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最終章

第62話 なんでだよ、泣くぞ

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『お前、私を殺したいか?』

 あまりに単刀直入すぎる聞き方に、私の身体が一気に強張った。
 アレサさんがこう尋ねるということは、ノエがソロモン達を殺したと、その理由も含め把握しているということだ。勿論そこにアイリスの名前は一切出てこないだろう。でも彼らのしていたことがノエに殺される理由となっていて、アレサさん自身もそれに関わっていた自覚がある。だからきっとノエは自分を殺すかもしれない――そう彼女が考えているのだと私でも分かった。
 だからアレサさんはその上でノエをここに呼んだことになるのだけれど、一体どういうつもりなのか。大きな瞳の奥は底が見えないくらいに深く感じられて、彼女がどんな意図でそうしているのか微塵も分からない。
 それなのに隣に座るノエは、私と違って全く驚いた様子は見せなかった。相変わらずのへらりとした表情で、「理由によるな」と発した声はいつもと変わらない。

「ラミア様んとこでほたる襲わせたのって、アレサが関わってんだろ?」
「え……?」

 私が驚いたのに気付くと、ノエはこちらを見て「大丈夫、大丈夫」と安心させるように笑った。

「普通に考えて内部の奴の手引きがないと、あんなに早く動くのは無理だからな。あの時ほたるを襲った従属種自身はアレサと関係ないだろうけど、アレサがソロモン達の誰かに言ってあいつを送り込んだんだと思うよ」
「じゃあ、ソロモン達は……」

 ノエが彼らを手に掛けたのはノストノクスに敵対しているからだと思っていたのだけれど、どうやらそれだけではなかったらしい。ソロモン達はそういう思想を持つだけでなく、明確に行動を起こしてしまっていたのだ――ノストノクスに背く行動を。
 保護されている私に手を出したことも、それをさせた従属種をノストノクスに登録していなかったことも、それらがはっきりとした敵対行動だということはあの時のラミア様の怒りを思えば明らかで。
 ノエは私の言いたいことが分かったのか、「そういうこと」と小さく言うと話を続けた。

「しかもソロモンがほたるの匂い玉に使った従属種――マヤを見たことがある奴が仲間にいるって言ってただろ? 十年かそこらしかこっちにいない従属種であるマヤを知っている奴ってそうそういないんだよ。だからああもうこれ確定でしょって思って、とりあえず一番怪しそうなアレサの名前出したら当たってたし」
「……もしかしてあれ、確信はなかったの?」
「百パーとは言えなかった、ってくらい? でも当たっててよかったよな。あの場面で外してたら俺結構恥ずかしい奴じゃない?」
「……そうだね」

 なんだろう、この微妙な気持ち。あの場面というのはノエがソロモン達に手をかける直前で、私が死の覚悟をしていた時だ。それなのにこの男は隣で自分が恥ずかしい奴になるかどうかだなんて考えていたのか。……あらやだ、アレサさんじゃないけれど髪の毛毟ってやりたい。

 というかノエはこの場でソロモン達のことを呼び捨てにして大丈夫なのだろうか。いつの間にか変わっていた呼び方だけれど、自分がアイリスの子であると打ち明けてくれた私の前でだけならその呼び方をするのは問題ないだろう。私だって呼び捨てだし。
 でもアレサさん達は何も知らないのに、急に呼び方を変えたら怪しまれるんじゃないかな。と思ってアレサさんとエルシーさんの様子を盗み見たけれど、特にノエを諌めるような素振りはなかった。……ノエの人間性の問題だったりする?

「そこまで分かっているのにまだ理由を求めるのか?」

 ノエがおちゃらけているのも気にせずに、アレサさんは小さく微笑みながらそう尋ねた。なるほど、ノエのおふざけはこうやって無視すればいいのか。
 そしてそれはいつものことなのか、ノエも特に気にした様子はない。アレサさんの問いにほんの少しだけ真面目な顔をして、「そりゃそうよ」と何事もなかったかのように話を続けた。

「まだアレサがやったことしか分かってない。俺が知りたいのは、それをした理由だよ」
「スヴァインと接触するためだ」
「あん?」
「あの男は私の知りたいことを知っているかもしれない。ならその子である神納木ほたるを使えば、スヴァインと接触できると思った」

 またスヴァイン絡みか――私に何かする時点でそれ以外有り得ないのだけれど、はっきりと言葉にされるとどうしても気分が落ち込む。ただノエはその理由が気に入らなかったようで、眉間に皺を寄せながらアレサさんを睨みつけた。

