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最終章

第63話 ……詐欺師みたい

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 上機嫌で自分の部屋の窓から外を見るノエに、私はなんなんだこの男は、と顔を顰めた。
 いつも力なくへらっとしている顔はどこへ行ったのか、見たいものが部屋よりも低い位置にあるせいで伏し目になった目元はゆるく細められていて、唇は僅かに弧を描いている。薄い笑顔と言えばいつもと同じなのかもしれないけれど、何故かどことなく陰が感じられるせいで雰囲気が妙に色っぽい。なんだこれ、むかつく。

「まだちょっと時間かかりそうだな」

 ノエは私に視線を移しながらそう言うと、おいで、と手招きをした。
 本当は今のノエに近付くと緊張しそうだったので行きたくなかったけれど、彼が外を見ている理由を知っているから渋々向かう。ノエと同じように窓枠にちょこんと腰掛けて、さっきまで彼が見ていた先に視線を向けた。

 その先にいたのは、忙しなく動く人々。大勢と言うほどではないけれど、十数人の人達がノストノクスの外壁近くをうろうろしている。

 彼らは今、爆弾を仕掛けているのだ。

「あんなにたくさん必要なの?」
「合図は派手な方がいいだろ? ま、外側にたくさん仕掛けると危ないから、ああやって内側からも爆破して派手に見せかけるだけだけど。いやァ、ノストノクスが大量に爆薬没収しててくれてよかったな」

 そうあっけらかんと笑うノエは、とてもではないが戦争を引き起こそうとしている人には見えない。

「本当に、その……戦争するの?」

 私が恐る恐る問いかけると、ノエは忘れていたと言いたげな表情を浮かべた。
 ……え、今?

「実際にはしないよ」
「……あれ? でもさっきアレサさん達には――」
「言えることと言えないことがあるんだよ。本人達に自覚がなくても、誰かがアレサ達に仕掛けてるかもしれない」
「仕掛けてるっていうのは、催眠的な何かってこと?」
「そういうこと。だからほたるにも全部は話さないよ。それでもいい?」

 私に話せないのは、私こそいつスヴァインに乗っ取られてしまうか分からないからだろう。だからノエは聞いてくれているんだ。

「全部は教えてもらえないのに、私は囮にされるってこと?」
「そう。嫌?」
「そりゃ嫌だよ。嫌だけど……必要なことでしょ?」

 私が言うと、ノエはふわりと微笑った。


 § § §


『――ちょっと戦争起こしてみない?』

 その言葉に、ノエ以外が動きを止めた。
 待ってくれ、一体どうしたらそんな話になるんだ。吸血鬼の性格をもっとじめじめさせましょうという話もよく分からなかったけれど、それがどうして戦争になるんだ。
 そう思ったのは私だけではなかったようで、呆気に取られたように動きを止めていたエルシーさんが、「お前は何を言っているんだ」と慌てて声を上げた。

「じめじめしましょうって話じゃん?」
「だからそれがどうして戦争になる!? お前は自分が何を言っているか分かっているのか!?」
「分かってる分かってる。俺が言いたいのはあれよ、スヴァインにここまで来てもらいましょうってこと」
「……は?」

 あ、エルシーさん凄い顔。でも美しさを損なわないのは驚きだ。

「落ち着け、エルシー。――ノエ、お前は騒ぎを起こしてスヴァインをおびき寄せるつもりか? ソロモン様達を殺したのが本当にお前なら、スヴァインにとってその娘に価値がある保証はないぞ? クラトス達のところにも奴本人は現れなかったんだろう?」

 アレサさんが訝しげにノエに尋ねる。さっきまで固まっていたはずなのに、もう元の雰囲気に戻っているんだからやっぱり子供じゃなくて大人なんだ。それも相当メンタル強めの。
 しかもノエの謎発言からその意図を察したらしい。私もアレサさんの言葉で初めて気が付いたけれど、ノエがスヴァインをおびき寄せようとする理由は分からなくもないから、全くの的外れということでもないんだろう。
 ただ問題はそのやり方だ。アレサさんは私を囮にすると思っているみたいだけれど、彼女の言う通り私には囮としての価値はない。本当にその価値があるのは、今はノエだ。

