マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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第七章

第50話 お前も吸血鬼になればいい

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 もしノエがスヴァインの子だったら、彼について分からなかったことに説明がつく。
 もしノエがスヴァインの子だったら、彼が私を守っていたのはノストノクスのためではないかもしれない。
 もしノエがスヴァインの子だったら、ノストノクスにとって価値がなくなったはずの私を守り続けてくれたことにも、きっと何か理由があるのだろう。

 お父さんだと思っていたスヴァインにいらないと言われ、帰るところも失くなって。この世界に留まる理由すらなくなった私には、それは酷く魅力的な響きで。

 ノエがスヴァインの子だと信じれば、楽になれるのかもしれない。

「――まあ、可能性の話だ」

 クラトスの声で意識が現実に引き戻される。
 私、今何を考えてた……? ――自分の思考を思い出して呼吸が浅くなった。それを誤魔化すようにクラトスを見上げれば、ずっと表情の変わらない顔がそこにはあって。
 私のことを観察するように見てくる目は居心地が悪かったけれど、最初ほどの嫌悪感はなくなっていた。

「ノエにスヴァインの子であって欲しいと思うか?」
「ッ……」

 見透かされている――そう感じた途端、自分の薄暗い部分を見抜かれたことを隠したくて慌てて口を開いた。

「でも、ノエがスヴァインの子なら皆を騙してたってことになるんじゃ……。ノエはそんなこと……!」

 否定しているのは自分の弱さだ。楽になりたくてクラトスの言葉を信じようとしてしまう自分から逃げるために、必死で声を上げる。

 ノエがスヴァインの子だったら確かに楽になれるかもしれない。けれどもしそうだとすると、彼は今まで皆に、私に嘘を吐いていたということになってしまう。
 それは簡単に受け入れることなどできるはずがなかった。どれだけ魅力的な響きであっても、ノエがスヴァインの子だと信じるのであれば彼の裏切りもまた認めなければならない。私を裏切りたくないと言ってくれたノエの、その言葉すら嘘だったのだと認めなければならない。

 ああ、そうか。私はそっちの方が嫌なんだ。
 自分の存在価値とかそういうものよりもずっと、ノエに裏切られたと思う方が嫌なんだ。

「そんなことをしない、と言い切れるか? お前は知らないかもしれないが、人間だった頃に奴は同胞を大勢殺している。確か戦争中の敵軍に取り入って自軍共々甚大な被害を与えたんだったか。詳しいことは忘れたが、何にせよ人間の頃からそんなことができる奴だ。仲間の振りをして周りを騙すことも、エルシーを殺すことだって簡単なはずだろう」
「ノエはそんな人じゃない! だってそうしたらラミア様はどうなるの!? ノエはラミア様に逆らえないのに、あの人まで騙すことなんてできるはずがない!」
「目先の情報で前提を忘れるな。今はノエがスヴァインの子だったら、という話をしている。スヴァインの子であればノエはアイリスの系譜で言うと序列第二位――本当に逆らえないのはノエではなくラミアだ」

 クラトスの言葉に頭を殴られた気がした。
 そうだ、自分でもさっき考えたばかりじゃないか。ノエがスヴァインの子なら、彼の序列はノクステルナの誰よりも上。全体では第三位であるラミア様でさえも、ノエよりも序列が下になってしまう。
 ノエには、ラミア様を操れてしまう。

 どうしよう。どうしたらクラトスの言葉を否定できる?
 必死で記憶を辿っても、彼の考えを否定できるものが見つからない。

 それどころか考えれば考えるほど、どんどんノエが分からなくなっていく。クラトスの言う通りなら今までノエに対して抱いていた疑問がすべて解決してしまうから。
 ソロモンを殺せたのも、私の血を飲んで死ななかったのも、ノエの序列が彼が申告していたものよりも上だからだ。
 そういえば壱政さんだって、私を連れて行く時に血が付かないよう警戒していた。けれどノエが私の血を警戒したところなんて見たことがない。本当に少し触ったくらいであれば平気なのだとしても、どこに血が付くか分からないから壱政さんのように対応するのが自然なんだ。
 それなのにそうしなかったのは、私の血を取り込んでも命を落とす危険がないくらい、ノエの本当の序列が高いからなんじゃないかと思わざるを得なくて。

