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第八章
第58話 なんて?
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笑い終わったノエは、「何か飲む?」と言って立ち上がった。特にお腹は空いていなかったけれど、少しでも気を紛らわしたいので小さく頷く。
ドアを開けて部屋から出ていくノエを見送って、私は改めて顔を手で覆った。
「……恥ずか死ぬ」
私、ノエが好きなのか。お父さんとしてじゃなくて男の人として。
考えてみればまあ、心当たりはなくはない。ノエがどんなに信じられないことをしようと彼を嫌いになれなかったのも、最近の広がってしまった距離感に苦しくなったのも、多分そういうことなんだろうと思う。
でもノエが急にその距離を詰めてきたのはどうしてだろうか。私がもう自分を恐れていないと感じたから気を遣うのをやめただけなのかもしれないけれど、明らかに以前よりも近くなった気がする。これも、そういうこと? 期待してしまうけれど、ノエは何百年も生きているし遊び人っぽいし、私の勘違いということもあるかもしれない。
「分からない……」
恋愛なんてまともにしてこなかった。彼氏がいたこともあったけれど、あれは友達の延長線上のような付き合い方。真面目に向き合ってはいたものの、こんなふうに相手がいない時まで緊張して顔の熱が引かないようなものではなかった。
考えれば考えるほど心臓がきゅうとなって、思わず手で押さえる。それに意味がないことは分かっていたけれど、この行き場のない感覚に他にどうしたらいいか分からない。……いや、それよりも。
「……この服、誰の」
胸を押さえた時に触れた知らない感触。嫌な予感がして見てみれば、私の身を包んでいたのは見たことのない長袖のシャツで。
なんでと記憶を辿れば、そういえば私の服は血まみれだったなと思い出す。
「待ってこれまたか。そういうあれか」
しかも肌にべったりとついていたはずの血もないぞ。絶対服の下まで血だらけだったはずなのに、襟元を摘んで覗いてみてもそこには普通の色のお肌があるだけで。
っていうかこれ、サイズが大きいのだけどやっぱりノエの服だろうか。ノストノクスでも貸してもらったけれど、今そんなのを着せられたらちょっと色々とやばい。第一肌が綺麗になっているということはもうそういうことだ。いやでもそれで言えば前に怪我した時に既に丸ごと見られているだろうし、普通に考えて親切心からの行動だろうからこうして気にする方がどうかしているのかもしれないし……――今更ながら状況を理解して頭が沸騰しかけたところで、静かだったドアが開いた。
「ッその善意はもはや凶器……!!」
「……何言ってんの?」
ガバッと膝に顔を押し付けた私に、ノエが呆れたように呟く。ふわりと鼻腔を撫でたのはコーヒーの香りで、ああ飲み物を持ってきてくれたんだなと分かった。
「……私はまたノエに着替えさせていただいたのでしょうか」
顔を膝で隠したまま、勘違いであることを願ってノエに尋ねる。その可能性なんてほとんどないけれど。
「そりゃァ、汚れたまんま寝かせておくのもどうかと思ったし」
「……身体も拭いていただいたのでしょうか」
「あと髪もここで洗えるところはちょっと洗った」
「……それはお手数をおかけいたしました」
なんでだろう、ノエがからかってこない。いや期待していたわけではないけれど、こうも普通に返されると逆にからかってくれって思うわけですよ。イラッとすれば羞恥も吹き飛ぶだろうし。
それなのにノエと来たら、「後でちゃんとシャワー浴びといで」だなんて真人間みたいな発言しかしない。何故だ。
「で、コーヒーいらないの? ちゃんと砂糖も入ってるよ」
「いります。いりますけれども、今ちょっと膝小僧と親交を深めるのに忙しいです」
「何それ、人に告白した直後に浮気?」
「ちがッ……!」
告白じゃないと否定したくて顔を上げれば、勝ち誇ったような表情をしているノエと目が合った。
「恥ずかしがり方が前と変わったなー」
「いやッ……違、だってノエが……」
「俺が?」
「か、からかわないから……」
改めて口に出すと、やっぱりからかって下さいと言っているように聞こえる。けれどノエはにんまりと笑って、「必要なかったからね」と私にコーヒーを差し出した。
