マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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第七章

第46話 ……そんなに不味かったの?

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 エルシーさんが部屋を去った後も、彼女の話をずっと考えていた。エルシーさんは吸血鬼達がノストノクスを敵と見做しても、自分は彼らをそうは見ないと言う。
 ならノエはどうだろう。必要なことだったからという理由でソロモン達を手に掛けたノエは、彼らを敵と思っていたんじゃないか。
 しかもノエは、そのことを誰にも話すなと言っていた。私はノエが仕事の都合でソロモン達にあんなことをしたのかと思っていたけれど、よくよく考えれば仕事ならエルシーさんにも話せないのはおかしい。
 もしかしたらノエのしたことは、仕事とは関係ないのかもしれない。

 そう気付くと、足元が急に心許なくなった気がした。
 ノエは本当に仕事のために行動しているのだろうか。仕事じゃないからエルシーさんにも隠し事をしている。仕事じゃないから、もしかしたら私にも本当のことを話していないのかもしれない。

 だって、そうじゃないと辻褄が合わない。
 ノエにソロモン達をあんなふうに殺せるはずがない。私の血を飲んで、生きているはずがない。
 私が今までノエに教えてもらったことは本当? すべて信じられる?

 手のひらにじわりと汗が滲む。

「――何、メシ食べてないの?」

 突然聞こえてきたノエの声にびくりと身体を揺らす。お風呂に入っていたはずなのにと思って振り返ると、ノエは首にタオルをかけて確かにお風呂上がりといった姿をしていた。少し長い、濡れた前髪から覗く切れ長の目は訝しげに細められていて、その視線の先に自分がいると気付いた私は慌てて目を逸らす。
 えっと、何を聞かれていたんだっけ――何か答えなければと思うのに、ノエがなんと言っていたかすぐに思い出せない。
 私が必死に記憶を辿っていると、ノエが小さく息を吐くのが聞こえた。

「怒らないからそんなに驚かなくて大丈夫だよ」

 そう言ってノエはソファに向いていた足の向きを変えて、奥にあるベッドへと歩いていった。そのままベッドのスプリングを軋ませながら腰を下ろすと、「冷めちゃう前に食べときな」と少し離れたところから私に声をかける。

「……うん、ごめん」
「怒ってないって言ってるでしょ」
「そうなんだけど、その……やたら驚いちゃって……」

 話の流れでノエが何と言って話しかけてきたか思い出したので、彼が怒らないと言っている内容がご飯を食べていないことに対してだと分かった。けれど私が謝ったのはそのことについてじゃない。ノエに対してびくびくとしてしまっていることだ。
 今だってノエは私が思った以上に驚いたから、私の隣には座らずにわざわざ離れたところまで移動したのだろう。ノエが私のことをどう思っているにしろ、あまり気分は良くないはずだ。

「そうねー……。まァ、前も言ったけど俺を怖がるのは別にいいんだよ。だけど驚くのは駄目」
「……どうして?」
「だって周りに気を配ってないってことだろ? 色々考え込むのも分かるけどさ、俺がほたるの視界にいない時はもう少しだけ周りを気にして欲しいな」

 その言葉にまた胸が苦しくなる。私のせいでこういうことを言わせているって分かっているのに、それは違うんじゃないかと言いたくなる。
 だってノエはもっと怒っていいんだよ。守ってやってるのにどうして怖がるんだって。俺はお前には何もしてないだろって。
 だけどノエはそんなことおくびにも出さない。私に怖がられることを、避けられることを受け入れている。それがなんだか、酷く悲しい。

「ノエは嫌じゃないの……?」
「何が?」
「私の態度とか……」

 ノエはうーんと考える素振りを見せたかと思うと、すぐにへらっと笑顔を浮かべた。ほんの少し、眉を下げながら。

「でもほたるはそういうの、自分でも気にしてるのに変えられないんだろ? ならそれを嫌とか言ってもどうしようもないでしょ。俺だって嫌なもの見せちゃったって自覚はあるし、まァしょうがないかなって」
「私は……ノエにちゃんと話して欲しい……」
「自分から聞くって言ってなかった?」
「そうだけど……! でも、ノエだってはぐらかしたじゃん」

 どうしてノエにソロモンを操れたのか聞いた時、ノエは内緒と言って教えてくれなかった。それを指して言えば、ノエは困ったように頭を掻く。

「まー……言えないこともあるよな」
「ほら、それ。私はノエが私の血を飲んで死ななかった理由も分からないのに」
「それはもうよくない? 実際死ななかったんだし、もう二度とほたるの血はもらうつもりないし」
「……そんなに不味かったの?」
「いや美味かった。ごちそうさまです」

 ノエは律儀に顔の両手を合わせて、日本スタイルで私に頭を下げる。なんだろう、ちょっと複雑な気分。不味くなくてよかったと思うものの、それを素直に喜んでいいのか分からない。
 これはあれか、私の作った料理に対して言ってると思えばいいのか。……前に私の料理を食べたお母さん、しばらく固まってたけどな。
 微妙な記憶を思い出して乾いた笑いが出そうになったので、今はそんな顔をしている場合じゃないとノエに向き直った。

