたとしても、あれだけ血を流した吸血鬼なんて見つけるのは容易い。
キョウも恐らくそれに気付いているんだろう。嘘を吐くことも時には必要だけど、今の彼はそれを求めていない。なのに私が嘘を重ねれば、それがたとえ気遣ったものだと分かってもキョウは嫌な気持ちになるだけだ。
「ッだけどキョウはあの時頑張ってくれたじゃん! 自分のできることをやってくれたのに、それを役に立ってないだなんて私は言えない」
「迷惑かけてなければの話だろ。俺はアンタに手間をかけさせた。ただの役立たずだよ」
キョウが自嘲気味に言う。彼がこじらせているのは前からだけど、今はそういう発言はして欲しくない。だってキョウは役立たずじゃない。
「貸し借りなしって自分が言ったんでしょ!? 確かに多少手間はかかったけど、キョウは自力で挽回したじゃん。そしたらもうそれは数に入れちゃ駄目だよ。キョウはちゃんと預けた物は運んでくれた。元々お願いしたことはきちんと果たしてくれてるんだから、自分で役立たずとか言わないでよ!」
「……なんで吸血鬼のアンタがそんな必死に俺の味方するんだよ」
足を止めたキョウは複雑そうな顔でこちらを見ていた。彼は吸血鬼が嫌いだから、私に自分を肯定されるのは屈辱かもしれない。でも、だからと言ってごめんなさいと言う気にはなれなかった。
だってそうしたら私が今言ったことはなかったことになってしまうから。それはキョウのしたことを否定することにもなってしまうから。
私が何も言えないでいると、キョウがはっとしたように口を開いた。
「別にアンタが吸血鬼だからそう言われるのも嫌だって話じゃないんだ。いや吸血鬼は嫌いだけど……今はそういう話じゃなくて、その……身内であるはずのあいつらがあんななのに、敵だと思ってたアンタの方がよっぽどまともに見えるって言うか……」
珍しく慌てたように話すキョウを見ていると、私の調子も狂っていくようだった。彼なりに私に気を遣っていると分かってしまうから余計に。嫌いな吸血鬼を相手にしているんだからそんなふうに誤解を解こうとしなくていいのに。いつもみたいに適当に扱ってくれればいいのに。
見たことのない彼の行動が、二日前に見てしまった一面のせいで私の心を掻き乱す。嬉しいなんて、今思うのはきっとおかしい。
「……そうなの?」
動揺を悟られないように最小限の言葉を発すれば、思っていたよりも弱気に聞こえる声が出てしまった。
そのせいだろうか。キョウは少し気まずそうな顔をして、言葉を探すように視線を泳がせている。
「ほら……アンタも聞いてきただろ、ああいうふうに言われて悔しくないのかって。今はそうでもないけど、前までだったら普通にあいつらのことぶん殴ってたと思う」
「実力じゃないって言われたから? それとも……」
問いかけながら、なんとなく彼が今言っているのは実力云々の話じゃない気がしていた。何故ならキョウは結果で自分の実力を証明しようとしている。周りに何を言われようと結果で相手に反論するはずだから、わざわざ暴力に訴えることはしないだろう。
だからキョウが言っているのは別のこと。彼自身の努力ではどうしようもないこと。
『どうせ親みたいに媚び売ってるんじゃないか?』
『いくら自分は違うと主張したって、吸血鬼と手を組めるのは流石親子だな』
頭の中に拠点で聞いた声が蘇る。そんなのキョウ自身とは関係ないじゃないかと言いたいのに、事情を知らないからどう言葉にしていいか分からない。
そう思って声を詰まらせていると、キョウが「多分アンタが考えてるのであってる」とこちらに視線を向けた。
「俺の両親もハンターだった。だけど奴らは吸血鬼側に寝返って行方をくらましたんだよ。それは紛れもない事実で否定しようがない。でもいくら事実だからってそのことを誰かに言われると凄ェムカつくんだよ――」
ああ、だからさっきの人達は吸血鬼と共に行動するキョウをあんなふうに嗤ったんだ。なんとなく事情が飲み込めたと同時に、あの時エレベータの外に出なくてよかったと思った。彼らの言っていたことは事実だったみたいだけど、ああいう言い方をする人達に対して私がキョウを庇うような発言をしていれば、きっと彼らを喜ばせるだけだっただろうから。