 それはまるで、クラトスの考えを裏付けるようで。

「まだノエの言うことを信じられるか?」

 クラトスの言葉が胸に突き刺さる。
 ノエを信じたい。それなのに目の前に示されるものは、彼の言葉こそ信じない方がいいと思わせるものばかり。
 どうしたらノエを信じられるだろう。ノエが私を騙していなかったと、どうしたら安心できるだろう。

「奴を信じたいのであれば、そのための力が必要だ」

 それまでの厳しい口調とは打って変わって、穏やかな声色でクラトスが私に話しかける。
 優しい、落ち着いた声。その声は苦しかった胸の中にすっと滑り込んで、私は思わずクラトスの顔を見上げた。

「どう、したら……」
「簡単な話だ。お前も吸血鬼になればいい」
「え……」

 とんでもない提案をしているのに、クラトスの顔は寒気がするくらい優しかった。

「お前の中にある種子はスヴァインのもの。発芽させればお前の序列は第二位――ノエと同じになれる。お前が気を強く持ちさえすれば、奴の催眠にかかることはない。それに命の期限があるんだろう? 見たところ相当種子の侵食が進んでいるから、このままなら一月も持たず命を落とすだろう。だが吸血鬼になればそんな心配はいらない。ノエのことを知る前に命を落とす可能性だってほとんどなくなる」
「そんな……私は、吸血鬼には……」

 なりたくない。そう思って、今までスヴァインを追っていた。スヴァインを見つけて、この身体から種子を取り除いてもらうために。

「だが人間のままではノエを追うこともできないぞ? 奴が本気で逃げればお前はその姿を目に移すことすらできない」
「それは……」
「それに、ノエにこれ以上誰かを殺させないで済むかもしれない」
「っ……!」

 咄嗟に俯きかけていた頭を上げる。ノエにはもう誰も殺して欲しくない。エルシーさんを殺したのが本当にノエなのかは分からないけれど、もしそうだとしてもできることなら彼女を最後にして欲しい――そう、思っていたから。

「ノエが本当にスヴァインの子なら、ラミア達も安全とは言い切れないだろう。エルシーはラミアの系譜で二人は親友とも言える間柄だった。そんな相手を殺せるのだから、他の者達なんてもっと簡単かもしれない。アレサの子だからエルシーを殺したのだとしても、他のラミアの子達に手を出さないとは限らないだろう?」

 頭の中にラミア様のお城で出会った人達の顔が浮かぶ。その中には勿論、リリもいて。
 吸血鬼の人達はともかく、リリはどうやったって吸血鬼に狙われたら助からない。あの子を、ノエに殺させるわけにはいかない。

「吸血鬼になれば守りたい者を守れるようになる。相手がノエなのであれば、同じスヴァインの子であるお前は対等。いざという時にラミア達を逃がす隙を作れるかもしれない」

 いつの間にか、クラトスの言葉を無視することができなくなっていた。
 だって、吸血鬼にならなければノエを止めることができない。ノエとちゃんと話をすることもできない。

「どうしたらいいの……?」

 私が尋ねると、クラトスが柔らかい笑みを浮かべた。

「君の中の種子を発芽させる方法は知っている。私に任せておきなさい」

 本当に吸血鬼になっていいんだろうか――クラトスの言葉を聞きながら視線を下に落とす。
 吸血鬼になれば、ノエとちゃんと話せる。吸血鬼にならなければ、話す機会を得られないまま死んでしまうかもしれない。

『頼むから、もう傍から離れないで』

 いつかノエに言われたことが脳裏を過ぎる。
 クラトスの手を取るということは、この言葉に背くということ。これはノエの感情的なものから出た言葉ではないと分かっているけれど、私はとても嬉しかった。そんな大切な言葉に背いてしまうと考えると、胸がぎゅっと締め付けられる。……でも。

 このままじゃ、どちらにせよノエの傍にはいられない。

「ノエ……」

 私、やっぱりノエには近くにいて欲しいよ。こうして一人きりになってようやく分かった。
 だって、ノエがいないだけでこんなに不安になる。
 ノエのことはまだ怖い。分からないこともたくさんあって辛いとも思う。ノエの方から来てくれないと、私は自分から傍に行く勇気も持てなくて。

 でもそれは結局、私が弱いからだ。
 ノエが本当は何者かとか、なんで仲間を殺してしまうんだとか、ノエじゃない他の人の言葉ばかりでノエの口から聞けていない。目の前に並び立てられる勝手な憶測を、否定したいのに否定することすらできない。
 私はノエから直接全部聞いて、その上で自分からノエの傍に行きたい。

 そのために必要なんだったら、私は――。
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