「その辺はやりようによるよ。どうせ二人ともスヴァインを引っ張り出す方法なんて用意してないんだろ? ま、俺に任せなさいな」

 ノエが自分のことをアレサさん達に話す気がないというのはその言葉で分かったけれど。
 楽しそうに笑う彼に誰一人として安心な顔をできないのは、仕方がないことだと思う。


 § § §


「――結局、私は表向きの囮ってことでいいの?」

 アレサさん達との会話を思い出しながらノエに尋ねる。彼がスヴァインに狙われているということは、何故狙われるかという理由も話す必要があるのでアレサさん達には言えないだろう。だから表向きには私を囮に見せかけて、実際はノエ自身がスヴァインを釣る餌になる――そういうことだろうと思って聞いてみれば、ノエは「いんや?」と片眉を上げた。

「ほたるにもがっつり囮になってもらうよ。言っただろ? 『他の吸血鬼の見せしめになってみる?』って」
「……ん?」

 その話はもう終わったんじゃなかったっけ――と記憶を辿ってみれば、有耶無耶にされて結局明確な答えは返されていないということを思い出した。
 でもあれはクラトスを逃がしたのは命令違反じゃないとアイリスに納得してもらうみたいな話であって、そこにスヴァインは関わっていないはず。
 私がうーんと首を傾げれば、ノエは窓の外を向いていた身体をこちらに向けた。

「そろそろ話しておこうか。あれね、見せしめとは違うけどほたるを囮にクラトス達を集めようって話なんだよ。あいつらほたる大好きだろ? 罠だと分かっても来てくれるって」
「……どういうこと?」

 私が尋ねると、ノエはにっと口角を上げる。

「アイリスにクラトスを逃がしたのが裏切りじゃないと納得してもらうには、俺が別の、もっと有効な方法を用意していたから、だからあの時は敢えて逃がしたって思ってもらえればいい」
「そう……だね?」
「ならスヴァインとクラトス達を一箇所に集めちゃおうかなって」
「ん?」

 駄目だ、まだ話が見えない。

「明らかに俺が意図的にその状況を作ったって分かれば、アイリスも『ああ、これをやりたくてこの間は逃がしたのね』って納得してくれるんじゃないかと」
「……えーっと、スヴァインとクラトス達を一気に片付ける用意があったから、この前は彼らを見逃しましたよって形にするってこと?」
「そうそう、そんな感じ。んで更に、その方がこの間クラトス達を処分するよりも有効だった、ってことにしないとな」

 なんとなくノエの言いたいことは分かった。分かったけれど、やっぱりまだよく分からない。
 多分だけど、この間はまだ用意ができていなかったらクラトス達には何もしなかった、というふうに見せかけようとしているのだと思う。でも実際にそういう状況でなければ、アイリスに疑われた場合に嘘だとバレてしまう。

「形だけじゃ無理なんじゃないの?」
「誰が形で終わらせるって言ったよ。そういう事実もちゃんと作るの」
「どうやって……?」
「あの場にクラトスの仲間は全員はいなかった。だから今回は一人残らず引きずり出してやればいい。そうすると『ほたるを逃がすことを優先したからクラトス達を取り逃した』っていう事実が、『クラトスの仲間全員を確実に仕留めるために、奴らをおびき寄せる餌となりうるほたるの確保を優先した』って話に変わる」
「……詐欺師みたい」
「ペイズリーが言うには俺は詐欺師だそうだ」