「――でも、さっきはそこまででもなかった。なんかうちの連中とアンタを比べたら、どっちの方がおかしいのかよく分からなくなったんだよ」
続けられたキョウの言葉は、私のことを認めてくれているとも取れるもの。だけどそれを聞いても、彼の中で吸血鬼のイメージが改善されてきたんだと喜ぶ気にはなれなかった。
確かに私と接することで気持ちが変わってくれたなら良いことなのかなと思う。だけどキョウの両親が吸血鬼と出会ったのは十中八九外界だろう。となるとその吸血鬼は執行官か、もしくは犯罪者のほぼ二択になってしまう。
「言葉を返すようだけど、キョウの親が手を組んだっていう吸血鬼がどういう人かも分からないんなら……」
執行官ならまだいい。でもそうじゃないのならキョウの両親は悪党と手を組んでしまったということになる。そう思って私がぼそぼそと言うと、キョウの方から何故か「ふっ」と笑うような声が聞こえてきた。
「アンタ正直でいいな。普通こういう時は適当に話合わせるだろ」
「なッ……!?」
ちょっと待ってなんで今笑うの? しかもいつもの嫌な感じじゃなくて、屈託のない笑い方で。
突然のことに顔が熱くなる。二日前のはにかみ顔が脳裏に蘇る。また一層、頬が温度を上げる。
なにこれ、どういう状況? これがあざと可愛いの力か――だなんて、ふざけている余裕もない。私はただただ人間よりも冷たい手を顔に押し当てて、熱をやり過ごすことしかできなかった。
「……なんで正直って言われて恥ずかしがるんだよ」
キョウは私が自分のギャップにやられているとは気付いていないらしい。助かった、ありがとう。
ちらりと見た彼は気まずそうな顔をしていたけれど、気を取り直すように「言っとくけど」と強めに声を発した。
「俺の中の吸血鬼の印象って、多分アンタが思ってるよりずっと悪いぞ。今までモロイみたいな奴らしかいないと思ってたんだ。だから俺の親が手を組んだのも、最低の悪党かもしれないっていうのは分かってる」
キョウがさっきまでの話を続けたお陰で私の頬は元の温度に戻っていく。何が言いたいのだろうと改めて彼の顔を見れば、キョウもまた元の調子に戻っているのが分かった。
「だけどアンタみたいに理性的なのもいるって知って、少しだけ希望が持てたんだ。それにもしイメージどおりのクソ野郎だったとしても、俺の親は操られてた可能性だってあるわけだろ? 実際に操られた身としてはあんなんやられたらどうしようもないって分かるからな。どっちにしろ前よりマシだ」
強気な発言とは裏腹に、キョウの顔はどこか不安そうだった。彼が今まで親に対してどういう感情を持っていたのかは分からないけれど、話を聞いている限りでは敵として見限っていたんだろう。彼が手柄に拘ったのもそういうことだ。裏切り者の子だから、目に見える形でそれを否定したかったのかもしれない。
だからこそ今のキョウは揺らいでいるのだ。敵だと断じていた親が、そうではないかもしれないと知ってしまったから。
それは確かに彼に希望を与えるだろう。だけど同時に不安をもたらしている。否定してきた人の否定してきた理由がなくなってしまうかもしれないのだから当然だ。そのせいで自分のこれまでの生き方までも否定されてしまうかもしれないんだから、不安に思わないはずがない。
「……キョウは知りたいの? 親御さんのこと」
宙ぶらりんのままでいればキョウの中の揺らぎが収まることはない。それを止める方法は簡単だ、事実を知ればいい。
事実を知ってどうしようもない人間だと切り捨てるか、実は罪など犯していなかったのだと受け入れるか改めて判断すればいい。
なんて、言葉で言うのは簡単だ。事実を知るのはとても勇気がいる。事実を知らなければ希望は希望のまま在り続ける。たとえ宙ぶらりんでも、その不安定さは時に魅力的に思えることもあるかもしれない。
キョウは知りたいか、だなんて。聞いてから少し後悔した。私達はそんな関係じゃない。あくまで仕事上の付き合いで、キョウは私を、吸血鬼を嫌っている。
だから踏み込むべきじゃない。そうと分かっているのに、「やっぱなし!」と頭の中で用意した台詞が口から出ることはなかった。
「……そうだな。当時は子供で何も分かってなかったから、事実がどうだったのかは知りたいとは思う。まァ、実際は無理だと思うけど」