「どういう……?」
「だってほたる勝手に悶えてんだもん。面白いじゃん」
「ッ……わざとなの!?」
「これが経験の差よ」
そう格好つけて言うと、ノエはベッドに座りながら自分のコーヒーを口に含んだ。それを小さく飲み込んで、こちらを向いてふわっと微笑む。それが作った仕草だとは分かったのに、画になりすぎてまた私の頬が熱を帯びた。
本当なんなんだこの男は。顔面凶器か? 腹が立つのは普段全くそうと思わせないくせに、明らかに自分の顔の使い方が分かっているところだ。「ほたるって結構俺の顔好きだよな」とかほざいているけれど、それは一歩間違えばナルシスト的発言だぞ。……否定はしないけれど。
「それはそうと、ちょっと頑張るって話になったけどさ――」
不意にノエが口を開く。一瞬何の話だと思ったけれど、すぐにさっきまでの話の続きだと分かって姿勢を正した。
「――ほたるも嬉しいこと言ってくれたんだけど、まァ今のところ二人共死ぬ説が濃厚です」
「……確かに」
私が言ったこと、というのは置いといて。脱線して一悶着あったけれど、結局何も解決していない。
ノエはスヴァインに命を狙われるだろうし、私もスヴァインに会いに行くなら彼に殺されるかもしれないと覚悟を決めていかなきゃいけない。というか、それ以前にノエはアイリスに殺されてしまう可能性だってある。
「まだアイリスがノエを切るのが確定じゃないんならさ、せめてアイリスにスヴァインを止めてもらうことはできないの? もう居場所も分かってるようなものだし……」
実際には分かっていないけれど、スヴァインがノエを狙うなら向こうから姿を現してくれるはずだ。その時にアイリスが一緒にいてくれれば確実に対処できるだろう。
そう含めて言ってみれば、ノエは難しい顔をして首を横に振った。
「無理だと思うよ、アイリスはそういうのに一切手を出さないから。昔ラーシュ達がスヴァインに殺された時だって、嘆きこそすれ傍観を決め込んだくらいだしな。自分のルールに基づいて二人を殺したスヴァインは処分すべきだとは考えても、それを自分自身でどうこうしようとは思わないらしい。あくまで俺やノストノクスっていう、罪人を裁く役割の奴が片付けろってスタンスなんだよ」
「……でもそれだったら、命令違反したノエをアイリス自身が処分するっていうのもおかしくない? 手は出さないんだったらノエのことも殺さないんじゃないの?」
「それとこれとは別。アイリスの認識としては俺は同胞っていうより自分の身体の一部に近いんだよ。人間だって身体の悪いところは切って捨てるだろ? 実際、自分の言うことを聞いているうちは生かしておいてやるって言われてるしね」
そう言って肩を竦めるノエを見ながら、私は自分の眉間に力が入るのを感じた。なんだかノエのことを物みたい扱われている気がしてムカムカする。でもノエ自身もそういうものだと受け入れているようだから、それについて何と言っていいか分からない。
「……ノエには手を出すくせに、なんで他の人達にはそうしないの? アイリスが出れば吸血鬼同士の揉め事なんて一発で解決なのに」
仕方なく会話を続けたけれど、無意識のうちにふてくされたような物言いになってしまった。そんな私にノエは苦笑いを零して、空気を軽くしようとしてくれているのか、「さあ?」とほんの少しだけふざけるように口を開いた。
「けどそれを言っちゃえばアイリスは俺達全員を操れるわけだから、そもそも意図しない行動をしないように制限すればいいんだよ。そうしないのは本人曰くそれだとつまらないかららしいんだけど、それって自分が直接介入するのは必要最低限にしたいってことなんじゃない?」
「意思を制限されないっていうのは悪くないとは思うんだけど……なんか嫌だな、それ。うまく言えないけど、中途半端に手と口を出しておいて残りは放置、みたいな感じがするし……」
「実際放置かもな。千年戦争の件で、アイリスは自分の子供達も人間と変わらないってある意味見限っちゃってるっていうのはあると思うし。ラーシュやオッドのことも愛してたみたいだけど、くだらない争いからいつ目が覚めるのかっていつも言ってた。それをスヴァインが私情で二人を殺しちゃったから、なんかもう完全に呆れちゃったんじゃないの?」