「じゃあなんで私の血はもういらないの? またあんなことになったらどうするの」

 私が言うと、ノエが不思議そうに首を傾げる。

「いや、ほたるはいいの? 普通血を飲まれるって嫌じゃない? あんま効かないって言っても、毒で身体とか変になるだろ。それに毒の効きが悪い分、噛まれたところだって痛いだろうし」
「そんなのノエが死ぬよりは……――ッ」

 ノエが死ぬよりはいい――自分が言おうとしたことに驚いて、私は思わず顔を伏せた。
 私、ノエが死んだら嫌なんだ。しかもただ死んで欲しくないと思うだけじゃなくて、彼が死なないためなら自分の身体のことはどうだっていいと思えるくらいに。
 確かにここまで良くしてくれた人が死んじゃうのは嫌だけど、今でもノエに対してそう思っていると気付くと余計に頭が混乱してくる。
 だって私はノエが怖くて、彼が何を考えているか分からなくて、不安で。それなのに自分のことよりもノエの命の方が大事だと思っている。
 よく分からない自分の感情にノエの方を見れば、ノエは「ふうん?」と少し嬉しそうな顔をしていた。

 まただ。その反応が私を混乱させる。何度も見たその表情のせいで私はノエを突き放せない。それどころか、もっと、と求めてしまう。

「ま、ほたるの優しさはありがたく受け取るとして。それとは関係なく俺はもう血はもらわないよ。ただでさえほたるは栄養が足りないんだから」
「……栄養が有り余ってたら飲むの?」
「どんだけ飲ませたいの。飲まないよ――ほたるは食糧じゃない」

 そう言ってノエが困ったように、けれど優しく微笑うから、私は慌ててご飯を食べ始めた。


 § § §


 妙な胸騒ぎがして、私は目を覚ました。見慣れない部屋に周りを見渡すと、そういえばノストノクスのノエの部屋にいるんだと思い出す。
 今私が横になっているベッドもノエのもの。自分はどうせ大して寝ないからと私をベッドに寝かせようとするノエと一悶着あったものの、『俺の布団が臭いと言いたいのか』だなんて言われてしまえば使うしかなくなる。だって別に臭くないし、そこを気にしていたわけじゃないし。
 むしろノエの匂いはやっぱりとても安心できて、横になった後の記憶がほとんどない。つまり物凄くぐっすり眠れたわけだけれど、なんだかな。現金すぎないか、私。

 そんなことを思いながらノエを探したけれど、仮眠を取るならそこだろうと思っていたソファには姿がなかった。のそのそベッドから這い出しソファに触れても温かさがない。そもそもノエの体温は低いから、あんまりぬくもりというのは残らないのだろうけれど。
 次に洗面所を探そうと、扉を開ける前に数回ノック。けれどやっぱり返事はなくて、一応中には入ってみたものの姿がないどころかここ数時間使った感じすらしなかった。

「ノエ……?」

 気付けば弱々しい声でノエを呼んでいた。けれど見当たらないのは仕方がないので、とりあえず身支度をしてみる。
 そうやって着替えまで済ませてもノエは戻ってこなくて、私はソファにちょこんと座ってぼんやりとテーブルの上を眺めた。

 そういえば、起きた時に何か胸騒ぎがしたんだった。あれはなんだったのだろう。ノエがいないことだろうか。
 だとすれば私は寝ていたくせに、ノエがいないことに心細さを感じていたことになる。なんなんだよもう、そこまでノエのことを信用しているならいい加減腹を括れ。

 とは思うものの、やはりノエについての分からない部分が私を引き止める。あの光景を見ていなければまだよかったのかもしれない。けれどそれまでのノエという人物像を覆すようなあの出来事は、私の中で枷となっていた。

「馬鹿みたい……」

 自嘲するように呟いた時、カチャという音が聞こえた。これは鍵をあける音だから多分ノエだろう――そう思ったものの、一応ソファの背もたれに身を隠す。
 けれど開いた扉から現れたのは案の定ノエで、私はほっとして背もたれから顔を出した。

「今度はちゃんと聞こえてたか」

 満足そうに笑うノエの手には料理の乗ったプレート。なんでノエが持っているんだろう。昨夜はエルシーさんが食事を持ってきたくらいだから、ノエも姿を見られないように食堂には行けないと思っていたのだけれど。
 そう思って首を傾げれば疑問が伝わったのか、「エルシーが取ってきてくれたんだよ」とノエが言う。

「ちょっと朝から話しててね。少し面倒なことになりそうだから、ほたるこれ急いで食べちゃって」
「面倒なこと?」
「ほたるがここにいるの、外の連中にバレた」
「え……」

 それはだいぶまずいんじゃないだろうか――無意識のうちに身体が強張る。

「時間は稼ぐよ。食べたらすぐ出よう」
「食べるの後回しでいいよ、これ包んで持っていけば――」
「今食べなさい。時間稼ぐって言ってるだろ? 今食べなかったら次いつ食べられるか分からないんだから」

 そう強い語調で言われてしまえば、ろくに事態を把握できていない私は従うしかない。なるべく早く食べようと、食べやすいものからどんどん口に詰め込む。
 一方でノエはかばんに荷物を詰め込んでいて、やっぱり急いでいるんだと思わざるを得なかった。

 それから十分もしないうちに全部食べきると、私はノエに手を引かれながら部屋を後にした。歩きながらマントを頭まで被って、顔を隠すようにする。

 その直後、大きな音と激しい振動が私達を襲った。
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