「スヴァインと会って、その知りたいことを聞こうとしたってこと?」
「ああ」
「じゃあなんでソロモン達をくっつけたんだよ。ソロモンとリロイはそれぞれ元青軍と赤軍、自分達だけじゃ絶対に協力なんてし合わなかったはずだ。それをわざわざくっつける意味はあったのか? 奴らとスヴァインは関係ないだろ」

 そういえば、ノエはリード達のところでソロモンが現れた時に意外そうにしていたな、と思い出した。リロイというのはリードの親だ。戦争の時には敵同士だったのに、今更一緒にいるのが不思議だったのだろう。
 私がやっといろんな記憶が繋がってきたと考えていると、アレサさんの小さな唇が動いた。

「ノストノクスに対抗するためだ」

 それが不仲のはずのソロモンとリロイを引き合わせた理由。アレサさんの言葉を聞いたノエは、「はあ?」とさらに眉間の皺を深くした。

「お前創設者の一人だろ。なんでそんなことするんだよ」
「今のノストノクスはおかしい」

 クラトスと同じような言葉に、流石に私の眉にも力が入った。クラトスもノストノクスの在り方に疑問を抱いていたのだ。なら同じように考えているアレサさんも彼の仲間なのだろうか――そう聞きたいのに、隣に座るノエの雰囲気がいつもよりぴりぴりしていて、私は口を出すことができなかった。

「それをスヴァインに聞こうとしたのか? 奴はノストノクスとも無関係だろ。しかもここまで行動を起こしたってことは、ラミア様のことまで否定してるってことになるぞ?」
「ああ、そうだ。ここ数百年、母さんは母さんらしくない気がする」

 そう言ってアレサさんは瞼を伏せた。ラミア様がラミア様らしくないというのは付き合いの浅い私には分からなかったけれど、アレサさんの悲しげな雰囲気はそれが無視できないほどのものだと表しているようで。

「……だから距離置いてたのか?」

 アレサさんに尋ねるノエの声も、少し低い。

「そうだ。特にこの百年は停戦の影響もあってノストノクスもおかしくなっていったからな。私の勘違いなのか、そうじゃないのか――それを一人でずっと調べていた。いざとなればノストノクスに対抗できるよう準備しながら」
「でも結局何も出なかったから、もうスヴァインに聞くしかないと思ったってことか」
「そういうことだ。確かにあの男はノストノクスとは無関係だが、私達が到底知り得ないことまで知っていてもおかしくはないからな。まあ目的がどうであれ、私のしたことは間違いなくノストノクスへの反逆にあたる。だからお前が私を殺したいのなら殺せばいい。だがエルシーを含め、私の子達は無関係だ。私の言葉が信じられないとしても、私の子達にはちゃんと殺す前に確認してくれ」

 ノエの方を真っ直ぐ見ながら話すアレサさんに、さっきまでの悲しさは感じられなかった。
 いつもと違って真剣な顔でそれを聞いていたノエも考えるように黙り込む。彼の珍しい姿に様子を見ていると、少ししてからノエは視線を上げてアレサさんの目を見つめた。

「俺と会いたかったのは、それを言うためだけ?」
「それ以外に何がある」
「いやほら、俺に殺されたらお前が調べてたことはどうなるんだよ。分からないまま死ぬの?」
「知りたいと思うのは私個人の問題だ。そんな私情を優先して子供達が死ぬなんてことはあってはならない」

 アレサさんの言葉に、ノエは大きな溜息を吐いた。頭をガシガシと乱暴に掻いて、嫌そうに顔を歪ませる。

「……俺思うんだけどさ、吸血鬼っていう生き物はどうしてそうドライなの? もっと湿っぽくなれないもんかね。なんならうちのほたるを見習いなさいよ、私情だけで生きてるようなもんよ?」
「え、何急に」

 真面目な話だったはずなのに、突然肩を叩かれながら名前を出されれば流石にびっくりする。
 一体何の話だと思ってノエを見れば、顔は顰めたままなものの明らかに纏う雰囲気が緩んでいるのが分かった。待って、空気読んで。そしてそれに私を巻き込まないで。

「『死にたくないし楽しく生きていきたい、でもそのためだからって他の人を殺したくはない。なのにどうしたらいいか分からないから一緒に考えて!』って、私情っつーか思いっきり我儘じゃん」
「……おおう」
「でも俺は大人なのでー、そんなほたるさんの我儘を叶えてあげようとしてるわけですよ」
「やだノエの頭毟りたい」
「なんでだよ、泣くぞ」