予想に反してすんなりと答えてくれたそのキョウの言葉は、強がっているようには思えなかった。
意外と彼は強い人なのかもしれない――そう思うと、「保証はないけど……」とさっきまで動かなかった私の口は勝手に動き出していた。
「絶対に知れるとは言い切れない。だけどその吸血鬼が体制側だったり、本当に悪人でも裁かれているなら記録に残ってるかもしれない。もしかしたらキョウの親のことだって分かるかも……」
これが私の声だと気付くまで、少し時間がかかった。だって何故自分がこんなことを言っているのか分からない。キョウの親のことなんて、私には関係ないのに。
「それはアンタの仕事じゃないだろ」
ほら、キョウだってそう言ってる。だから私が言うべきは、「まあそうか!」っていつもみたいに笑うこと。その後に適当なことを言って茶化して、この空気を有耶無耶にすること。それなのに――
「そうだけどさ。でも……親のことは知りたいのかなって……」
口が言うことを聞かない。考えるより先に動いてしまっていて、止めることもできない。
「それは……」
私の言葉を聞いたキョウは答えに困っているように見えた。それはそうだろう、私達はこういうことを話す関係ではないんだから。それにもしそうだとしても、この話の流れからしてキョウにとっては答えにくいことだということも分かっている。
だから、撤回しなきゃ――私がそのための言葉を探していると、キョウが静かに息を吸い込む音がした。
「アンタ、親は?」
突然の問いに、一瞬何を聞かれているのか分からなかった。だけど私の親のことを聞かれているのだと理解すると同時に、すとんと妙な納得感が腹の中に落ちたのを感じた。
ああ、だから私はキョウにさっきの質問をしたんだ――自分でも分からなかった言動の理由がやっと分かった。
私は多分、彼に親を知って欲しかったんだ。私は自分の本当の親のことを知らないから、だからまだ知ることができるかもしれないキョウにはその機会を逃して欲しくないと無意識のうちに思っていたんだろう。
そう考えるとなんて傲慢なと自分に言いたくなるけれど、理由が分かった分、さっきまでよりもだいぶ気持ちが楽になるのを感じた。
「育ての親はいる。だけど生みの親は顔も知らない。私、生まれてすぐに捨てられたからさ。多分口減らしだと思うんだけど、それもよく分からなくて……」
「口減らしっていつの時代だよ」
「明治だよ」
「めいっ……!?」
キョウが物凄く顔を歪める。あざと可愛いとは全く違うその表情は全然心臓に悪くない。悪くないけど、なんだか結構腹立たしいぞ!
「そんな顔することなくない? 私結構若い方なんだけど!」
もっと若い子もいるけれど、吸血鬼全体で見れば私はかなりの若者だ。気持ちだって若い。
という気持ちを込めて言ったのに、キョウは呆れた顔で大きな溜息を吐いた。
「若い方って言っても、それだけ生きてればもっと落ち着いているもんだろ」
「はあ!? うわ、もう知らない! キョウの親のことなんて調べてあげない!」
なんて言ったけれど。そう言う自分の顔が少し笑っているのが分かって、さっきよりもずっと気持ちが軽くなった気がした。
ドアが完全に閉まるのを見届けて、私は静かにキョウに話しかけた。誰に聞かれるわけでもないのになんだか大きい声が出ない。彼の顔が見られない。
「ああ。活動に支障はない」
「なら良かった。でも……いいの? キョウのお祝いしてるのかと思ったんだけど」
「いいんだよ、あんなの上辺なんだから。アンタなら聞こえてたんじゃないのか? 奴らの本音」
「……あれが本音なの?」
「そうだよ。馬鹿らしいだろ」
チン、と音を立ててエレベータが止まる。ドアが開いて、静かな受付に出る。さっきくぐったばかりの扉を二人で通る。
会話はない。そのまま地下道を歩いて階段を上れば、星のない夜空が私達を出迎えた。
「……だからキョウは手柄にこだわるの?」
迷いなく歩くキョウの後に続きながら、その背中に問いかける。「は?」、聞き返してきた声はきっと私の『だから』の指すものが分からないから。
こちらを振り返った顔はきょとんとしていたけれど、すぐに何の話か思い至った様子。前を向きながら「まァな」と小さく返ってきた声はいつもどおりで、私は慌てて彼の隣に並んだ。