なんだろう、アイリスという人は無責任なのだろうか。自分の子供達が吸血鬼の衰退を招くような戦争を起こしたのに、それを見ているだけで止めないって親としてどうなのだろう。問題視していたならせめて諌めるくらいはしてもおかしくはないと思うのだけど、ノエの話を聞いている限りそれすらしたかも怪しい。
結局アイリスがしたのは、嘆くことだけ。自分が吸血鬼にした人達のはずなのに、その行動に責任を取ろうとしない。ノエやノストノクスに押し付けて自分は高みの見物。
「……なんかむかつくな」
「何が?」
「アイリス。この人のせいでノエは嫌なことしてるんでしょ? なのに手伝いもせず失敗も許しませんってどうなの?」
「ほたるの言いたいことも分からなくはないけど、あの人は人間の理に当てはめちゃ駄目だよ。それにアイリスの誘いに乗ったのも俺だし」
「……ノエはやっぱり、アイリスを庇うの?」
自分が不安そうな顔をしているのはなんとなく分かった。私にとってアイリスは会ったこともないただの無責任な人だけれど、ノエにとっては親で上司。人間を辞める誘いを受け入れたくらいだから、それくらいアイリスは特別な存在なのかもしれない。
そう思うと、なんだか嫌な気持ちになる。ノエにとって大事な人を悪く思ってしまって申し訳ないとは感じるけれど、彼の気持ちがその人に向いていると思うと、何とも言えないもやもやとしたものを感じた。
「庇う、っていうのは違うな。俺以外のアイリスの子はアイリスと恋人同士みたいな関係だったらしいけど、俺は普通に仕事だし。ていうかそもそも俺が庇えるような存在じゃないし」
「じゃあノエはなんで吸血鬼になったの?」
「長い物には巻かれろってやつだよ。一目見て『これ逆らったら死ぬわ』って思ったのと、意外と好条件だったのと……あと当時の俺は割と自暴自棄だったから」
「それは……周りを裏切ったばかりだったから?」
なんとなく話が繋がってきた気がする。
ノエが今までラミア様の行動としていた部分をところどころアイリスに読み替えれば、何かしらの理由で知られていたノエをアイリスが探して吸血鬼にした、という話になる。その何かしらの理由はさっきノエ自身が言っていた――同胞殺しを買われて吸血鬼になったって。
それは以前ペイズリーさんと揉める原因になったノエの過去。同じ国の人を裏切って、多くの命を奪った出来事。
それを指した私の質問に、ノエは小さく「そうだね」と答えた。
「あれも確か二年くらいかけて準備してたんだよ。でもそれが終わって、やることなくなっちゃったからふらふらしててさ。生きたい理由もないけど、積極的に死にたい理由もないしなーって毎日好き勝手過ごして。ま、結局なんでもよかったんだよな」
そう言って、ノエは自嘲するように笑った。
ノエが吸血鬼になったことを後悔しているのは知っていたから、私もそれ以上は何も言えない。話してくれただけでも十分だし、過ぎたことを何度も突きたくはない。
それにもうさっき感じたもやもやもいつの間にか治まっていたから、私は脱線してしまった話を元に戻そうと口を開いた。
「アイリスが手伝ってくれないっていうのは分かったけどさ、せめて敵にならないようにはできないの? 何もしなくていいから、ノエを殺そうとするのだけはやめて欲しいっていうか。まだ命令違反したって確定じゃないんなら、どうにか言い訳してみるとか、ちょっと誤魔化してみるとか……」
「んなもん無理無理。事実だけ見てそう判断してくれることはあるかもしれないけど、その事実の中にクラトス達を逃がしたことをアイリス基準で正当化できる要素がないし。ってなると言い訳するしかないけど、それだって絶対通用しない。だってあの人が一言『正直に言え』って言ったら俺もほたるもどうしようもないもん」
確かにそうだ。私もノエも、アイリスがその気になれば絶対に逆らえない。
「じゃあさ、最初から正直に言っても駄目? 『こういう事情でクラトスを逃しちゃいました、でもこれからはちゃんとやります』みたいな……」
「それが通用するのは相手に人間と同じ情がある場合だけだよ」
「ないの……?」
「感情はあるんだろうけど、相手の心情を慮るっていうの? そういうのはありそうな気がしないな。だからほたるが言うようなことを言ったら、ただの役立たずだってその場で殺されて終わると思うよ。最悪ほたるなんて俺の仕事の邪魔をしたってことで他の吸血鬼の見せしめに――……なってみる?」
「なんて?」