 そう言ってノエは面白そうに笑ったし、彼の話も理解できたのだけれど。
 でも、一つだけ気になることがあった。

「もし上手く行ったとしても……それは、その人達全員を殺しちゃうってことにならない?」

 いくらクラトス達を見逃した理由を正当化できたとしても、実際に彼らをアイリスの方針に則って処分しなければそれは意味をなさない。ノエはクラトス達を殺すことを迷っていると言っていたのに、このやり方では彼らの命を奪うしかなくなる気がした。

「なるだろうな。だってそうしないとアイリスが怖い」
「それは分かるけど……でも……」
「そこでスヴァインが必要なのよ」
「え?」

 ノエがにやりと笑みを深める。

「全員スヴァインに操られてました、ってことなら話は別だと思わない?」

 まるで名案と言いたげなノエに、私はすぐに同意することはできなかった。だってどういうことか話が全然見えない。
 ノエもそれを悟ったようで、ふむ、と小さく頷くと言葉を続けた。

「吸血鬼の洗脳っていうのは、術者の吸血鬼が死んだら解ける。スヴァインの死とタイミングを合わせれば、クラトス達の行動は奴に操られていただけって話にできなくもない。先にスヴァインを殺してそこで初めて気付きましたって形にすれば、クラトス達のことを殺す必要はなくなるかもしれないだろ?」

 スヴァインの死――その言葉を聞いて一瞬身体が強張ったけれど、気付かないふりをした。
 だってしょうがないじゃないか、彼はノエを殺そうとしているんだ。彼が生きている限りノエは安全にはならない。しかもスヴァインは私の両親を殺したのだから、彼一人の犠牲で他の人達が助かるなら――スヴァインの命を奪うことを正当化しようとしている自分がいることに気が付いて、気分が暗くなる。
 ノエがこちらを見ているのが分かったけれど、その視線から逃れるように口を開いた。

「そんなことできるの……? それにアイリスに誤魔化しは効かないんじゃ……」

 ほんの少しだけ目を細めて私を見ていたノエは、ゆっくりと瞬きをすると表情を元に戻した。

「疑われさえしなければ、正直に話せとも言われなくない?」
「だからそれが難しいんじゃないの……?」

 嫌だな、アイリスの話になるとすぐ堂々巡りになる。だってこっちがどんなに知恵を絞ったって、アイリスが一言全部話せって言ったら私達は逆らえない。
 だからノエの言うこともそう簡単に納得することができないでいると、ノエはそれまでの楽しそうな笑みを引っ込めて、真剣な面持ちで私に視線を合わせた。

「正直に言います」
「うん」
「アイリスに疑われないのは多分無理」
「ちょっと!」
「でも絶対無理ではない」
「……そうかもしれないけど」

 そんなのただの言葉遊びだ。ノエの多分無理というのは十中八九、ほぼ確実に無理なはず。ノエはおちゃらけているけれどこういう予想は結構正しいし、何よりそういう嘘は吐かない。

「ま、やるだけやってみましょうよ。奇跡的に成功すれば犠牲は最小限で済むし、失敗したら俺もほたるも含め戦争を引き起こそうとしたってことで多分皆殺し。でもこれは理由や状況が変わっただけで、殺されるかもっていうのは元とは変わらない。いやー、恐ろしいね」
「そんな適当な……」

 私がじっとりとした視線を向ければ、ノエは私の頭にぽんと手を乗せた。

「多くの人にとってただ生きるのはそう難しくないけど、思うように生きるのは意外と難しいんだよ。でもほたるが楽しく生きたいって望むから、本来消されるはずだった命まで助かるかもしれない。どうせ皆死んで自分だけ生き残っても嬉しくないんでしょ? なら一蓮托生ってことで賭けに出ようよ」
「……そこは賭けって言って欲しくなかったなぁ」

 誰かの真似をして、へらりと笑ってみせる。
 するとノエは満足そうに、「乾坤一擲けんこんいってきってやつだよ」と同じような笑みを返した。

 ……ごめん、私そんな日本語知らない。
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