「ああいうこと言われて悔しくないの? キョウの事情は知らないけど、少なくともこの間のことを見てもない人が好き勝手言ってたのに」
「別に。想像で他人を見下して喜ぶ奴らなんてその辺の虫と変わらない。アンタと取引してるのは事実だしな」
「でも私達がしてるのは彼らが言ってたのとは違うでしょ! なのに……!」
私が声を荒らげれば、キョウはこちらを見て不思議そうな顔をした。
「なんでアンタがそんな怒るんだよ。アンタから見たって、この間の俺は大して役に立ってないだろ」
「そんなことない!」
「嘘吐け。あの時は貸し借りなしだって言ったけど、俺が自分で釣らなくたってアンタは奴を捕まえられたんじゃないのか?」
「それは……」
そんなことない、と繰り返しそうになって慌てて口を噤んだ。キョウの言うとおりなのだ。あの時彼を助けられたのは、そうしたところで何の支障もなかったから。もし仮にあの男が逃げたとしても、あれだけ血を流した吸血鬼なんて見つけるのは容易い。
キョウも恐らくそれに気付いているんだろう。嘘を吐くことも時には必要だけど、今の彼はそれを求めていない。なのに私が嘘を重ねれば、それがたとえ気遣ったものだと分かってもキョウは嫌な気持ちになるだけだ。
「ッだけどキョウはあの時頑張ってくれたじゃん! 自分のできることをやってくれたのに、それを役に立ってないだなんて私は言えない」
「迷惑かけてなければの話だろ。俺はアンタに手間をかけさせた。ただの役立たずだよ」
キョウが自嘲気味に言う。彼がこじらせているのは前からだけど、今はそういう発言はして欲しくない。だってキョウは役立たずじゃない。
「貸し借りなしって自分が言ったんでしょ!? 確かに多少手間はかかったけど、キョウは自力で挽回したじゃん。そしたらもうそれは数に入れちゃ駄目だよ。キョウはちゃんと預けた物は運んでくれた。元々お願いしたことはきちんと果たしてくれてるんだから、自分で役立たずとか言わないでよ!」
「……なんで吸血鬼のアンタがそんな必死に俺の味方するんだよ」
足を止めたキョウは複雑そうな顔でこちらを見ていた。彼は吸血鬼が嫌いだから、私に自分を肯定されるのは屈辱かもしれない。でも、だからと言ってごめんなさいと言う気にはなれなかった。
だってそうしたら私が今言ったことはなかったことになってしまうから。それはキョウのしたことを否定することにもなってしまうから。
私が何も言えないでいると、キョウがはっとしたように口を開いた。
「別にアンタが吸血鬼だからそう言われるのも嫌だって話じゃないんだ。いや吸血鬼は嫌いだけど……今はそういう話じゃなくて、その……身内であるはずのあいつらがあんななのに、敵だと思ってたアンタの方がよっぽどまともに見えるって言うか……」
珍しく慌てたように話すキョウを見ていると、私の調子も狂っていくようだった。彼なりに私に気を遣っていると分かってしまうから余計に。嫌いな吸血鬼を相手にしているんだからそんなふうに誤解を解こうとしなくていいのに。いつもみたいに適当に扱ってくれればいいのに。
見たことのない彼の行動が、二日前に見てしまった一面のせいで私の心を掻き乱す。嬉しいなんて、今思うのはきっとおかしい。
「……そうなの?」
動揺を悟られないように最小限の言葉を発すれば、思っていたよりも弱気に聞こえる声が出てしまった。
そのせいだろうか。キョウは少し気まずそうな顔をして、言葉を探すように視線を泳がせている。
「ほら……アンタも聞いてきただろ、ああいうふうに言われて悔しくないのかって。今はそうでもないけど、前までだったら普通にあいつらのことぶん殴ってたと思う」
「実力じゃないって言われたから? それとも……」
問いかけながら、なんとなく彼が今言っているのは実力云々の話じゃない気がしていた。何故ならキョウは結果で自分の実力を証明しようとしている。周りに何を言われようと結果で相手に反論するはずだから、わざわざ暴力に訴えることはしないだろう。
だからキョウが言っているのは別のこと。彼自身の努力ではどうしようもないこと。
『どうせ親みたいに媚び売ってるんじゃないか?』
『いくら自分は違うと主張したって、吸血鬼と手を組めるのは流石親子だな』