 今真面目な話のはずなのになと思いつつも、ノエの発言のせいで私までつられてしまう。アレサさんの隣でエルシーさんが呆れたような表情をしているのが分かったけれど、心の中でごめんなさいと言うしかない。だって悪いのは私じゃなくてノエだし。
 なんてこっそり言い訳していると、アレサさんがふっと笑うのが聞こえた。

「お前達が若いからだよ――人間の感情が強く残っているのは」
「あ?」

 さっきからノエ、アレサさんの発言に対してガラが悪すぎやしないだろうか。もうちょっとおしとやかな言葉使いなよ。
 でもアレサさんはそんなノエの態度が全く気にならないのか、静かに話を続けた。

「吸血鬼になったって、急に性格や考え方が変わるわけじゃない。けれど長く生きればその分、感情だけではどうにもならないことを経験する。ましてや吸血鬼なんて生き物は序列に縛られている。もしかして自分は今操られているんじゃないか――その疑いは一度でも抱いてしまえば決して晴れることはない。晴れないから、常に自分の感情や記憶を信用することができなくなる。そんな信用できないものへの価値は薄まり、淡々と目の前の事実だけを処理するようになる。まあ、その事実さえ信じられるか分かったものじゃないがな」
「そんな……」

 なんでそんな悲しいことを言うんだろう――そう思うのに、否定する言葉が浮かばなかった。
 私はまだ吸血鬼になって一日くらいしか経っていないけれど、自分が操られているかもしれないという不安は分からなくもなかったから。

 人間だった時から既に、私の認識は歪められていた。スヴァインをお父さんだと信じて生きてきた。ノエが少し教えてくれたことによれば、恐らく不自然な点があっても気にしないようにされていたかもしれないらしい。だから今までお父さんが家に全然いなくても気になったことがなかったんだろう、と。
 今、私がスヴァインにかけられた洗脳は解けているはずだ。でもまだ何かあるんじゃないかと不安に思うのも事実で。急に身体を乗っ取られたように、何か予期していないことが突然起こるんじゃないかと考えてしまう。

 だからアレサさんの言葉は、私の胸にゆっくりと刺さってくるようだった。じわじわと、けれど確実に胸の奥深いところまで届こうとしている。操られているかもしれないということだけじゃない。いつか彼女の言うように、自分の感情すらも信じられなくなったら――そんな日が来るかもしれないと思うと、何も言うことができなくなった。

「千年戦争があんなにも長く続いたのは、ある意味逃げ道だったからだ。赤軍と青軍というお互いに明確な敵があって、戦いに興じている間はそれ以外を考えなくて済む。誰もあの戦争の始まった理由を知らないのが何よりの証拠だ。ラーシュ様もオッド様も、立派な大義名分があればそれを口にしていたはず。それなのに誰にも言わず、ましてや二人の間だけで片付けなかったのは、そうしないと自分達が駄目になると気付いていたからかもしれない。今なお戦争を求める者達がいるのもそういうことだろう。今回ソロモン様達を引き合わせて分かったが、彼らは別に敵軍を恨んじゃいない。個人的にもな。赤軍だから、青軍だから――そんな理由の罵倒は出てきても、それ以外が全く出てこなかったんだ。……なんて、中身のない争いだったんだろう」

 そこまで言うと、アレサさんは自嘲するように微笑んだ。子供の姿に不釣り合いなその笑い方は、とても寂しくて。

「否定はしないよ」

 アレサさんの話を静かに聞いていたノエが呟く。

「俺は千年戦争には一度も参加してないけど、生まれた国がずっと周りの国と争ってたからな。子供の頃から戦場を走り回ってたし、それなりに戦争っていうのがどういうものかは知ってるつもりだよ。だから端から見てて千年戦争が人間のそれとは全く違うっていうのは分かったし、多分アレサの言うとおりなんだろうなっつーのは前から薄々思ってはいたし……――」

 珍しく真面目な声色で言ったかと思えば、ノエはすぐにへらりと表情を崩して背もたれにもたれかかった。

「――でもなー、俺が言ってんのはその上でもっとじめじめしましょうよってことなのよ。悪くないぞ? じめじめ」
「言葉が悪い」

 間髪入れずに言ったエルシーさんって凄いな。私はさっきまでの落差が激しすぎて、ノエのことをなんだこいつと思って見ていることしかできなかったのに。
 そんなノエはエルシーさんの言葉にへらっと笑みを返して、「そうね。んじゃ言い換えるわ――」と姿勢を正した。

「――ちょっと戦争起こしてみない?」

 ノエの言葉に誰も何も言えなかったのは、決して賛成しているからではないと思う。
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