なんだか不穏な言葉が聞こえた気がするけれど。思いついたと言わんばかりにそれを言い放ったノエの顔は、何故かとても楽しそうだった。
ドアを開けて部屋から出ていくノエを見送って、私は改めて顔を手で覆った。
「……恥ずか死ぬ」
私、ノエが好きなのか。お父さんとしてじゃなくて男の人として。
考えてみればまあ、心当たりはなくはない。ノエがどんなに信じられないことをしようと彼を嫌いになれなかったのも、最近の広がってしまった距離感に苦しくなったのも、多分そういうことなんだろうと思う。
でもノエが急にその距離を詰めてきたのはどうしてだろうか。私がもう自分を恐れていないと感じたから気を遣うのをやめただけなのかもしれないけれど、明らかに以前よりも近くなった気がする。これも、そういうこと? 期待してしまうけれど、ノエは何百年も生きているし遊び人っぽいし、私の勘違いということもあるかもしれない。
「分からない……」
恋愛なんてまともにしてこなかった。彼氏がいたこともあったけれど、あれは友達の延長線上のような付き合い方。真面目に向き合ってはいたものの、こんなふうに相手がいない時まで緊張して顔の熱が引かないようなものではなかった。
考えれば考えるほど心臓がきゅうとなって、思わず手で押さえる。それに意味がないことは分かっていたけれど、この行き場のない感覚に他にどうしたらいいか分からない。……いや、それよりも。
「……この服、誰の」
胸を押さえた時に触れた知らない感触。嫌な予感がして見てみれば、私の身を包んでいたのは見たことのない長袖のシャツで。
なんでと記憶を辿れば、そういえば私の服は血まみれだったなと思い出す。
「待ってこれまたか。そういうあれか」
しかも肌にべったりとついていたはずの血もないぞ。絶対服の下まで血だらけだったはずなのに、襟元を摘んで覗いてみてもそこには普通の色のお肌があるだけで。
っていうかこれ、サイズが大きいのだけどやっぱりノエの服だろうか。ノストノクスでも貸してもらったけれど、今そんなのを着せられたらちょっと色々とやばい。第一肌が綺麗になっているということはもうそういうことだ。いやでもそれで言えば前に怪我した時に既に丸ごと見られているだろうし、普通に考えて親切心からの行動だろうからこうして気にする方がどうかしているのかもしれないし……――今更ながら状況を理解して頭が沸騰しかけたところで、静かだったドアが開いた。
「ッその善意はもはや凶器……!!」
「……何言ってんの?」
ガバッと膝に顔を押し付けた私に、ノエが呆れたように呟く。ふわりと鼻腔を撫でたのはコーヒーの香りで、ああ飲み物を持ってきてくれたんだなと分かった。
「……私はまたノエに着替えさせていただいたのでしょうか」
顔を膝で隠したまま、勘違いであることを願ってノエに尋ねる。その可能性なんてほとんどないけれど。
「そりゃァ、汚れたまんま寝かせておくのもどうかと思ったし」
「……身体も拭いていただいたのでしょうか」
「あと髪もここで洗えるところはちょっと洗った」
「……それはお手数をおかけいたしました」
なんでだろう、ノエがからかってこない。いや期待していたわけではないけれど、こうも普通に返されると逆にからかってくれって思うわけですよ。イラッとすれば羞恥も吹き飛ぶだろうし。
それなのにノエと来たら、「後でちゃんとシャワー浴びといで」だなんて真人間みたいな発言しかしない。何故だ。
「で、コーヒーいらないの? ちゃんと砂糖も入ってるよ」
「いります。いりますけれども、今ちょっと膝小僧と親交を深めるのに忙しいです」
「何それ、人に告白した直後に浮気?」
「ちがッ……!」
告白じゃないと否定したくて顔を上げれば、勝ち誇ったような表情をしているノエと目が合った。
「恥ずかしがり方が前と変わったなー」
「いやッ……違、だってノエが……」
「俺が?」
「か、からかわないから……」
改めて口に出すと、やっぱりからかって下さいと言っているように聞こえる。けれどノエはにんまりと笑って、「必要なかったからね」と私にコーヒーを差し出した。
「どういう……?」
「だってほたる勝手に悶えてんだもん。面白いじゃん」
「ッ……わざとなの!?」
「これが経験の差よ」