頭の中に拠点で聞いた声が蘇る。そんなのキョウ自身とは関係ないじゃないかと言いたいのに、事情を知らないからどう言葉にしていいか分からない。
そう思って声を詰まらせていると、キョウが「多分アンタが考えてるのであってる」とこちらに視線を向けた。
「俺の両親もハンターだった。だけど奴らは吸血鬼側に寝返って行方をくらましたんだよ。それは紛れもない事実で否定しようがない。でもいくら事実だからってそのことを誰かに言われると凄ェムカつくんだよ――」
ああ、だからさっきの人達は吸血鬼と共に行動するキョウをあんなふうに嗤ったんだ。なんとなく事情が飲み込めたと同時に、あの時エレベータの外に出なくてよかったと思った。彼らの言っていたことは事実だったみたいだけど、ああいう言い方をする人達に対して私がキョウを庇うような発言をしていれば、きっと彼らを喜ばせるだけだっただろうから。
「――でも、さっきはそこまででもなかった。なんかうちの連中とアンタを比べたら、どっちの方がおかしいのかよく分からなくなったんだよ」
続けられたキョウの言葉は、私のことを認めてくれているとも取れるもの。だけどそれを聞いても、彼の中で吸血鬼のイメージが改善されてきたんだと喜ぶ気にはなれなかった。
確かに私と接することで気持ちが変わってくれたなら良いことなのかなと思う。だけどキョウの両親が吸血鬼と出会ったのは十中八九外界だろう。となるとその吸血鬼は執行官か、もしくは犯罪者のほぼ二択になってしまう。
「言葉を返すようだけど、キョウの親が手を組んだっていう吸血鬼がどういう人かも分からないんなら……」
執行官ならまだいい。でもそうじゃないのならキョウの両親は悪党と手を組んでしまったということになる。そう思って私がぼそぼそと言うと、キョウの方から何故か「ふっ」と笑うような声が聞こえてきた。
「アンタ正直でいいな。普通こういう時は適当に話合わせるだろ」
「なッ……!?」
ちょっと待ってなんで今笑うの? しかもいつもの嫌な感じじゃなくて、屈託のない笑い方で。
突然のことに顔が熱くなる。二日前のはにかみ顔が脳裏に蘇る。また一層、頬が温度を上げる。
なにこれ、どういう状況? これがあざと可愛いの力か――だなんて、ふざけている余裕もない。私はただただ人間よりも冷たい手を顔に押し当てて、熱をやり過ごすことしかできなかった。
「……なんで正直って言われて恥ずかしがるんだよ」
キョウは私が自分のギャップにやられているとは気付いていないらしい。助かった、ありがとう。
ちらりと見た彼は気まずそうな顔をしていたけれど、気を取り直すように「言っとくけど」と強めに声を発した。
「俺の中の吸血鬼の印象って、多分アンタが思ってるよりずっと悪いぞ。今までモロイみたいな奴らしかいないと思ってたんだ。だから俺の親が手を組んだのも、最低の悪党かもしれないっていうのは分かってる」
キョウがさっきまでの話を続けたお陰で私の頬は元の温度に戻っていく。何が言いたいのだろうと改めて彼の顔を見れば、キョウもまた元の調子に戻っているのが分かった。
「だけどアンタみたいに理性的なのもいるって知って、少しだけ希望が持てたんだ。それにもしイメージどおりのクソ野郎だったとしても、俺の親は操られてた可能性だってあるわけだろ? 実際に操られた身としてはあんなんやられたらどうしようもないって分かるからな。どっちにしろ前よりマシだ」
強気な発言とは裏腹に、キョウの顔はどこか不安そうだった。彼が今まで親に対してどういう感情を持っていたのかは分からないけれど、話を聞いている限りでは敵として見限っていたんだろう。彼が手柄に拘ったのもそういうことだ。裏切り者の子だから、目に見える形でそれを否定したかったのかもしれない。
だからこそ今のキョウは揺らいでいるのだ。敵だと断じていた親が、そうではないかもしれないと知ってしまったから。
それは確かに彼に希望を与えるだろう。だけど同時に不安をもたらしている。否定してきた人の否定してきた理由がなくなってしまうかもしれないのだから当然だ。そのせいで自分のこれまでの生き方までも否定されてしまうかもしれないんだから、不安に思わないはずがない。
「……キョウは知りたいの? 親御さんのこと」