そう格好つけて言うと、ノエはベッドに座りながら自分のコーヒーを口に含んだ。それを小さく飲み込んで、こちらを向いてふわっと微笑む。それが作った仕草だとは分かったのに、画になりすぎてまた私の頬が熱を帯びた。
本当なんなんだこの男は。顔面凶器か? 腹が立つのは普段全くそうと思わせないくせに、明らかに自分の顔の使い方が分かっているところだ。「ほたるって結構俺の顔好きだよな」とかほざいているけれど、それは一歩間違えばナルシスト的発言だぞ。……否定はしないけれど。
「それはそうと、ちょっと頑張るって話になったけどさ――」
不意にノエが口を開く。一瞬何の話だと思ったけれど、すぐにさっきまでの話の続きだと分かって姿勢を正した。
「――ほたるも嬉しいこと言ってくれたんだけど、まァ今のところ二人共死ぬ説が濃厚です」
「……確かに」
私が言ったこと、というのは置いといて。脱線して一悶着あったけれど、結局何も解決していない。
ノエはスヴァインに命を狙われるだろうし、私もスヴァインに会いに行くなら彼に殺されるかもしれないと覚悟を決めていかなきゃいけない。というか、それ以前にノエはアイリスに殺されてしまう可能性だってある。
「まだアイリスがノエを切るのが確定じゃないんならさ、せめてアイリスにスヴァインを止めてもらうことはできないの? もう居場所も分かってるようなものだし……」
実際には分かっていないけれど、スヴァインがノエを狙うなら向こうから姿を現してくれるはずだ。その時にアイリスが一緒にいてくれれば確実に対処できるだろう。
そう含めて言ってみれば、ノエは難しい顔をして首を横に振った。
「無理だと思うよ、アイリスはそういうのに一切手を出さないから。昔ラーシュ達がスヴァインに殺された時だって、嘆きこそすれ傍観を決め込んだくらいだしな。自分のルールに基づいて二人を殺したスヴァインは処分すべきだとは考えても、それを自分自身でどうこうしようとは思わないらしい。あくまで俺やノストノクスっていう、罪人を裁く役割の奴が片付けろってスタンスなんだよ」
「……でもそれだったら、命令違反したノエをアイリス自身が処分するっていうのもおかしくない? 手は出さないんだったらノエのことも殺さないんじゃないの?」
「それとこれとは別。アイリスの認識としては俺は同胞っていうより自分の身体の一部に近いんだよ。人間だって身体の悪いところは切って捨てるだろ? 実際、自分の言うことを聞いているうちは生かしておいてやるって言われてるしね」
そう言って肩を竦めるノエを見ながら、私は自分の眉間に力が入るのを感じた。なんだかノエのことを物みたい扱われている気がしてムカムカする。でもノエ自身もそういうものだと受け入れているようだから、それについて何と言っていいか分からない。
「……ノエには手を出すくせに、なんで他の人達にはそうしないの? アイリスが出れば吸血鬼同士の揉め事なんて一発で解決なのに」
仕方なく会話を続けたけれど、無意識のうちにふてくされたような物言いになってしまった。そんな私にノエは苦笑いを零して、空気を軽くしようとしてくれているのか、「さあ?」とほんの少しだけふざけるように口を開いた。
「けどそれを言っちゃえばアイリスは俺達全員を操れるわけだから、そもそも意図しない行動をしないように制限すればいいんだよ。そうしないのは本人曰くそれだとつまらないかららしいんだけど、それって自分が直接介入するのは必要最低限にしたいってことなんじゃない?」
「意思を制限されないっていうのは悪くないとは思うんだけど……なんか嫌だな、それ。うまく言えないけど、中途半端に手と口を出しておいて残りは放置、みたいな感じがするし……」
「実際放置かもな。千年戦争の件で、アイリスは自分の子供達も人間と変わらないってある意味見限っちゃってるっていうのはあると思うし。ラーシュやオッドのことも愛してたみたいだけど、くだらない争いからいつ目が覚めるのかっていつも言ってた。それをスヴァインが私情で二人を殺しちゃったから、なんかもう完全に呆れちゃったんじゃないの?」
なんだろう、アイリスという人は無責任なのだろうか。自分の子供達が吸血鬼の衰退を招くような戦争を起こしたのに、それを見ているだけで止めないって親としてどうなのだろう。問題視していたならせめて諌めるくらいはしてもおかしくはないと思うのだけど、ノエの話を聞いている限りそれすらしたかも怪しい。