宙ぶらりんのままでいればキョウの中の揺らぎが収まることはない。それを止める方法は簡単だ、事実を知ればいい。
事実を知ってどうしようもない人間だと切り捨てるか、実は罪など犯していなかったのだと受け入れるか改めて判断すればいい。
なんて、言葉で言うのは簡単だ。事実を知るのはとても勇気がいる。事実を知らなければ希望は希望のまま在り続ける。たとえ宙ぶらりんでも、その不安定さは時に魅力的に思えることもあるかもしれない。
キョウは知りたいか、だなんて。聞いてから少し後悔した。私達はそんな関係じゃない。あくまで仕事上の付き合いで、キョウは私を、吸血鬼を嫌っている。
だから踏み込むべきじゃない。そうと分かっているのに、「やっぱなし!」と頭の中で用意した台詞が口から出ることはなかった。
「……そうだな。当時は子供で何も分かってなかったから、事実がどうだったのかは知りたいとは思う。まァ、実際は無理だと思うけど」
予想に反してすんなりと答えてくれたそのキョウの言葉は、強がっているようには思えなかった。
意外と彼は強い人なのかもしれない――そう思うと、「保証はないけど……」とさっきまで動かなかった私の口は勝手に動き出していた。
「絶対に知れるとは言い切れない。だけどその吸血鬼が体制側だったり、本当に悪人でも裁かれているなら記録に残ってるかもしれない。もしかしたらキョウの親のことだって分かるかも……」
これが私の声だと気付くまで、少し時間がかかった。だって何故自分がこんなことを言っているのか分からない。キョウの親のことなんて、私には関係ないのに。
「それはアンタの仕事じゃないだろ」
ほら、キョウだってそう言ってる。だから私が言うべきは、「まあそうか!」っていつもみたいに笑うこと。その後に適当なことを言って茶化して、この空気を有耶無耶にすること。それなのに――
「そうだけどさ。でも……親のことは知りたいのかなって……」
口が言うことを聞かない。考えるより先に動いてしまっていて、止めることもできない。
「それは……」
私の言葉を聞いたキョウは答えに困っているように見えた。それはそうだろう、私達はこういうことを話す関係ではないんだから。それにもしそうだとしても、この話の流れからしてキョウにとっては答えにくいことだということも分かっている。
だから、撤回しなきゃ――私がそのための言葉を探していると、キョウが静かに息を吸い込む音がした。
「アンタ、親は?」
突然の問いに、一瞬何を聞かれているのか分からなかった。だけど私の親のことを聞かれているのだと理解すると同時に、すとんと妙な納得感が腹の中に落ちたのを感じた。
ああ、だから私はキョウにさっきの質問をしたんだ――自分でも分からなかった言動の理由がやっと分かった。
私は多分、彼に親を知って欲しかったんだ。私は自分の本当の親のことを知らないから、だからまだ知ることができるかもしれないキョウにはその機会を逃して欲しくないと無意識のうちに思っていたんだろう。
そう考えるとなんて傲慢なと自分に言いたくなるけれど、理由が分かった分、さっきまでよりもだいぶ気持ちが楽になるのを感じた。
「育ての親はいる。だけど生みの親は顔も知らない。私、生まれてすぐに捨てられたからさ。多分口減らしだと思うんだけど、それもよく分からなくて……」
「口減らしっていつの時代だよ」
「明治だよ」
「めいっ……!?」
キョウが物凄く顔を歪める。あざと可愛いとは全く違うその表情は全然心臓に悪くない。悪くないけど、なんだか結構腹立たしいぞ!
「そんな顔することなくない? 私結構若い方なんだけど!」
もっと若い子もいるけれど、吸血鬼全体で見れば私はかなりの若者だ。気持ちだって若い。
という気持ちを込めて言ったのに、キョウは呆れた顔で大きな溜息を吐いた。
「若い方って言っても、それだけ生きてればもっと落ち着いているもんだろ」
「はあ!? うわ、もう知らない! キョウの親のことなんて調べてあげない!」
なんて言ったけれど。そう言う自分の顔が少し笑っているのが分かって、さっきよりもずっと気持ちが軽くなった気がした。
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