結局アイリスがしたのは、嘆くことだけ。自分が吸血鬼にした人達のはずなのに、その行動に責任を取ろうとしない。ノエやノストノクスに押し付けて自分は高みの見物。
「……なんかむかつくな」
「何が?」
「アイリス。この人のせいでノエは嫌なことしてるんでしょ? なのに手伝いもせず失敗も許しませんってどうなの?」
「ほたるの言いたいことも分からなくはないけど、あの人は人間の理に当てはめちゃ駄目だよ。それにアイリスの誘いに乗ったのも俺だし」
「……ノエはやっぱり、アイリスを庇うの?」
自分が不安そうな顔をしているのはなんとなく分かった。私にとってアイリスは会ったこともないただの無責任な人だけれど、ノエにとっては親で上司。人間を辞める誘いを受け入れたくらいだから、それくらいアイリスは特別な存在なのかもしれない。
そう思うと、なんだか嫌な気持ちになる。ノエにとって大事な人を悪く思ってしまって申し訳ないとは感じるけれど、彼の気持ちがその人に向いていると思うと、何とも言えないもやもやとしたものを感じた。
「庇う、っていうのは違うな。俺以外のアイリスの子はアイリスと恋人同士みたいな関係だったらしいけど、俺は普通に仕事だし。ていうかそもそも俺が庇えるような存在じゃないし」
「じゃあノエはなんで吸血鬼になったの?」
「長い物には巻かれろってやつだよ。一目見て『これ逆らったら死ぬわ』って思ったのと、意外と好条件だったのと……あと当時の俺は割と自暴自棄だったから」
「それは……周りを裏切ったばかりだったから?」
なんとなく話が繋がってきた気がする。
ノエが今までラミア様の行動としていた部分をところどころアイリスに読み替えれば、何かしらの理由で知られていたノエをアイリスが探して吸血鬼にした、という話になる。その何かしらの理由はさっきノエ自身が言っていた――同胞殺しを買われて吸血鬼になったって。
それは以前ペイズリーさんと揉める原因になったノエの過去。同じ国の人を裏切って、多くの命を奪った出来事。
それを指した私の質問に、ノエは小さく「そうだね」と答えた。
「あれも確か二年くらいかけて準備してたんだよ。でもそれが終わって、やることなくなっちゃったからふらふらしててさ。生きたい理由もないけど、積極的に死にたい理由もないしなーって毎日好き勝手過ごして。ま、結局なんでもよかったんだよな」
そう言って、ノエは自嘲するように笑った。
ノエが吸血鬼になったことを後悔しているのは知っていたから、私もそれ以上は何も言えない。話してくれただけでも十分だし、過ぎたことを何度も突きたくはない。
それにもうさっき感じたもやもやもいつの間にか治まっていたから、私は脱線してしまった話を元に戻そうと口を開いた。
「アイリスが手伝ってくれないっていうのは分かったけどさ、せめて敵にならないようにはできないの? 何もしなくていいから、ノエを殺そうとするのだけはやめて欲しいっていうか。まだ命令違反したって確定じゃないんなら、どうにか言い訳してみるとか、ちょっと誤魔化してみるとか……」
「んなもん無理無理。事実だけ見てそう判断してくれることはあるかもしれないけど、その事実の中にクラトス達を逃がしたことをアイリス基準で正当化できる要素がないし。ってなると言い訳するしかないけど、それだって絶対通用しない。だってあの人が一言『正直に言え』って言ったら俺もほたるもどうしようもないもん」
確かにそうだ。私もノエも、アイリスがその気になれば絶対に逆らえない。
「じゃあさ、最初から正直に言っても駄目? 『こういう事情でクラトスを逃しちゃいました、でもこれからはちゃんとやります』みたいな……」
「それが通用するのは相手に人間と同じ情がある場合だけだよ」
「ないの……?」
「感情はあるんだろうけど、相手の心情を慮るっていうの? そういうのはありそうな気がしないな。だからほたるが言うようなことを言ったら、ただの役立たずだってその場で殺されて終わると思うよ。最悪ほたるなんて俺の仕事の邪魔をしたってことで他の吸血鬼の見せしめに――……なってみる?」
「なんて?」
なんだか不穏な言葉が聞こえた気がするけれど。思いついたと言わんばかりにそれを言い放ったノエの顔は、何故かとても楽しそうだった。
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